ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

遊戯(具)、今日は「トランプ」…

2012-08-11 01:26:40 | 昔の道具・暮らし

 

お手玉以来、遊ぶお話しばっかしで、すみません…。

写真は、トランプ柄のハンカチです。ところどころに「花札」もはいってます。

 

トランプというと、結構親子で遊んだ記憶があります。テレビもない時代でしたから。

夕食後に親子三人で「ババ抜き」、なにしろ私が小さくて、難しいものはわかりませんでしたしね。

少し大きくなって「お正月には7並べ」でしたかねぇ。あとは「ダウト」「ページ・ワン」「神経衰弱」…。

 

そして、母はよく「一人遊び」をしていました。一番よくやっていたのが「クロンダイク」

ウィンドゥズのゲームでは「ソリティア」という名前です。母は「一週間」と呼んでいました。

たいがいは家事が一段落して、私はそろそろおやすみなさいの時間、

母は、まだそのあとあれこれやりましたが、その前にちょっと休憩…という感じでした。

まねして私も時々やるようになったのは、中学生くらいになってからでしたかしら。

 

この「一週間」つまり「クロンダイク」には、ひとつ強烈な思い出があります。

母はキリのいい人でしたから、やるといっても必ず3回。

クロンダイクは、場札を1枚ずつおく場合と3枚ずつおく場合があります。3枚ずつのほうが「あがりにくい」…。

母はいつも3枚でしたから、なかなかあがらないのですが、あがってもあがらなくても3回まで。

一度であがってしまうと「よっしゃ、今日はもうえぇわ」とやめてました。

テレビが我が家にやってきても、母のこのゲームは続いていたのですが…

私が12歳になるほんの少し前、5年生のおわりですね。

両親が始めた自営業が、やーーっと軌道に載りはじめたかな、のところでした。

体の弱かった父にかわって、外回りの仕事も家事も全部母が引き受けていましたから、

それこそトランプも少しずつ遠ざかり、あまりしなくなっていました。

そんなとき実父が体調が悪い…と言い出し、そのまま倒れて入院し、4ヶ月足らずで他界しました。

告別式が終わり、京都の身内が「とても続けられないだろうから、仕事をたたんで子供つれて京都へ戻ってこい」と

何度も言ってくれましたが、母は「あの人の残した仕事をつぶすわけに行かない」と、一人で踏ん張ったわけです。

母は当時39歳、そのころは何も知らなかった私ですが、大人になれば、なんと女傑であったことかと思います。

50年も前、当時はまだまだ女性蔑視の時代です。

お客さんに会っても、女だからとバカにされたり、信用されなかったり…。

それでも中には「ご主人からきっちり継いでいるのはわかっているから、がんばるんだよ」と、

そんな声をかけてれる人もいて、どれだけ救われたか…なんてことも言ってました。

 

そんなさなか、たぶん父がなくなって数ヶ月経っていたかと思うのですが…。

夜中にふと眼が覚めると、襖が少しあいていました。そのほんの20センチほどあいたところから、

お膳の前にきっちりすわってトランプをしている母が見えました。

久しぶりの姿に思わず起きだそうとして、ハッとしました。

そのときの母は「今日も3回勝負やぁ」とにこやかにやっていた母とはまったく別人のように、

能面のような表情のない顔、というより、口をきつく結び、カードを睨みつけている少し怖い顔でした。

こちら側が暗かったので、母は私が眼を覚ましたことに気がついていないようす、

私は声をかけそびれ、枕の上にあごを乗せて黙って見ていました。

夜更けの音のない部屋に、母がトランプをシャッシャッと切る音と、パシッパシッとカードをおいていく音が響き、

母の眼はカードを追っていましたが、ニコリともしません。

あがっているのかいないのか、母はザザッとかき寄せるとまたシャッシャッと切り、パシッパシッとおいてゆく…。

これをただ繰り返していました。

ふいに、母の目じりから涙がこぼれたように見えてハッとしました。

母はトランプを持ったままの握りこぶしで、グイッとそれを拭くと、ゲームを続けました。

朝になって布団の中で、子供心に「夕べのことは聞いちゃいけない」と思ったものです。

起きていくと、母はいつもの母で「はよごはん食べや」と…。私もいつものとおりガッコに行きました。

 

