またしても時間不足で予定記事が仕上がらず、お詫びにおもしろハギレを…。
千社札や短冊も、和服の裏地やじゅばんにはよく使われるものです。
勘亭流の文字や相撲文字など、らしい雰囲気のものもいいですが、絵をつかったた「判じ物」や、
ただもう美しいもの、季節をあらわすものなどいろいろです。
で…、こりゃなんだ…の判じ物。ざっと見て、とりあえず「芝居系」、そこまではわかったのですが。
歌舞伎に詳しいなら、すぐわかる…のでしょうが、残念ながら底の浅い知識しか持ち合わせませんので、
いくらクビをひねっても、あぁあれか…というのがありません。
詳しい方、わかったら教えてくださいまし。
ひとつだけ「…だよね」というのはこれ。
櫛とこうもり…とくれば「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」、切られ与三郎とお富さんですね。
こうもりは、与三のワル仲間「こうもり安」。これはあってると思います。
また話はヨレますが、春日八郎さんの「お富さん」という歌。母がよく口ずさんでいまして…
「♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪…えっさおぉ源氏店」
聞き覚えですっかり覚えたのですが、意味がさーっぱりわからない。
耳で聞いてるだけですから「みこしのまつ」といわれると、なんでおみこしに松がついてるのだろ、とか
「げんやだなー」とくると、げんがヤダーって、何がいやなんだろとか。
お富さんというお芝居のことを知ったのは、少し大きくなってからで、やっと言葉の意味もわかったというしだい。
でも、今のヒトだと子供でなくともわからないかもですねぇ。
ちなみに「源氏店」は「源冶店」ともかかれますが、元は「玄冶店」。お芝居では実地名を出さずにかえてあります。
玄冶(げんや)というのは幕府の医官の名前、身分高いヒトのための医療専門職なのでお屋敷も拝領していました。
その「玄冶ドクター」の屋敷跡の場所の呼び方で、今の日本橋人形町付近だそうです。
お芝居関係のヒトがたくさん住んでいたとか。
そういえば、昔は「どこそこのだれだれ」という呼び方、しましたねぇ。
落語家八代目桂文楽は「黒門町の師匠」なんて粋な呼ばれ方をしていました。
その後「住居表示変更で、粋な町名がなくなっちまいましてねぇ。
黒門町の師匠なんざアータ、いまや『上野一丁目の師匠』なんてね」…そんな落語もききましたっけ。
あのスカイツリーの最寄駅も「業平橋」から「とうきょうスカイツリー駅」になっちまいましたね。
地名って、変えないほうがいいと思うところもたくさんあります。
京都には「天使突抜」という通りがありますが、永久に変えてほしくないですね。
さてさて、ずいぶんヨレて脱線しました。
もう一枚、こちらはトランプ柄。正絹のものを長年探していますが、これっと思うものになかなか出会いません。
これは木綿です。じゅばんだったらしいですが、男の子の着物だったりしても、かわいいと思いますね。
ちょうど着物を腰でちょん切った状態で、下の分があります。作り帯ならいけそうですが…。
またまた妄想炸裂の前に、ちっとずつ目の前のお仕事をかたづけねば…。
さっ今日は今頃になってお風呂洗いなんですー。はよせねばー。
姉がよく歌っていましたが、私もまったく
意味分からず聞き覚えしていました。
こうもりと櫛で与三郎とお富さん、勉強に
なりました。
*死んだはずだよお富さん* と歌うと
母親に怒られていたという我が家の旦那様
何故かというと 隣に住んでいた 母親の義妹が
登美子さんという名の お富さん
やっぱり 悪ガキだった
「め組の喧嘩」 かしら
恵さんが書かれている「め組の喧嘩」(纏とそろばん玉)のものは確かうちにあったような・・・・
最上段の一番下は杯にマサカリ、源氏香は関屋(九月)と帚木(五、六月)のようですが、何でしょうねぇ?
もう、こういうものをスパッと判る方もいなくなってるんでしょうねぇ。
淋しいですわ。
最後のトランプは木綿ですか!
面白い艶があるように見えます~。
親や年上のヒトが歌っていたものって、覚えてますよね。
私も母の愛唱歌は耳についてます。
「花も嵐も踏み越えてー」とか。
判じ物は難しいですが、わかると楽しいです~。
おやおや、そんな「おこさま」だったのですね。
いや、そりゃしかられるでしょうけれど。ははは!
「め組みの喧嘩」、えっと「神明…ナントカ」でしたっけ。
そうですね。ぴったりです。
今でも京都に行くと、こういうぽち袋売ってますね。
意味がわかったら、それなりのものを選んだり、楽しいでしょうねぇ。
「め組みの喧嘩」は、そのとおりだと思います。
「杯にまさかり」は、先日金太郎を書いたせいか、
「酒呑童子」退治の金太郎…?なんて思ってました。
源氏香がどうにも…です。
このトランプ柄は、グレーの部分が写真だとすごくいい陰影に撮れてます。
実際はもっと平面的なんですけどね。
まず解いて洗ってみます。