毎年、今頃は「忠臣蔵・赤穂浪士」もののご紹介などしております。
状態の説明は後にしまして…この絵を見てすぐに誰だかわかる人は、
お芝居好きか私の年代…でしょうか。この人は「赤垣源蔵」ですね。
映画やお芝居では「赤垣源蔵 徳利の別れ」で知られます。(歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にはありません)
ざっとお話ししますと、赤垣源蔵は赤穂藩士。
脇坂淡路守に仕える塩山伊左衛門という兄がいます。
討ち入りの夜、源蔵は徳利に酒を入れて、密かに「別れ」のつもりで兄を訪ねるのですが、
あいにく兄は外出中。兄嫁は大酒のみの源蔵が嫌いで「持病の癪が…」と、仮病を使い会おうとしません。
源蔵は「帰るまで待たせてもらう」と、部屋に入りますが兄はなかなか戻りません。
時間が迫り、源蔵は女中に兄の羽織をもってこさせ、それを衣紋掛けにかけてその前で一人水杯を酌み、
密かに「最後に一目お会いしたかった」と暇乞いをします。そして源蔵は討ち入りに参加すべく兄の家を出ますが、
深夜に戻った兄はその話を聞き、水杯を見てもしや…と思うわけです。
あけて15日早朝、朝日にきらめく雪を踏みしめて泉岳寺に向かう赤穂浪士を、街の人たちが喝采で送ります。
騒ぎを聞きつけ若党を走らせると、浪士の中に確かに源蔵がいて、槍につけた札などをもらって帰ってきます。
あれはやはり別れの挨拶であったかと、兄は昨夜、間にあわなかったことを残念がる…というお話。
これは「作られたお話し」ですから、映画などでは作られるたびに少しずつ違ったりしまして、
東映映画などでは、ここも重要な見せ場としたものも多くあります。
例えば…赤穂浪士が討ち入った!と行列を見に近所の人たちが駆け出すのを見て、
お兄さんは「討ち入りの中に弟がいるかもしれない」と思います。そこで女中に申し付けます。
「隊列を見て参れ、もし隊列の中に源蔵がいたならば、ご近所に聞こえるように大声で
『源蔵様がおられました』と言いながら帰って来い」と。そして、女中の声を今か今かと待つ…。
赤穂浪士ものの名場面は星の数ほどあり、この源蔵などは本来「徳利を置いて手をついて礼をしながら
兄代わりの羽織に語りかける…」なんてところなのですが、この絵は「これから別れにいくところ」ですね。
それが珍しいかと思って入手しました。
まずは人物部分だけアップ。ちょっと足のラインなどムリやりっぽいところもアリ…?
顔は「歌舞伎役者絵」風…まさしく隈取ですがな…。全体からいうとちとチグハグ?
でも、なかなかのお顔かと思います。
足元も錦絵風ですが、腰から下あたりにグレーっぽい色をまだらに染めたことで、
雪の道を行く感じがよく出ています。二の字二の字のゲタのあと…まで描いてあります。細かいですね。
また周りの景色などは細かく描かず、窓や軒だけ墨で黒々としかもシンプルにカタチだけ…
このさっぱりしているところが、かえってあたりが雪に埋もれている雰囲気が出ていていいかなーと思います。
この日は雪で、まだ降っていましたから笠をかぶり、当時のコートにあたる「合羽」を着ています。
時は元禄ですから、まだ木綿がそれほど浸透しておりません。
ましてや浪士となれば「貧乏のきわみ」です。これは布ではなく「紙合羽」といわれるもの。
「紙子」と同じですね。二枚の和紙を繊維の向きを違えるために直角に合わせ、
こんにゃく糊やわらび糊などで貼りあわせて乾かし、丁寧にもんだもの。これに柿渋や桐油を塗って防水しました。
風を通さないので防寒にもなったのですね。身分の高い武士のお供侍などもこれを着ました。
で、なんで素足…しかも足むき出しで…いやいや、今と違って昔の人は寒さにも強かったのですよ。
お金のある人は、着物や袴の裾が濡れたり泥ハネで汚れても着替えもありましたでしょうけれど、
庶民は数少ない「衣装」でしたでしょうしね。それより、タビも着物も汚さないのが一番…まねできまへん。
この羽織、表はもうボロボロです。
表地のすごさは…袖山です。持って持ち上げるとそのままぴーっと裂けます。すごい…。
羽裏部分はかろうじて…ですが、薄くなっていますし、全体にくすんでいます。
これ、染められてすぐは、白い羽二重にくっきりとキレイな柄だったでしょうね。
「浪士コレクション」の中でも、状態よくないほうですけれど、大事にしましょう。
さて、赤垣源蔵さんですが…実在のモデルさんはちゃんとおります。
