またまた無関係画像ですが、一昨年の暮にいただいた「啓翁桜」、
根付いてつぼみを持ちましたが、この前の「雪」で、またしてもお休み…?
暖かくなり始めて、ふわっと衣を緩めました。もうすぐ咲くねぇ。
さて、普段着物については、また書こうと思っていますので、
今日は、礼装を通して…みたいな、また長いお話です。
先日、古本だけど割と新しめの「着物のしきたり本」を買いました。私にとっての参考資料です。
今までのものと何冊か並べてみたら、ほんのここ数年で
「告別式に和服で出るときは、喪主・親族・参列者全て黒喪服」というのが…。
あぁあ、とうとうこうなっちゃったか…です。
まだ「一般参列者は、個人との関わりで色喪服を着用」という本もありますが、
この本を、これだけを買って読んだ人は、そういうものだと思うでしょう。
私はいまだに、よほど親しい間柄とか、特にお世話になった目上の方以外は
「参列者は親族と並ぶ衣装を着るべきではない」と思っています。
洋装は私も右へ倣え~になっちゃってますが。
結婚式に、親族でなければ留袖は着ません。それは、家族に敬意を表してのことです。
洋装の結婚式だって、参列者は花嫁と同じ白のドレスは着ません。
喪服については、色喪服を着る「半喪服」や「黒い羽織の略喪服」が忘れられ、
着ていくと「ナニ?黒いの着ないなんて」と言われてしまう…。
呉服屋の奥さんが「呉服屋のクセに着物でくるなら黒でしょ」と近所で言われたそーで。
「葬式っつったら黒でしょ」じゃないんですけどねぇ。
洋装だってほんとはお通夜は真っ黒でなくて、ジミなスーツや上着だけ黒でいいのに、
いつの間にかお通夜から全身まっくろけになりました。
お通夜も告別式も黒、は「めんどくさくないほう」に流れたんでしょうかねぇ。
お通夜というのは「とるものもとりあえず駆けつけました」という気持ちを表すために
また「たぶんそろそろだと思って用意してました」と感じさせないように、
もうひとつ、親族がまだ喪服の準備をしていないかもしれないから…、
そういう相手に対しての思いやりや心遣いの表れで、真っ黒にしない…という、
一番大切な部分が、どこかへ消えてしまいました。
実際にそう思うかとか、イマドキお通夜に支度ができていない親族なんかいないとか、
そういうことじゃないと思うんですけどねぇ。
おととい「しきたり」や「伝統」を守るということは、カタチだけではなく、
先人たちの積み重ねた思いも受け取っていくことだと思う、と書きました。
便利に進んでいくのは、それはそれで意味のあることだと思います。
でも、いまや着物をきているだけで「奇異」な目で見られたりします。
留袖や振袖だと「あぁ結婚式だね」とか「今日は成人式か」と、納得してくれるのに、
なんでもない時に着物を着ていると「なんでこの人は着物をきているのだろう」と
そういう風に見られるようです。
あからさまに「何かそういうお仕事でも?」ときかれることすらあります。
「そういうお仕事ってってどーゆーお仕事?」と思いながら
「ただの主婦です」と答えます。
ちょっと知った人だと「何かあったの?」(これでフツーなんですけど)
「どーしちゃったのよー、着物なんか着ちゃってぇ」にいたっては、
「どーかしないと着ちゃいかんのか」と思います。
そんっっっなに着物が珍しいかい、アンタのお国のむかーしっからある、
ただの着るものだよ!と、ココロのうちで叫んだことも数知れず…。
着物を着ること自体は廃れかけても、せめて知識や習慣だけでも
ちゃんと伝わっていたら、こんなに短期間で「黒喪服」は親族だけ…
ということが変化することはなかったろうと思います。
色無地のジミなものを一枚持っていたら…これが半喪服になります。
それが着物が着られなくなったから、そういう知識もしきたりも伝わらず、
結局は「売れる売れない」で、そういうものをお勧めすることもなくなり、
洋服が黒なんだから、着物も黒だよ…になってしまったのでしょうか。
でも、ややこしいとかそれを作っても売れないから…だったら…悲しいですね。
実は過日、こんなページをみつけまして…
瑠璃雛菊さん
お客様の写真集がこちら。
子を思う親の気持ちは、今も昔も変わらないと思いますし、
ひとつのファッションとしては、かわいいものだとも思いますが…。
「七五三」にこれを着せる…というのは、私としては寂しいなぁと思います。
日本人は、最近「ナニ人」になってしまったのでしょう。
これを作っているのが「京都」というのもショックでした。
このお店の言葉の中に、
そして「着物文化」に良いイメージを持って頂けると嬉しく思います。
とあるのですが…。
着物文化にいいイメージ…きっと着物の入り口として…という思いなのでしょう。
でもここまで洋風文化に迎合してしまったら、もはや着物文化ではない気がします。
むしろどっちつかずの感じがしてなりません。
ちょっと着物っぽくしたドレス?ドレスっぽくした着物?
