一年以上も前、柄だけのご紹介でしたので今回はお福ちゃんに着てもらいました。
すんごいレトロな柄、大正期に入るかと思います。柔らかい紋錦紗。
こういう柄は、今はもう子供のものでもありませんね。
半衿も着物にあわせてレトロに、今は見られない「絞り」にしてみました。
なんちゃって、実は帯揚げの流用です。
時代が時代ですから、そんなに良質のものではありませんで、
よく見ると「染め」がちょっと雑なところがあります。
こうやって見ているとわかりませんけどね。
たぶんこの時代は、こういう柄も「子供」のものではなく、
若い女性、特に10代のお嬢さんには珍しくない柄だと思います。
それにしても「大胆ステキ」ですね。
着物の布の状態としては、それほど繰り回したというようすもなく、
単に何度か洗い張りしたであろう…と思われる程度なのですが、
前の柄あわせを見ると、ちょっと…。
大写しにするとこんなです。
普通、これだけ大柄だと当然「柄あわせ」に気をつけます。
特にめだつ前などはうまくずらすか、いっそここまで近いなら
ちょっとあわせて「総柄の振袖」のようにしたほうが
見栄えもいいというものです。それがしていないというのは、
実際には繰り回しをされて「布に余裕がなくなった」か、
元々染めの具合から見て、柄あわせを十分できるほどの尺がなかったか…。
実は後ろの「揚げ」がありません。繰り回しではなく、気に入っていたので、
傷んだところを少しずつ裁ち落として縫い直して着たのかもしれませんね。
「そんなにしてまで」と思われるかもしれませんが、
こんな柄が流行ったころは、毎日ほとんど「着物」だったと思います。
帯は昨秋、京都は北野天満宮の骨董市で陽花様がみつけてくださった
「刺繍帯」、実はちょっと短いのです。
きちんと締めようとすると、前にせっかくの柄が出ません。
それで前は柄が出る状態に巻きつけた状態で写真を撮り、
うしろはあとで前柄を無視して締めて、撮りました。
アンティークには、やはりアンティークがあう…という典型のように思います。
こうやってみて、毎度思うのは「帯締め」の細さです。
帯締めは昭和30年代は「礼装は丸ぐけ」で普段用は今より太め、です。
留袖用の白の丸ぐけと、喪服用の黒の丸ぐけは、
私が子供の頃は当たり前のようにありました。
いつのまにか「留袖用」が白基調の平組みで幅があって金糸銀糸で模様が華やか、
というものになり、振袖用は更に華やかな太目の組紐に…。
いつのころからか「丸ぐけ」は喪服か、七五三の着物用になってしまいましたね。
普段用のものは、さまざまな組紐があるものの幅は狭くなっています。
それが当たり前なので、別に問題なく使っているのですが、
こうしてレトロな着物にレトロな帯を合わせると、
帯締めの細いのがなんとなく寂しい気がします。
着物の形も帯の形もかわっていないのに、不思議なものですね。
色柄に負けてしまう感じ、それが着物の妙なのでしょう。
オークションでも「古い帯締め」というのは結構でるのですが、
今「古い」と言うのは、昭和40年から50年くらいのもの。
いわれてみれば30年以上は前なのですから「古い」といわれても
しかたありませんが、私が欲しいのは昭和30年より前のもの、
ところがそういうのは、なかなかないと同時に、
あっても状態が悪いのです。でもっ!あきらめずにこれからも探します。
お正月ということで、ちょっと華やかにこんなふうな記事にしてみましたが、
こういうのをHPでもやっていこうと思っています。
古い組合せ、新しい組合せ、コラボもいいかも。
うまくできるといいんですが…。
お正月休みも昨日で終わり、今日からまたがんばりまっす!
ほんとにちょっとなんで、惜しいですね。
この帯、やっぱり豪華ですね。
こちらにしてよかったです。
思いながら見ておりました。
北野天満宮で買われた帯ととてもよく合って
素敵です。
確かに昔の着物はみな寸法が小さいですね。
江戸時代の男性の平均身長が150センチ程度、
昭和も戦後落ち着いてから、急激に体格が
よくなったわけですからね。
この着物は、衿も布が足りなくて
細く仕上げてあるんです。
たぶん、ちょっとずつ裁ち落としたのだと思います。
それにしても、大事に着ています。
見習わなくちゃ…ですね。
着物の丈も4尺に仕上げるのはまあとしても、断ち切り4尺などともいわれていたような、残り切れ、替えの半襟にとっておくとか・・・
ようするに今よりも小柄のかたが多かった
それなのに、すんごい大柄なんですね
はやりの力はおそろしい
柄あわせはまずは背中であわせたものです。
ですので、前の柄とおくみの柄あわせは次にしか考えられていなかったと思います。
昔の着物をみせてもらって、又色々と思い出します
って、私は大正生まれではありませんて
なんぼなんでも。
今年もよろしくお願いいたします。