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写真は、また使いまわし写真…母が作ってくれたショールです。
えーと本日また、ものすんご~~く長いので…眠いかた、ごめんなさいです。
着物のときの防寒や防塵などのための被り物、肩にかける(羽織る)ものについて、
書いてみようと思います。
まず、先日よそ様のブログで、私は「訪問着にはショールをしないもの」と
書きました。でもそれは私の思い込みでした。
それは、母が常々そういっていたことと、呉服屋さん方々の
「本来、礼装にはきちんとコートを着るものなのよ」という言葉を、
勝手に「それはショールをしないもの」と、私が思い込んでいたようです。
確認しましたところ正確には「するときの素材の格をあわせる」こと、です。
てまりばなさま、お詫びして訂正いたします。ごめんなさい。
ではまず、ショールですが、これまたモノの本によれば、
長方形のものをストール、正方形のものをショール、というのだそうです。
この正方形というのは、折って三角で使うわけですから、
もとから三角や円、半円、その他の形もショールに入る、とするものもあります。
つまり、私たちが普段着物のショールといって思い浮かぶ、
ポピュラーなものは「ショール」ではなく「ストール」なのですが、
ここはもうごっちゃになっていますので、今日は長方形のものも含めて、
全部「ショール」としてお話ししようと思います。
ショールを使う目的ですが、
ひとつは「オシャレ」、もうひとつは「防寒・防塵」です。
まずはもう少し意味合いをひろげて「肩にかけるもの」…として、
ちっとばかし歴史をさぐってみましょう。
「肩にかけるもの」としての一番古いものは奈良時代の、
貴族女性の服装の「領巾(ひれ)」です。
これはいわば当時の「定番スタイル」で、まだ大陸文化の色濃い衣装で、
当時の袖は筒袖で長く、その肩に羽衣のようにふわりとかけるもの。
こういう布は魔よけの意味もあったそうです。
当時、布や袖を「振る」ということは「思いを伝える」ということで、
魂をこめて袖や領巾を振ったわけです。
どちらかといえばかけたときの美しさ、という感じですから
「オシャレ」のほうに入りますかねぇ。
その後、衣装が日本独特の形に整っていくに従って、
この「肩にかける」というのはすたれていきました。
もうひとつの肩にかける目的、つまり「防寒防塵」ですが、
これは別の形で解消しました。
つまり「着物そのものをかぶる」「笠をかぶる」…です。
これは当時の女性の「顔を見せないのがエチケット」ということも
クリアできましたから、身分の高い女性が外出するときは重宝だったでしょう。
最初は実際に着ている着物をかぶっていましたが、
その後専用の「被衣(かつぎ)」というものができました。
都ではかなり近代に近いところまで使われていました。
こちらはその「被衣」です。左は同じ「ちりよけ目的」の「揚帽子」ですね。
本からの写真です。
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こちらは私の手持ちの実物。明治かなー、新しい感じです。
へろへろの緑ラインが肩線、首よりうしろにズレているのがわかります。
これは薄いですから、防寒にはあまりむかないですね。
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笠に関しては、女性が垂髪であったころは「市女笠」などが使われましたが、
髪を結うようになってからは「かぶりにくい」が先だったでしょうね。
旅などでは「妻折」という三度笠を小さくしたようなものをかぶりましたが、
その時にはたぶん髷も小さくつぶして結ったのではないかなーと思っています。
だいたい旅のときは女性は「姉さんかぶり」が多かったわけで、
そのときの塵除けコートは「ゆかた」でした。
また、近隣への外出のときは、かぶるものは綿帽子・揚げ帽子…。
なんだか「かぶる」ものばかりで、ちっとも肩にかけるもの、に
