ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

右前に着る・・ということ。

2006-03-22 13:59:23 | 着物・古布

タイトルがピンとこないない写真ですみません。
とりあえず「右前に来ている写真」ということで、
これは昭和13年の「三越通販カタログ」、表紙の女性は
「田中絹代」さん、知ってる人は知ってる・・・?!
これは5月号で「ゆかた特集」です。このころは、カラフルな浴衣は
子供用しかありませんでしたね。藍染が当たり前でした。

さて実は、ブログに「お題」をいただきましたので、書いてみようと思います。
本日のめいん・てーまは「着物の打ち合わせ」。
「右利き」人口が多かったことが、着物の打ち合わせを
「右前」に決定づけた・・というお話です。
実はとんぼはちびっとだけサウスポーのケがあります。どーでもいいか・・。

まずは左利きについてですが、世界的に見ても「右利き」のほうが数が多く、
さまざまな道具や設備なども圧倒的に「右利き」を前提として作られています。
しかし、医学的、科学的には、なぜ「右手」を使うのか、
左利きが少ないのか、諸説ありますがまだ完全解明には至っていないそうです。
この「右利き」ということが、結局着物の打ち合わせを「右前」にする、
ということになった原因・・というお話です。

最初にこの「右前」という言い方なのですが、ちょっと戸惑うと思います。
わかりやすく洋服でいいますと男物は、着物と同じ「右前」、
女物は逆に「左前」と言います。でも、実際には、たとえば女物の上着や
ブラウスを着たとき、前に重なるのは右です。女物のほうが「右前」じゃないの?
と思ってしまいますね。これでややこしくなるのですが、右前という言い方は、
実は「右と左のどちらが自分の前に『』にくるか」、という意味です。
これは昔からの「言い習わし」で、いまさら変えるとややこしくなりますから
ずっとそのまま使っているわけですが、着物を着るとき、袖を通したら
まず前身ごろの右と左を手を伸ばして前で合わせて、そこから始まります。
脇線などあわせたら、右手に持った右の身頃を体の左に巻き込んで着始めます。
このとき、自分の体の前に先にくるのが「右身頃」です。
「まずは右が先に前にくる」で「右前」なのですね。

さて、いよいよ「なぜ着物は右前か」です。
もともと日本では「左前」の時期もありました。
有名な「高松塚古墳」で発見された壁画の女性は「左前」の着物をきています。
もっともこの着物は、今のような形ではなく、多分に「大陸様式」の形です。
かつて、日本は大陸の文化の影響を色濃く受けておりました。
奈良時代、遣隋使、遣唐使などが送り込まれ、政治・経済はもとより、
建築や設備、道具など、衣食住すべてに影響を受けていたといっても
過言ではないでしょう。着物の着方についても影響を受け左前だった時期も
あったわけです。その後、中国内部で「右前」が主流になってきたため、
日本も「右前」を奨励した・・というのが、今のところの説です。
聖徳太子も「右前」を奨励しましたし、平城京ができたあと、
719年から服は右前にする、というお達しを出したほどです。
多分に「おとなりさん」を意識していたからですね。

