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ことのほか寒い冬なので、シャレもさっぶーくしてみました。(と、言ったのに、本日雨で気温高め…)
カモンカモンで、本日「家紋」のお話しです。あーっ帰っちゃわないでぇぇぇ。
写真は先日の「大津絵の振袖」の紋です。五つ紋の立派な染め抜き…。
右の桐の花部分が下から出ていますね。「桐の変わり紋」です。正式ではなくてお遊びの要素大。
コメントで「家紋のお話しを」ということで、過去記事にイロイロ書いてはいるのですが、
なにしろ数だけはやたらと多いブログですので、探すのもたいへん…
そこで新たに叉付け加えたりで、まとめてみたいと思います。
まずは「家紋」ってなんだ?のお話し…。
元々家紋は平安の御世、お公家様たちの「優雅な競い合い」から生まれたといわれています。
高尚な身分のヒトが「豪華に、或いは格調高く」いろいろ装飾するのは、元々中国からはいってきた文化ですが、
花鳥風月を愛で、みやびな暮らしであった貴族たちは、家具調度なども雅に装飾していたわけです。
また家柄、格式、地位といったものを大切に致しましたので、身分高きものほど「これは我が物である」と、
アピールすると同時に、それを見ただけで誰であるかわかる…なんていうことも計算していたんですね。
そんなわけで「家紋」らしきものの始まりは「牛車(御所車)」に「これウチの車だかんね」と、
マークをつけたのが最初と言う説があります。
つまり、公家にとっての家紋は、どちらかというと装飾的な意味合いや、家柄の表示や誇示みたいなものだったわけです。
歴史の話をしていると長くなりますので省略しますが、源平のころから武士が台頭してきて、
ついには武士が政権をとりました。このころから「武家にとっての家紋」という新しい価値観がうまれたわけです。
源平合戦の時は、単に紅白戦として、平家が赤、源氏が白の旗(幟)を掲げて闘いましたが
(紅白戦は今に至るも運動会や歌合戦に残るのですからねぇ。たいしたものです)
この「旗印」は、戦況を見るのにも大切でした。やがて戦のやり方も道具も規模も時代とともに変わっていきます。
「誰に仕えている何々である」という印。これは戦の時に大いに意味を持ちました。
武士は戦いに勝てば「報奨」が与えられましたから「何の何某である」ということは大切だったわけです。
紋がそれをあらわす道具となり、また報奨として「紋」を賜る…なんてことも始まりましたから、
嫡男にしか紋を譲らないだの、分家したから別紋にするだのと、ただのお飾りではなくなったわけです。
つまり、公家は元々「家柄」と言うのが決まっていましたから、どこの家柄のものか、
またそれにつながるものかであるという「出自」が決まっていれば、先行きも決まったわけです。
武士はには「出世」というものが掛かっていて、働きがよければ報奨(領地や現金など)がもらえたし、
秀吉のように、元は農民であってもドリョク次第で身分の高い武将になれる…というようなことがありましたから、
名を知らしめる、紋を持つ、その紋を継ぐということはもっと切実だったんですね。
さて、庶民はどうかと言いますと、江戸時代、庶民は苗字をもつことをゆるされませんでしたが、
「紋」は持っていました。元々は、庶民は名字帯刀、家紋も許されていなかったのですが、
平穏無事な「江戸時代」に入ると、家紋に限らず、いろいろな規制をしてもしても、
庶民は次々と「規則違反」の事実を積み上げていったんですね。裏勝りも、女の羽織もみんな庶民の勝ち得たもの!です。
昔は人の移動がほとんどありませんでしたから、その土地でその「家」はいつもそこにあり、
そこで生まれたものはそこで一生を終える…。
そのため苗字はなくとも「屋号」や「通り名」で代々通用し、それと同じように「紋」も使われたわけです。