まず着物を知った上で、一つのお遊び着としては、これもいいかもしれませんが、
親がすでに着物を知らない世代です。着物を知らず、ただかわいいだけで七五三に着せて、
親子そろってこれも着物文化の一端であると思ってしまったら、それも哀しい。
このドレスは木綿を使っているそうです。
確かに汚しやすい子供のことですから、わからないでもないですが、
以前も言いましたように、七五三など「一度きり」「汚す」なら
ポリでもいいと思います。
いつもと違う、歩きにくい、汚しちゃいけない…そんな緊張感も含めて
「初めての晴れ着」としてせめて形だけでも本物の着物を着せてほしいと
そんな風に思ってしまいました。
いつもしつこく言っていますが、選択肢が増えることはいいことだと思います。
今のように、着物といったら訪問着振袖のようなものばかりしかなくて、
普段用に着たい安い紬や小紋の数が少ない…。
同じ絹でもピンか、もしくはキリばかりで間がない…。
もっといろいろあったら、と思います。
そして、いつも言うようにもっとダイジなことは「選択肢」がある場合の「選択眼」です。
自分の目的や懐具合や、状況にあわせて選ぶことができる知識と眼。
それが培われていない状態で、こういうものを見てしまったら…。
子供さんたちはみんなかわいいです。お人形さんのようです。
写真を撮らせてといわれたと書いてあります。
親御さんも嬉しかったことでしょう、でも私は、もし自分に娘がいたら、
これは絶対着せません。もしどうしてもドレスがいいといったら、
逆にシンデレラのよーな「ドレスらしいドレス」にします。
それが洋服、着物、に対するそれこそ「礼儀」のような気がするのです。
着物って、日本にしかないもののはずなんですがねぇ…。
あぁ本日も「消化不良」…。
次は気楽ぅ~な普段着物のお話しでもしましょうか。
根付いてつぼみを持ちましたが、この前の「雪」で、またしてもお休み…?
暖かくなり始めて、ふわっと衣を緩めました。もうすぐ咲くねぇ。
さて、普段着物については、また書こうと思っていますので、
今日は、礼装を通して…みたいな、また長いお話です。
先日、古本だけど割と新しめの「着物のしきたり本」を買いました。私にとっての参考資料です。
今までのものと何冊か並べてみたら、ほんのここ数年で
「告別式に和服で出るときは、喪主・親族・参列者全て黒喪服」というのが…。
あぁあ、とうとうこうなっちゃったか…です。
まだ「一般参列者は、個人との関わりで色喪服を着用」という本もありますが、
この本を、これだけを買って読んだ人は、そういうものだと思うでしょう。
私はいまだに、よほど親しい間柄とか、特にお世話になった目上の方以外は
「参列者は親族と並ぶ衣装を着るべきではない」と思っています。
洋装は私も右へ倣え~になっちゃってますが。
結婚式に、親族でなければ留袖は着ません。それは、家族に敬意を表してのことです。
洋装の結婚式だって、参列者は花嫁と同じ白のドレスは着ません。
喪服については、色喪服を着る「半喪服」や「黒い羽織の略喪服」が忘れられ、
着ていくと「ナニ?黒いの着ないなんて」と言われてしまう…。
呉服屋の奥さんが「呉服屋のクセに着物でくるなら黒でしょ」と近所で言われたそーで。
「葬式っつったら黒でしょ」じゃないんですけどねぇ。
洋装だってほんとはお通夜は真っ黒でなくて、ジミなスーツや上着だけ黒でいいのに、
いつの間にかお通夜から全身まっくろけになりました。
お通夜も告別式も黒、は「めんどくさくないほう」に流れたんでしょうかねぇ。
お通夜というのは「とるものもとりあえず駆けつけました」という気持ちを表すために
また「たぶんそろそろだと思って用意してました」と感じさせないように、
もうひとつ、親族がまだ喪服の準備をしていないかもしれないから…、
そういう相手に対しての思いやりや心遣いの表れで、真っ黒にしない…という、
一番大切な部分が、どこかへ消えてしまいました。
実際にそう思うかとか、イマドキお通夜に支度ができていない親族なんかいないとか、
そういうことじゃないと思うんですけどねぇ。
おととい「しきたり」や「伝統」を守るということは、カタチだけではなく、
先人たちの積み重ねた思いも受け取っていくことだと思う、と書きました。
便利に進んでいくのは、それはそれで意味のあることだと思います。
でも、いまや着物をきているだけで「奇異」な目で見られたりします。
留袖や振袖だと「あぁ結婚式だね」とか「今日は成人式か」と、納得してくれるのに、
