古着のお話しを書くべく準備しておりましたが、消してしまって…。
古着については、またツギの機会に…。
それで、昨日別のご質問いただきましたので、
今日は例の「なんだかな~和柄」つながりでお話ししてみようと思います。
ご質問は「唐獅子牡丹というと任侠の世界、その筋のヒト
姐さん系が身につけるもの…のイメージなのですが」というお話し。
それはやはり「画像からの印象」つまり映画などの…があると思います。
あの勇壮さとか華やかさが、映画の中のその世界の女性の方々に、
ちょうどぴったり、美しかったのでしょう。
でも確かに唐獅子牡丹や、昇り竜などは入れ墨や着物の図柄にも使われました。
えーと、ちと脱線しますが、入れ墨も刺青も彫り物もタトゥーも、
やることはみんな同じです。
日本の場合、入れ墨は「罪人の証」に使われましたので、
それは「入れ墨」、自ら望んで入れるものを「彫り物」といいました。
世界中には、宗教上とか、行事としてとか、生活習慣としてとか、
そういう理由で入れ墨をするところもあります。
日本においては、そういう形での使われ方はほとんどなく、
あくまで個人的な趣味の「装飾」、及び職業上の意地?…。
特にもてはやされたのは、江戸時代でハダを見せる職業、
たとえば火消しとか鳶とか、まぁいってみれば「粋でいなせ」といわれるヒト。
彫り物のひとつも入ってなきゃオトコじゃねぇ…なんていう風潮にまでなって、
お上がこれまたやっきになって禁止しました。
元々器用な日本人ですから、彫り物の技術はさまざまたいへん進み、
背中のみならず、全身を使って一枚絵のように仕上げる、
なんてこともあったそうです。
その時の図柄として、龍・虎・獅子・鯉さらには不動明王なんてのまで
使われたわけです。
入れ墨はたいへん体力を使うことで、熱も出るし、痛みはあるしで、
それを辛抱していれるということは、それだけですごいといわれたんですね。
結局日本においては、その後いわゆるヤクザと呼ばれる人たちの
シンボルのように変化していきましたので、
「入れ墨をしているのは、特殊な職業のヒト」というのが
一般的な意識になっていったわけです。
かの「遠山金四郎」様は本当に入れ墨を入れていたそうです。
ただし、ご立派な遠山桜ではなく、二の腕にちらっと…くらいだとか。
「イキがっていた若気の至りよ」…だったそうです。
まぁ、そんなこともあって、私はスカジャンの背中の龍は…なんですねぇ。
で…唐獅子牡丹ですが、その勇壮さと「牡丹」という美しさ華やかさから
入れ墨やちょっと特殊な模様として女性の着物の模様にも使われたわけですが、
唐獅子と唐獅子牡丹の柄そのものは、ずっと古くからある柄です。
唐獅子は、読んだとおり「唐の獅子」って何それ…。
これは「獅子」と「猪」と「鹿」を区別するためと言われています。
そのまま読めば「しし・いのしし・しか」ですが、
全部「しし」と読めるんです。それで中国から渡ってきたほうのしし、
「唐でいうところのしし」で「唐獅子」なんですね。
実際のライオンとはえらい違いですが、ライオンもどこにでもいるものでは
ありませんし、口伝え絵伝えが、こんな姿を作り出したのでしょう。
さて、なぜ「セット」か。
この「何々と何々」というのは、模様の世界にはよくありますね。
雪持ち笹に福良雀とか、象に唐子とか、竹薮に虎とか…。
それぞれ意味があるわけで、単純に縁起とか見映えとか、
そういうものもありますが、唐獅子の場合は仏教のお話しという意味があります。
獅子はライオンのこと、今でも百獣の王、といわれます。
獅子はケモノの敵がいない、一番強い、しかしたったひとつこわいものがある、
それが体の中に潜む虫、「獅子身中の虫」といわれる虫です。
実際には、仏教の教えからのお話しで、要するに「裏切り」のことですね。
たいへん強い獅子でも、わが身の中に巣食う虫によって、
