ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

またまた本話題

2019-01-26 06:01:11 | 昔の道具・暮らし

 

小泉和子さんの著書「台所なつかし図鑑」です。

小泉和子さんは、1933年生まれ、御年86歳、生活史研究家。

お父様が建築技師で、自らの設計施工した家が彼女の生家、現在 登録有形文化財であり、

以前にもご紹介したことがある「昭和の暮らし博物館」となっています。彼女は館長を務めています。

 

さて、この本の表紙の写真、上半分は、昭和30年代の家族写真ですね。

私もこのくらいの時代の記憶はまだあります。男の子はみんな坊主で、女の子はおかっぱ…。

茶の間の真ん中にちゃぶ台があって、食事は家族みんなでお膳を囲む。

我が家は3人家族でしたから、ちゃぶ台もゆったり使えてました。

そして下半分の写真、拡大しました。いくつ記憶にあるか、いくつわかるか…。

たとえば私だと、全部わかります。ははは。

 

     

 

左上からいくと、「おひつを包むふとん」「すり鉢とすりこぎ」「木の冷蔵庫」「風呂敷」下へ行って「鰹節削り」

その下は「釜台」下が「米袋」、左へ行って「炭箱」「片口」「おひつの保温カゴ」「卵のつと」

 

最初の「おひつのふとん」は保温のためですが、我が家では母が古い毛布を縫い合わせたものを使っていました。

「すり鉢すりこぎ」、コレは今も使われていますけれど、最近の若い人のなかには

「すりこぎ」の使い方を知らないかたもいますね。料理番組なんか見ていると「ありゃ疲れるわ」なんて…。

真ん中の「木製冷蔵庫」、コレも記憶にあります。上の棚の右にあるのが「氷」で、

毎日氷屋さんが、大きなペンチみたいなのでぶらさげて届けてくれました。

この「氷の配達」も含めて、御用聞きなんてのもこのころは当たり前にいました。

重たいもの、お米や一升瓶のお酒やしょうゆなんかは、みんな頼みましたっけ。

だって家庭に電話なんてありませんでしたから。

「ふろしき」は、家に何枚もいろんな大きさのがありました。なんでもコレに包んだものです。

母は、古いものを二枚重ねて縫い合わせ、丈夫なものを作っていました。

「鰹節削り器」、我が家にはまだありますが、肝心の鰹節が…高い…です。

毎朝、毎夕、ダシのためにこれを削るのが私のお手伝いになったのは、たぶん小学校の3年生くらい。

「指、削らんときや」と、うるさく言われながら、ガシガシやってましたっけ。

「釜台」、つまりお釜用の「なべしき」。これは記憶にはあるのですが、割と早い目に炊飯器になったので、

土鍋なんかを置いてました。

「米袋」、母が若いころは「お仏供米(おぶくまい)」といって、お寺で何かするときお米を入れて持っていったもの。

地方によっていろいろ呼び名もあるそうです。よそさまで葬儀があったりしても、仏前にもっていったものだと、

母が言っていました。なにかと「お米」はお金代わり、手土産代わりになったのですよね。

私など、20歳を過ぎても、友人宅に泊まると言ったら、さすがにポリ袋でしたが母にお米を持たされました。

友人が「イマドキなんて義理堅い」と笑いましたっけ。

お嫁に行くと、夜なべ仕事にハギレをつないで「五合袋」とか「一升米袋」とかを作ったそうです。

「炭箱」は「炭いれ」とか「炭取り」とか言われました。子供のころ家にあったのは、箱ではなく「カゴ」でした。

七輪も火鉢も使っていましたから、当たり前のように台所の片隅においてありました。

「片口」は、今でも便利なものですが、いまなら「ドレッシングいれ」かな。

当時は樽や瓶で、お酒とかおしょうゆ、油などを保管していましたから、そこから小出しにするためのもの。

カタチがいいものは、今お漬物入れたりと、普通に食器として使っています。

「おひつの保温カゴ」、これは我が家にはありませんでした。最初の「保温ふとん」だけでしたね。

変わりに夏は竹で編んだ風通しのいいおひつを使っていましたっけ。

最後が「卵つと」、これはイナカで見ました。

実は、子供のころ「卵」はお店でどうやって売っていたか、記憶にないのです。

いまみたいなパックは当然ありません。ただ、お店には卵がきれいにならんだパックのようなものが

あったような気もします。あのころはまだ卵は高級食材でしたから、たぶん「何個ください」と買っていたと思います。

どうやって売っていたかは覚えていませんが、買ってきた卵は、籾殻をたっぷり入れた箱にいれていました。

実はその籾殻、今でも実家で使っています。父は卵は冷蔵庫に入れなくてもいい…と、思っている年代なので。

 