なんでもない時に着物を着ていると「なんでこの人は着物をきているのだろう」と
そういう風に見られるようです。
あからさまに「何かそういうお仕事でも?」ときかれることすらあります。
「そういうお仕事ってってどーゆーお仕事?」と思いながら
「ただの主婦です」と答えます。
ちょっと知った人だと「何かあったの?」(これでフツーなんですけど)
「どーしちゃったのよー、着物なんか着ちゃってぇ」にいたっては、
「どーかしないと着ちゃいかんのか」と思います。
そんっっっなに着物が珍しいかい、アンタのお国のむかーしっからある、
ただの着るものだよ!と、ココロのうちで叫んだことも数知れず…。
着物を着ること自体は廃れかけても、せめて知識や習慣だけでも
ちゃんと伝わっていたら、こんなに短期間で「黒喪服」は親族だけ…
ということが変化することはなかったろうと思います。
色無地のジミなものを一枚持っていたら…これが半喪服になります。
それが着物が着られなくなったから、そういう知識もしきたりも伝わらず、
結局は「売れる売れない」で、そういうものをお勧めすることもなくなり、
洋服が黒なんだから、着物も黒だよ…になってしまったのでしょうか。
でも、ややこしいとかそれを作っても売れないから…だったら…悲しいですね。
実は過日、こんなページをみつけまして…
瑠璃雛菊さん
お客様の写真集がこちら。
子を思う親の気持ちは、今も昔も変わらないと思いますし、
ひとつのファッションとしては、かわいいものだとも思いますが…。
「七五三」にこれを着せる…というのは、私としては寂しいなぁと思います。
日本人は、最近「ナニ人」になってしまったのでしょう。
これを作っているのが「京都」というのもショックでした。
このお店の言葉の中に、
そして「着物文化」に良いイメージを持って頂けると嬉しく思います。
とあるのですが…。
着物文化にいいイメージ…きっと着物の入り口として…という思いなのでしょう。
でもここまで洋風文化に迎合してしまったら、もはや着物文化ではない気がします。
むしろどっちつかずの感じがしてなりません。
ちょっと着物っぽくしたドレス?ドレスっぽくした着物?
まず着物を知った上で、一つのお遊び着としては、これもいいかもしれませんが、
親がすでに着物を知らない世代です。着物を知らず、ただかわいいだけで七五三に着せて、
親子そろってこれも着物文化の一端であると思ってしまったら、それも哀しい。
このドレスは木綿を使っているそうです。
確かに汚しやすい子供のことですから、わからないでもないですが、
以前も言いましたように、七五三など「一度きり」「汚す」なら
ポリでもいいと思います。
いつもと違う、歩きにくい、汚しちゃいけない…そんな緊張感も含めて
「初めての晴れ着」としてせめて形だけでも本物の着物を着せてほしいと
そんな風に思ってしまいました。
いつもしつこく言っていますが、選択肢が増えることはいいことだと思います。
今のように、着物といったら訪問着振袖のようなものばかりしかなくて、
普段用に着たい安い紬や小紋の数が少ない…。
同じ絹でもピンか、もしくはキリばかりで間がない…。
もっといろいろあったら、と思います。
そして、いつも言うようにもっとダイジなことは「選択肢」がある場合の「選択眼」です。
自分の目的や懐具合や、状況にあわせて選ぶことができる知識と眼。
それが培われていない状態で、こういうものを見てしまったら…。
子供さんたちはみんなかわいいです。お人形さんのようです。
写真を撮らせてといわれたと書いてあります。
親御さんも嬉しかったことでしょう、でも私は、もし自分に娘がいたら、
これは絶対着せません。もしどうしてもドレスがいいといったら、
逆にシンデレラのよーな「ドレスらしいドレス」にします。
それが洋服、着物、に対するそれこそ「礼儀」のような気がするのです。
着物って、日本にしかないもののはずなんですがねぇ…。
あぁ本日も「消化不良」…。
次は気楽ぅ~な普段着物のお話しでもしましょうか。
ものなのに・・・どうしたいの?と
思ってしまいます。
ゆかたの衿にレースを付けたり兵児帯に
飾りをいっぱい付けたり、最近は着物の
良さよりどっちもつかずな感じですねぇ。
ほんと、消化不良おこしますね。
“着物”って言葉、使ってくれるな!!!って言いたいです。
衣装ならとにかく・・・ねぇ(-_-;)
あれがもし“ドレス”としても、絶対・・・ずぇったい!!!着せたいと思わないし、もし娘が欲しいと言っても買いません!