いきあたりませんねぇ。それもそのはず、結局肩にかけるもの、というのは、
江戸時代まで、独立してポピュラーにひろがったものはないのです。
結局「かぶるもので防寒も防塵もかねるものを使う」方法が使われました。
それがいろいろある「頭巾」です。特に「おこそ頭巾」はよく使われたとか。
頭巾については、えー確か書いたはずだと探しました。
ありましたよー、長々書いてますがな。詳細はそちらをご覧下さい。
つまり、頭巾の下を伸ばして首のまわりを覆うことで防寒もしたわけです。
まぁ雪の降る地域では、ほかに何かあったのかもしれませんね。
というわけで…ショール・ストールは、明治維新のあと、
「洋装」がはいってきてからのもの、です。
髱が後ろに飛び出る髷も結わなくなり、衿抜きも少しずつちいさくなってきて、
初めてショールは、暖かく便利なものとして普及したものと思われます。
ちなみに、雪の深い地域では「角巻」というものが大流行しましたが、
戦後廃れています。腰まで覆う、大きなショールですね。
さて、では着物でショールを使う…というとき、
さっき書きました「格」をあわせる、について。
訪問着や留袖のときのショールは?といいますと、
元々のショール・ストール、という西洋の価値観がはいってくるわけで、
たとえばイブニングドレスなどの場合は、まず毛皮ですね。
このへんから、和洋折衷の楽しさや難しさがでてくるわけです。
留袖訪問着などの場合は、やはり毛皮、それからレースや絹もの。
実は、先般の私が間違えたお話しのきっかけは、
「訪問着を作ったときに、残りでショールを作った人がいる」
というお話しからでした。
元々通常の訪問着の反物の長さには、ショール分はないものですが、
その訪問着は余分に尺を作っているということでした。
その訪問着を着たときに、おそろいで…ということなのだろうと思います。
私はこれはやめたほうがいいと思います。おソロだと全体に同じ調子になって、
メリハリがつかないのではないかと思うからです。
私は実物を見ていないので、あくまで想像なのですが、
前から見たときに帯が消える気がしますね。もし使うとすれば、
コートを着て色を分断してから、ショールをするか、
別の訪問着を着たときに使う…としたほうがいいのではないかと思います。
余談ですが、私つらつら考えました。
なんでそんな最初からショール分ついてます、みたいな
おかしな長さの反物なのかと…。なーんだ四丈ものじゃーん、です。
四丈は鯨尺での長さ、普通の着物は(着尺)は三丈、その反物にもよりますが、
だいたい12メートルちょっとです。四丈は17メートルくらい。
振袖用とか、訪問着など共八掛にする場合などに、この四丈を使います。
で、呉服屋さんにまず「訪問着+ショール分」の反物があるか聞いてみました。
そのお店では、そんな特殊な反物はきいたことがない…と。
全く新しいアイデアか、四丈ものを使ったか…というと、そりゃ四丈でしょと。
「訪問着で共八掛にするくらいなら、当然それなりのいいものだけど、
それだと八掛だけ別に売ることができない。それをショールにまわせば、
訪問着の八掛もショールの裏も売れるし、ショールの仕立て代もまた取れる、
うまいこと考えたねぇ」
いや、私が言ったわけではありませんから…。
もちろん、最初からそういう染めにしてあるのでしょうかねぇ…。
さて、次にレースのショールというのも、実はピンキリです。
まず形ですが、その「正式名」でいうなら、三角や半円などのショールは、
どうも「街着」の感覚です。ストール、つまり長方形のほうが、
それこそ「領巾」スタイルでスッキリだと思います。
これがルールなのかどうかは、私もしりません。
で、レースのショール、なのですが、
今レースショールで検索すると、縁にレースがついているだけでも
「レースのショール」として販売されているものもあります。
あいまいですよねぇ。これは私も頭の中ではわかっていても、
うまく説明できませんので、プロにお答えをお尋ねいたしました。