さて、古い道具を見たからってどうなのよ…ですが、古いものを見ると、

とにかくかつては今よりずっと、何をやるにも手間隙かかった、ということです。

洗濯機はありましたたが、二槽式どころか脱水機もない、ローラーで絞る洗濯機。

それでもたらいと洗濯板で1枚ずつ手で洗うよりは、ずっとラクになったはずです。

買い物は毎日行ってその日か次の日くらいまでに食べきれるようにする。

保存容器なんてありませんから、小鉢にいれてふきんをかけたものを蝿帳にいれたり、

カサみたいな小さい蝿帳(今、フードカバーというそうな)をかけたり…。

一週間分作り置きしてタッパーで冷蔵、冷凍なんてコトは、想像もつかない暮らしだったわけです。

 

ずいぶんと便利になり、家事は時間短縮されたはずなのに、

「この○○を使うと時短になります。忙しい主婦の味方です」なんて、あれこれ食品や道具が宣伝されます。

主婦が忙しいのは昔からで、今の家事は昔よりずっとラク。

今と昔では社会のありようも暮らし方も変化しています。

世の中はどんどん忙しくなって、とにかく「時間がない」という言葉をよく耳にします。

それがラクになったはずの「家事」をすることをたいへんなことにしてしまっています。

昔の暮らしがよかったとか、昔に戻ったほうがいいとか、そういうことを言うつもりはないのです。

こんな便利になったのに、まだ時間が足りないというのは、「空いた時間」の使い方がかわったのでしょうねぇ。 

 

あるリポートで「作らずに買ってしまうもの」…という話題がありました。

ママさんたちが、作らずに買ってしまう「お惣菜」のことです。

キョーザ、レバニラ、大学イモ、コロッケ、ハンバーグ、ドレッシング、おにぎり、メンチカツ、天ぷら…。

私も一人みたいなものですから、一応「手抜き用」に、ギョーザもハンバーグも、たまに買って、

冷凍庫に入れていますが、基本、作ります。

 

買ってしまう理由の多くは「時間」、あとは「買ったほうがおいしい」、「近くにそれの名店がある」

そして「自分で作るとおいしくできない」みたいなこと。

やはり「時短」という言葉も何度も使われていました。

忙しいから、というのはもうしかたないとしか言いようがありません。

でも「自分で作るとおいしくない」とか「お店のほうがおいしい」というのは、

ちょっと違うのではないかと思います。おいしくなかったら、おいしくならないわけを探すこともできます。

お店のほうがおいしい、そんなのは当たり前のことで、あちらはそれでお金もらっているのですから。

お店の味と同じにするのではなく「我が家の味」を作ろうとしないのは、ちょっと寂しい気がしました。

手間ヒマをかけない、ということが「手抜き」とは違うことであってほしいものですね。

なんだかだいじなものまで抜けていってしまいそうで…。


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6 コメント

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こんにちは。 (あけ)
2019-01-26 13:20:31
私の、友人は、子供さんが、小学生になる前、信楽へ、移住して、畑しながら、生活してます。かまどで、ご飯炊いて、わざわざ、ごえもん風呂にして、エアコンなく、たぬきや、てんや、さる、しか、ももんが…野生の、おうこくです。あこがれますけど、文明の力に、どっぷり染み込んだ生活、変えられないですね。初めて、友人の家で、経験した、ごえもん風呂、熱くて、入るの、ちょっと怖かったです。
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Unknown (古布遊び)
2019-01-26 21:33:23
うーん、懐かしいものが勢ぞろい!
私もとんぼさん同様、わかりますよ(笑)
この道具が活躍していた時代は本当に家事って大変なものだったと思います。それに比べると今のなんと楽になったことか!
今やパソコンの前に座ってお買い物ですものねえ~

でも、とんぼさんがおっしゃるようになんだか大事なものをどこかに忘れてきてしまっているような気がします~
返信する
Unknown (とんぼ)
2019-01-27 17:20:00
あけ様

基本的に野生児感覚持ってないと、都会育ちにはムリですね。
そこで育った子供さんたちは、楽しみです。
五右衛門風呂は、イナカのおばの家がずっとそれでしたので、
何度も入ってます。おもしろいお風呂ですよね。凄く気を使って入ってましたっけ。
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Unknown (とんぼ)
2019-01-27 17:24:41
古布遊び様

