年末までに息子の薬をいただいておかないと…なので、がんばって行ってきました。
来週でも間に合うのですが、このお天気でもし雪でも降ったら…と思いまして。
履物を履いて歩くのは、まだちとしんどいのですが、ズリーズリーと行きました。
診察室で医師が「どうしたんですか、おかあさん」…息子の状況よりそっちが先…で、
わけを話しましたら、お医者さんはなんて?と聞かれて…いえ、病院行ってません。
医師はしげしげ私の足を見て「包帯の巻き方、プロなみです」…。
「ケガ慣れしてるもんで」(んなもん、慣れてどーする)。
というわけで、無事処方箋もいただき、またピタコラピタコラと駐車場に向かったのですが、
ケガしてる右より、かばう左のほうが足がつりそうで、だるい…。
こういうときはっ…出入り口の横のお花屋さんで「お花くださーい。自分にお見舞いなんですー!」
黄色のアルストロメリアと「手毬菊」というそうですが、グリーンの菊。
ちょっと赤みがほしいといったら、カーネーションを入れてくれました。
もう少しピンクっぽいほうがよかったかな、でもはっきり赤いの、きれい…。
花はみているだけで、なんだか元気が出ます。
部屋の中はあたたかすぎるので、玄関に飾りました。
腫れもだいぶ引いてきましたので、もうすぐ足をちゃんとついて歩けるようになると思います。
こうなってみて、シャカシャカ歩けることのしあわせを思います。
「なんでもない」ってことは、ほんとにいいことなんですね。
というわけで、本日はつれづれなんですが、朝、見ていたテレビで「鬼アプリ」なるもののお話が。
「しつけアプリ」の一つだというのですが、子供が言うことを聞かないときスマホでチャチャチャとダウンロード。
むこうからかかってくるのがミソです。「あっ鬼さんから電話だ」…モニターには鬼のイラストが…。
すると向こうから「もしもし鬼ですー」「いうこときかないんですかー」「おうちはどこですかー」
「ではこれからいきますね」…決められたセリフにあわせて親が受け答えし、合間に子供に声を聞かせる…。
「あんまり言うこときかないと、ナントカガマにいれて食べちゃうよ。これから仲間をいっぱい連れていくからね」
これで子供は「やだやだ言うこと聞く~」となるんです。
また名前は忘れましたが、おどろおどろしたメイクの「ナントカ妖怪」みたいな、これは実物。
頼むと家までやってきて、まずは怖がらせ、子供たちを座らせて「ケンカしちゃだめだよ」とかなんとか…。
子供は正座して「うんうん」と今にも泣きそうな顔です。
ある家庭では、野菜が嫌いで、母親が食べてといっても食べない、そのうち席を立って遊び始めてしまい、
ここで母親が「鬼に電話」…あわてて席に着き、嫌いな野菜を食べ始めるし。
またある父親は、おふろに入れといっても子供はまったく知らん顔、30分経っても入らないので「鬼電話」。
あっけにとられて見てました。なんなんでしょ。
幼児むけですから、せいぜい就学前くらいまでだと思いますが、なんともフクザツな気持ちになりました。
見ててイライラしました。親が時に「鬼」になればいいのです。
「やめなさい」だの「食べなさい」だの、口で言ってるだけでなく、鬼の形相になって「何回いったらわかるの!」と、
大きな声を出して叱ることも必要だと思います。
何でも昔がいいとは言いませんが、「食べないの、なら今日はもうご飯はナシ、明日の朝もないからね」くらいのことは
言ってもいいと思います。
お風呂に入らなければ、「入りなさいって言ってるだろ」と、怒鳴ってもいいと思います。
「親は、時にはとてもこわいものなのだ」ということを、子供に教えなければなりません。
叱るには意味があります。怖い顔を見せても、怒鳴りつけても、それは何か理由があるわけで、
子供は「こういうことをするとお母さんが鬼みたいになる」と、学習するはずです。
よく友人が「ウチの娘は言うこときかない。夜中まで電話かけ続けて電話代がすごいの(当時はケータイなし)」
なんてことを言いますと「言うことを聞かないのではなく、聞くように育ててないんでしょ」といいました。
私は、自分自身は知的に障害のある子供ですから、普通の子育ては未経験です。
でも、自分が子供だったことはあるわけです。親がどうであったか。
いつもいつくしんではくれたけれど、何かマチガイを犯したり、いうことを聞かなかったときは、
「すわりなさい!」と、正座させられて、ガミガミやられました。
母は特に厳しかったですから、時にお尻もたたかれたし、口答えすると「どの口がそれを言う!」と、
ほっぺたをグイッとつねられました。もちろん、手加減つきですが、
当時の私にして見れば、それはそれは怖かったです。
体罰には是非論ありますが、親は子供のために時には鬼の形相も必要だと思います。
私と同年代の司会者やコメンテーターは、みんな呆れ顔。
「自分が子供の時には『怖い父親』ってのがいたからね」とか、
これで大きくなったら「親はちゃんと自分と向き合ってくれなかったんだ」とわかっちゃうよねとか…。
