波にツバメの涼しげな夏ちりめんです。
子供が卒業してしまうと、どうも夏休みの感覚が鈍ります。
いやぁ、母親にとっては「夏休み」は過酷ですよね。まして今年はこの暑さ…。
一ヵ月半、がんばってくださいねぇ~~。
と、私はのんきに考えてましたが…ふときがついたら「暑中見舞い」…
なんっの準備もしておりません。母のせいにするつもりはないけれど、
なんだかドタバタしているうちに、どっか吹っ飛んでました。
あわてて今日、何か夏らしい涼しい柄の古布を…と探し出しました。
今年はトップのともう一枚、それに風船カズラと…ですかね。
これをなんとか加工して、形よく使えればいいんですが…。
まにあえばいいんですがねぇ、今から「残暑見舞い」になりそーな予感…コラコラ。
もう一枚はこちらです。
どっちも着物で着たかったですが、入手のときからもう汚れやしみで…。
こういう「夏着物」を着たヒトが、蛇の目や白いレースの日傘をさして、
「お暑ぅございますぅ」とかなんとか言いながら、行きかっていたのでしょう。
そんな時代にタイムスリップしてみたいものです。
さて、本日母の方のお話をひとつ。
血液検査の結果がでてから思っていたのに、昔からの「せんせ」が、
今朝突然電話してきて今日の午後に来てくれたそうです。
母ともたぶん何十年ぶりかの再会のはず。
せんせは「Uせんせ」とおっしゃいます。
Uせんせは「お久しぶりー覚えてるかい」と母の顔をのぞきこんだそうで…。
母は「覚えてますがな、わかりまっせ」と久しぶりに笑顔を見せたとか。
診察のあとでUせんせは「よくないね、だいぶ弱ってる」と…。
もちろんそれは、年をとって、という意味ではありますが、毎日点滴になりました。
実は例のケアマネさんに、今回「初診」のときに医師に会いたい、と頼まれていたので、
急な話でしたが、うまくあわせることができたのだそうです。
その際、Uせんせは「このヒトはね、昔からひどい偏食で小食で、頑固なんだ。
それを踏まえて考えてあげないとね」といってくださり、
そのあといろんなハナシをされてお帰りになったのだそうですが…。
父が「どうでしたか」と聞いたら、ケアマネさんは
「本来なら私たちには見せない書類(検査のデータとか紹介状の内容とか)まで
見せながら説明してくださった。今まであんな先生はいなかった」といったそうです。
そして驚いたのですが、点滴のハナシで、原則毎日だけれど、
当然「医院」にも定休日はありますし、日曜日も祭日もあります。
今はまだ一日くらいあいても大丈夫ですか、いずれほんとに毎日となったときには、
それができるヒトがこなければならないわけです。
それについてUせんせは「そちらのかた(つまりヘルパーさんとか)でいるなら、
点滴についてはそちらにしますか」と聞かれたのだそうです。
ケアマネさんは「こちらには点滴(医療行為)のできるヘルパーさんはいません」
とこたえたそうなのですが、Uせんせは「いないの?区が違うからか?
こっちにはそういう人員もいて、たとえばうちが休みとか、
どうしても時間的に無理な場合は、そういうヒトに頼んでいるよ」と。
ええーっですね。結局、そういうことでは、こちらの周囲ではいないので、
今後点滴については全部Uせんせの指示で、向こうのスタッフで続けることになりました。
そして、入浴については、まともな入浴はまだ無理だから「清拭」という形で、
ヘルパーさんに頼みなさい、とこれは母にも「プロにしてもらわないと、
おとうちゃんばっかり頼ってもきれいにならないから、やってもらわなきゃだめだよ」と
釘を刺してくださったそうで、母は「またヒトがきはるんですかいな」と
不服そうだったようですが、Uせんせのお言葉には、
さすがの母も逆らわなかったそうで…Uせんせ、あなたは偉大ですっ!
