「楠正行」です。これは男物の羽裏(羽織のウラ)です。
「楠正行」、とわかった理由は右上隅の四角の中の歌でした。
あまりにも達筆なのでエラい苦労しましたが「かえらじと」と「梓弓」
それに「名をぞ・・」のあっちこっちちょっとずつを読んで
うろ覚えの記憶の引き出しを引っ掻き回し、やっと「あぁそうか」と。
「かえらじと かねて思えば 梓弓 なき数にいる 名をぞ留むる」です。
もう兜の緒も切れ、それを楯代わりにして突き進む彼の腕には
ケガもあり、よろいにも矢が突き刺さっています。写真では見えませんが
右手の刀は刃こぼれしているところまで描かれています。(芸が細かい!)
辞世の歌もあるとなれば、これは四条畷の戦いの図。
あれれ、そうなるともう23歳、月代が・・この時代はまだ剃らなかった??
いや、この絵で月代は美的に許せない・・こっちだゼッタイ!(勝手解釈デス)
残念ながら、時が絵を少し褪色させてしまって、矢の絵柄が羽だけ残して
地色と同化してしまっているので、そこだけ染め直しが必要です。
羽織本体は、もう肩先など擦り切れていました。ウラだけでも
良く残ってくれたと思います。解いて修正してもらって使う予定です。
それにしても、前日のじゅばんといい、この羽裏といい、
とにかく昔は「見えないところのおしゃれ」にスキがないですね。
シゴトで御客様から「いい羽裏があったら」とリクエストされるのですが
御客様はそれをジャンパーの背中に貼り付けたり、ブラウスにしたり・・と
使われるのだそうです。私は洋物は、やっていませんので「なーるほど」と
感心するばかりですが、実は探すのがタイヘンです。
できれば「緞子」のを、と頼まれますが、緞子になるとなおさらありません。
柄も山水画とか、お茶道具、宝船、七福神といった図柄は比較的多いですが、
「これはちょっとかわってる・・」というのはなかなか・・・。
この前「ライオン」の図柄のを手に入れました。スフィンクスのようなスタイルで
横を向いている半身が描かれていますが、ド迫力です。
もうなくなる一方の、こういった羽裏やじゅばんを
これからも探していくつもりです。
えーおまけのオハナシですが、この楠正行の子孫は都落ちして
「甲斐庄」と名乗りました。
子孫の一人が「甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)」です。
奇才・・といえるんでしょうか、
己の信ずるところを突き進んだ・・という点では、
ご先祖様の血をしっかり受け継いでいた、といえるんじゃないかなと、
そんな風に思いました。でも・・でもカレの絵はコワイ・・。
SP盤レコードは我が家にはあまり残っていません。私がマンガのソノシートを聴くようになった頃には78回転はプレイヤーに装備されていたものの、一般的にはもう45回転か33・3/1が主流になっていたようです。ちなみにパティ・ペイジは『テネシーワルツ』の原曲を歌っていたカントリーウエスタンの歌手ではないですか?江利チエミさんが日本語で歌っていたアレです。
楠公さんは神戸で戦死して、湊川神社に祭られているので、こちらでも馴染みがあります。中学生の頃「虎は死して皮を留むこと豈偶然ならんや・・・」なんぞという漢詩を訳さされたことがありました。ところで、四条繩手て昔はこんな字をあてていたのですか?知りませんでした。今の地名では四条畷と表記されます。
ありがとうございました。
まったく気がつきませんでした。
京都の方は「四条繩手」ですよね。
それを見慣れていたせいか、変換して
「繩手」とでても違和感なくて・・。
やつぱりきちんと調べなアカン!
さっそく訂正致しました。
おっしゃる通り、単に「物持ち」がいい
という家でして・・・。
残念ながらひとつとして骨董的価値の
あるものはなく「ナントカ探偵団」にも
だしようがないという・・・。
まぁ本人にとっては「お宝」なんで
それで満足していますが、
私自身は両親が「こんなのでてきた」と
何か持ってくるたびに「カンベンしてよぉ」と思っています。実家には、母の実家が
わらぶき屋根の家を壊すことになった時
トラックで行って持ち帰った火鉢だの
天秤ばかりだの柱時計に石臼だの・・
古道具が一杯です。嫌いじゃないんですけど
現在我が家はシゴト用の古着と、
マンガの山でして、何か持ってこられると
こまるんですー。