われらの母親たちは、たいへんな暮らしだったのですよね。
幸せだと思いつつ、どっぷり「ラク」に浸かっていますー。
なんか便利道具を使うことで、ラクにはなるけれど、
こめる思いっていうんでしょうか、
そういうモノがうすれることがあるきがします。
カンタンにできちゃう分、気持ちも軽いというか…。
子供だって「○○はどこの店の」で育ったら、
ちょっと寂しいと思うんですけどねぇ。
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Unknown (サザエ)
2019-01-29 06:19:49
全く不便さを感じない昨今でも、
まだまだ技術開発が進み、どんどん便利になる一方で、
知人が自宅のトイレを最新式の物にリフォームしたら、
『あんなの使ってたら人間が馬鹿になりそうで、便座の保温機能とウォシュレットだけを残して、すべて電源をOFFにしちゃったわ』
と、言った言葉が頭から離れません。
もちろん体が不自由になり出来ることが限られてきたら、勝手に水が流れてくれたり勝手に掃除してくれたりというのはとても良い機能だと思うのだけれど、
健常者が使うものではないってww
便利になっても人間が馬鹿になっちゃ何にもならないですしねww
最近の煽り運転等の胆略的な事件等を見聞きするたびに、
ほんと、人間が馬鹿になり始めてるって思ったりもしますし。。
今や雑巾でさえ買う時代ですから( ゚Д゚)
お金さえ出せば手に入らないものは殆どない。。それこそ、手に入らないものは命くらいだったり。。

職業柄、高齢者と接することが多いのですが、
施設提供や配食弁当が美味しくないと感じる人は、自分で作ってた人が多いのですw
だから、私は料理をしたくない程の不得手なので、
多分、施設提供でも配食弁当でも、美味しく頂ける自信がありますw
自分で作るより他人さまが作ってくれたものの方が絶対に美味しいと。。思ってます。
食事は上げ膳据え膳が一番だと思ってるし(笑)
それでもたまにハンバーグやコロッケを作って食べると、やっぱり自分で作ったのが美味しいな。。なんて思うことも←好きなように味付けできるし( *´艸`)
料理は嫌いでも、孫が出来たので、この孫と一緒に餃子を包んだりハンバーグをこねたりコロッケに衣を付けたりと料理する日が楽しみだったり←わが子には殆どしてませんが(;^_^A
返信する
Unknown (とんぼ)
2019-01-29 11:27:50
サザエ様

私も常々、最近の便利道具は高齢者や障害者のためのものだと
そう思っています。体が不自由になったとき、ひとにしてもらわないと
することが難しくなったことを、キカイにやってもらう…。
それで暮らしやすくなるのなら、便利道具もいいものだと。
でも、実際には、そういう情報は若い世代が真っ先に知り、真っ先に使う…。
朝のNHKで街角情報というコーナーがあります。いろいろ便利道具を紹介しています。
昨日のはほんとに笑えましたよ。
猫のおやつとして「なんとかチュール」というのがあるでしょ。
あれを猫に食べさせると、手も汚れるしこぼれて下を汚す。
なので小さいスプーンに入れてなめさせると手も汚れないし、下にもこぼれない…。
この専用スプーンがあると…。
だったら普通のスプーンで十分だし、だいたい猫かわいいなら、
手も洗えばいいし、こぼれるなら、下にチラシでも敷いておけばいいでしょうに。
もうひとつは、子供の鉛筆削り。たまってきた削りカスを捨てるとき、
引き出し式の削りカスいれを出してゴミ箱に捨てると、あちこちこぼれて困る。
そこで鉛筆削り器の引き出しが、パカッとあくようになっているものが紹介されました。
最近のハンディ掃除機みたいに、ゴミ箱の上でパカッとあけると、
中のゴミが下に落ちるアレです。
きれいに捨てられまーす…って、なんやねんと思いました。
こぼれても汚しても、自分で工夫して少しでもこぼさないように、
こぼれたら掃除をする、手を洗う…そんなことを子供のころからさせないでどうする…。

私の母親たちは、家事をするために一日中休みなくからだを動かし、
大変な思いをしてやってきました。
それが楽になったのは、大げさな言い方をすれば、やっと人間らしく暮らせる?
主婦そのものが道具としか見られていなかった時代の
女性の立場が、やっと対等になってきた、
その進歩については、よかったと思っています。
でも、なんでもそうですが「過ぎたるは及ばざるがごとし」。
便利も過ぎれば怠惰になる、だし、怠惰はアホの元です。
私、自分で料理はしますが、人に作ってもらうときは、自分がやらなくてすんだ、というだけで、
おいしくいただかなければ、と思いますよ。
この手間を私のかわりにしてくれたんだって。
お孫さんたちとのお料理、楽しいでしょう。フシギなもので、
一緒に作る人、それを食べる人によって、こっちの気持ちもかわるんですよね。
お料理楽しんでください。
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