こちらは錦紗、男物の長襦袢だったと思われます。
なにしろ袖一枚分しかないもので、推測の域をでませんが、
連続柄で、これで着物ということはないと思うので・・・。
実は下の方「見越しの松」は、実際にはさかさまに染められています。
折りたたんで同じ向きに並ぶようにしてみました。
つまりこの「道行く人々」の図柄の間に、この松ともうひとつ
別の松の図柄がさかさまに挟まって連続している・・というわけです。
花街の一角、店の前にいる二人は遊女でしょう。
江戸時代、この職業の女性は元禄ころより後ろでの帯結びが一般的になっても
前結びをしていました。実際前で結んだほうが華やかではありますね。
ちなみに太夫格の「花魁」が締めている大きな前帯、
あの化粧回しのしんせきみたいなあれは「まな板」と呼ばれて、
実は結んでいるのではなくあとからのっけた「付け帯」です。
道の右側にいるのは「新内」でしょうか、今でいう「流し」ですね。
左は同じように月代に折り手ぬぐいをのせ、パッチもはいているようですから
瓦版とか、そういうシゴトの人かな・・と思います。
ちょっと脱線しまして「手ぬぐい」などのかぶりもの・・のお話し。
かぶる前にまずアタマですが、月代(さかやき)というのは
元々は武士が戦場で兜をかぶるとき、まず安定をよくすると同時に、
非常に通気性が悪かったので、頭がボ~~ッとしないように、いえこれホント、
兜のてっぺんがあたるところを丸く剃ったわけです。
武家の男子の「元服」は、前髪を切り月代を剃ることで、
「今日からはいつでも兜をかぶり、戦に出られる」ということの証しでした。
これがつまりは「男として子供から大人になった」という儀式として
兜にはハナっから用のない庶民の男の子でも、月代を剃るのが大人の印に
なっていったわけです。役者で「女形」をやるものはこの月代に
「紫帽子」と呼ばれる紫ちりめんの布をのせて隠しました。
元々歌舞伎は「出雲の阿国」が始めたといわれていますが、
このときは少女と男装の阿国が、せくしーな舞台を見せたことで女性の役者は
禁止になりました。そこで男女入り混じった芝居ができなくなり、
しかたなく「美少年」をつれてきて「女」の役をやらせるようになったのですが
今度はその「少年」ってのがイケナイ・・といわれた。
で、全員が月代剃った「成人男子」ということになり・・・ムサイわなぁ・・。
男ばかりなので「野郎歌舞伎」と呼ばれました。
そこで、舞台で口上を述べる時「ムサい男ばかりで申し訳わけござりませぬが
一生懸命、あい勤めまするぅ、なにとぞご勘弁をぉ・・」とせめて
ツルツルの月代に紫ちりめんをのせ銀かんざしでマゲにとめつけたのが始まり。
以来女形の役者はこれをしてました。
ちなみに、女形は「オカマ」さんではありません。普段の立ち居振る舞いも
女性っぽくはありましたが、それは職業意識というもの。
それゆえ、お引きずりの晴れ着を着てご贔屓様にご挨拶に行く時も、
「男」ですから「羽織」を着たのです。
何かを読み取ろうと 必死に眺める自分がいる事に驚いています。とんぼさんの影響でしょう。
時代劇の撮影に使われるセットには、ノレンが重要な背景にもなります。無味な街の中で、風に吹かれるノレンは、その時の情景を伝えられるのです。
しかしこの描かれたノレンの大きい事(笑)なに屋さんなんでしょうか?