結果ですが、ベルベット(最近はほとんど化繊)でレースが豪華についているもの、
は訪問着にも使うそうです。ただ、呉服屋さんも言ってましたが、
洋服だと、例えばフォーマルスーツやフォーマルドレスなら、
毛糸のマフラーやショールはしないだろう、と。
つまりよくわかっているから、言わなくても自分で選べるけれど、
着物についてはわからないから「ベルベットでレースついてる」というだけで、
何でも使えると思ってしまう。
これは街着用だよなぁ、と思うものを留袖にしていたりするのだそうです。
そうやってあいまいになっていくんだろーねぇと、言ってましたが、
妙な言い方ですが、やっぱり「見た目」。
レースが豪華でたっぷりついているものなど、
礼装にハジかれないものを選んでほしいと思います。
呉服屋さんも言ってましたが、元々がアチラのものなのだから、
価値判断は、どんどんかわっていくのだろうと…。
無難なのは、総レースで洋装にも使えるもの、すけすけのですね。
例えばこんなの…これもバサマからきたんだわ…
ただしこれは形が半円なのです。フシギですが、半円だというだけで、
なんとなく「カジュアル」に見えてしまいます。

ショールは着物の歴史ではもっとも新参者の一つです。
使い方がイマイチスッキリしないのは、まだ過渡期なのかもしれません。
ショールのかけ方ですが、本来は着物の後ろ衿の外側にあたる部分を少し折込み、
衿に沿わせて肩になじませてかけるもの…つまり結局、首元は本来丸出しで、
実際には、首周りの防寒にはならないのです。
こんな感じ。

たとえば衿も首すっぽり埋まるようにしたとすると…、
前と横はこちら

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まぁこれはあくまで個人の感覚ですけれど、
上の衿に沿ったかけ方と比べると、ちっと不細工だなーと。
というより「衿足・うなじ・胸元」という着物独特の美しさが
全部隠れてしまうのはもったいないです。
もし使うとすれば、礼装のときくらいはこの、うしろの首からズッポリ…
というのはやめていただきたいですねぇ。寒いといわれたらそれまでですが…。
だいたい言ってる私だって、この年になったら、わかりゃしませんね、あわわ。
というわけで、おそろいのショールのついた道中着もあるのですが、
写真出さないですみませーん。
えーと本日また、ものすんご~~く長いので…眠いかた、ごめんなさいです。
着物のときの防寒や防塵などのための被り物、肩にかける(羽織る)ものについて、
書いてみようと思います。
まず、先日よそ様のブログで、私は「訪問着にはショールをしないもの」と
書きました。でもそれは私の思い込みでした。
それは、母が常々そういっていたことと、呉服屋さん方々の
「本来、礼装にはきちんとコートを着るものなのよ」という言葉を、
勝手に「それはショールをしないもの」と、私が思い込んでいたようです。
確認しましたところ正確には「するときの素材の格をあわせる」こと、です。
てまりばなさま、お詫びして訂正いたします。ごめんなさい。
ではまず、ショールですが、これまたモノの本によれば、
長方形のものをストール、正方形のものをショール、というのだそうです。
この正方形というのは、折って三角で使うわけですから、
もとから三角や円、半円、その他の形もショールに入る、とするものもあります。
つまり、私たちが普段着物のショールといって思い浮かぶ、
ポピュラーなものは「ショール」ではなく「ストール」なのですが、
ここはもうごっちゃになっていますので、今日は長方形のものも含めて、
全部「ショール」としてお話ししようと思います。
ショールを使う目的ですが、
ひとつは「オシャレ」、もうひとつは「防寒・防塵」です。
まずはもう少し意味合いをひろげて「肩にかけるもの」…として、
ちっとばかし歴史をさぐってみましょう。
「肩にかけるもの」としての一番古いものは奈良時代の、
貴族女性の服装の「領巾(ひれ)」です。
