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写真は、お隣の水仙です。
実家は築30年の古い家です。あのころは今のようにリビングが15畳だの、
対面キッチンがどうだの、そんなことはありませんでした。
一応5DKですが、部屋はみんな6畳間で、5部屋のうち3部屋が和室です。
総面積からいったら、イマドキの3LDKくらいでしょう。
それでも年寄り二人には十分な広さ…といいたいところなんですが、なんであんなにモノがある…。
別に高価なものはないのです。昔のタンスにお膳、いつ買ったかのロッキングチェア、古ーい机。
父手作りのコタツコーナー…。革張りのソファもなければ、オーディオセットもありません。
それでもあこちにダンボール箱があり、空き箱が積み重なり、紙袋がいっぱい…。
なにしろ二人ともが戦争知ってる世代ですからねぇ。モノが捨てられない…。
先日も「病院は暖房が効いててあったかいから半袖シャツをもってきてくれ」というので実家に取りにいったら、
もう洗って洗って向こうがみえそうなほど薄い…よく見りゃ衿がちとほころびてるし。
我が家ならとっくに「ガスコンロ磨き」になってるレベルです。
「看護婦さんたちにも見られるんだから、みすぼらしいのはやめなはれ」と、
新しいのを買って届けたら「新しいのはドコソコの引き出しの何番目に入ってたのに」…
それを先に言いなはれ、いや、そのまえに、ちゃんと新しいのをおろしなはれ…ホンマに。
今回、父が家に帰ったときのために、と、リハビリの先生の指示で写真を撮ったわけですが、
そのついでに、これはどけて片付けたほうがいいなとか、いろいろ考えながら見たわけです。
そのとき、ついと蹴っ飛ばしたのがパンパンに膨らんだスーパーの袋。
あららと拾って中を見たら、中も「スーパーの袋」…ちゃんと一枚ずつ細くたたんで結んだものがぎっしり。
ゴミ入れてどんどん捨てなきゃ減らないのに…エコバッグもたくさんあるのに…と思いながら、
それをどこへやろうかとふと見たら「同じような袋が」…同じでした。
いくつあるのよぉと思いながら、横においてあったダンボールに入れようと中を見たら…それもまた「同じもの」でした。
しげしげと見回したところ、箱、紙袋、予備の電池、予備のインスタントラーメン、予備の下着…予備の…。
震災きても驚かないはずだわ。2~3年はサバイバルできそーだ…。
昔は「ふとん」が財産で、母も少し余裕ができると布団をそろえていました。
でもねぇ、しょっちゅう誰かが泊まりにくるようなわけもなし。
それなのに、実家の押入れ、5人分くらい布団が入っているんです。
だいたい5組6組あったって、それを全部敷く広さはないって…しかも昔の重たいふとんだし。
あれ…どしたらよかろ…です。
そんなことを考えながら、ふと「わが身」を振り返りまして、あーたいへんだ…。
50くらいまでは「将来のこと」といえば、ローンの計算だの夫の定年だの…そのあたりでした。
それが50を過ぎて半分近くなったころから「親の老い」を間近に見て、その親を送って、今父が残って…
今度は「自分の老い」を将来のことの中に加えるようになりました。
我が家にも「ふとん」、ありますわ。古いタオルケットが捨てられなくて、ほこりよけに…とかいいながら、
普段使わないふとんの上にカバーとしてかけてるし。
毛布もタオルケットや夏がけも、ナンタラのお返し…の類が箱でいくつか入ってるし、バスタオルの類も…。
着るもののいわゆる「断・捨・離」はなんとかなるのですが、それ以外のものとなると、
さーたいへん…です。ヒトのこたぁ言えないわ…と思いました。
義母が亡くなったとき、義父が私と叔母(義母の妹)に「何かほしいものがあったら持っていけ」と言いました。
「形見分けは四十九日のあとでいいとおもいますが」と言ったのですが、
義父は「置いといたって邪魔なだけだ。女物じゃ用はないし、持って帰るなら早くしてくれ。
みんな捨てるから」と言いました。
義父は戦争に三度も召集され、更にはシベリアから生還したことを、亡くなった戦友に対して
「自分は生き残ってしまった」と罪悪感を持ってるような人でしたから
できるだけシアワセとか豊かとか、そういうものから遠いところにいようとしていたようです。
そのせいもあると思いますが、暮らしは倹しく、ほとんど最低限の家具しかないような状況。
押入れの半分が空っぽという、実家と正反対の暮らしでした。
それでも義母のものは、タンスの引き出しに値札がついたままのブラウスなどもあり、
叔母は「これは私が着ようかねぇ」などと言っておりました。
まだ葬儀がすんだばかりでしたから、とりあえずブラウスなど何点かバッグに入れ、
あとは次回来たときに選んで宅配便で自宅に送るわ…と。
義父は私に「喪服がある。紋入りだからほかに着るものがいない。あれはオマエにやるから」と言いました。
なにしろこちらもそのときは、荷物も用事もたんまりでしたから、叔母と同じに「では次回来たときに」にしました。
そしてその「次回」…先についていた叔母がとんできて「とんぼちゃん、何にもないのよ」…。
タンスの中身も押入れのものも、母のものは全てなくなっておりました。
聞けば、訪問着などのいいものは、お世話になった近所の方にあげたそうで、あとはみんな「捨てた」…。
わずかにウールの着物が数枚だけ、風呂敷に包まれて置いてありました。
叔母は「いい訪問着があったのに」「あのセーターもらいたかったのに」とおかんむりでしたっけ。
もちろん「喪服」もありませんでした。お義父さん、誰にあげちゃったの??
