ほんとうは自分で締めるか、加工しよう…と入手したのですが、
どうやら時間もないし…で、どなたかにご利用いただけたらと思って、
販売することにしたのですが…。
昔の帯にはよくみかけるのですが、いたんだところをカットしたり、
もう少し使えなくなると「作り帯」にしたり、
更にはいいとこ取りして、ほかの帯とあわせて一本の帯にしたり…。
とにかく「とことん使う」という思いを感じます。
この帯HPにだしますが、長さが胴に巻く部分が225センチしかありません。
傷んだところを切って縮めたようすです。
胴に一まきでなんとか…。帯の途中にわざわざポケットを作りつけたりして、
便利にできているんですが…。
柄もとても「くらしっく」…、確かに時代を経たくすみ感やヨレ感は
どうしてもあるのですが、大きなダメージはありません。
古着の「不思議」でして、ここまで古いと「あんちーく」ということで、
ここ20年くらいの帯より高くなっちゃいます。
うまく作り帯にしたら、ちょっとない「帯」になりますね。
さて、本日のおまけ。
子供のころの写真です。3歳から18歳まで暮らした市営住宅の道。
みごとに「ふつーの土の道」ですー。この坂道を下った右あたりに
私の家がありました。C-35、番号も覚えていましたわ。
今はすっかり、美しいメゾネットタイプの建物に立て替わったと聞いています。
手前のチェックのスカートが私です。
電信柱は「黒い木」で低いし、第一今のように数がありませんね。
ところで、ずーっとうしろ、右側にかすかーに写っているもの、
「富士山」です。このころは高い建物がありませんでしたから、
どこからでもよく見えましたね。
わが町のみっつある商店街のひとつは「富士見」の名前がついています。
すでにビルばかり増えて、「富士不見」の場所が多いですが…。
50年以上前の写真です。
私の近くにお住まいのかた、住宅地の向こう側の雑木林、
この林の向かって左の角が、柏尾道路と鎌倉みちの交差点、
今「藍や」があるあたり、なんですよー。
この雑木林は中学になる前には、もうすっかり木が切り倒されて、
ただのだだっぴろーい原っぱになってました。
この写真の頃は、50を過ぎてもとの町(元よりははなれちゃってますが)に
戻ってきて、こんなふうに今も家の軒先に「富士山」を見ながら暮らす、
なんて考えていませんでした。(あたりまえじゃ!)
さえぎるもののない空に、大きな富士山がどこからでも眺められたシアワセ、
土の道で、晴れた日は石ころけりながら、雨の日は水溜りをわたりながら、
たくさんの自然の中で暮らしてたシアワセ…そのときは感じませんでした。
せめて子供のころからの土地に戻ってこられたシアワセを、感じなきゃあね。
どうやら時間もないし…で、どなたかにご利用いただけたらと思って、
販売することにしたのですが…。
昔の帯にはよくみかけるのですが、いたんだところをカットしたり、
もう少し使えなくなると「作り帯」にしたり、
更にはいいとこ取りして、ほかの帯とあわせて一本の帯にしたり…。
とにかく「とことん使う」という思いを感じます。
この帯HPにだしますが、長さが胴に巻く部分が225センチしかありません。
傷んだところを切って縮めたようすです。
胴に一まきでなんとか…。帯の途中にわざわざポケットを作りつけたりして、
便利にできているんですが…。
柄もとても「くらしっく」…、確かに時代を経たくすみ感やヨレ感は
どうしてもあるのですが、大きなダメージはありません。
古着の「不思議」でして、ここまで古いと「あんちーく」ということで、
ここ20年くらいの帯より高くなっちゃいます。
うまく作り帯にしたら、ちょっとない「帯」になりますね。
さて、本日のおまけ。
子供のころの写真です。3歳から18歳まで暮らした市営住宅の道。
みごとに「ふつーの土の道」ですー。この坂道を下った右あたりに
私の家がありました。C-35、番号も覚えていましたわ。
今はすっかり、美しいメゾネットタイプの建物に立て替わったと聞いています。
手前のチェックのスカートが私です。
電信柱は「黒い木」で低いし、第一今のように数がありませんね。
ところで、ずーっとうしろ、右側にかすかーに写っているもの、
「富士山」です。このころは高い建物がありませんでしたから、
どこからでもよく見えましたね。
わが町のみっつある商店街のひとつは「富士見」の名前がついています。
すでにビルばかり増えて、「富士不見」の場所が多いですが…。
50年以上前の写真です。
私の近くにお住まいのかた、住宅地の向こう側の雑木林、
この林の向かって左の角が、柏尾道路と鎌倉みちの交差点、
今「藍や」があるあたり、なんですよー。
この雑木林は中学になる前には、もうすっかり木が切り倒されて、
ただのだだっぴろーい原っぱになってました。
この写真の頃は、50を過ぎてもとの町(元よりははなれちゃってますが)に
戻ってきて、こんなふうに今も家の軒先に「富士山」を見ながら暮らす、
なんて考えていませんでした。(あたりまえじゃ!)