結局、私はこのときのことを、母が亡くなるまで聞いて確かめることはありませんでした。

あの時何があったのか…子供のころはわかりませんでしたが、大人になれば大方の予想はつきます。

仕事の上でしんどいことがあったのだろうし、これから先への不安に押しつぶされそうにもなっていただろうし、

後年「一番しんどいときは、お前と心中しよかと思ったこともあった」と、笑っていました。

父方の身内は横浜にいましたが、決して母にやさしくはありませんでした。

これも後年聞いたことですが、父のお通夜に「実はお金を貸していた」と身内の一人に言われ、

母が聞いてない、という前に「身内だから借用書もないけど、ほんとだから」と。

亡父は母に借金を隠すようなことはない人で、母は、借りていないはずのお金を毎月少しずつ、その人に返し続けました。

しかし、それを言った本人は、数ヵ月たって亡くなったんですけどね。(きっと父が怒ったんじゃ!?)

同居はしていませんでしたが、祖母は冷たい人で、たまに行くと私の前でもあからさまに母をいじめました。

そんなこんなを、かばう人も助ける人もない中で、私を抱え踏ん張っていたわけです。

大人になって「あの時母は、何かに怒り、悲しみ、悔しがり、それら全てを畳み込み、押しつぶし、吹っ切ったのだろう」

そんな風に思いました。その後少しずつゆとりも出てきて、再び食後にトランプを手にするようになった母は、

元の「3回勝負やぁ」の母に戻っていました。

 

今、時々息子につきあって起きている深夜に、パソコンの「ソリティア」をします。

何もしなくてもクリックひとつでカードはきれいに配られ、クリックひとつで場札も変わります。

やってる私は「能面」には程遠く、寝不足たぬきの顔で「ふわぁぁ~」と、あくびしながらです。

ふと、あのときの母を思い出して「おかーちゃん、こないしてラクーに『一週間』してるで。

しあわせやから、心配せんといてな」と、つぶやいてみたりしています。

それにしても…なんでこうスンナリあがらんのじゃっ!赤の5、出んかいっ…毎度こんなですが…。 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (とんぼ)
2012-08-12 23:41:33
陽花様

ほんとにそうですよね。ちょっと強さが違います。自分も結婚してから、
40前に後家さんになった母は、どれほどつらかったろうと思い、ほんとに切なかったです。
幸いにも再縁がありましたけれどいつだったかポツンと「そうはいっても、一番大変だったときの思い出を、
共有できる人がいない」って言いました。
怒涛のような人生だったんだろうと、今になっても思います。

ソリティア、時間つぶしや気分転換にはいいでしょう?なかなかあがれませんけど。
場札を1枚ずつにすると、結構気持ちよく上がります。
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Unknown (とんぼ)
2012-08-12 23:36:26
りのりの様

スパイダーソリティアと交互にやると、アタマ混乱する私です。
あまり難しくなくて、できなくても腹立たなくて…。
さすがに長くされているものって、そういう利点があるんですね。
ぼーっとする、何かほかの事に集中する…アタマの温度を下げるには、いいものです。
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Unknown (陽花)
2012-08-12 17:17:48
戦争を経験した時代の人は、愚痴も泣き言も
言わず耐えて、自分の感情を殺していましたね。
夜中のソリティアで気持ちの入れ替えをされて
いたのかと思うと切なくなりますね。

私はそのソリティアというゲームのやり方を知らず、
今日孫娘に教えてもらいました。
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Unknown (りのりの)
2012-08-12 02:02:32
私もパソコンのソリティア大好きです。あれはいいですね、疲れているとき、ムシャクシャしているとき、退屈なとき、何も考えずにカードだけに集中していると平静さを取り戻すと言うか。そんな大げさなもんじゃないか・・・
何もせずに悶々としているとろくなことにならない・・・かもしれないときお勧めです。

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