パソコンを通じてお付き合いさせていただくようになった方が、
時々「古い婦人雑誌」を送ってくださいます。
着物の記事のほかにも、なんとも楽しい「昔の記事」があるので、
毎回あれこれスクラップさせていただいてます。
今回送っていただいたものは、昭和36年ころの「婦人生活」
この中の一冊に「この着物がすき」というグラビア記事がありました。
トップ写真は、その記事のトップ朝丘雪路さん。
お父上が日本画家だけあって、古典的な柄といえども大胆な柄置きですね。
この記事の中に日本航空スチュワーデスの高楠凱子さんという方の着物姿があります。
国際線の、今は「キャビン・アテンダント」でしたっけ…。
この方のコメントの一節です。
「国際線でのユニフォームです。"菊のある柄"が、私たちの決まりですが、
ジャポニカ趣味にならないように…」
これよ、これっ!と思わず手をたたいてしまいました。
「ジャポニカ」とは
《 欧米人の間における日本趣味。日本画や浮世絵などを飾ったりする趣味。》
とあります。
私は、外国の方が「日本の文化も知らないくせに」…と思っているわけではありません。
私らだって、ハイビスカスが描いてありゃ「あっハワイ風」なんていうじゃありませんか。
要するに「着物文化は知らないけれど、洋風文化の側の目で見て、その感覚で評価し、
和文化をスキだといってくださっている」と思っています。
昔、横浜の大桟橋がただの長い橋だったころ、ずーーーっと先のほうに
建物があって、その中に「スーベニア・ショップ」がいろいろ入っていました。
免税店でもあったのだと思いますが、ごちゃごちゃと雑多なものが並んでいました。
観光地で見かける『浅草』とか『横浜』とか描いてある「ちいさい提灯」とか、
いまや絶滅種?の赤や黄色の「ペナント」とか、トウキョウタワーのついた温度計とか、
子供がお遊戯会に使いそうな、いかにもの日傘とか…。
その中にたいがいぶら下がっていたのが、さまざまな原色やピンクのサテン地に、
金銀で梅や桜、五重塔や舞妓さんが織り出された「KIMONO」…。
着物というよりガウンタイプ、あれがまさしく「ジャポニカ」だと思います。
今、着物を着たい、着ようと思われるお若い方のほとんどが、
着物の暮らしを知らない方たちです。いつも言ってることですが、
「伝わるはずの着物の知識も、伝統も、知恵も」、何も伝わらなかった時期が
はさまっちゃってるわけです。
もちろん、知りたい、といろいろ調べて着ることを楽しんでおられる方も
たくさんいらっしゃいますが、ゆかた着た~い、わぁぁこれかわゆしぃ…なんて、
そういう方もいらっしゃいます。
生まれたときから洋装の中で暮らしてきた今の私たちは、
着物について、知ろうとしなければわからないことがたくさんあるわけです。
着物の色柄も、小物の使いようも、洋装感覚をそのまま持ち込む…。
本人たちは、それを間違っているとも思わないし、私のように
「だからゆかたってのはさ」なんていうと「古い」とか「うざい」とか
「そんなことこだわってるから着物が廃れる」なんていわれてしまったりします。
でも、着物や着物での暮らしを知らない方は、ある種外国の方と似ているわけで、
それは「ジャポニカ好み」になっているのではないかと思うわけです。
「それはほんとはね…」と教える人がいなくなり、作る側売る側は、
「売れてくれれば」で、そういう好みに迎合する…。
「今の若い人はこういうのがスキだから」とか「これは新しい着方だから」と、
目の前のことと先のことばかり見ている…。
こぼれ落としてきたたくさんのものを掬い上げて、
それの上に新しいものを積み上げるということを怠っている…そんな気がします。
下はひらひらのロングドレスで、着物を上着代わりに羽織るのは「ジャポニカ」です。
着物の美しさを認めたうえで、それを自分のファッションに取り入れる…ですね。
今のゆかたにレース衿とか、ふわふわ二枚かさね帯とか、
そういうものって、やはり洋装感覚での「おしゃれの方法」だという気がします。
洋服はデザインという大きなポイントと、次に色柄の両方のポイントがあります。
大きく胸の開いた服なら、きれいなネックレスがとてもいいアクセントになるでしょうし、