いや、その前に、その思い切りのよさに脱帽でした。母のものはハンカチ一枚残っていませんでした。
数年後、その義父がなくなったとき、本当に最低限のものしかなく、我が家に持ち帰った形見は、
硯箱と写真、アルバム、そしてあの「とんび」。あとは主人が見て「とっておこう」と言った小物だけ。
そのときは「なんだかさみしいもんだな」と思ったのですが…今にして思えば後片付けのラクだったこと…。
見事な「しまい」であったと、今は思うのです。
どちらが良いとはいえませんが、まずは実家の片付けをしながら「わが身のしまいじたく」も、
いまから考えなきゃなぁとおもった次第です。
あっ着物は…着られますからねぇ、ちゃんと行く先を決めておきましょう。
コーヒカップ買うつもりだったのに
あったー、買わなくて済んだわ。
バスタオルに石鹸もはこに入ったまま
出して使えばいいものを・・・全部
箱から出して使う事にしました。
お父様とおんなじ事を私もしているんだわと
思いました。
断捨離がなかなか出来ない性格なもので
困ります。
自分のものは・・・・これが現況ですね。
わが家も姑の住まいをあら探し(苦笑)したら、
とんぼさんのお父様の場合と似た状況。
しかしそろそろ認知がかってきているので
お構いなしに整理中です。(時間の関係でまだまだですが)
しかし、しっかりされているお父様の場合は・・・
勝手に処分もできないから余計大変ですね。
義父様の場合は
欲しい物だけでもこれは欲しい!指定だけでもできていれば・・・
やや残念でしたね。
ま、縁がなかったということで・・・・
次回から、似た状況の時は
取りあえず唾だけでも付けて・・・(^_^)vね
私も自分の持ち時間がなくなりつつあることを実感として感じることが多くなりました。
以前から整理しなくては、と思いつつ出来ない私なのですがイヨイヨお尻に火がついてきました~~~
うちの義母も布団、布団と言っていた人で昔の重い布団が何組も。。。
サイズ的にも小さいし泊まる人も本当に少なくなりましたので殆ど処分しました。こうしたものは処分するのも大変でなんとなく気が引けますねえ~~
私の理想としてはご主人のお父様のように何も残さずなのですが、これは無理だろうなあ~
しかし凄い方もいるものですね。
たまに棚の上とか、戸棚の置くとか見ると
「あっこんなのあった」…なんてありますね。
私もやたらには捨てられない性分なので、
たまのお片づけは「勇気と決断力」の限界で
体より精神的に疲れますわ。
そうなんですよ、ヒトのものだとねぇ…。
もういらないでしょこんなの、なんて
カンタンにいえちゃうんですけど。
義父の潔さには脱帽ですが、あのかたもとてーもせっかちでしたから。
あとあと叔母や身内に「なんで近所の他人に
あげちゃったの」なんていわれてました。
これから先は「もらう」より「あげる」立場ですねぇ。
ほんとに、なんだか切実だと思っちゃいました。
最近は独居老人の孤独死とかで「遺品整理やさん」も、
事故度が増えているそうですが、モノに執着はさほどないものの(着物は別!)
誰かのてを煩わすのはいやだなぁと思っています。
義父はほんとにすごいヒトです。というより、あとあと主人が「愛してなかったのかもね」なんて…。
いまとなってはまーったくわかりませんが。
我が家は狭い土地に二世帯住宅なので、親世帯もかなり処分して、モノは少ない方ですが…震災の後、思ったんです。
家が潰れたら全部ゴミになってしまうけれど、もし無事だったら、家を無くした人につかの間でも役に立つかもしれない。
置く場所があるなら、好きにさせておくか、と。まあ、箪笥が倒れるような事態は論外ですが、押し入れの中や庭の物置は放っておくことにしました。
何事もなく、結果、文句を言いながら片付けられることを願いつつ。
でも私の後はいませんので、税金でなんとかしてもらうつもり(爆)
世代、というものなのですよね。
もったいない…というのは、大切なことだと思います。
まぁなんにでも「限度」ってのはあると思いますが…。
我が家もあとがありませんので、少しは行く先を決めておくものも考えて…
なんぞと、頭の中ではいろいろ…です。