寒くなりましたねぇ、おでんがおいしい季節です。
こんな大根を厚く切ってコトコト煮て・・デザートは柿?
これはじゅばんでした。けっこうシボの大きいちりめんです。
昔は着物としてきたあとじゅばんに作り直すということは、
当たり前のように行われてきたことですが、さすがにこの柄は
着物とはおもえないんですが・・。
でもけっこう「粋」に着こなしていたりして・・。
こういうおもしろい柄は、何回も書いているとおり最近はあまりありません。
いいと思うんですけどねぇ。
大昔、文様というのは単なる装飾や見映えということよりも、
呪術的な意味で使われました。つまり魔よけとかお守りとか・・。
今でも外国(とつくに)の少数民族などは、子供の額にまじないの模様を描いたり
お祭の時に体中に模様を描き入れて神にささげる踊りを踊ったりしていますね。
日本の場合は中国文化の影響が大きいですから、仏教伝来とともに
そういう文様も入ってきました。もとからある「神道」とあとからきた「仏教」と
両方の文化を日本人はその器用さで、日本独自の文化へ変化させてきたわけです。
貴族はともかく、庶民はそうそう服飾に血道をあげてはいられませんでしたが、
それでも暮らしの中でそれなりに、絞りだの染めだのといろいろと工夫をして
楽しんでいました。その庶民もだんだん華やかなものを作り出すように
なっていきましたが、やはり一番大きく変わっていったのは、
安土桃山時代頃・・。その前から世情は騒がしく、誰が天下をとるのやら、
という時代に入っていくわけですが、南蛮貿易なども始まっていて、
文化という意味でも活発になり始めたころです。着物の色柄だけでなく、
着方や帯の形、結びかた、髪型などがどんどん変化していったのもこの頃です。
この頃の風俗でよく出てくるのが「カブキ」と「バサラ」という言葉。
カブキについては「歌舞伎」の方は出雲の阿国、の話しになりますが
この場合のカブキはそれもひっくるめての「傾き(かぶき)」のこと。
常識や伝統を無視して、華美、自由、大胆・・と、時には「悪目立ち」するほど
ハデに華やかなものを身につけたり、男性が女性のじゅばんや帯を身に付けたり、
そういう人のことを「傾き者(かぶきもの)」といいました。
「バサラ」は「婆沙羅」、婆娑羅とも書きます。意味は同じようなもので、
やはり人とは違うこと、今までとは違うことを服飾の面だけでなく考え方や
生き方にも持ち込んだわけです。時代背景からいって、当時はチカラとアタマが
あれば出世も夢ではない(筆頭が秀吉クン!)という時期ですから、
庶民であれ、武家であれ古い価値観を壊したり、伝統的なものを排除したり
という風潮があったわけですね。大名の中にもそういう方向性を持った
考え方で勇名をはせた人もいて、まんま「バサラ大名」なんていわれました。
バサラは元々は薬師如来を守護する十二神将のひとり「婆沙羅大将」です。
ちょっと調べましたら「伐折羅」と書くのが正しいとか・・。
なんかみんなアテ字なんですかねぇ、いろいろあるのは。私にはわかりません。
それとなぜ「バサラ」という名前が使われたのかまでは調べてないのですが、
だいたいこの十二神将の皆様がたが、元を正せば「夜叉」様なわけで
つまりニンゲンじゃない・・。えー、みっつくらいは知ってたんですが、
全部は知らなかったので調べました。漢字はたいへんなのでカタカナで・・、
「クビラ、バサラ、メキラ、アンテラ、アンニラ、サンテラ、インダラ、ハイラ、
マコラ、シンダラ、シャトラ、ビカラ」の12です。クビラは「こんぴら様」ですね
日本中のいろいろなところに彫像とか絵画とか残っておりますが、
どれもにっこり笑ってピース・・なんてのはぜんっぜんありません。
まぁ「護衛」なわけですから、にこやかではお勤めままなりませんが、
ほとんどのばあいリアルであればあるほど「恐い顔つき」や「強そうな姿」です。
新薬師寺のバサラは有名ですが、髪の毛さかだってるわ、目はぎょろむいてるわ
なんか怒鳴ってるように口はあいてるわ、ド迫力ですね。
あーなんとバチあたりな表現を・・神様仏様、ごめんなさいです。
で、思うにこの「ド迫力」というか「激烈」な印象・・ということで
使われたのではないかと・・。じゃクビラだっていいじゃん、って言われたら・・
ごめんなさいっ、わかりませんっ!
だいたい十二神将については、安倍晴明が好きでチラッと調べたときに、
わけわからなくなりまして、いつもどおり途中でやめました。
もともと12あったということで、途中から十二支と結びついたりで、
それぞれの神社仏閣、宗派などによっていろいろ違ったりするのです。
なんかまた脱線しました。で、この華美、大胆、奇抜・・という風潮が
少しずつ形を変えたり、新しいものを生み出したりしながら
江戸時代にドドーッと流れ込んでいくわけです。
世の中ようやく平穏になり、文化も安定して育っていったわけで、
富は富なりに、貧は貧なりに暮らしの中で服飾文化に磨きをかけていきました。
「カブキ・バサラ」の時代に「華美・大胆・奇抜」といわれた色柄が
当たり前の色柄として、更に洗練された意匠で花開いていったんですね。
「昭和元禄」という言葉もありましたが、世情の落ち着きの中で、
文化文明が爛熟していく・・という時期だったわけです。
この頃のそういった文化の中心はあくまで「上方」だったわけですが、
江戸時代も中期・後期と進んでくると、江戸には江戸の文化が育ち、
やがて江戸の「粋」を中心とした文化にかわっていきました。
四十八茶に百ねずみ、或いは「外は地味めで中はハデ」というような
江戸好みといわれるものが中心となって流行ったわけです。
そんな観点から考えると、まだ江戸好みを色濃く残していた
大正や昭和初期なら、やっぱり写真の柄のものは「じゅばん」だったかなと・・。
一枚の着物を見ているだけで、いろいろなことが思い浮かびます
柄の中の一輪の花、一本の大根の後ろには気の遠くなるほどの
着物の歴史がつながっているのだと思うのです。
いやー着物って奥が深いですねぇ。
さぁ、今夜はおでんにしよっかな・・あっ大根・・昨日たべちゃったヨ・・。
よかったら、是非、お越しやす。
母がそちらの出ですから、まぁちっさいころから
いやってほど(いやじゃありませんが)
京都には行ってるのに、清明神社と御所(予約の)
なぜかチャンスがなくて行ってないんです。
「清明さん」は映画やテレビでブームに
なりましたからね。きっとびっくりしてるでしょうね
いつかきっと行きますね。