いろいろな色が入った花柄の服なら、その中の一色をとった無地のスカーフなど、
とてもおしゃれに装えると思います。
でも着物は、そういうアクセントの付け方ではなく、元々デザインはみな同じですから、
着物と帯の色柄の取り合わせ、そして小物の色使い…がメインです。
よけいなものをつけなくても、十分ステキに装えます。というより「それの勝負」なのです。
今のレース衿や綿アメしょったような帯が不細工だというのではなく、
どっちもかわいそうだと思うのです。
ジャポニカという言葉を、外国人を見下げる言い方で使うわけではなく、
「その文化になじんでいない立場」という意味で、
ジャポニカの前に「ジャパン」を学んでほしいと思うわけです。
いつも言います「そうすれば『着物はもっと楽しくなる』のです」。
もう少しおまけ写真です。
同じグラビア記事でのお二人、ダレだかわかりますか?上野写真は「中島弘子さん」、
あの「夢で逢いましょう」の番組は、この方の首を横にカクンとかしげたお辞儀と、
「皆様こんばんは、中島弘子です」という一言がオープニングでした。
どうしておられますかねぇ、50年も前ですからねぇ…。
そして下は「浜木綿子さん」。いつまでもお若いですね、この世界のかたがたは…。
時々「古い婦人雑誌」を送ってくださいます。
着物の記事のほかにも、なんとも楽しい「昔の記事」があるので、
毎回あれこれスクラップさせていただいてます。
今回送っていただいたものは、昭和36年ころの「婦人生活」
この中の一冊に「この着物がすき」というグラビア記事がありました。
トップ写真は、その記事のトップ朝丘雪路さん。
お父上が日本画家だけあって、古典的な柄といえども大胆な柄置きですね。
この記事の中に日本航空スチュワーデスの高楠凱子さんという方の着物姿があります。
国際線の、今は「キャビン・アテンダント」でしたっけ…。
この方のコメントの一節です。
「国際線でのユニフォームです。"菊のある柄"が、私たちの決まりですが、
ジャポニカ趣味にならないように…」
これよ、これっ!と思わず手をたたいてしまいました。
「ジャポニカ」とは
《 欧米人の間における日本趣味。日本画や浮世絵などを飾ったりする趣味。》
とあります。
私は、外国の方が「日本の文化も知らないくせに」…と思っているわけではありません。
私らだって、ハイビスカスが描いてありゃ「あっハワイ風」なんていうじゃありませんか。
要するに「着物文化は知らないけれど、洋風文化の側の目で見て、その感覚で評価し、
和文化をスキだといってくださっている」と思っています。
昔、横浜の大桟橋がただの長い橋だったころ、ずーーーっと先のほうに
建物があって、その中に「スーベニア・ショップ」がいろいろ入っていました。
免税店でもあったのだと思いますが、ごちゃごちゃと雑多なものが並んでいました。
観光地で見かける『浅草』とか『横浜』とか描いてある「ちいさい提灯」とか、
いまや絶滅種?の赤や黄色の「ペナント」とか、トウキョウタワーのついた温度計とか、
子供がお遊戯会に使いそうな、いかにもの日傘とか…。
その中にたいがいぶら下がっていたのが、さまざまな原色やピンクのサテン地に、
金銀で梅や桜、五重塔や舞妓さんが織り出された「KIMONO」…。
着物というよりガウンタイプ、あれがまさしく「ジャポニカ」だと思います。
今、着物を着たい、着ようと思われるお若い方のほとんどが、
着物の暮らしを知らない方たちです。いつも言ってることですが、
「伝わるはずの着物の知識も、伝統も、知恵も」、何も伝わらなかった時期が
はさまっちゃってるわけです。
もちろん、知りたい、といろいろ調べて着ることを楽しんでおられる方も
たくさんいらっしゃいますが、ゆかた着た~い、わぁぁこれかわゆしぃ…なんて、
そういう方もいらっしゃいます。
生まれたときから洋装の中で暮らしてきた今の私たちは、
着物について、知ろうとしなければわからないことがたくさんあるわけです。
着物の色柄も、小物の使いようも、洋装感覚をそのまま持ち込む…。
本人たちは、それを間違っているとも思わないし、私のように
「だからゆかたってのはさ」なんていうと「古い」とか「うざい」とか
「そんなことこだわってるから着物が廃れる」なんていわれてしまったりします。