若い司会者は「ほかの女性が外で仕事していたりする焦りもあるなかで、一日中子供と向き合っているのだから」とか
「とりあえず今、この場をナントカしてくれれば、なんですよ」…しつけはその場しのぎでするものではないのだよ、キミ。
核家族になり、時には子供を叱ってくれるような近所づきあいもなくり、仲良くするのはママ友ばかり…では、
「頼る」というものがないのかもしれませんが、いいお母さんは優しいだけのお母さんではない、と思います。
昔々の記憶ですが…
あまりにも古くて原因を覚えていません。
多分ですが「ごはんだから片付けよ」といわれたのを聞かなかった…というようなことだと思いますが、
いきなり母がズンズンと近づいて私の腕を掴み、物も言わずに玄関から外へ押し出しました。
もちろん履物などナシ。勝手口も縁側も、開きっぱなしだったんですけどね、
目の前でガチャガチャと玄関の鍵を掛けられ、
「そこで一人で遊びよしっ!」といわれて、ギャンギャン泣きました。
今日も病院で、走り回る子供に「やめなさいって言ってるでしょ」と声がかかる。
でも子供は聞こえていないかのように、まったくやめない…。
親が叱っているのは「私は一応ちゃんと叱っていますよ」という、周囲へのアピールだけで、
「聞かないんだからしょうがない」みたいな顔してます。
「やめなさい!」といったらぴたりとやめる、気まずそうな顔してこそこそっと端っこへ行く、
「あっやっちゃった」と子供に思わせる…それでいいのではないかと思いますが、古いんですかねぇ私。
「鬼アプリ」…なんだかなぁ…でした。
厳し過ぎるしつけはどうかと思いますが、
最近は叱らない親が多いですね。
良い悪いの区別がつかないまま大きくなる
子供がかわいそうに思います。
鬼アプリ…そんなものがあるなんて、とびっくりし、今時の親はそんなものを使うのか、とがっかりし。
とんぼさんの文章に、ぶんぶん頷くことしきりです。
叱るとか説教するとか、そういうことから逃げないで欲しいなぁ。まったくもう。
誰かを悪者にして子供に言うことをきかせる、って考え方が気にくわんです。
親が教えるのが、なんだかんだいって、一番子供の心に響くのになぁ…。
はぁぁー…。
そんな物があるんですねえ~~
昔、娘がまだ小さかった頃、指しゃぶりが癖だったのですがある時、義母が「キョンシーが来るよ」(当時キョンシーが流行っていたのです)と言ったところピタッとおさまりました。そんなことがあったなあ~~
最近の若いお母さんは確かにあまり叱りませんね。
私も時々????と思うことがあります。
叱られるという経験もとても大事だと思います。
私は叱りすぎたと今になって反省しております(笑い)。
いえいえ、息子の心臓のお医者様なので、
お話きいていただいただけなんです。
「良い悪いがわからない」これが一番タイヘンなことだと思います。
いじめとか、無差別殺人とか、根底に「やっていいこと悪いこと」という、
当たり前の概念が、弱いのではないかと思っています。
叱ることは必要だと思いますねぇ。
ある人が、親子が友達関係みたいな仲のよさでいることが、
シアワセな家族だと思っている、そこが違う、
と言ってました。チャン付けで呼び合ったり、挨拶や敬語が省略されたり…。
その結果「親の威厳」がなくなるって。
親子は友達とは違うのですよね。
叱ったり怒鳴ったりして、子供に嫌われたくない…んでしょうかねぇ。
そんなもんじゃないんだけど。
私もビックリしました。
確かに子供のころ、お化けが来る、とかちょっと古いと「人買いのおじさんがくる」なんて、
そんな脅かし方をされた記憶もありますが、
いつもそうではなかったし、小さいことではしょっちゅうなにかしら
「なにしてんねん」と叱られてました。
叱るお母さんも、優しいお母さんもおんなじおかあさん…
という認識を小さいころから、教えたほうがいいと思うのですが。
我が家でお茶を飲みながら 子供達は隣の部屋でお遊びの最中
なにか悪戯したのか 忘れましたが
ご自身は怒らず 私に怒られると子供に注意していました。
私は我が子以外でも 駄目なものは駄目 と言っていましたので 当たってはいますが
ありますね、運転手さんに叱られるとか、
おまわりさんに叱られるとか…どっか違います。
最近は身内以外が叱りませんから、
なおのことしっかりしてほしいものだと思うのですが…。
「一応私は叱っていますよ」アピールを見たのは、私も経験あります。他人でさえ見え見えの自己弁護。子供はちゃーんとわかっていますって(--) 何の役にも立ちません。
叱るのは、アナタが大事だから…それはごく小さいときから、
言い聞かせなければならないことだと思います。
小さいからわからない…のではなく、
わからないから教える…ですよね。
「叱ってますよ」アピールを見ると、いつか子供にしかえしされまっせ、
なんて思っています。
子を大事にしない親は、子に大事にされませんよ。教えてないんだから。