横溝正史の「悪魔の手毬歌」に、地方の旧家の「紋と通り名」が出てきます。「枡や」とか「はかりや」とか…。
武家のようなしがらみや理由はありませんでしたから、けっこう自由に楽しい紋もできたんですね。
大雑把な説明ですが、そんなわけで「家紋」は、実は公家や武家、庶民で、それぞれ始まりも経緯も、
まして価値観のようなものは、少しずつ意味が違っていたわけですね。
で、みんな家紋は一応どこの家でもあるのが珍しくなかったわけですが、
明治以降、さまざまなことがかわり、まず身分制度(士農工商)がなくなりました。
職業の選択も自由になり始め、ヒトの動きも少しずつ大きくなり、年月が過ぎるにしたがって
「家柄・格式」というものが、昔ほどいわれなくなっていたわけです。
自分の家の紋を知らない人もたくさんいます。結婚が「家と家」であったことも、昔の話となり、
あまり家紋がどうのこうのということも、なくなってきたわけです。家紋の価値がほとんどないんですね。
一応、現代の決まりごととしては、結婚したら相手の家紋を使いますが、
結婚相手が決まる前に花嫁道具の準備として着物など作るときは、実家の紋でもいいとされています。
面倒なら「通紋」という、だいたいは通用しますよ、という紋でもかまわないことになっています。
だいたい「着物で暮らす」ということからだんだん離れていくと、作るほうも数が減ります。
紋付というのは「染め抜き紋」の場合、まず「紋」がつく部分に「紋の形」の糊を置いて防染します。
これは「紋糊師」の仕事。ちゃんとあとで紋になるように、複雑な輪郭をきちんと染め抜けるように糊を置きます。
この糊を裏まで通して、それから地色を染めます。
次はその「糊」を落として「紋上絵師」という「描く方」専門の職人さんが、
抜けている紋の形の中身の絵を描いていくわけです。たいへんな作業です。
つまり「染め抜き紋」の着物を作るとなると、白生地の状態から選んで買うわけですね。
で、これだと白生地選んでから柄を決めてのなんのと手間もお金もかかります。
そこで留袖や喪服でも、先に地や柄を染めてあとから紋を入れる「石持ち」が一般的になったわけです。
紋付の紋の入るところが白い丸に抜けているものです。
「石持ち」は「黒餅」、つまり白地に黒の丸紋、「白餅の丸紋」もありましたが、武家は「石高」で暮らしていましたから、
「こくもち」は「石持ち」の方が縁起がいい…と、これもそういわれているというお話です。
で、丸くぬいたところに、あとから紋を描き入れるわけです。
これなら最初からいろんな柄の留袖や訪問着を染めておけるわけですね。
これでコストダウンができ、スピードアップできたわけですが、
今度は「あら、ウチってどんな紋だったかしら」が増えてきたり、嫁入り支度の着物だけど、
まだ相手が決まったわけじゃないとか、相手の紋がわからないとか…。
そんな実情に合わせて、呉服屋さんが「だったら『通紋』にしておけば、どこでも通用しますよ」と、お勧めする。
そんな「現代着物事情」みたいなこともあって、よく使われる紋が決まってきたわけです。
多いのは「五三の桐」「蔦」「揚羽蝶」…。どれもかつて身分の高い武家の紋だったりします。
また先日のブログで「私の祖父の方の紋だから、女紋として使えない」と書きましたが、
「女紋」は女系紋ともいうもので、女性が代々伝えていくもの。関西に多いです。そんなに古い習慣ではありません。
その家の紋とは関係なく、代々その女性に伝わるもので、例えば、私の母方の祖母の「女紋」が「蔦」だったとします。
私の母が結婚するとき、この紋をついで留袖などに「蔦」をつけて嫁入りする、そして私が生まれるとその紋を継ぎ、
私が嫁ぐときにまた蔦の紋をつけ、私に娘が生まれたら、その娘が嫁ぐときにはまた「蔦」…というわけです。
