笠柄というのは、最近あんまり見ませんね。
笠そのものが、時代劇でも見ないとでてきませんから、
なじみが薄いのかもしれませんが、形よく描かれるととても優雅です。
これは「市女笠」、以前被り物のお話しで書きましたが、
この笠、かなり大きいものです。真ん中のでっぱったところは
「巾子(こじ)」と言いますが、なんのために出っ張ってるんでしょうねぇ。
もしかすると通気…いややっぱり「美的感覚」つまりバランスじゃないかと…。
この笠は女性のもの、それも身分の高い人がおもにかぶりました。
当時の上流社会の女性はカオを隠すのがエチケットでしたから。
場合によって虫垂衣(むしのたれぎぬ)のように、笠のまわりに布をたらして
虫除けにもしましたから、体ごとすっぽりかぶるためには、大きいもの、
カツギを着てかぶるものはこぶりのもの、と使い分けたようです。
市女笠をかぶるのくらい身分の高い女性は、そんなに外出はしませんでした。
出るとすればたいがいが「参詣」とか「墓参」でしたから、
衣装もキマリごとに沿った、そのユニフォームみたいなかっこでした。
「虫垂衣」は本来ぐるりと全部あるのですが、
イラストでは中が見えるように省略してあります。
掛け帯(掛帯、または懸帯)というのは「物忌みのため潔斎中」、のお知らせ。
物忌みというのは「陰陽道」でいうところの悪いことや穢れ、
例えば、暦上の特定の日、方角とか位置などが悪いとか、夢見が悪かったとか、
何か縁起の悪いことをしてしまった、されてしまったとか…、
そういうときに門を閉ざして一日中部屋にこもったり、
魔よけ厄除けのものを規定の場所に飾ったり、
社寺に参詣したりお堂でお籠りをする等、その事柄によって対処しました。
この掛け帯をしていれば、これからそれにいくのです、という証。
赤い絹の布で作り、背中では片蝶結びにしました。
掛け守は文字通り、首から提げるお守り袋のことです。
帯の柄、笠の下に「露芝」が見えます。この露芝の「ソリ具合」と、
市女笠の笠の形が同じラインですね。心憎いじゃあーりませんか。
露芝は比較的夏の柄ですが、笠の中に桜や菊などを散らしていますから、
スリーシーズン締められます。
笠の下の紐は、笠を固定するために結ぶ紐ですが、
実物は、まず笠の内側のてっぺんに、頭台という「わっか」があります。
頭に笠を固定するものですから、布を巻いたものや藁束など、柔らかい素材です。
その左右にまた輪になったものがあってそこに紐を通してアゴで結ぶわけです。
笠はだいたいこのスタイルか、笠の深いものなどは、
竹などで編んだ「ごとく」と呼ばれるものを使いました。
えーと、要するに竹を粗く編んで作った円筒形の台です。
コックさんの帽子のような感じで、頭にすっぽりかぶると、
それに笠がついている、というわけ。
こういう笠柄では、紐がこんな風に装飾的に描かれることが多く、
紐の描き方で動きがでたり、柔らかい印象、華やかな印象になりますね。
またお祭に使う花を飾った笠「花笠」とか、
祭礼用に使われるまわりに美しい幕をたらしたものとか、
笠柄はけっこうあるのですが、やはり「形のいい笠」が優先?!