内側から身を喰らわれてしまうことがある、というお話し。
これを殺す力のあるのが牡丹の花からしたたる夜露、といわれています。
そこで獅子は夜、牡丹の花の根元で眠りその夜露を以って身中の虫を殺す、
というわけですね。それでこのセットなのです。
こういった「組み合わせ」というものは、縁起や神仏の縁を大切にする、
役者さんや、いわゆる花街の女性などの着物の柄にも使われたり致しました。
そういう世界のかたがたは、独特の信心深さを持っています。
そのため、自分の守り神とか守り本尊と思うものに関わりのあるものを、
着物の柄や道具の紋章に入れる…というようなことをしました。
唐獅子牡丹の場合は、唐獅子が「文殊菩薩の眷属」といわれていますので、
十二支でいくと卯年の守り本尊が「文殊菩薩」、で、例えば卯年生まれの花魁が、
守り本尊の眷属の唐獅子を着物に入れたり、帯に牡丹の柄を入れたり、
卯年の役者さんが調度品や持ち物にに唐獅子や牡丹を入れたり…したわけです。
私なんぞ守り本尊は「虚空蔵菩薩」でして、調べたんですが持ち物が宝剣…
というのが多いそうで…花魁が打掛の柄に刀飛ばしてたら怖いやねぇ…。
そうそう虎しょってるアナタ、虎に竹薮というのは、生物学上から言うと、
虎の縞模様が竹薮の影と重なって、狩の際の「カムフラージュ」になる、
ってことになってますけどね、あの図柄の意味は「安住の地」。
まず、虎の怖いのは象、虎は集団で暮らさないので狩はいつも単独です。
その虎はいくら強くても、あの大きい象に集団でおそわれると負けてしまう、
だから象に追われると竹薮に飛び込む。
象は、こみ入った竹薮は、体も大きいし牙をいためるから入らないのです。
つまり虎にとっての竹薮は「自分が心やすらぐ安全な場所」ってことなんですよ。
(なぜかちっとゆるい虎さん、羽裏です)
いきがって虎の咆哮なんて柄しょってるのを見ると、
「象牙」の根付でハタいてやろーかと思う…!?
「髑髏」も海賊船旗から、いまや毒物危険物のマークになっておりますが、
あのおどろおどろしさが、カッコよく見えるのでしょう。
でも、日本においては「おそろしいもの」のほかに「哀れなるモノ」という
独特の意識があります。かつて日本は鳥葬もありましたし、
つい最近までは土葬が当たり前でした。
母方の祖母の実家は、山奥の平家の落人の村でしたから、
墓地はただの平らな土地、ところどころに石があってそれが墓標でした。
なにしろあまりにも先祖が古いので、ただ埋めただけ…なわけで、
たまに土が掘れて骨が出てくる…なんてこともあったそうな。
近年全部掘り起こして、一つのお墓にまとめたそうですが、
コトほどさように、日本人にとって「人骨」というものはあって当たり前のもの。
例えば物語で「長く家をあけたものがやっと家に帰り着くと、
よう戻ったと歓待してくれる、ところが夜が明けると家はなく、
原っぱの真ん中でしゃれこうべがひとつ…それで家人はなくなっていたと知る」
なんて話しもあります。しゃれこうべをかき抱いて泣いたり、手厚く供養したり。
そうそう、小野小町の伝説にもありますね。
ある寂しいのっぱらで「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」と
上の句を詠じるような声がする、見れば野ざらしになった髑髏の眼穴から
ススキが生えていて、風になびくたびに「眼が痛い眼が痛い」と
歌を詠むように聞こえていた。見つけたヒトが、
その髑髏がこの地でなくなった小野小町のものだと知って哀れに思い、
「小野とは言はじ薄生いけり」、つまり「小野(小さな野原)なんていいません、
こんなにススキがたくさん生えているじゃありませんか」と下の句を詠んだ…。
髑髏は愛おしかったり、もののあわれを感じさせるもの…だったわけです。
髑髏背中にしょってるスカジャンの男の子がいたら
「アンタの彼女のレントゲン?」といってみたいなー!