では、大元の中国ではなぜ「右前」になったか・・・。
実は、諸説ありまして、たとえばよく出てくる「易学」「陰陽道」では、
右より左のほうが「上」です。左が「陽」で右が「陰」、
お雛様のところでもお話しましたが、右大臣より左大臣が上・・ですね。
着物は右前に着ると、「左」のほうが上、表になります。
そういうところからきている・・これは「右前」というより「左優先」ですね。
そういう説もあるのですが、有力な説としてあるのは「騎馬民族」への反感。
これは大陸の歴史です。朝鮮半島から向こうの「大陸」は、
言葉通り、たいへん広大な地域です。統一もなかなかされず、
さまざまな国が生まれては滅ぼされ・・というのは歴史で習いました。
そのさまざまな国の、更に外側にいたのが「騎馬民族」です。
彼らのルーツについては、長くなりますので省略、とりあえず中国には
「騎馬民族」というのがいたわけですが、これが荒っぽかったのですね。
馬で自由に動けるため、細々と羊なんぞ追ってつましく暮らすということより、
あちこち裕福な土地へ行って「略奪する」方をとったわけです。
騎馬民族は、農耕や商業などで一箇所にとどまっている民にとっては脅威でした。
町や村だけでなく、国としてもその「機動力・武力」に脅かされたわけです。
この騎馬民族が使ったのが「弓矢」でした。
馬に乗って矢を射掛けてくるわけですから、今でいうならジープにのって
機関銃をガンガン撃ってくるような感じでしょうか。
この「矢」を射る、という動作のために、彼らの着物はすべて左前でした。
つまり、右が上になっているほうが、矢をいるとき襟元に手や矢などが
引っかからないわけです。このことから「左前」の着物を着るものは、
忌み嫌われたわけです。「悪魔の象徴?」というところでしょうか。
やがて「右前」は良きもの「左前」は悪しきもの、とされ、
しまいに「左前」は「死装束」にまでなっちゃいましたね。
というわけで、騎馬民族が右手で(つまり右利き)矢を射たため着物が左前で、
これが忌み嫌われて、着物の打ち合わせは「右前」がよしとされた・・、
と、やっとつながりました。

奈良時代から決められた「右前」の習慣と、仏教の広まりで、
今は「左前」は死者への着せ方となっています。私などは、子供のころから
実の父、祖父母、伯父たち、舅姑など、何度も身内の葬儀を経験していますから
たまにイラストやまんがで「左前」の着物を着たマチガイ絵を見ると、
やはり「縁起わりぃなぁ」と思ってしまいます。
父が亡くなったとき、私は11歳でしたが、納棺のとき、
母が「愛用の丹前を入れてやりたい」といったら、葬儀屋さんが、
父の体に丹前を上下さかさまにかけて体を包みました。
それを見た母が、「もうまともに着物を着ることもできないのか」といって
とりすがって号泣したのを覚えています。着物の打ち合わせや掛け方だけでなく
足に履かせるわらじも前後逆ですしね。さみしいものです。そんなこともあって、
着物のオークションなどの写真でも「左前」に重ねた写真だったりすると
「ちょっと気をつかってほしいなぁ」と思ったりします。
せめてそれくらいは「常識」として覚えておいてほしい・・と思うのは
今の時代、無理なことなのでしょうかねぇ。

なんかおしまいはちょっと暗いお話になってしまいました。すみません。





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14 コメント

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判っててもねえ、、、 (萬屋千兵衛)
2006-03-22 17:42:53
私が着物関係のブログサイトを見始めた頃の事

ですが、ご自分の着姿をブログ上に載せられていて

映っている姿が、左前であるのに驚きました。



実は、カメラを手に持って、鏡に映った自分の姿を

写されているから、実際には、ちゃんと右前に

着ているのに、左前に見えてしまうという

「鏡トリック」だった訳なのですが、その理屈が

判った後でも、やはり、なんとなく気持ち悪く

見えました。

「見慣れ」という事だけなんでしょうけどね?

返信する
鏡像 (うまこ)
2006-03-22 18:26:30
そうなんですよ。

最近鏡に映った姿を撮れば、自分の姿を写せることに気づき

撮るようになったのですが、

最初そのまま、アップして、あとで気づき、ぎょ!

あわてて、さかのぼって変えましたが、

ひょっとしてまだ間違ってるのがあるかも。



また、女性は洋服が左前なので

特に間違えやすいですね。

丹念に注意していくしかないのかな。



奈良時代や平安時代の為政者も

たびたび右前のおふれを出しているらしいので、

統一には結構時間がかかったのかも。
返信する
Unknown (とんぼ)
2006-03-22 19:31:32
千兵衛様

これって、ご本人が「私は気にしてないから」と

おっしゃっても、それを見たこちらが、

「あら縁起でもないもの見ちゃった」という

気持ちになるってところがあるんですよね。

それと、昔だと「そんなことも知らないのか」と

常識を疑われるという部分もありましたからねぇ。



うまこ様

昔は当たり前のようにやっているから、

教える必要もなかったんでしょうけれど、

同年代の友人から「どっちだっけ」って

電話がきたりすると、ちょっとため息ですね。
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中国文化圏の及んだところは、みな右前 (ぶり)
2006-03-22 20:29:49
昔、ブータンの男性衣装「ゴ」を見た時、中華の及んだ範囲では、着るものの打合せが、右前だと気がつきました。