そんなわけで、てきぱきと、その清拭の要員の手配をするようにといって
お帰りになられたそうです。
退院して4日目で、あっという間に、今後の対応は全部決定しました。
この速さ、きめの細かさ…。まさか今日初診往診があるとは思っていなかった私は、
父からの電話でびっくりでしたが、二人で「なんか気が抜けたね」…でした。
Uせんせは、私も30年はお会いしてませんが、いつもスポーツ刈りで、がっしりタイプ、
夏にじんべさん着て歩いてると「大工の棟梁」みたいな感じでした。
年はとったけど、ちっとも変わってないそうです。
ありきたりですが「赤ひげ先生」タイプ。
実は…バツイチになる直前、精神的に疲れ果てて体調を崩し、
母に連れられてUせんせのところに行きました。
通常の診察と問診の結果、せんせは私にこういいました。
「これはオレの手にゃおえねぇ。こっち(と言いながら胸のあたりを手のひらで
ぽんぽんとたたいて)の病気だ。大丈夫治る、ちゃんと専門にいけよ」と
言ってくれたのです。それで私は初めて、今の「心療内科」、
当時は「精神科」といったかと思いますが、そこに行きました。
心の病でフラフラで体重も40キロをきってましたが、
はい握力測って…で、30キロありまして…「あんたビョーキじゃない、
今心の中にあるものみんな吐き出しなさい」といわれ、
親にはいえなかった心のうちをだだーっと喋りまくって、涙がぼろぼろでて、
親に甘えなさいといわれて…ケロリと治ったという過去があります。
「医者」というものは、腕だけではだめなのだと、いつも思います。
幸いにも私は、自分でも息子のことでも、いい「先生」にたくさん会うことができました。
記憶に残る、今でもお会いしたいと思う先生は、みんな腕もいいけれど、
ちゃんと患者のことと家族のことを一生懸命、一緒に考えてくれたお医者でした。
母のことは、一時はどうなることかと思いましたが、書類のやりとりや
規則ばかりが先行する中で、あっさりそんなものを吹っ飛ばして、
いろいろ決めてくださった「Uせんせ」に、またお世話になることができて、
ほっとしています。
それにしてもやっぱり「区」が違うと…という現実に驚いています。
だって、隣の区のことなのにこちらのヒト、知らないんですもん。なんなんでしょ、これ。
というわけで、ご自身も85歳のご高齢、先生ご自身もどうかご自愛ください、です。
子供が卒業してしまうと、どうも夏休みの感覚が鈍ります。
いやぁ、母親にとっては「夏休み」は過酷ですよね。まして今年はこの暑さ…。
一ヵ月半、がんばってくださいねぇ~~。
と、私はのんきに考えてましたが…ふときがついたら「暑中見舞い」…
なんっの準備もしておりません。母のせいにするつもりはないけれど、
なんだかドタバタしているうちに、どっか吹っ飛んでました。
あわてて今日、何か夏らしい涼しい柄の古布を…と探し出しました。
今年はトップのともう一枚、それに風船カズラと…ですかね。
これをなんとか加工して、形よく使えればいいんですが…。
まにあえばいいんですがねぇ、今から「残暑見舞い」になりそーな予感…コラコラ。
もう一枚はこちらです。
どっちも着物で着たかったですが、入手のときからもう汚れやしみで…。
こういう「夏着物」を着たヒトが、蛇の目や白いレースの日傘をさして、
「お暑ぅございますぅ」とかなんとか言いながら、行きかっていたのでしょう。
そんな時代にタイムスリップしてみたいものです。
さて、本日母の方のお話をひとつ。
血液検査の結果がでてから思っていたのに、昔からの「せんせ」が、
今朝突然電話してきて今日の午後に来てくれたそうです。
母ともたぶん何十年ぶりかの再会のはず。
せんせは「Uせんせ」とおっしゃいます。
Uせんせは「お久しぶりー覚えてるかい」と母の顔をのぞきこんだそうで…。
母は「覚えてますがな、わかりまっせ」と久しぶりに笑顔を見せたとか。
診察のあとでUせんせは「よくないね、だいぶ弱ってる」と…。
もちろんそれは、年をとって、という意味ではありますが、毎日点滴になりました。
実は例のケアマネさんに、今回「初診」のときに医師に会いたい、と頼まれていたので、
急な話でしたが、うまくあわせることができたのだそうです。
その際、Uせんせは「このヒトはね、昔からひどい偏食で小食で、頑固なんだ。
それを踏まえて考えてあげないとね」といってくださり、
そのあといろんなハナシをされてお帰りになったのだそうですが…。
父が「どうでしたか」と聞いたら、ケアマネさんは
「本来なら私たちには見せない書類(検査のデータとか紹介状の内容とか)まで
見せながら説明してくださった。今まであんな先生はいなかった」といったそうです。
そして驚いたのですが、点滴のハナシで、原則毎日だけれど、
当然「医院」にも定休日はありますし、日曜日も祭日もあります。
今はまだ一日くらいあいても大丈夫ですか、いずれほんとに毎日となったときには、
それができるヒトがこなければならないわけです。
それについてUせんせは「そちらのかた(つまりヘルパーさんとか)でいるなら、
点滴についてはそちらにしますか」と聞かれたのだそうです。
ケアマネさんは「こちらには点滴(医療行為)のできるヘルパーさんはいません」
とこたえたそうなのですが、Uせんせは「いないの?区が違うからか?