三度笠の小紋とか、天蓋(虚無僧のかぶるアレ)の訪問着ってのはありまへんな。
男物の羽裏などには「天蓋・尺八、明暗と書かれた箱(虚無僧三点セット)」や
「深編み笠に刀」などの柄はありますね。
今は「笠」というのは帽子に取って代わられましたが、
昔は身分や職業などによって、だいたい形がきまっているものでした。
帯の絵の「市女笠」は身分の高い女性のもの、町場の女性はなどはかぶりません。
市女笠は「顔隠し」もありましたが、ほとんどの笠は
労働や、中・長距離を歩くときの日よけほこりよけ、
そして場合によっては雨よけ、などの目的で使われ、
時代とともにいろいろな笠が考案されました。
さっき出ました虚無僧の天蓋、これはあの笠の頭のてっぺんに、
前述の「ごとく」を使います。ごとくってよくガスレンジで、
ナベの底上げにつかいますね。元は火鉢の中に立てて、
鉄瓶などを置けるようにする台のことです。
「ごとく」を知ってる人、今はもう少ないでしょうね。
時代劇に出てくる「三度笠」、旅から旅への渡世人の定番笠ですが、
本来は飛脚の笠、江戸時代に大阪と江戸を月に三度往復したことから
「三度飛脚」とよばれ、彼らがかぶっていたので「三度笠」と呼ばれました。
大阪まで三度往復って、一回にだいたい10日で往復するわけです。
これってものすごく早いです。大阪までだいたい600キロ位でしょうか、
往復で1200キロということは、1日で120キロです。
単純計算では時速5キロの計算ですが、当然飲食や睡眠時間もありますし、
道は平らばかりではありません。倍の時速10キロくらいでいったわけです。
それだけ過酷な仕事の人がかぶったわけですから、
長旅をする人には重宝だったのでしょうね。
ちなみに、浮世絵などを見ると、女の旅人が似たような笠をかぶっていますが、
あれは三度笠より小ぶりで「妻折れ笠」といいます。
髷を低めに結っても、両脇に鬢もはりだしていますから、
平らで広いほうがよかったわけです。
大名行列などで、奴さんがかぶっているようなまっ平らの小さい笠、
あれは「一文字笠」で、今民謡などで笠に飾りをつけて使ったりしますね。
笠について調べていると、ほんとにおもしろいことがいっぱいあります。
顔がすっぽり隠れる天蓋笠の虚無僧なんてのは、
時代劇ではよく隠密とか密偵なんて役どころですが、
実際には戦国時代がおわりかけてリストラされた武士の、最後の職業でした。
のちのち「不良虚無僧」も増えて、規制ができたくらいです。
年賀に角付けして回る「鳥追」は、半分にパタンと折れる笠が定番、
の女の定職でした。縁起がいいのと美形が多かったそうで、
身分は卑しくても人気者、やがては江戸市中から諸国を巡る芸人にもなりました。
外に出るときに、遠ければ笠、近ければ揚帽子や頭巾、
けっこういろいろかぶっているのは、まず道路は「土」そのものでしたから
例えば江戸市中であっても、埃はひどいし、
雨がふってもアーケードも地下街もありませんでしたし、
道中ならば、茶店や宿場はある程度歩かなければないし…、
つまりはできるだけ完全装備、しかも身軽で、
でかけなければならなかったわけですね。
菅笠のように軽い素材のものは、その点うってつけだったわけです。
以前お話しした「わらじ」と同じで、自然素材ですから、
旅の途中でボロボロになったら、新しいのを買って古いのを捨てても、
また土に還ったり、燃やして燃料になったあとは灰として使われたわけです。
プラスチックのサンバイザーが割れてしまってもう使えない、
でも捨てても土に還らない、燃やせば有毒ガス撒き散らす…、
人間の本当の知恵というのは何なのか、こういうものを見ると思います。
笠そのものが、時代劇でも見ないとでてきませんから、
なじみが薄いのかもしれませんが、形よく描かれるととても優雅です。
これは「市女笠」、以前被り物のお話しで書きましたが、
この笠、かなり大きいものです。真ん中のでっぱったところは
「巾子(こじ)」と言いますが、なんのために出っ張ってるんでしょうねぇ。