これはいわば当時の「定番スタイル」で、まだ大陸文化の色濃い衣装で、
当時の袖は筒袖で長く、その肩に羽衣のようにふわりとかけるもの。
こういう布は魔よけの意味もあったそうです。
当時、布や袖を「振る」ということは「思いを伝える」ということで、
魂をこめて袖や領巾を振ったわけです。
どちらかといえばかけたときの美しさ、という感じですから
「オシャレ」のほうに入りますかねぇ。
その後、衣装が日本独特の形に整っていくに従って、
この「肩にかける」というのはすたれていきました。
もうひとつの肩にかける目的、つまり「防寒防塵」ですが、
これは別の形で解消しました。
つまり「着物そのものをかぶる」「笠をかぶる」…です。
これは当時の女性の「顔を見せないのがエチケット」ということも
クリアできましたから、身分の高い女性が外出するときは重宝だったでしょう。
最初は実際に着ている着物をかぶっていましたが、
その後専用の「被衣(かつぎ)」というものができました。
都ではかなり近代に近いところまで使われていました。
こちらはその「被衣」です。左は同じ「ちりよけ目的」の「揚帽子」ですね。
本からの写真です。
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こちらは私の手持ちの実物。明治かなー、新しい感じです。
へろへろの緑ラインが肩線、首よりうしろにズレているのがわかります。
これは薄いですから、防寒にはあまりむかないですね。
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笠に関しては、女性が垂髪であったころは「市女笠」などが使われましたが、
髪を結うようになってからは「かぶりにくい」が先だったでしょうね。
旅などでは「妻折」という三度笠を小さくしたようなものをかぶりましたが、
その時にはたぶん髷も小さくつぶして結ったのではないかなーと思っています。
だいたい旅のときは女性は「姉さんかぶり」が多かったわけで、
そのときの塵除けコートは「ゆかた」でした。
また、近隣への外出のときは、かぶるものは綿帽子・揚げ帽子…。
なんだか「かぶる」ものばかりで、ちっとも肩にかけるもの、に
いきあたりませんねぇ。それもそのはず、結局肩にかけるもの、というのは、
江戸時代まで、独立してポピュラーにひろがったものはないのです。
結局「かぶるもので防寒も防塵もかねるものを使う」方法が使われました。
それがいろいろある「頭巾」です。特に「おこそ頭巾」はよく使われたとか。
頭巾については、えー確か書いたはずだと探しました。
ありましたよー、長々書いてますがな。詳細はそちらをご覧下さい。
つまり、頭巾の下を伸ばして首のまわりを覆うことで防寒もしたわけです。
まぁ雪の降る地域では、ほかに何かあったのかもしれませんね。
というわけで…ショール・ストールは、明治維新のあと、
「洋装」がはいってきてからのもの、です。
髱が後ろに飛び出る髷も結わなくなり、衿抜きも少しずつちいさくなってきて、
初めてショールは、暖かく便利なものとして普及したものと思われます。
ちなみに、雪の深い地域では「角巻」というものが大流行しましたが、
戦後廃れています。腰まで覆う、大きなショールですね。
さて、では着物でショールを使う…というとき、
さっき書きました「格」をあわせる、について。
訪問着や留袖のときのショールは?といいますと、
元々のショール・ストール、という西洋の価値観がはいってくるわけで、
たとえばイブニングドレスなどの場合は、まず毛皮ですね。
このへんから、和洋折衷の楽しさや難しさがでてくるわけです。
留袖訪問着などの場合は、やはり毛皮、それからレースや絹もの。
実は、先般の私が間違えたお話しのきっかけは、
「訪問着を作ったときに、残りでショールを作った人がいる」
というお話しからでした。
元々通常の訪問着の反物の長さには、ショール分はないものですが、
その訪問着は余分に尺を作っているということでした。
