書くことないときのアイテム?ということにしているわけではないのですが、
手芸の本をしまいにいって、またついつい古いアルバムを広げておりました。
同じ書棚にはいっているものですからつい…。
「着物の柄」について書こう…なんて言ってたのにすみません、
ちょっと時間とれなさそうなので、思い出話にお付き合いください。
上の写真は私の母、そーです「アマノジャク大王」と化しているバサマです。
48才とありますから、昭和46年ですね。
いまや見る影もありませんが、若いころはケッコー美人。
ちなみに私は完全父親系の造作で、まったく似ていません。
まぁ部分的には「目の大きいところは…」なんていっていただくのですが、
骨格からして違いまして、バサマは若いころ「インドネシア人」と
いわれていたそーで、一方私は馬面の父に、長さだけは似なかったのですが、
寸づまりの馬…ポニーかい…。藤田まことを見ると、なぜか親近感が…。
母はオシャレなひとで、いっとき「黒か紺に白い水玉」という服にこりました。
これも紺地に白い水玉のワンピースで、下はきれいな細かいプリーツ、
後年わたしのところに来ましたが、すでに後ろのフアスナーが…
あがんなかったっての。
母に反発気味だった私でしたから、アタシは水玉なんてオコチャマ柄着ないわよ…
といっていたはずだったのに、すぐそばにこんな写真が…。
昭和50年ころかと思いますが、着てるじゃん…。
これは学校で開催された同窓会、同期の友人と懐かしい教室で撮りました。
この服はお手製です。紺地に白い水玉、おんなじやんか…。
ワンピではなく、ブラウスとひざ下15センチくらいのパンツ、
わかりにくいのですが、パンツの両脇に大きなフリルが入っています。
このパンツは洋裁の本でみつけてどうしても作りたくて、
同窓会の前日深夜までかかって縫ったもの。
ブラウスはテキトウに合わせて作りました。
それで私にしては珍しくも、パンツと同じようにフリルが入っています。
出来上がりを想定して、縫うよりさきに白いベルトを探して買ったという、
みょーな思い出のある服です。
このパンツがねぇ大好きで、大事にとってあったのに、
どこかへいっちゃったんです。
絵で書くとこんなです。
実際には、フリルをきれいにだすためにハリのない生地で作りますので、
こんなに魚のヒレみたいにピンとはしません。
写真で見るように、たたまれておとなしくなりますが、歩くとひらひらと…。
最後はもーっと古い写真です。
右側が「馬面の実父」…やっぱ馬に乗ってる。
字もついでに入れました、昭和6年、父24歳のころです。
まだ母と出会う前ですね。
父は戦前東京都港区にあった「官立東京高等工藝学校」、
今の千葉大の工学部の前身だとか、そこに通っていたそうです。
元々スポーツ万能だったのに胸を病んで、結局は憧れの海軍にも
はいれなかったということですが、なんで馬に乗っているのか…不明です。
乗馬は得意だったようで、私が子供のころに
「大きくなったら乗馬をやりなさい、馬はいいよぉ」といってました。
そばで母が「身内みたいなもんやしなぁ」とまぜっかえしてましたが、
乗馬なんぞやるおウチじゃございませんで…、
大人になってからせめてと思って競馬はやってみましたが…?!
その父の趣味がカメラで、私をとる以外は風景写真が多いように思います。
こちらはたぶん「中津川渓谷」今でもこんな建物ありますかね。
こちらは知ってる人は知ってるむかーしの「横浜駅西口5番街」近くです。
上にわずかにアーケードが見えています。
このアーケードを知っていたら、そうとうヨコハマでは古いですよー。
さて、思い出にひたってばかりいるわけにもいきませんで、
これからまたお仕事です。
外は雨、ほんとにもう梅雨に入ったような空模様、今日も寒いです。
皆様体調におきをつけて。
手芸の本をしまいにいって、またついつい古いアルバムを広げておりました。
同じ書棚にはいっているものですからつい…。
「着物の柄」について書こう…なんて言ってたのにすみません、
ちょっと時間とれなさそうなので、思い出話にお付き合いください。
上の写真は私の母、そーです「アマノジャク大王」と化しているバサマです。
48才とありますから、昭和46年ですね。
いまや見る影もありませんが、若いころはケッコー美人。
ちなみに私は完全父親系の造作で、まったく似ていません。
まぁ部分的には「目の大きいところは…」なんていっていただくのですが、
骨格からして違いまして、バサマは若いころ「インドネシア人」と
いわれていたそーで、一方私は馬面の父に、長さだけは似なかったのですが、
寸づまりの馬…ポニーかい…。藤田まことを見ると、なぜか親近感が…。
母はオシャレなひとで、いっとき「黒か紺に白い水玉」という服にこりました。
これも紺地に白い水玉のワンピースで、下はきれいな細かいプリーツ、
後年わたしのところに来ましたが、すでに後ろのフアスナーが…
あがんなかったっての。
母に反発気味だった私でしたから、アタシは水玉なんてオコチャマ柄着ないわよ…
といっていたはずだったのに、すぐそばにこんな写真が…。
昭和50年ころかと思いますが、着てるじゃん…。