もしかすると通気…いややっぱり「美的感覚」つまりバランスじゃないかと…。
この笠は女性のもの、それも身分の高い人がおもにかぶりました。
当時の上流社会の女性はカオを隠すのがエチケットでしたから。
場合によって虫垂衣(むしのたれぎぬ)のように、笠のまわりに布をたらして
虫除けにもしましたから、体ごとすっぽりかぶるためには、大きいもの、
カツギを着てかぶるものはこぶりのもの、と使い分けたようです。
市女笠をかぶるのくらい身分の高い女性は、そんなに外出はしませんでした。
出るとすればたいがいが「参詣」とか「墓参」でしたから、
衣装もキマリごとに沿った、そのユニフォームみたいなかっこでした。
「虫垂衣」は本来ぐるりと全部あるのですが、
イラストでは中が見えるように省略してあります。
掛け帯(掛帯、または懸帯)というのは「物忌みのため潔斎中」、のお知らせ。
物忌みというのは「陰陽道」でいうところの悪いことや穢れ、
例えば、暦上の特定の日、方角とか位置などが悪いとか、夢見が悪かったとか、
何か縁起の悪いことをしてしまった、されてしまったとか…、
そういうときに門を閉ざして一日中部屋にこもったり、
魔よけ厄除けのものを規定の場所に飾ったり、
社寺に参詣したりお堂でお籠りをする等、その事柄によって対処しました。
この掛け帯をしていれば、これからそれにいくのです、という証。
赤い絹の布で作り、背中では片蝶結びにしました。
掛け守は文字通り、首から提げるお守り袋のことです。
帯の柄、笠の下に「露芝」が見えます。この露芝の「ソリ具合」と、
市女笠の笠の形が同じラインですね。心憎いじゃあーりませんか。
露芝は比較的夏の柄ですが、笠の中に桜や菊などを散らしていますから、
スリーシーズン締められます。
笠の下の紐は、笠を固定するために結ぶ紐ですが、
実物は、まず笠の内側のてっぺんに、頭台という「わっか」があります。
頭に笠を固定するものですから、布を巻いたものや藁束など、柔らかい素材です。
その左右にまた輪になったものがあってそこに紐を通してアゴで結ぶわけです。
笠はだいたいこのスタイルか、笠の深いものなどは、
竹などで編んだ「ごとく」と呼ばれるものを使いました。
えーと、要するに竹を粗く編んで作った円筒形の台です。
コックさんの帽子のような感じで、頭にすっぽりかぶると、
それに笠がついている、というわけ。
こういう笠柄では、紐がこんな風に装飾的に描かれることが多く、
紐の描き方で動きがでたり、柔らかい印象、華やかな印象になりますね。
またお祭に使う花を飾った笠「花笠」とか、
祭礼用に使われるまわりに美しい幕をたらしたものとか、
笠柄はけっこうあるのですが、やはり「形のいい笠」が優先?!
三度笠の小紋とか、天蓋(虚無僧のかぶるアレ)の訪問着ってのはありまへんな。
男物の羽裏などには「天蓋・尺八、明暗と書かれた箱(虚無僧三点セット)」や
「深編み笠に刀」などの柄はありますね。
今は「笠」というのは帽子に取って代わられましたが、
昔は身分や職業などによって、だいたい形がきまっているものでした。
帯の絵の「市女笠」は身分の高い女性のもの、町場の女性はなどはかぶりません。
市女笠は「顔隠し」もありましたが、ほとんどの笠は
労働や、中・長距離を歩くときの日よけほこりよけ、
そして場合によっては雨よけ、などの目的で使われ、
時代とともにいろいろな笠が考案されました。
さっき出ました虚無僧の天蓋、これはあの笠の頭のてっぺんに、
前述の「ごとく」を使います。ごとくってよくガスレンジで、
ナベの底上げにつかいますね。元は火鉢の中に立てて、
鉄瓶などを置けるようにする台のことです。
「ごとく」を知ってる人、今はもう少ないでしょうね。
時代劇に出てくる「三度笠」、旅から旅への渡世人の定番笠ですが、
本来は飛脚の笠、江戸時代に大阪と江戸を月に三度往復したことから
「三度飛脚」とよばれ、彼らがかぶっていたので「三度笠」と呼ばれました。
大阪まで三度往復って、一回にだいたい10日で往復するわけです。