その訪問着を着たときに、おそろいで…ということなのだろうと思います。
私はこれはやめたほうがいいと思います。おソロだと全体に同じ調子になって、
メリハリがつかないのではないかと思うからです。
私は実物を見ていないので、あくまで想像なのですが、
前から見たときに帯が消える気がしますね。もし使うとすれば、
コートを着て色を分断してから、ショールをするか、
別の訪問着を着たときに使う…としたほうがいいのではないかと思います。
余談ですが、私つらつら考えました。
なんでそんな最初からショール分ついてます、みたいな
おかしな長さの反物なのかと…。なーんだ四丈ものじゃーん、です。
四丈は鯨尺での長さ、普通の着物は(着尺)は三丈、その反物にもよりますが、
だいたい12メートルちょっとです。四丈は17メートルくらい。
振袖用とか、訪問着など共八掛にする場合などに、この四丈を使います。
で、呉服屋さんにまず「訪問着+ショール分」の反物があるか聞いてみました。
そのお店では、そんな特殊な反物はきいたことがない…と。
全く新しいアイデアか、四丈ものを使ったか…というと、そりゃ四丈でしょと。
「訪問着で共八掛にするくらいなら、当然それなりのいいものだけど、
それだと八掛だけ別に売ることができない。それをショールにまわせば、
訪問着の八掛もショールの裏も売れるし、ショールの仕立て代もまた取れる、
うまいこと考えたねぇ」
いや、私が言ったわけではありませんから…。
もちろん、最初からそういう染めにしてあるのでしょうかねぇ…。
さて、次にレースのショールというのも、実はピンキリです。
まず形ですが、その「正式名」でいうなら、三角や半円などのショールは、
どうも「街着」の感覚です。ストール、つまり長方形のほうが、
それこそ「領巾」スタイルでスッキリだと思います。
これがルールなのかどうかは、私もしりません。
で、レースのショール、なのですが、
今レースショールで検索すると、縁にレースがついているだけでも
「レースのショール」として販売されているものもあります。
あいまいですよねぇ。これは私も頭の中ではわかっていても、
うまく説明できませんので、プロにお答えをお尋ねいたしました。
結果ですが、ベルベット(最近はほとんど化繊)でレースが豪華についているもの、
は訪問着にも使うそうです。ただ、呉服屋さんも言ってましたが、
洋服だと、例えばフォーマルスーツやフォーマルドレスなら、
毛糸のマフラーやショールはしないだろう、と。
つまりよくわかっているから、言わなくても自分で選べるけれど、
着物についてはわからないから「ベルベットでレースついてる」というだけで、
何でも使えると思ってしまう。
これは街着用だよなぁ、と思うものを留袖にしていたりするのだそうです。
そうやってあいまいになっていくんだろーねぇと、言ってましたが、
妙な言い方ですが、やっぱり「見た目」。
レースが豪華でたっぷりついているものなど、
礼装にハジかれないものを選んでほしいと思います。
呉服屋さんも言ってましたが、元々がアチラのものなのだから、
価値判断は、どんどんかわっていくのだろうと…。
無難なのは、総レースで洋装にも使えるもの、すけすけのですね。
例えばこんなの…これもバサマからきたんだわ…
ただしこれは形が半円なのです。フシギですが、半円だというだけで、
なんとなく「カジュアル」に見えてしまいます。
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ショールは着物の歴史ではもっとも新参者の一つです。
使い方がイマイチスッキリしないのは、まだ過渡期なのかもしれません。
ショールのかけ方ですが、本来は着物の後ろ衿の外側にあたる部分を少し折込み、
衿に沿わせて肩になじませてかけるもの…つまり結局、首元は本来丸出しで、
実際には、首周りの防寒にはならないのです。
こんな感じ。
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たとえば衿も首すっぽり埋まるようにしたとすると…、