これは学校で開催された同窓会、同期の友人と懐かしい教室で撮りました。
この服はお手製です。紺地に白い水玉、おんなじやんか…。
ワンピではなく、ブラウスとひざ下15センチくらいのパンツ、
わかりにくいのですが、パンツの両脇に大きなフリルが入っています。
このパンツは洋裁の本でみつけてどうしても作りたくて、
同窓会の前日深夜までかかって縫ったもの。
ブラウスはテキトウに合わせて作りました。
それで私にしては珍しくも、パンツと同じようにフリルが入っています。
出来上がりを想定して、縫うよりさきに白いベルトを探して買ったという、
みょーな思い出のある服です。
このパンツがねぇ大好きで、大事にとってあったのに、
どこかへいっちゃったんです。
絵で書くとこんなです。
実際には、フリルをきれいにだすためにハリのない生地で作りますので、
こんなに魚のヒレみたいにピンとはしません。
写真で見るように、たたまれておとなしくなりますが、歩くとひらひらと…。
最後はもーっと古い写真です。
右側が「馬面の実父」…やっぱ馬に乗ってる。
字もついでに入れました、昭和6年、父24歳のころです。
まだ母と出会う前ですね。
父は戦前東京都港区にあった「官立東京高等工藝学校」、
今の千葉大の工学部の前身だとか、そこに通っていたそうです。
元々スポーツ万能だったのに胸を病んで、結局は憧れの海軍にも
はいれなかったということですが、なんで馬に乗っているのか…不明です。
乗馬は得意だったようで、私が子供のころに
「大きくなったら乗馬をやりなさい、馬はいいよぉ」といってました。
そばで母が「身内みたいなもんやしなぁ」とまぜっかえしてましたが、
乗馬なんぞやるおウチじゃございませんで…、
大人になってからせめてと思って競馬はやってみましたが…?!
その父の趣味がカメラで、私をとる以外は風景写真が多いように思います。
こちらはたぶん「中津川渓谷」今でもこんな建物ありますかね。
こちらは知ってる人は知ってるむかーしの「横浜駅西口5番街」近くです。
上にわずかにアーケードが見えています。
このアーケードを知っていたら、そうとうヨコハマでは古いですよー。
さて、思い出にひたってばかりいるわけにもいきませんで、
これからまたお仕事です。
外は雨、ほんとにもう梅雨に入ったような空模様、今日も寒いです。
皆様体調におきをつけて。
全く似ておられませんね。
うちも母親は丸顔なのに私は面長で父親の
方に似ているそうです。
丸顔は若く見られるのかなぁ・・・
先日、2つ上の姉と京都に行った時も
私の方が姉に見られてしまいました。
いつもの事ですから、慣れてはいますが、
たまには若く見られたいものです。
とんぼ様も かなりのお美しさなのでは?
黒か紺に水玉って オードリー・ヘップバーンとか、ジバンシーを思い出します。究極のお洒落という感じです。フリル付きのお洋服もすてきです。不肖ワタクシも、芦田淳のドレス(イメルダ婦人のような袖に、チューリップ、ペプラム裾)がどうしても欲しかったのに、バイクか軽自動車が買える値段だったので、生地と舶来釦を使って縫いました。
金魚のようなパンツですね。
水玉+フリル・・・私はジプシーのイメージです。
フラメンコの衣装とか。
それにしても、白いベルトのお腰の細くて素敵なこと!
そっちについ目が行ってしまいました。
ナイロンが出始めで ゴーズのぺチコートをつけていましたよ。
結婚してからは 入学式 卒業式の絵羽織です。
お母様の時代の流行 しのばれます。
私の中のお母さんはまさにこの写真の人です!
とんぼちゃんだってそっくりだったよ!
えっ?今は面影ないの?
同級生とのツーショットは違う人のようです。
五番街も懐かしいねぇ~♪
それにしても毎度思うこと、よくこんな写真があったね!
で、昔の人は字が上手だったよね。
早く会いたいワン♪
女の子は男親に似るっていいますよね。
私は「幼稚」なタイプの顔なので、
無過失からキリツとした女優さんに
あこがれました。
ないものねだりですねーー。
zizi様
母の年齢だと、ハーフなんて言葉はなく、
「あいの子」といじめられたそうです。
イメルダ・スリーブありゃいいですね。
それにしても、化繊つかってても
有名な「お名前」がつくと、
どうしてああも、高くなりますかねぇ。
茶ノ葉様
ほんとこれで赤地に黒の水玉なら、
ジプシーですね。それもいいなぁ(コラコラ)
腰が細かったのは、このあと10年ちょっと。
今このベルトしたら、たぶん「トドカナイ」
穴熊の女房様
覚えています、ゴワゴワのペチコート。
赤いチェツクのスカートがありました。
懐かしいですね。
母の「水玉」服は、ことごとく私のところに
きましたが、着ないまま(着られないまま)、
今に至っています。もったいない。
今は「私も」見る影ありまへんがな。
バサマは、体型がずーっとかわらないという
見事なひとでしたが、今はやせすぎ。
実父がアマの写真家だったので、
やまほど古い写真があります。
いろいろ説明のある写真もあるんだけど、
達筆すぎてよめないんだよぉ。
会うときには古い写真、もっていこうかな。