実家の紋も、婚家の紋も関係なく引き継がれます。主に関西圏の地域性の強いものです。
母は京都出身ですが、実際にはそういうこともしませんで母は実家の紋、つまり祖父の方の「違い鷹の羽」でしたし、
再婚しましたら「笹竜胆」になりました。母はめんどくさいからと、紋付はみな「五三の桐」をつけ、
私の江戸小紋や色無地もそれです。一説には「出戻っても使える」…のが通紋。現代事情にあってますなぁ。
ちなみに主人の家は「柏」なのですが、柏の中でも新潟の方の家柄の紋だそうで、ハッパの形がちと違う…。
これが面倒で、息子の初節句に屏風に家紋を入れるのに、あるのないのと大騒ぎになりました。
家紋と言うものに対する意識が変わってしまったので、
呉服屋さんも「わからなければ、これつけておけば大丈夫ですよ」ってなことをいうから、益々通紋が増えるし。
また「替紋」と言うものもありまして、これは長い歴史の中で「紋」は品物のようにやりとりされたり、
やれ分家したからの、殿様から賜ったのと、一家でイロイロ紋があってもおかしくはなかったのです。
そこで「定紋(じょうもん)」といって、一番メインの紋は「正式なものとして使う」、
略式でいいときは「替紋」を使う…というように、使い分けをしたわけです。
ちなみに「皇室」の定紋は「十六弁八重表菊紋」ですが、替紋は「五七の桐」です。
「遊び紋」はなにをしても自由です。但し正式な「紋付」として使うことはできません。
かなり前の画像で、過去にも何度か出しておりますが、息子の卒業式の紋付につけた「遊び紋」、
子年ですので「ねずみ」を縮緬の押し型にして縫い付けました。
紋付であって紋付きでない…まぁ養護学校の卒業式でしたので、これで参加させていただきました。
また振袖などには「加賀紋」などが使われます。
今は「加賀紋」というと「装飾紋」とひとくくりに言われていますが、元々は「その家の家紋を元に装飾したもの」。
そういうことも今はうるさく言いませんし、第一呉服屋さんが説明しません。
キレイなお花かなんかの「加賀紋」にしたら…なんてね。
というわけで、実はふだんまーったく意識もしなけりゃ大切だともおもわれていない「家紋」の現状。
これまたいろんなことがごっちゃになったり、ゆるくゆるくなったりしています。
そんな中では「家紋」にこだわることは、あまり意味がないようには思えますが、
着物の世界では「紋付」というカテゴリーが歴然と存在しているのであるならば
「それなりの大切さ」として、残していくべきだと思います。
かっこいい紋…と言うのは、好みがそれぞれあるとは思いますが、感覚的に自分の家の紋が好きじゃない、
そんなときに「好きな紋をつけてもいい」というようなことを言われるそうです。
何回か耳にしていますし、相談も受けたことがありますが、今の時代それが良いとも悪いとも言い切れません。
紋なんてうるさいこと言わない…という年代のヒトが増えている今、じゃ今度からこれにするか、
でもいいのかもしれませんが、元々は多少価値観がちがったとしても
「先祖からずーっとつながってきたもの」であって、単なるアクセサリーや模様ではないのです。
まぁあんまり珍しくて、何か染めるたびにお金が掛かるなんてこともあるかもしれませんから、
絶対ダメとは言いませんが、家紋がわかっているのなら、
親から子へと伝えるもののひとつに入れてほしいものだと思っています。
紋はほんとに「モンダイ」になりやすい話題です。
嫁は嫁いだ先にあわせて当然、と
今時そんな古いこともちださないでも、と
ガチンコ勝負(笑)になりますね。
母がそれで、父の家紋は「かっこよくない」と
自分ですきな紋にしてしまい…。あとはご想像通りです。
だいじにしてゆくべきものは大事とはっきり伝えてゆく姿勢が問われている感じです。
私も家族に関西出身はいないのですが、「女紋」というのを聞いてました。