前と横はこちら

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まぁこれはあくまで個人の感覚ですけれど、
上の衿に沿ったかけ方と比べると、ちっと不細工だなーと。
というより「衿足・うなじ・胸元」という着物独特の美しさが
全部隠れてしまうのはもったいないです。
もし使うとすれば、礼装のときくらいはこの、うしろの首からズッポリ…
というのはやめていただきたいですねぇ。寒いといわれたらそれまでですが…。
だいたい言ってる私だって、この年になったら、わかりゃしませんね、あわわ。
というわけで、おそろいのショールのついた道中着もあるのですが、
写真出さないですみませーん。
持っていませんから、寒さ対策はもっぱら
道行コートです。
真冬の着物でお出掛けは、ショールは
手放せませんが、歳のせいか寒がりなので
最後の写真のようにすっぽりですわ。
首を隠すと寒さが防げるので、格好は
二の次になっています。お恥ずかしい・・・
明治生まれの祖母から聞いた話ですが、祖母の時代にも、おこそ頭巾というものを日常的に使っていたそうです。
ちりめんの布で、色は濃いめの物が多く、紺、紫、灰色が多かったそうです。
サイズも、祖母の話だと風呂敷とほぼ同じサイズだったそうで、逆に言うと、上等のちりめんでできた風呂敷が手に入ると、それをおこそ頭巾にしていたそうなのです。(ちなみに、90×90センチくらいのサイズです)
東京でこのかぶり物が急に姿を見せなくなったのは、関東大震災以降、洋髪がはやり始めたこと。そしてもっとおおきな洋風のストールがはやり始め、防寒はそれを頭からすっぽりと覆う様になったこと。
そして、ビックリしたのが「毛皮の襟巻きが大流行した時期があり、その頃におこそ頭巾が姿を消した」・・・らしいのです。
もちろん、それは戦前の話ですが、祖母の話がどこまで信憑性があるのかよくわかりませんがw
しかし、おこそ頭巾も手にはいらない人たちは、どうやって防寒してたんでしょうか。
またまた私の疑問を解決してくださって
ありがとうございますうっ!!(感涙)
今日の自分のブログにも書きましたが
「四丈もの」という単語は私の頭の中になかったのですが
「共八掛」という言葉を読んで
記憶がよみがえりましたよ!!
それです、それ!!
でも別にショールにできるように
染めてはいませんでしたよ。
だから特にできあがりがビミョーだったんです。
それにしても呉服屋さんに
「うまいこと考えたねえ」と言わせるとは
あの売り子先生は、やはりただ者ではなかったのですね(汗)。
三角や半円などのショールは「街着」の感覚、というのに納得しました。
今まで着物のショールなどについて
これほどお話を伺える機会はありませんでした。
本当にありがとうございました!!
私は訪問着と付け下げの見分けを
まず八掛でするのですが、
(当然単衣は見分けが難しくなります 笑)
ネットなどで見ていると、訪問着なのに
ぼかし八掛がついているのを見て
ずっと疑問に思っていました。
古ーいものの仕立て直しならともかく、
そうでもなさそうなのに共八掛のない訪問着、
なるほどそういう使い方されることが
あるのですね。もったいない話ですね。
私もショールはすっぽり派です。
「衿足・うなじ・胸元」の美しさを
だれかれ構わず見せるなんてもったいない。
んなわけはなくて、防寒です(笑
実は、てまりばなさんちにひそかにお邪魔して、この記事を読んでいて・何ともすっきりしない不思議な話だな~・いろいろあるんだな~・・と思っておりました。
私も、いい着物には、直接ショールを掛けるなんて考えたことがなかったので、共布で?どんな柄になってるの?と。
で、お師匠様に伺ってみたら、「そんなの、ルールも関係なしの仕立て代儲けでしょ。裾まわし代と。四丈よ、ただの。」と。
もし、ほんとにそれを狙ってるとしたら、本当にいい呉服屋さんと巡り合えなかったら何を信じていいのかわからないな・と思いました。食べ物も同じ?