その国の民族衣装は、その国民に一番似合うからあるんじゃないですかね。
守るべきところはそのまま、歴史を受け継ぐことも大切なことだと思うのですが・・・
P.S. 卒業式、お陰さまで無事終わりました。開場前に付いたので座れましたし、ビデオも撮れました。
羽織を着て行ったので寒くはなかったのですが、パイプ椅子に3時間座りっぱなしで、ものすごくむくんでしまいました。
今年は着物着ている人、私含め4人でした。ちょっと少なかったですね。
その分(?)女性の先生がお三方とも袴でしたが・・・お歳がお若い先生のお一人は大振袖に袴で、まるでご自身の卒業式のようでした。“教師”としてなら大振袖は残念かなって思いました。
すれ違ったのはやはり違いましたか。
すごく似てらっしゃっいましたよ。歩きのときなら声かけたと思います。
着物ドレスとやら、見て絶句しました。
久々の衝撃です。去年のミスユニバース以来?(苦笑)
しかも、編み上げのブーツ。。。
フィギュアスケートのエキジビションの衣装か、
アイスショーの衣装か?と言うのが私の感想です。
「周囲の皆さんの注目でした~」とのコメントに、
「そりゃ、珍しいもの見ちゃった」の注目だろう。。。と
呟いたのは言うまでもありません。
はぁ~、こういう子が大人になって、コレが
着物だと思わないことを祈ります。
私も、最近は着なくなりましたが(母が周囲の目を
気にするようです)、大島を着ても、綿紬を着ても、
ポリを着ても、「お茶か踊りのお稽古?」の
質問攻撃か、「何か特別なご用事?」との
質問か。。。
皆さん、言われているんですねぇ~。
「普段着です!」と答えると、「まぁ~、すてきねぇ~」と言いながら、
冷たい視線が返って来る昨今です。(TT)
お香典の新札と、お通夜の黒はいけないと、
昔教わりました。
暗い色の洋服で、「急なことだったので、
とりあえず駆けつけました」。
「まさかのことで、用意していなかったので
新札はありませんでした」これがマナーだと。。。
がっ!あっという間に、暗めのスーツでお通夜に出席すると、
冷たい視線が刺さるようになりました。
うーん。。。変わるのが早すぎるような。。。
日本の伝統、どうなって行くのでしょうね。
感心しました。
おごそかとか厳粛とか絶滅したとよ~く理解できました。
でもね、今がそれを伝えるいい機会かなとも思います。
とんぼさん、出番ですよ~。うでまくりして伝えてくださいね。たよりにしてます。
普通の浴衣を押しのけてディスプレイされていて、売れているようでしたよ。
げんなりします(涙)
着物のルール、行事のルール・・・・そんなの地域によってすごく違うのに、本で決めつけるルールが必要なのでしょうか?
父の田舎の結婚式もお葬式も、関西とは全然違います。
ルールブック鵜呑みにして、それを振りかざして人を攻撃する人が多くて嫌になります。
とんぼさんにはずっと「良識」を発信して頂きたいです(^人^)
よろしくお願いします~~!!
着物でも何でも、人として絶対忘れてはいけない「ルール」は一つですよね。『思いやり』。
…このドレスがなんなのかは 私にはよくわかりませんが、この手の文化って、まさしく現代の日本独特のものですね…。
保管が悪く、皺くちゃで、アイロンをかける訳にいかず…
洋服にすると言うので、私も配慮して黒礼服にしました
その後、主人の祖母も後を追うように他界しましたが、その経緯から喪服は着れませんでした
義母が言うには「貸衣装の方が気兼ねなくてよかったのに」と
後味の悪い、着物の貸し借りでした
身内の愚痴になり、申し訳ありません
なんでいろいろつけたがりますかねぇ…。
洋服感覚なんでしょうけれど、
どうにもうるさい気がします。
いろいろやって「やっぱりすっきりがいい」、
そうなってくれたらいいですね。
ドレスならドレス…にしてほしいですね。
なんだかタメ息出っ放しでした。
日常着が洋装に迎合してしまったことは、
しかたないにしても、ここまで侵食することは
なかろうにと、つい思います。
卒業式、お疲れ様でした。
座れてよかったですね。3時間立ってるのは
つらいですよねぇ。
それにしても「先生が振袖に袴」…。
やっぱちょっと勘違いですね。
もしかしたらどこかでお声をかけられるかも…
こんどから、ちゃんっとメイクばっちりで
出かけます!
時節柄「エキシビジョン」みたいですよねぇ。
周りの方は、それヘンよ…とは、言いませんよね。
なんだか先々が心配です。
着物よおまえはどこへ行くぅ?
お香典の新札と、お通夜の黒…
そういうなんていいますか「暮らしの知恵」とか
お付き合いのコツとか、そういうことが
もう伝わっていませんよね。
かわりすぎじゃないかと思っています。