まぁそんなわけで、唐獅子にしても虎にしても、
その柄がどのようにして生まれたのか
どんな歴史を持ってこの日本にやってきたのか、
日本ではどんなふうに使われてきたのか、
セットになっているのはどんな意味があるのか…。
どうせ背中にしょうなら、それも説明できるくらい
「いいオトコ」になってほしいものですわ。
あっあたしは全部知ってるわけじゃありませんけどね。
古着については、またツギの機会に…。
それで、昨日別のご質問いただきましたので、
今日は例の「なんだかな~和柄」つながりでお話ししてみようと思います。
ご質問は「唐獅子牡丹というと任侠の世界、その筋のヒト
姐さん系が身につけるもの…のイメージなのですが」というお話し。
それはやはり「画像からの印象」つまり映画などの…があると思います。
あの勇壮さとか華やかさが、映画の中のその世界の女性の方々に、
ちょうどぴったり、美しかったのでしょう。
でも確かに唐獅子牡丹や、昇り竜などは入れ墨や着物の図柄にも使われました。
えーと、ちと脱線しますが、入れ墨も刺青も彫り物もタトゥーも、
やることはみんな同じです。
日本の場合、入れ墨は「罪人の証」に使われましたので、
それは「入れ墨」、自ら望んで入れるものを「彫り物」といいました。
世界中には、宗教上とか、行事としてとか、生活習慣としてとか、
そういう理由で入れ墨をするところもあります。
日本においては、そういう形での使われ方はほとんどなく、
あくまで個人的な趣味の「装飾」、及び職業上の意地?…。
特にもてはやされたのは、江戸時代でハダを見せる職業、
たとえば火消しとか鳶とか、まぁいってみれば「粋でいなせ」といわれるヒト。
彫り物のひとつも入ってなきゃオトコじゃねぇ…なんていう風潮にまでなって、
お上がこれまたやっきになって禁止しました。
元々器用な日本人ですから、彫り物の技術はさまざまたいへん進み、
背中のみならず、全身を使って一枚絵のように仕上げる、
なんてこともあったそうです。
その時の図柄として、龍・虎・獅子・鯉さらには不動明王なんてのまで
使われたわけです。
入れ墨はたいへん体力を使うことで、熱も出るし、痛みはあるしで、
それを辛抱していれるということは、それだけですごいといわれたんですね。
結局日本においては、その後いわゆるヤクザと呼ばれる人たちの
シンボルのように変化していきましたので、
「入れ墨をしているのは、特殊な職業のヒト」というのが
一般的な意識になっていったわけです。
かの「遠山金四郎」様は本当に入れ墨を入れていたそうです。
ただし、ご立派な遠山桜ではなく、二の腕にちらっと…くらいだとか。
「イキがっていた若気の至りよ」…だったそうです。
まぁ、そんなこともあって、私はスカジャンの背中の龍は…なんですねぇ。
で…唐獅子牡丹ですが、その勇壮さと「牡丹」という美しさ華やかさから
入れ墨やちょっと特殊な模様として女性の着物の模様にも使われたわけですが、
唐獅子と唐獅子牡丹の柄そのものは、ずっと古くからある柄です。
唐獅子は、読んだとおり「唐の獅子」って何それ…。
これは「獅子」と「猪」と「鹿」を区別するためと言われています。
そのまま読めば「しし・いのしし・しか」ですが、
全部「しし」と読めるんです。それで中国から渡ってきたほうのしし、
「唐でいうところのしし」で「唐獅子」なんですね。
実際のライオンとはえらい違いですが、ライオンもどこにでもいるものでは
ありませんし、口伝え絵伝えが、こんな姿を作り出したのでしょう。
さて、なぜ「セット」か。
この「何々と何々」というのは、模様の世界にはよくありますね。
雪持ち笹に福良雀とか、象に唐子とか、竹薮に虎とか…。
それぞれ意味があるわけで、単純に縁起とか見映えとか、
そういうものもありますが、唐獅子の場合は仏教のお話しという意味があります。
獅子はライオンのこと、今でも百獣の王、といわれます。
獅子はケモノの敵がいない、一番強い、しかしたったひとつこわいものがある、
それが体の中に潜む虫、「獅子身中の虫」といわれる虫です。
