先日譲り受けた古着です。とはいってもまだ新しく、仕付け糸もついたまま。
かわいい縞で、たぶんですが「絹とウール」の交織。
これは、友人がお隣の方から「要らない着物がある」と耳にして、
私に連絡してきてくれたものです。このほかにも絣のウール、帯など、
送っていただきました。縞のアップはこんなです。
なんともかわいい縞です。私にゃとても・・・。
さて、今回の入手も「いらない着物が・・」というお話だったのですが、
私が友人とこのシゴト(まだまともにシゴトになってないんですが)を始めた頃、
まだ息子が学校に行っておりましたので、
学校内で知り合ったお母さんたちとよく顔をあわせました。
そういう中で着物の話が出ると「いらない着物」の処分に困った・・
というお話を何度も耳にしたのです。思えば私たちの年代というと、
あまりいい話ではありませんが、自分の親とか舅・姑、中には祖父母などと
永久(とわ)の別れとなる・・という時期なのですね。
そういうとき「遺品の整理で困るのが着物」・・という話しが出まして、
自分も姉妹も、娘だの嫁だのも着物を着ない、かといって一枚二枚ではないから
やたら捨てられない、結局お金を払って廃品業者にひきとってもらった・・。
もー私も友人もそっとーしそうになりました。「は・はいひん・・」・・。
確かに着ない人にとっては用のないもの、留袖だ訪問着だというような、
いいものならともかく、普段着の着物など「とっといてもなんにもならない」と。
「なんか大島だとか、結城だとかって書いてあったんだけどぉ」
おぉ~~い、たのむよぉ~、大事にしてくれぇ~・・もう遅いか・・。
今度からそういう時は一言声をかけてちょーだい・・とお願いして以来、
何人かの方から、とんでもなくいいものをいただいたりしております。
確かに、どうしても用がなければ、いつまでたっても「タンスのこやし」、
タンスはいくら肥やしをやっても、引き出しが一段増えたり致しません。
どうしてもじゃまなものなら「処分」も仕方ないとは思いますが、
お願いだから「捨てないで!」着物の古着は売れば二束三文、ではあります。
でもお金払って廃品業者に引き取ってもらうよりはマシですよね。
まずは「古着」を扱うリサイクルショップ、或いは「呉服屋さん」を
探してください。それと、がんばってオークションに出すという手もあります。
どうぞ、着物を着物のまま捨てないでください。
それでは、古着屋について・・。
江戸時代庶民のほとんどは麻が日常着、中期をすぎてからは木綿も
日常着として着られましたが、何が原料であれ、
繊維をとって糸にし、それを織り上げて布にする・・という作業は
たいへんな手間がかかることでしたから、どこまでいっても貴重品でした。
普段の暮らしの中では、お下がりや繰り回しは当たり前、
したがって「針仕事」は女性の日常の仕事として当たり前、
何度も繰り回して着られなくなったものは、当然布団側だの、おしめだの
雑巾だのになりましたが「売る」こともありました。
はぎれは買われて更に売られたり、あるいは履物の鼻緒や雑巾などになりました。
もちろん「着物」のままで売られる場合もあります。
江戸時代、庶民が古着を買うのは当たり前で、新品の反物を買うのは、
一生のうちにそう何度もあることではありませんでした。
「古着屋」は今の神田須田町、日本橋富沢町あたりに軒を連ねておりました。
一説には、古着屋の元祖は「鳶澤甚内」という盗賊だったという話があります。
この盗賊が捕縛されたとき、盗賊の情報を提供し逮捕に強力することで、
命を助けられた、しかし「世に盗人の種はつきまじ・・」だから、
「いっそ正業につかせたほうが盗人は減る」と提言し、
お上から許しをもらい、場所を与えられて「元盗賊」たちと商売を始めた。
それが古着屋だったというわけで、ここが「鳶澤町」と呼ばれ、
やがて「富沢町」になったと・・・。
古着屋は繁盛し、後年は「鑑札」がいるようになったといいますから、
ずいぶん数が多かったのですね。
さて、古着は「棒手振」でも売られました。つまり行商です。
長い棒の前後に着物やハギレをかけて売り歩いたそうですが、
今、着物を家の中で運ぶとき、10枚ばかり箱に入れてもかなりの重さです。
さぞかし重労働だったことでしょうね。
また古着は何度も売られました。自分が必要な間だけ着て、
いらなくなったら売る、或いは自分が着て、繰り回して子供が着て、