それ以来、誰が、いつ頃、右前に決めたのか、知りたいのです。 確か、宮城谷昌光氏の著作に、さらっと書いてあった記憶が。。。 宮城谷氏の中国時代物の著作を、先日来、調べなおしているところです。 まだ、その行を発見していませんが、見つけたら、お知らせいたします。
返信する
全然覚えていません、 (蜆子)
2006-03-22 21:16:00
宮城谷昌光氏の著作一応全部読んでるはずですが、着物の打ち合わせの話、そんなのありましたっけ状態



娘の小学校の卒業式に担任の先生、一つ紋の無地の着物に袴、晴れがましさもいいわね、と良く見れば打ち合わせ反対、



気のついた人はいなかったようですが、すぐにかけより控え室で着せなおしてあげました。給食のおばさんに着せてもらったんだそう、

娘に縁起悪いことがおこると、あのときの卒業式の先生の着物のせいかもと、いつまでたっても気になってます。

縁起直しってどうすればいい、

とんぼさん、いつか教えて下さい。
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Unknown (とんぼ)
2006-03-22 22:28:37
ぶりねぇ様

中国の歴史は弱いです。わかったらお知らせください。もう2~3ヶ月前になりますか、NHKで騎馬民族「匈奴」に嫁いだ(嫁がされた)「王昭君」のリポート?をやっていました。像に残る彼女の着物の打ち合わせ、どうだったかなぁ・・と今頃気になってる私です。



蜆子様

むしろ縁起のよいことをしたということではないんですか?左前に来ていた先生が、一番縁起が悪いんですから、何か起こるとすれば、そう着せられてしまった先生にでしょうし、それを直して差し上げた蜆子様は、そこで「縁起直し」をしたも同然ですから、お気になさることはないと思いますよ。
返信する
Unknown (陽花)
2006-03-22 23:10:52
とんぼ様



私、父の葬儀の時、頭が割れるように

痛くて父にあの世とやらに連れて行かれると

思うほどでしたがその時皆がむりやり起し

喪服を着せてくれたのですが、それこそ

みんな、慌ててたのか左前に着せられたんです。

おかしいと気づき着せ替えてもらったんですが

歩けない・・・長襦袢まで左前でした。

よく、あの時あの世へ行かなかったと思います。

返信する
きっと (とんぼ)
2006-03-22 23:42:07
陽花様

頭痛がなかったら、連れて行かれたかも?

お父様からの「私のことを忘れるなよ」という

メッセージの頭痛だったかもしれませんね。

そうやって鮮烈におぼえていますでしょう?

それにしても、まさしく「えんぎでもない」

できごとでしたね。
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ご無沙汰しておりました (りさこ)
2006-03-23 10:21:41
とんぼさま♪

引っ越しがようやく片付きましたので、またお邪魔させて頂きました

表千家と裏千家の最初の一歩や、帯の巻き方向の関西手と関東手など、正しい方向が左右マチマチな場合も多いですね。葬儀にしても、ムスリムの方々は、亡くなられた夜のうちには土中に埋葬し、石碑などもありません。日本式の火葬は、宗旨に反する方々も多くおられますね。日本でも、仏式と神式は作法が異なりますね。わたしの友人には、いろいろな宗教、国籍、人種の人がいて、いろいろな流儀、作法があるので、お馬鹿なわたしはいつもウロウロしています
返信する
いろいろ・・なんですねぇ (とんぼ)
2006-03-23 12:46:56
りさこ様

引越し、お疲れ様でしたー!

さまざまなしきたり、決まりごと・・いずれにしても人がきめたこと・・と考えると、こだわりすぎもどうなのかなぁと、心が揺れたりします。母方の田舎は、つい最近まで土葬でした。日本だって古くは「鳥葬」があったりしたわけで・・。うぅ・・奥が深い・・。
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