本名は赤埴(あかばね)重賢(しげかた)さん。実はこのエピソードは「お芝居のウソ」がたくさんありまして、
まず彼にお兄さんはいません。また下戸だったそうで…。
挨拶に行ったのも「妹の嫁ぎ先」だったといわれています。最後の挨拶ですから、ちとこざっぱりとしていったところ、
のんきに着飾って「仇討ち」の気配のないことに、嫁ぎ先の親は苛立ち、小言をいいます。
それでも今夜討ち入るとはいえず、「遠方への旅に出る」とだけ言って立ち去るわけです。
あとになって、あれが今生の別れの挨拶であったかと、義理の親たちは邪険にしたことを後悔したそうです。
ついでのことに…お芝居のお兄さんが仕えている「脇坂淡路守」は、実際にも赤穂城の明け渡しの正使だった人。
元々浅野匠守とは旧知の仲で、オトモダチだったそうです。
吉良さんとはちと仲がよくなかったというお話しもあるそうで、その辺から、お芝居では「浅野」と「赤穂浪士」の味方。
あの松の廊下で浅野さんが、吉良さんに斬りかかったとき、浅野さんはみんなに止められてしまいます。
オトモダチの脇坂さんは「あっ、やっちまったよ。、オイ!」とあわてるわけですが、
そこへケガはしたけど死ななかった吉良さんが、両脇抱えられながらよろよろと逃げてきます。
そのとき脇坂さんにブチあたってしまう…脇坂さんはここぞとばかりに「脇坂の紋所を血で汚すとは無礼千万!」と、
出血ダラダラの吉良さんを思いっきりはったおす…私が見た映画ではこれを「萬屋錦之助さん」がやってました。
赤穂城明け渡しの時に「弓一丁、わらじ一足の記録間違いもなし、データカンペキ、お見事」と、大石さんをほめます。
(私が話すと、どうしてこうかる~いお話しになっちまうんでしょ)
今年も「赤穂モノ」の放送はあったようですが、見る時間ナシ。
ここ20年くらいでしょうか、ただの「忠臣蔵」ではなく、視点を変えて…というドラマも多くなっています。
それなりに面白いものもありましたが、なんとなくオーソドックスなものを見てみたい…と思うのはトシのせい?
あのいかにも「オール・スター・キャスト」で「ウソてんこ盛り」で「泣かせどころ満載」の、
昔の忠臣蔵をみてみたいなーなんて思ったことでした。
赤穂浪士のお話、たのしみにしております。
このエピソードは知りませんでした。
泣かせどころだなぁとおもって
後半までいくと…。仕掛けがこまかいですね。
羽裏が、とんぼさんの手に渡ってよかったと
思いました。
最近「赤穂モノ」が、なかなかでないのです。
確かに人気柄なので、出てもすぐ売れたりしちゃうんですね。
ヤ○おくだと、バカ高くなるし…。
入手するのに「イザ見参!」と、討ち入りの気分ですわ!
実は今朝、連れ合いと昔の人(男性)はどんなコートを着ていたのだろうかと話していたところだったのです。
柿渋を塗ったんだろうと話していたのですが和紙が二枚合わせになっていたのですね~~
なるほどと感心しました。
というのも男性の和装のコートでどうもピタッとくるものがなくてそんな話になったのです。何かいいものはないものでしょうかねえ。
ダルマコート(?)と言うのでしょうか、どうかなあと話していたのですがねえ。。。
女性のコートは多種なのに、男性はホントに少ないですね。
これは男性の和装が極端に少ないので、作られないのだと思います。
男性の和装コートは「角袖」か「とんび」それと「だるま」ですが、
だるまはいわゆるマント。これは通常手を出しませんので、
実は不便なのと、裾が広がっているものって、下から風がはいって、意外と寒いんです。
とんびもそうですが、肩先は温かくても、手首のあたりは風スースーです。
横浜アタリならそれでもいいかもですが、北国となりますとね。
結局「角袖」が一番防寒にはいいとおもいますが、
ほんとにつまらないカタチですね。男性にはわるいけど。
江戸時代は、割りとシゴトとか立場とかで、着るもののカタチが決まっていましたが、
俳句の宗匠みたいな人は、今の女物の道行きみたいなのもありました。
もっと多様化していいとおもうんですけどね。
オリジナルで、女物の道中着の長めのものみたいなのは
いかがでしょうか。
千代田衿のコートのようなものとか…。
角袖もとんびも、昔はそれに「ソフト帽」をかぶるために洋装っぽい衿元に作られた気がします。
今はかぶる方は少ないですから、いっそ着物打合せで、
中にマフラーなさったほうが、あったかい気がしますね。
オリジナルにチャレンジしていただきたいです~。