ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

3.11です。

2022-03-11 19:28:56 | つれづれ

 

コロナやウクライナで、なんだか忘れそうになってますが、3.11、あの日です。

あれ以来、防災の意識はけっこう高いまま暮らしています。

最近は、いままであまり聞かなかった地域での地震が報道されて、やっぱり不安になります。

 

11年目、TV番組もいろいろ特集をやっています。

子供だった被災者がすっかり大人になったり、家族を失くしてそれでも頑張っていた壮年期の人は、

髪に白いものが混じる年齢になっていたり…でも彼らが広げて見入る「家族」の写真の中の人たちは、

あの時から年を止めて、まだ子供のまま、まだ年頃のまま、まだ働き盛りのままの姿で微笑んでいます。

思えば私もまた11歳、歳を取ったということです。私にとってもいろいろあった11年でした。

母を送り、主人を送り、家族が減りました。それでも、どこで亡くなったかわからない、遺体も上がらない

そんな心を引きちぎられるような悲しみではありませんでした。

それは幸いなこと…と思わなければ、犠牲者の方々に申し訳ないと思っています。

 

先日、似顔絵からの捜索にずっと携わっている人のリポートがありました。

あれこれ工夫をして、顔ではなく「当時着ていた服」で、身元が判明した人もいました。

当時、似顔絵を描こうにもご遺体の損傷がひどくて、特徴をつかみきれなかったりしたとき、

わかる限りの「色のついた衣服やマフラー」などを描き加えたことによるものでした。

あまりに長い時間が過ぎてもう遺骨になっていたり、ほんの小さな骨のかけらであったり…。

それでも「家族」とわかれば、しっかりと抱えて引き取っていかれます。

みんなきっと「おかえりなさい。やっとうちに帰れますね」と言っているのでしょう。

そんな別れは経験したものでなければ分かりません。

逝った人も遺った人も、どんなに長い11年だったことでしょう。

まだ復興も道半ばです。

風化することが恐ろしい、と、ずっと発信をする方も多いです。

私は小さな地震があっても(横浜は地震がけっこう多いですから)、しっかり身構えて扉を開けたり

ストーブ消したりと、けっこうまだまだ「敏感」になっています。

たくさんの犠牲者の方々、たくさんの被災者の方々が教えてくれた

「災害」を甘く見ないことということ、ともすれば人は「のど元過ぎれば」で忘れてしまうことの危うさ、

そして必ず「その時」に持ってしまう「正常性バイアス」という厄介な感情に気を付けること。

それをちゃんと考えていなければと思っています。

今、ちょっと体調がすっきりしませんので、恒例の「非常食チェック」とか「持ち物チェック」は

できていません。でもこればっかりは、決していつもの「ま、いっか」では

済まさないこと、と思っています。

最近のキャンプ・ブームのおかげで、非常時にも使えるキャンプ用品ををいろいろ見つけました。

この前は「火おこしのための道具」を買いそろえました。

いつも思っています。防災とか防犯とかの用品や道具は、それが使われないことが一番であると。

使わなくて済みますように、と願いつつやっと暖かくなるそうですから、荷物チェックをしようと思っています。

今日は、この前の「~退散」のお線香ではなく、以前いただいた香りのいいお線香を焚いて、

あの日をしっかり思い出して過ごしました。

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