コロナやウクライナで、なんだか忘れそうになってますが、3.11、あの日です。
あれ以来、防災の意識はけっこう高いまま暮らしています。
最近は、いままであまり聞かなかった地域での地震が報道されて、やっぱり不安になります。
11年目、TV番組もいろいろ特集をやっています。
子供だった被災者がすっかり大人になったり、家族を失くしてそれでも頑張っていた壮年期の人は、
髪に白いものが混じる年齢になっていたり…でも彼らが広げて見入る「家族」の写真の中の人たちは、
あの時から年を止めて、まだ子供のまま、まだ年頃のまま、まだ働き盛りのままの姿で微笑んでいます。
思えば私もまた11歳、歳を取ったということです。私にとってもいろいろあった11年でした。
母を送り、主人を送り、家族が減りました。それでも、どこで亡くなったかわからない、遺体も上がらない
そんな心を引きちぎられるような悲しみではありませんでした。
それは幸いなこと…と思わなければ、犠牲者の方々に申し訳ないと思っています。
先日、似顔絵からの捜索にずっと携わっている人のリポートがありました。
あれこれ工夫をして、顔ではなく「当時着ていた服」で、身元が判明した人もいました。
当時、似顔絵を描こうにもご遺体の損傷がひどくて、特徴をつかみきれなかったりしたとき、
わかる限りの「色のついた衣服やマフラー」などを描き加えたことによるものでした。
あまりに長い時間が過ぎてもう遺骨になっていたり、ほんの小さな骨のかけらであったり…。
それでも「家族」とわかれば、しっかりと抱えて引き取っていかれます。
みんなきっと「おかえりなさい。やっとうちに帰れますね」と言っているのでしょう。
そんな別れは経験したものでなければ分かりません。
逝った人も遺った人も、どんなに長い11年だったことでしょう。
まだ復興も道半ばです。
風化することが恐ろしい、と、ずっと発信をする方も多いです。
私は小さな地震があっても(横浜は地震がけっこう多いですから)、しっかり身構えて扉を開けたり
ストーブ消したりと、けっこうまだまだ「敏感」になっています。
たくさんの犠牲者の方々、たくさんの被災者の方々が教えてくれた
「災害」を甘く見ないことということ、ともすれば人は「のど元過ぎれば」で忘れてしまうことの危うさ、
そして必ず「その時」に持ってしまう「正常性バイアス」という厄介な感情に気を付けること。
それをちゃんと考えていなければと思っています。
今、ちょっと体調がすっきりしませんので、恒例の「非常食チェック」とか「持ち物チェック」は
できていません。でもこればっかりは、決していつもの「ま、いっか」では
済まさないこと、と思っています。
最近のキャンプ・ブームのおかげで、非常時にも使えるキャンプ用品ををいろいろ見つけました。
この前は「火おこしのための道具」を買いそろえました。
いつも思っています。防災とか防犯とかの用品や道具は、それが使われないことが一番であると。
使わなくて済みますように、と願いつつやっと暖かくなるそうですから、荷物チェックをしようと思っています。
今日は、この前の「~退散」のお線香ではなく、以前いただいた香りのいいお線香を焚いて、
あの日をしっかり思い出して過ごしました。
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