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お手玉以来、遊ぶお話しばっかしで、すみません…。
写真は、トランプ柄のハンカチです。ところどころに「花札」もはいってます。
トランプというと、結構親子で遊んだ記憶があります。テレビもない時代でしたから。
夕食後に親子三人で「ババ抜き」、なにしろ私が小さくて、難しいものはわかりませんでしたしね。
少し大きくなって「お正月には7並べ」でしたかねぇ。あとは「ダウト」「ページ・ワン」「神経衰弱」…。
そして、母はよく「一人遊び」をしていました。一番よくやっていたのが「クロンダイク」
ウィンドゥズのゲームでは「ソリティア」という名前です。母は「一週間」と呼んでいました。
たいがいは家事が一段落して、私はそろそろおやすみなさいの時間、
母は、まだそのあとあれこれやりましたが、その前にちょっと休憩…という感じでした。
まねして私も時々やるようになったのは、中学生くらいになってからでしたかしら。
この「一週間」つまり「クロンダイク」には、ひとつ強烈な思い出があります。
母はキリのいい人でしたから、やるといっても必ず3回。
クロンダイクは、場札を1枚ずつおく場合と3枚ずつおく場合があります。3枚ずつのほうが「あがりにくい」…。
母はいつも3枚でしたから、なかなかあがらないのですが、あがってもあがらなくても3回まで。
一度であがってしまうと「よっしゃ、今日はもうえぇわ」とやめてました。
テレビが我が家にやってきても、母のこのゲームは続いていたのですが…
私が12歳になるほんの少し前、5年生のおわりですね。
両親が始めた自営業が、やーーっと軌道に載りはじめたかな、のところでした。
体の弱かった父にかわって、外回りの仕事も家事も全部母が引き受けていましたから、
それこそトランプも少しずつ遠ざかり、あまりしなくなっていました。
そんなとき実父が体調が悪い…と言い出し、そのまま倒れて入院し、4ヶ月足らずで他界しました。
告別式が終わり、京都の身内が「とても続けられないだろうから、仕事をたたんで子供つれて京都へ戻ってこい」と
何度も言ってくれましたが、母は「あの人の残した仕事をつぶすわけに行かない」と、一人で踏ん張ったわけです。
母は当時39歳、そのころは何も知らなかった私ですが、大人になれば、なんと女傑であったことかと思います。
50年も前、当時はまだまだ女性蔑視の時代です。
お客さんに会っても、女だからとバカにされたり、信用されなかったり…。
それでも中には「ご主人からきっちり継いでいるのはわかっているから、がんばるんだよ」と、
そんな声をかけてれる人もいて、どれだけ救われたか…なんてことも言ってました。
そんなさなか、たぶん父がなくなって数ヶ月経っていたかと思うのですが…。
夜中にふと眼が覚めると、襖が少しあいていました。そのほんの20センチほどあいたところから、
お膳の前にきっちりすわってトランプをしている母が見えました。
久しぶりの姿に思わず起きだそうとして、ハッとしました。
そのときの母は「今日も3回勝負やぁ」とにこやかにやっていた母とはまったく別人のように、
能面のような表情のない顔、というより、口をきつく結び、カードを睨みつけている少し怖い顔でした。
こちら側が暗かったので、母は私が眼を覚ましたことに気がついていないようす、
私は声をかけそびれ、枕の上にあごを乗せて黙って見ていました。
夜更けの音のない部屋に、母がトランプをシャッシャッと切る音と、パシッパシッとカードをおいていく音が響き、
母の眼はカードを追っていましたが、ニコリともしません。
あがっているのかいないのか、母はザザッとかき寄せるとまたシャッシャッと切り、パシッパシッとおいてゆく…。
これをただ繰り返していました。
ふいに、母の目じりから涙がこぼれたように見えてハッとしました。
母はトランプを持ったままの握りこぶしで、グイッとそれを拭くと、ゲームを続けました。
朝になって布団の中で、子供心に「夕べのことは聞いちゃいけない」と思ったものです。
起きていくと、母はいつもの母で「はよごはん食べや」と…。私もいつものとおりガッコに行きました。
結局、私はこのときのことを、母が亡くなるまで聞いて確かめることはありませんでした。
あの時何があったのか…子供のころはわかりませんでしたが、大人になれば大方の予想はつきます。
仕事の上でしんどいことがあったのだろうし、これから先への不安に押しつぶされそうにもなっていただろうし、
後年「一番しんどいときは、お前と心中しよかと思ったこともあった」と、笑っていました。
父方の身内は横浜にいましたが、決して母にやさしくはありませんでした。
これも後年聞いたことですが、父のお通夜に「実はお金を貸していた」と身内の一人に言われ、
母が聞いてない、という前に「身内だから借用書もないけど、ほんとだから」と。
亡父は母に借金を隠すようなことはない人で、母は、借りていないはずのお金を毎月少しずつ、その人に返し続けました。
しかし、それを言った本人は、数ヵ月たって亡くなったんですけどね。(きっと父が怒ったんじゃ!?)
同居はしていませんでしたが、祖母は冷たい人で、たまに行くと私の前でもあからさまに母をいじめました。
そんなこんなを、かばう人も助ける人もない中で、私を抱え踏ん張っていたわけです。
大人になって「あの時母は、何かに怒り、悲しみ、悔しがり、それら全てを畳み込み、押しつぶし、吹っ切ったのだろう」
そんな風に思いました。その後少しずつゆとりも出てきて、再び食後にトランプを手にするようになった母は、
元の「3回勝負やぁ」の母に戻っていました。
今、時々息子につきあって起きている深夜に、パソコンの「ソリティア」をします。
何もしなくてもクリックひとつでカードはきれいに配られ、クリックひとつで場札も変わります。
やってる私は「能面」には程遠く、寝不足たぬきの顔で「ふわぁぁ~」と、あくびしながらです。
ふと、あのときの母を思い出して「おかーちゃん、こないしてラクーに『一週間』してるで。
しあわせやから、心配せんといてな」と、つぶやいてみたりしています。
それにしても…なんでこうスンナリあがらんのじゃっ!赤の5、出んかいっ…毎度こんなですが…。
ほんとにそうですよね。ちょっと強さが違います。自分も結婚してから、
40前に後家さんになった母は、どれほどつらかったろうと思い、ほんとに切なかったです。
幸いにも再縁がありましたけれどいつだったかポツンと「そうはいっても、一番大変だったときの思い出を、
共有できる人がいない」って言いました。
怒涛のような人生だったんだろうと、今になっても思います。
ソリティア、時間つぶしや気分転換にはいいでしょう?なかなかあがれませんけど。
場札を1枚ずつにすると、結構気持ちよく上がります。
スパイダーソリティアと交互にやると、アタマ混乱する私です。
あまり難しくなくて、できなくても腹立たなくて…。
さすがに長くされているものって、そういう利点があるんですね。
ぼーっとする、何かほかの事に集中する…アタマの温度を下げるには、いいものです。
言わず耐えて、自分の感情を殺していましたね。
夜中のソリティアで気持ちの入れ替えをされて
いたのかと思うと切なくなりますね。
私はそのソリティアというゲームのやり方を知らず、
今日孫娘に教えてもらいました。
何もせずに悶々としているとろくなことにならない・・・かもしれないときお勧めです。