もういいやで、子供の着物として売る・・こうして何度も繰り回され、
本当にハギレになるまで使いきられたんですね。
もしかしたら町を歩いていて「あれっあの着物あたしがおととし
着てたヤツだ・・」なんてあったかもしれませんね。
今の時代に江戸のリサイクルをそのまま持ち込むわけにはいきません。
しかし「モノを大切にする」という気持ちは受け継ぎたいと思います。
写真の着物、だいたいですが身丈153、裄丈62、
ちょっと小柄なお嬢さんのものだったでしょうか、
着られた形跡がありません、シミヨゴレもなし。
もーちょっとシブかったら着るのになぁ・・。
ご入用の方、ご一報ください。
私も先日お友達の知り合いの方が、着物を着ないから
着物を捨てると言っているとお聞きしてビックリ
しました。欲しい人がいるはずだから思いとどまるように言って欲しいとお友達に頼みましたがどうされたかしら・・・捨てずに古着屋さんに売るとかどこかに
寄付をするとかしてくれてたらいいのにと願って
います。
「あんたこれ、私が若い頃に着ていた着物とそっくりおんなじよ」と言われました。
びっくりしましたが、懐かしそうだったので色々お話しさせていただきました。
もしかしたら、ほんとに回りまわって・・・だったら楽しいな。
振袖火事の着物も、古着屋で買った着物が次々祟り・・・ってな話でしたね。よほどの素封家でない限り、ちゃんとした商家のお嬢さんでも古着を買っていた、ということなのでしょうか。
ほんとに信じられない話ですが、着ないから・・と言う理由で捨てる・捨てたという話し、ありますよね。哀しいですよねぇ。それがもしブランドのバッグなんかだったりしたら捨てるでしょうか。価値観の違いとばかりはいえないですね。着物は「裂き織」をやっているところでは喜んでもらってくれます。まだ着られるものなど、もったいないとは思いますが、捨てられるよりはマシですよね。
雪花様
珍しい体験をなさいましたね。でも、着物は大事に着れば息の長いものですから、そういうこともありますよね。
振袖火事については、創作です。なんていっゃったらミもフタもありませんが、とりあえず、「商家」といってもピンキリで「大店」と呼ばれるお店は、そんなにはありませんでした。ちょっと小さな店構えても商家ですからね。そういう人たちは「振袖」のような「いい古着」が買えた・・ということでしょうね。ちなみに「振袖火事」のお話のように、その古着が、何人もの手に渡ったというのは、お寺などに遺品として納められたり、遺体に着せられて埋葬されたりしたものは「湯灌場(ゆかんば)買い」という専門の古着業者に売られたためです。
「若者に恋焦がれて死んだ娘が着ていた着物を一緒に葬ってやろうと、ふたおやがお棺にかけて供養をお願いした」のに、悪徳坊主が2度3度と業者に売り、そのたび若い娘が日に日にやせ衰え・・・ということになっていました。
振袖火事の原因がほんとは違うというのは、「江戸検定」の本にも書いてありました。(試験には出ないと思うけど・・・ああ、私多分忙しくて受けられません
)
市井の人ってドラマチックで因縁めいたお話が大好きなんですね
そういえば、少し年代が高めの方で古着を嫌う人が、「死人が着ていた着物や襦袢(かたびらのことかしら)まで売るから」と言っているのは、湯かんば買いのイメージがあるからなのですか?
今は脱がしているヒマはないかと。
江戸検定・・私も受けられませんが、実は己の実力がおもっていたよりずっと下・・と言う現実を見るのが怖いから・・はっはっは・・。
昔の人が古着を嫌がるのは、そういうこともあるかと思います。湯灌場買いは、最近まであったというわけではありませんがイメージとか知識とか、ありますでしょうね。ただ、そういうことを言うのは「死者のものかもしれない」というよりは「出所のわからないものは気持ち悪い」ということの表現だと思います。着物にしても何にしても、死人のものなんて気持ちが悪い、というよりもそれは「死→けがれ」という宗教観からくるものだと思いますから。同じ死者の持ち物でも、家族のものなら「遺品」として大切にしますでしょ。私の年代でも、人のものには「その人の思い」がついている・・という感覚があります。特に着物、櫛やかんざし、人形なんかには。だから「知ってる人のものならいいけど、どこのだれともわからないものだと、たたられたら困る」なんていう気持ちもあるんじゃないでしょうか。