でも、「嫁ぎ先で作ってもらったら嫁ぎ先の紋を入れる」ということも割とよく聞きますし・・・
我が家は父方も母方も丸に違い鷹の羽で、スンナリだったようです。
そして私は・・・家紋なんか無いもんね~♪な嫁ぎ先。
こちらのパーティーなんかでは古着を気にせず着ちゃっていますが、日本で着るとか式服となるとやはり気になります。
頂きました。
母方の祖母は長患いだったので、母は
自分の嫁入り支度は自分でしたらしく
女紋は聞いていないという事で、私達
姉妹も分からず五三の桐にしています。
本当はどんな紋だったのか気になります。
取り外しのきく紋があったら便利なのに
と思います。
とんぼ様のねずみの紋、可愛いです。
定紋は違い鏑矢、
矢では武張っているという理由で
女性は桔梗でしたが
(もう少しかっこいい理由が欲しかった・・・)
その家に嫁いだ女性が女紋を使いました。
だから母も嫁いでから作って貰ったものは桔梗。
私も嫁入り道具には桔梗を付けました。
でも、嫁いでから作った色留めには
嫁ぎ先の紋を付けました。
(自分であつらえて自分で支払いましたし)
単純に定紋の女性版という使い方でしたね。
本当のところは誰もしきたりを覚えていなかっただけかも。
でも、もったいないですよね、
庶民までちゃんと紋を持っている民族は
ヒジョーに珍しいらしいので・・・・
(日本だけかどうか私は知りません)
あ、伝統コンシャスな家だけが
家紋を保持している、状態と言えますか。
新しい身分分化ですか。
取りあえず、わが家の家紋が消滅しないように
お墓の花入れに家紋を彫りました。
ありがとうございます♪
私の周りの友人に、
「家紋はなに?」って聞いてみたところ、
ほとんどの子はしりませんでした。
昨年、祖母が亡くなって」しまったので、
女紋は残念ながら聞けません。
そういえば、元彼の家では、
「前のは好きじゃなかったから」と言って、
家紋を替えて、
お墓に入れていました。
また色々教えてください♪
知らなかったあ!!!
以前、主人の羽織に紋を入れると言う話になって、何か遊びのあるものを入れたいと紋帳を繰って面白い紋を探したのですが、これを知っていたらもっと面白いものを入れられたのに残念。
着物の世界は本当に奥が深い。。。
とんぼさんのおかげでイロイロな事を知りました。こうしたことって呉服屋さんが教えてくれたらいいのにと思うのですが、知識のない方が多いように思いますねえ~
九州でもいろいろしきたりの違いはあるようですが、私は女ですので、婚家の紋と実家の紋両方とも、結婚20数年経った今でも使えるといわれています。
また母の実家は(要するに祖父母ですが)男紋と話題の女紋が両方存在しす。男紋はもう私は使えませんが、女紋は娘の娘である私は使えるといわれ、実際使っています。
まあ、三つの中で、デザイン的にも格からも一番好きという不謹慎な理由ですが。
九州内でも、お嫁入りの時の紋は…でもめたと聞きましたし、一番はお宮参りの衣装をどちらが用意してどちらの紋をつけるか、これは県内でも違いがあるようです。
なくてもいいものなら「紋付」そのものがなくなれば問題ないんですが
そうはいかないでしょうからねぇ。
きちんとした線引き、見たいなモノがいろんなところで
うやむやになって、そのうちごちゃ混ぜになって、
なんでもいいやーになっていく…。
なんか寂しいですよね。
細かく地方地域で分かれなくてもいいから、
せめて「それぞれのうちに紋がある」
「嫁いだらそこの紋になる」…ていどのシンプルさでいいですから、
残ってほしいものです。
モンモンとしちゃいますわ、ほんと。
私もよくよく考えたら、実父の家の紋…たしか桐紋だっけ?みたいな
いい加減さです。
通紋もなんでも、とにかく説明ごとつたわってほしいものですね。
息子の紋、はずしてしまっておいたのに…どこかにまぎれてます。