実際には、仏教の教えからのお話しで、要するに「裏切り」のことですね。
たいへん強い獅子でも、わが身の中に巣食う虫によって、
内側から身を喰らわれてしまうことがある、というお話し。
これを殺す力のあるのが牡丹の花からしたたる夜露、といわれています。
そこで獅子は夜、牡丹の花の根元で眠りその夜露を以って身中の虫を殺す、
というわけですね。それでこのセットなのです。
こういった「組み合わせ」というものは、縁起や神仏の縁を大切にする、
役者さんや、いわゆる花街の女性などの着物の柄にも使われたり致しました。
そういう世界のかたがたは、独特の信心深さを持っています。
そのため、自分の守り神とか守り本尊と思うものに関わりのあるものを、
着物の柄や道具の紋章に入れる…というようなことをしました。
唐獅子牡丹の場合は、唐獅子が「文殊菩薩の眷属」といわれていますので、
十二支でいくと卯年の守り本尊が「文殊菩薩」、で、例えば卯年生まれの花魁が、
守り本尊の眷属の唐獅子を着物に入れたり、帯に牡丹の柄を入れたり、
卯年の役者さんが調度品や持ち物にに唐獅子や牡丹を入れたり…したわけです。
私なんぞ守り本尊は「虚空蔵菩薩」でして、調べたんですが持ち物が宝剣…
というのが多いそうで…花魁が打掛の柄に刀飛ばしてたら怖いやねぇ…。
そうそう虎しょってるアナタ、虎に竹薮というのは、生物学上から言うと、
虎の縞模様が竹薮の影と重なって、狩の際の「カムフラージュ」になる、
ってことになってますけどね、あの図柄の意味は「安住の地」。
まず、虎の怖いのは象、虎は集団で暮らさないので狩はいつも単独です。
その虎はいくら強くても、あの大きい象に集団でおそわれると負けてしまう、
だから象に追われると竹薮に飛び込む。
象は、こみ入った竹薮は、体も大きいし牙をいためるから入らないのです。
つまり虎にとっての竹薮は「自分が心やすらぐ安全な場所」ってことなんですよ。
(なぜかちっとゆるい虎さん、羽裏です)
いきがって虎の咆哮なんて柄しょってるのを見ると、
「象牙」の根付でハタいてやろーかと思う…!?
「髑髏」も海賊船旗から、いまや毒物危険物のマークになっておりますが、
あのおどろおどろしさが、カッコよく見えるのでしょう。
でも、日本においては「おそろしいもの」のほかに「哀れなるモノ」という
独特の意識があります。かつて日本は鳥葬もありましたし、
つい最近までは土葬が当たり前でした。
母方の祖母の実家は、山奥の平家の落人の村でしたから、
墓地はただの平らな土地、ところどころに石があってそれが墓標でした。
なにしろあまりにも先祖が古いので、ただ埋めただけ…なわけで、
たまに土が掘れて骨が出てくる…なんてこともあったそうな。
近年全部掘り起こして、一つのお墓にまとめたそうですが、
コトほどさように、日本人にとって「人骨」というものはあって当たり前のもの。
例えば物語で「長く家をあけたものがやっと家に帰り着くと、
よう戻ったと歓待してくれる、ところが夜が明けると家はなく、
原っぱの真ん中でしゃれこうべがひとつ…それで家人はなくなっていたと知る」
なんて話しもあります。しゃれこうべをかき抱いて泣いたり、手厚く供養したり。
そうそう、小野小町の伝説にもありますね。
ある寂しいのっぱらで「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」と
上の句を詠じるような声がする、見れば野ざらしになった髑髏の眼穴から
ススキが生えていて、風になびくたびに「眼が痛い眼が痛い」と
歌を詠むように聞こえていた。見つけたヒトが、
その髑髏がこの地でなくなった小野小町のものだと知って哀れに思い、
「小野とは言はじ薄生いけり」、つまり「小野(小さな野原)なんていいません、
こんなにススキがたくさん生えているじゃありませんか」と下の句を詠んだ…。
髑髏は愛おしかったり、もののあわれを感じさせるもの…だったわけです。
髑髏背中にしょってるスカジャンの男の子がいたら
「アンタの彼女のレントゲン?」といってみたいなー!