こっちにはそういう人員もいて、たとえばうちが休みとか、
どうしても時間的に無理な場合は、そういうヒトに頼んでいるよ」と。
ええーっですね。結局、そういうことでは、こちらの周囲ではいないので、
今後点滴については全部Uせんせの指示で、向こうのスタッフで続けることになりました。
そして、入浴については、まともな入浴はまだ無理だから「清拭」という形で、
ヘルパーさんに頼みなさい、とこれは母にも「プロにしてもらわないと、
おとうちゃんばっかり頼ってもきれいにならないから、やってもらわなきゃだめだよ」と
釘を刺してくださったそうで、母は「またヒトがきはるんですかいな」と
不服そうだったようですが、Uせんせのお言葉には、
さすがの母も逆らわなかったそうで…Uせんせ、あなたは偉大ですっ!
そんなわけで、てきぱきと、その清拭の要員の手配をするようにといって
お帰りになられたそうです。
退院して4日目で、あっという間に、今後の対応は全部決定しました。
この速さ、きめの細かさ…。まさか今日初診往診があるとは思っていなかった私は、
父からの電話でびっくりでしたが、二人で「なんか気が抜けたね」…でした。
Uせんせは、私も30年はお会いしてませんが、いつもスポーツ刈りで、がっしりタイプ、
夏にじんべさん着て歩いてると「大工の棟梁」みたいな感じでした。
年はとったけど、ちっとも変わってないそうです。
ありきたりですが「赤ひげ先生」タイプ。
実は…バツイチになる直前、精神的に疲れ果てて体調を崩し、
母に連れられてUせんせのところに行きました。
通常の診察と問診の結果、せんせは私にこういいました。
「これはオレの手にゃおえねぇ。こっち(と言いながら胸のあたりを手のひらで
ぽんぽんとたたいて)の病気だ。大丈夫治る、ちゃんと専門にいけよ」と
言ってくれたのです。それで私は初めて、今の「心療内科」、
当時は「精神科」といったかと思いますが、そこに行きました。
心の病でフラフラで体重も40キロをきってましたが、
はい握力測って…で、30キロありまして…「あんたビョーキじゃない、
今心の中にあるものみんな吐き出しなさい」といわれ、
親にはいえなかった心のうちをだだーっと喋りまくって、涙がぼろぼろでて、
親に甘えなさいといわれて…ケロリと治ったという過去があります。
「医者」というものは、腕だけではだめなのだと、いつも思います。
幸いにも私は、自分でも息子のことでも、いい「先生」にたくさん会うことができました。
記憶に残る、今でもお会いしたいと思う先生は、みんな腕もいいけれど、
ちゃんと患者のことと家族のことを一生懸命、一緒に考えてくれたお医者でした。
母のことは、一時はどうなることかと思いましたが、書類のやりとりや
規則ばかりが先行する中で、あっさりそんなものを吹っ飛ばして、
いろいろ決めてくださった「Uせんせ」に、またお世話になることができて、
ほっとしています。
それにしてもやっぱり「区」が違うと…という現実に驚いています。
だって、隣の区のことなのにこちらのヒト、知らないんですもん。なんなんでしょ、これ。
というわけで、ご自身も85歳のご高齢、先生ご自身もどうかご自愛ください、です。
感じるいい柄ですね。
お母様、昔から知っている先生に
診てもらえて、悩みの種まで消し去って
くれるなんて、読んでいてこちらまで
嬉しくなります。
書類上だけじゃなく臨機応変な対応を
してくれるこういう先生が、もっと
いてくれたらいいのに・・と思います。
おれも点滴したぞ!このままだと脱水するからなとパックが一年ぶりに倍盛りに…。牛丼ならうれしいのに(笑)
検査数値が高いままで、確実に身体は老化してゆくんですね。
油断してその日の夕方熱中症状を出しました。
診察に入る声だけでわかっちゃうそうです。
ですから、よけいに身にしみました。
区が違うだけで、こんなに差があるんですね。
初めて知りました。
お見舞いはとんぼさんの息災で(笑)おだいじに。
着物だったときは、ステキだったと思います。
着てみたかったです。
入院前のことが、あまりにごちゃごちゃでしたから、
構えていたんですが、あっというまに
スムースに動き出して…ほんとによかったです。
まぁ、おかげん、よくないんですか?
いいものの「倍盛り」は大歓迎ですけどねぇ。
いまどきは家の中でも熱中症になりますから、
十分、気をつけてくださいね。
行政のことは、ほんとに広範囲に知っておかないと、
損得以前に、暮らしや命にかかわりますわ。