さえぎるもののない空に、大きな富士山がどこからでも眺められたシアワセ、
土の道で、晴れた日は石ころけりながら、雨の日は水溜りをわたりながら、
たくさんの自然の中で暮らしてたシアワセ…そのときは感じませんでした。
せめて子供のころからの土地に戻ってこられたシアワセを、感じなきゃあね。
そうそう、よく飛行機が飛び立ってましたよね。
今じゃ音ばっかりです。
こちらへきてすぐくらいでしたか、
ここへ行きました。まだ住んでいる人が
わずかに残っていて、そのままの家がありました。
最後の住人、ということで、すでに退去している家は
壊されてなくなっていましてね。
歯抜け状態に、ポツリポツリと残っているのを見て
なんか寂しかったです。
「かわいかった?」過去形?今だって…ムリか!
かつさんは、中学で再会したとき、
背が高くて、すんごいかっこよくなってて、
実はビックリしてたんだよー!
見たことないかもしれませんが、厚木飛行場の
飛行機も富士山の下あたりに見えました。
当時は、今より寒く早くに雪化粧したようにおもいます。
本当に綺麗でした。
とんぼさんは可愛かったな~
今は?知りません
物心ついたときから毎日のように見てましたから、
千葉に嫁いで三度目の引越しで、はるか遠くに
富士山が見えたときは、ほんとにうれしかったです。
今の家は、物干し台の軒下なんです。
それも電線やアンテナにじゃまされて、
すっきりは見えないのですが、
それでもなんかホッとしますね。
不思議なものです。
すぐそばにあるわけではないのに。
陽花様
何か「ずっと身近にあってみてきた山」というのは
自分のものではないけれど「ふるさと」なんですね。
「綿向山」、なんか由来のありそうな名前だなーと
検索したら「綿向山を愛する会」のHPを
見つけました。
http://www.eonet.ne.jp/~wak/
なんていうのか、すぐそばに人の暮らしのある、
懐っこい山ですね、登ってみたいですー。
富士山は車でいける五合目まででいいけど…。
蝸牛様
見えるところで育ったものには、
そういう思いがあるのかもしれません。
私も新幹線で西に旅をすると、
車窓の富士山がひとつのポイントで、
行きは「さぁ、いってきまーす」、
帰りは「帰ってきましたよー」という気分です。
お風呂から見える…そりゃたいへんなゼータクだわ、
うらやましい~。
岐阜から東京の実家に向かって車を走らせて、富士山が見えると、とっても嬉しいです。
姉夫婦が三島に住んでいて・・家を建てるのに、お風呂に入って富士山が見える・・を考えて設計を頼んだとか・・・
いいですね~私がいちばん身近に
感じる山は実家の近くの綿向山です。
やはりいつも知らず知らずに見て
いたからなんでしょうね。
富士山の見えるところで生活できると言うのは私のできない憧れですね。