まぁそんなわけで、唐獅子にしても虎にしても、
その柄がどのようにして生まれたのか
どんな歴史を持ってこの日本にやってきたのか、
日本ではどんなふうに使われてきたのか、
セットになっているのはどんな意味があるのか…。
どうせ背中にしょうなら、それも説明できるくらい
「いいオトコ」になってほしいものですわ。
あっあたしは全部知ってるわけじゃありませんけどね。
「若気の至りを恥じる」気持ちに至る、ちゃんとした大人になることが彼の格好良さかなと、私は思うのですけれど。表面の格好良さだけを追って粋がるのはなんだか少し違う気がしますね。
唐獅子牡丹は単に「百獣の王」に「百花の王」という組み合わせだと思っていました。
身中の虫を花の露で・・・と言うお話、人間関係や夫婦関係の暗喩を感じる気がして、とても興味深いものでした。
本当にそうですね。彼らがちゃんとした大人になっていくことを信じたいとは思いますが、
ファッションとしての捉ええ方に
問題があるわけで、こりゃもう、
はやらなくなることを祈るばかりです。
百獣の王と百花の王の組み合わせであることも
確かです。
獅子身中の虫…偽装事件の内部告発なんかでは
虫のほうが「いいこいいこ」ですねぇ。
「唐獅子」の講義、どうもありがとうございました。
そうですか~。じゃあ、私が雑誌で見た、素晴らしい唐獅子牡丹の振袖は、卯年のお嬢さんに作られたものだったのかも…。
そしたら、辰年生まれの次女には「ゾウさん柄」の振袖か!(昔の絵の象さんって好き
お守り本尊じゃなくとも、姐さんにしたら、手下に裏切られる・なんて、本当に恐ろしいことでしょうね。自分も厄除けや縁起担ぎって、やっぱり頼ります。
一度は締めてみたい、唐獅子の帯~~猪なら、いるんですけどねぇ。
質問に答えていただき、どうもありがとうございました。
頂きました。
遠山の金さんの入れ墨は、少しだけにしろ
本当にあったんですね~
獅子身中の虫は人間の心の中にも潜んでいる
のかもしれませんね。
うなずくばかりです。
読んだ話ですが、入れ墨は本来
命をはる職業の人が入れたという俗説があるそうです。
火事や天候次第の海…といった危険な現場仕事に向かうため
万一の時、ホトケサマになった時の識別とか
肌下に墨を入れると熱や冷気遮断になるので入れた…
とかもありました。
ですので、図柄も縁起担ぎなものが多いのでしょうし
シロウトがおいそれとできるものではなかったのだと
思います。
だんだんそれがオシャレになっていったのでしょうか。
女郎がお客の名前を彫るなんてのもありましたよね。
(落語にもなっていたような)
若い方が目立ちたい目的と、売りたい目的が一緒になって
品性がどこかにいってしまったような図柄の氾濫って
さみしい感じがします。
唐獅子牡丹、なんで唐獅子牡丹なんだろうって
ずっと思っていました。
横浜に私設の入墨博物館があるのをご存じでしょうか?
私のお友達が行ったそうなのですが
怖くて手が震えたと言っていました。
私も男性の柄では
軽い感じのものが好きです。
浴衣などで「かまわぬ」は結構ありますね。
特に虎と竹やぶの話は初めて知り、なるほどと、大きく頷きながら読ませていただきました。
ところで獅子と牡丹、「唐獅子牡丹」というと大変厳ついイメージですが、「石橋」といえば聞こえが良いのは聞こえが良いのは気のせいでしょうか(笑)
ぞうさんもいいですね。
羽裏なんかだと、かわいいぞうサンの柄、
ありますけどねぇ。
今オークションで黒繻子に唐獅子の刺繍の
いい帯がでてまっせ。高いけど。
陽花様
なんでも二の腕に、絵ではなく文字だとか。
昔は、武士でも長男以外は「飼い殺し」、
でしたから、無頼の徒になってしまうものも
いたらしいですよ。
えみこ様
漁師さんなどは、もしかのときの、
身元判明の手がかりにと、入れたようですね。
最初は実用?目的のためだったものが、
装飾になってしまったんですね。
売る人も買う人も、私の年代と私の親の年代の
「着物和モノ」の知識が
すっぽぬけたままなんですよ。
私たちの年代の責任という気もしています。
てまりばな様
文身博物館、ですね。知っております。
写真のみ、みたことがありますが、
行く勇気はありまへん。
かまわぬは役者柄、あれはまだまだかわいいし
小さいものならいいもんですよ。
菊五郎格子とか、芝翫縞なんて、
オシャレですよね。
でも、斧・琴・菊…とか、鎌○ぬとか、
意味わかってるかなー。
つる様
いいつたえとか、根源とか、楽しいものです。
アホみたいなのもありますが…。
唐獅子牡丹のこわもてイメージは、
やっぱり「東映映画」の影響でしょうねぇ。
「石橋」のあの獅子が「絵の獅子」と同じ、
というところからして、
わかってもらえるかなー、ですね。
ちなみに「しゃっきょう」で変換したら
灼協…なんじゃこりゃ、です。
それくらい入れておいてほしいですよぉ。