反物に罪はないのにな~。
ショールは大好きです^^;
ぱっとはおれるのが楽な感じがして…
その延長でポンチョも好きです。今年は
ポンチョをよく見かけるので
着物に合いそうなのを探しています。
去年はでっかいウールストールをブローチでとめて
なんちゃってポンチョにしてました。
あったかいんですよね^^えりくび部分をおって
くるり、と巻き込むと首もあたたかくて
重宝しています。
私も持っていません。
道行きで「やせがまん歩き」です。
普段はねぇ、毛糸のなんかにぬくぬくと
包まっている人にあうと、
あったかそーと思いますねぇ。
私は母にあんでもらったものばっかり。
でもねぇ、私の希望色を聞いてくれないので、
イマイチ…つかえないんですー。
びん様
私も「祖母」がつかっていたという話を
聞いています。ただ、適当に巻いた…感じで
あの時代劇のようには、
カッコよくなかったみたいです。
ただのホッカムリ…なんていってました。
四角い布ですから、ない人は何か縫い合わせて
代用していたのでしょうか。
浮世絵などでは、なんでもない藍木綿などを
首の周りに巻いたりしてますね。
今のマフラーみたいに…。
今よりかっこよかったかな?
てまりばな様
いえいえ、こちらこそ、確認もしないで
かいてしまってすみません。
共八掛とかまたいろいろ、これについて明日、
書こうと思っています。
「教室」と呉服屋さんが…の話しは、
呉服屋さん仲間でも、顔をしかめることが
よくあります。
だいぶへったとはききますが…。
piyo様
今は共八掛のつけさげってのもあります。
だんだんわからなくなってますね。
呉服屋さんが間違えることもあるくらいで。
私も普段はずっぽり「モグラがちょっと
穴から顔出した状態」ですー。
衿元と袖口、寒いですもんねぇ。
ゆん様
あの先生は、ご自分が着付けを習って
免状を頂いたところが、そういうところ
だったのではないかなーと思っています。
そこしか知らないとそれで当たり前に
なってしまう…気持ちは広くもってないとね。
えみこ様
羽織るのはラクですね。
私は洋装でもスカーフとかマフラーとか
使い方がへたなんです。
まとわりついたり、ズレちゃったり…。
ポンチョはいいなぁ落ちないし…。
襟巻きと言えば、ずいぶん前に亡くなった、明治生まれの祖父の遺品の中に
毛皮の襟巻きがあり、父の話では、ラッコの毛皮だと。
祖父が若い頃に、ラッコの毛皮が流行ったときがあり、
その時に注文したとか。祖父はいつも着物姿で、外出時にはトンビというコートを着ていました。
その時の替え衿のような感じの物です。
女性の襟巻きも同じように流行ったそうなのですが、
形は今のストールのような物だったのでしょうかね。
婦人用のものも見てみたいですが、祖父のをもらった時に、すでにボロっとしていましたので残っているものは見つからないのかも知れません。
それにしても、ラッコがちょっと哀れのような・・・
記事にもありますが、元々日本では「襟巻き」という専用ものは発達しませんで、
襟巻きのように使っていた…のが手ぬぐいとかふろしきとかです。
外国から「襟巻き」つまりマフラーがはいってきて、
急速にはやり始めましたが、女性用の毛皮の襟巻きは、
富裕層に限られましたし、洋装もはやり始めましたから、
たぶん洋服で毛皮の襟巻き…がおおかったでしょうね。
和装でも合いますが、お金持ちでないと…だと思うのですが。
元々「襟巻き」はマフラーのように細くて小さいもの、
ショールは肩を覆う大きいものですから、襟巻きとしてはやったとすれば、
今はあまりみませんけど、動物の頭からシッポまで、
まるまる一匹そのままのもの…だと思いますよ。
私の母なんかも持っていました。足もちゃんとついてます。
ザンコクなようですけど、男物コートのラッコの替え衿よりはるかに大きくて、
首に巻くとあごが埋まります。私がもらいましたが、なんか使う気がしないんですよ。
カタチだけで言うと、男性のトンビや和装用コートも、
外国のものを真似て作られたものです。
女性用のショール、ストールも明治以降少しずつ出回りましたが、
オシャレ用に作られ始めたのは、やはり明治の後半から大正だと思います。
洋装のものでも和装にも使えると、ひろがったのでしょうね。
こちらは今のように布製とか、編み物が始まってからは毛糸とか。
いつもあいまいなお答えしかできない気がしています。
すみません。