でも、着物や着物での暮らしを知らない方は、ある種外国の方と似ているわけで、
それは「ジャポニカ好み」になっているのではないかと思うわけです。
「それはほんとはね…」と教える人がいなくなり、作る側売る側は、
「売れてくれれば」で、そういう好みに迎合する…。
「今の若い人はこういうのがスキだから」とか「これは新しい着方だから」と、
目の前のことと先のことばかり見ている…。
こぼれ落としてきたたくさんのものを掬い上げて、
それの上に新しいものを積み上げるということを怠っている…そんな気がします。
下はひらひらのロングドレスで、着物を上着代わりに羽織るのは「ジャポニカ」です。
着物の美しさを認めたうえで、それを自分のファッションに取り入れる…ですね。
今のゆかたにレース衿とか、ふわふわ二枚かさね帯とか、
そういうものって、やはり洋装感覚での「おしゃれの方法」だという気がします。
洋服はデザインという大きなポイントと、次に色柄の両方のポイントがあります。
大きく胸の開いた服なら、きれいなネックレスがとてもいいアクセントになるでしょうし、
いろいろな色が入った花柄の服なら、その中の一色をとった無地のスカーフなど、
とてもおしゃれに装えると思います。
でも着物は、そういうアクセントの付け方ではなく、元々デザインはみな同じですから、
着物と帯の色柄の取り合わせ、そして小物の色使い…がメインです。
よけいなものをつけなくても、十分ステキに装えます。というより「それの勝負」なのです。
今のレース衿や綿アメしょったような帯が不細工だというのではなく、
どっちもかわいそうだと思うのです。
ジャポニカという言葉を、外国人を見下げる言い方で使うわけではなく、
「その文化になじんでいない立場」という意味で、
ジャポニカの前に「ジャパン」を学んでほしいと思うわけです。
いつも言います「そうすれば『着物はもっと楽しくなる』のです」。
もう少しおまけ写真です。
同じグラビア記事でのお二人、ダレだかわかりますか?上野写真は「中島弘子さん」、
あの「夢で逢いましょう」の番組は、この方の首を横にカクンとかしげたお辞儀と、
「皆様こんばんは、中島弘子です」という一言がオープニングでした。
どうしておられますかねぇ、50年も前ですからねぇ…。
そして下は「浜木綿子さん」。いつまでもお若いですね、この世界のかたがたは…。
雪路さんのお父さんは「伊東深水」氏。
職人さんだったと思います。
日航のスッチーさんが、着物を着ていたのは
10年間くらいだったと聞いています。
最初から着るんじゃなくて、
確か、中で着替えるんですよ。
当然「着付け」も習ったんです。
ただ、これにも書いてありましたが
「付け帯」です。着物着るより帯のほうが
たいへんですもんね。
着なくなったのは、やっぱり「コト」が起きたときの
対処の問題でしょうね。
「安全」がうるさくいわれるようになりましたし。
だったら「もんぺ」はいかが?ですわ!
私は「現物」にはお目にかかっていないのですが、
「目撃者」のお話はほかにも聞いてます。
見たくないですねぇ。
単純にめだちたいのでしょうし、
本人はご満悦なのでしょうけれど…。
着物に限らず「恥ずかしさ」が、
かわったのでしょうかね。寂しいことです。
「夢で逢いましょう」、私も見てました。
あの人がデザイナーで、タレントさんでも
アナウンサーでもないことは、
ずっと後になって知りました。
朝丘雪路さんて、着物が良くお似合いです。現在の半分くらいかな?徳川家一族ですたっけ?
それと国際線の制服って着物だったのが驚き。いざと言う時に対応できるのでしょうか....昔はスッチ-さんと呼んでました。いえ、友人と話す時は今もスッチ-さんです。
中島弘子さんは全く分からないけど浜木綿子さんは息子さんとそっくりです。
貴重な記事をありがとうございました。
金髪に近い髪の毛にゆかたで花魁風に前で
帯を結んで、衣紋はよくあれだけ抜いて
着くずれないものと思うような若い子を
見ました。外国の方ならジャポニカかなと
思うんですが・・・思わず目が点になり
ましたよ。
「夢で逢いましょう」はこの方だったの
ですね。遠い記憶に♪夢で逢いましょう♪の
フレーズだけ残っています。