これってものすごく早いです。大阪までだいたい600キロ位でしょうか、
往復で1200キロということは、1日で120キロです。
単純計算では時速5キロの計算ですが、当然飲食や睡眠時間もありますし、
道は平らばかりではありません。倍の時速10キロくらいでいったわけです。
それだけ過酷な仕事の人がかぶったわけですから、
長旅をする人には重宝だったのでしょうね。
ちなみに、浮世絵などを見ると、女の旅人が似たような笠をかぶっていますが、
あれは三度笠より小ぶりで「妻折れ笠」といいます。
髷を低めに結っても、両脇に鬢もはりだしていますから、
平らで広いほうがよかったわけです。
大名行列などで、奴さんがかぶっているようなまっ平らの小さい笠、
あれは「一文字笠」で、今民謡などで笠に飾りをつけて使ったりしますね。
笠について調べていると、ほんとにおもしろいことがいっぱいあります。
顔がすっぽり隠れる天蓋笠の虚無僧なんてのは、
時代劇ではよく隠密とか密偵なんて役どころですが、
実際には戦国時代がおわりかけてリストラされた武士の、最後の職業でした。
のちのち「不良虚無僧」も増えて、規制ができたくらいです。
年賀に角付けして回る「鳥追」は、半分にパタンと折れる笠が定番、
の女の定職でした。縁起がいいのと美形が多かったそうで、
身分は卑しくても人気者、やがては江戸市中から諸国を巡る芸人にもなりました。
外に出るときに、遠ければ笠、近ければ揚帽子や頭巾、
けっこういろいろかぶっているのは、まず道路は「土」そのものでしたから
例えば江戸市中であっても、埃はひどいし、
雨がふってもアーケードも地下街もありませんでしたし、
道中ならば、茶店や宿場はある程度歩かなければないし…、
つまりはできるだけ完全装備、しかも身軽で、
でかけなければならなかったわけですね。
菅笠のように軽い素材のものは、その点うってつけだったわけです。
以前お話しした「わらじ」と同じで、自然素材ですから、
旅の途中でボロボロになったら、新しいのを買って古いのを捨てても、
また土に還ったり、燃やして燃料になったあとは灰として使われたわけです。
プラスチックのサンバイザーが割れてしまってもう使えない、
でも捨てても土に還らない、燃やせば有毒ガス撒き散らす…、
人間の本当の知恵というのは何なのか、こういうものを見ると思います。
昔は麦藁帽子とか、農家の人の菅笠とか、
まだ残っていましたね。
麦藁帽子は、ぎゅっとかぶると、チクチクして
かゆくなったものです。
イラストはいつものバランスより、
ちっとだけ背が高いんです。
まんま、ちびこく描いたら「おきあがりこぼし」…。
花笠踊りを見せてくれました。
今でも赤い花で飾られた笠を見ると思い出します。
ならっておけばよかったなぁ。
川原でときおり笠をかぶって釣りをしている方を見かけて
なつかしく思うこともあります。
かむるものといえば、雪国でわらで作った「ゆきんこ」も
あたたかくて雪をよせつけず
合理的につくらていて感心しました。
イラストがおじょうず^^いつもより
優雅に見えました。
珍しい柄ですよね。色も明るくてかわいい帯です。
ちょっと真ん中に折りあとがあるのが難点かなー。
若かったら私がしめたい~~。
伊藤様
その虫垂衣が風にひるがえって、
見えた顔が上のイラストのよーな女だったら、
「羅城門」は名作にゃならんかったですねぇ?!
平安時代のとある薮の中。盗賊、多襄丸(三船敏郎)が昼寝をしていると、侍夫婦(森雅之・京マチ子)が通りかかった・・夫は馬の鼻緒を引き女房は市女笠を
被り馬の背に横座りの格好だ・・多襄丸は薄目を開けながら女房の姿を見た、しかし、とんぼさんの言う「虫垂衣」らしきもの覆われて女房の顔までは見えない・・その時、一陣の風が虫垂衣をめくり上げた・・女房の顔は妖しい程に美しかった・・これを見た瞬間盗賊多襄丸の胸の内に「悪」の炎がメラメラと燃え上がるのだった・・
お若いお嬢さんが締めたらいいでしょうね。
相変わらずとんぼ様はイラストお上手ですね。