別にシースルーでセクシーに、というわけではありません。
実はこの中着の柄の部分、古くてもんのすごく薄いんです。
どれくらい薄いかというと・・・
透けて見えている「赤」は、裏地の「紅絹」です。
元々、柄行と織の感じから、単の着物であったろうとは思うのですが、
それにしても薄い・・・。でも、よれよれかというとそうでもなくて、
シャリ感はあるのです。フシギな布です。
色柄はとても地味、黒いところは「褐色(かちいろ)」よりやや濃い・・かな?
ちなみに「褐色」はかっしょくではなくて黒っぽい藍のような色です。
それと景色がある部分は「鈍色(にびいろ)」少し青みを含むグレーです。
上のシルエット部分を見ると、ところどころに闇と光の境部分、
扇子、うちわの形になっています。
普通、こういった「遠景」を見下ろす形の絵柄は、雲取りといって、
雲の合間から見下ろしたような形に切り取るのが多いのですが、
このシルエットを見ると、たとえば高台にある料亭の窓とか
手すりのついた廊下に立って、扇子やうちわを使いながら、
涼しげな海の夜景を見下ろしている・・というふうに思えます。
遠景は木立と橋、民家の屋根、小さな岬や船着場・・といった感じです。
ところどころに「白帆」の舟もあり、月明かりに波の反射するようすを
金糸をわずかに使うことであらわしています。けっこう凝った図柄です。
小紋柄ですから、たぶん裕福な家の奥様の単・・ってとこでしょうか。
さんざん着たあと、襲の中着に使われたようです。
左はしが「袖口」のちりめん。中着ですから、袖口と袖の「振り」、
腰から下は全部このジミな柄で、裏は黒ちりめん、年配の人のものでしょうね。
このジミな下の部分のちりめんは、厚手でまだしっかりしています。
古くても大正・・・ではないでしょうか。
柄部分のほうはもう、しっかり「江戸ちり」。江戸ちりといっても、
幕末から明治ということですから、これは明治のものと思います。
大切に残されていたものを、中着に使ったのでしょう。
中着は薄いのが身上ですから、色柄よく、薄手でよかったのでしょうね。
これは推測ですが、襲というものが家庭で日常的に着られていたのは、
明治も初期の頃までではないかと思っています。更に長く着続けのたのは
「花街」のひと。それを考えますと、この着物はかなり古いもの・・。
実は「襲」は、「セット」で出るのはなかなかありません。
たいがい中着だけが多いのです。襲を着なくなったけど、
表は普通の着物ですから、じゃんじゃん着倒して中着だけが残る・・と
そういうことではないかと・・・。たまに両方出ることがあるのですが、
出品者様もしっかりと、別々に売ったり致します・・・グスン・・。
着物の古着・・と言うのは定義づけがむずかしいものでして、
古きゃなんでも古着ですが、着られるもの着られないものがあります。
今の時代、着物は着られなくても「売れる」ものですから、
古着の価格もつけるほうも買うほうも難しいのです。
ざっと申しますと、この中着、状態からいっても「中着」ということから言っても
「着る」目的では買いません。それでも、この着物のお値段は、
「たん○やさん」などの古着やさんで状態のいい小紋2枚くらいは買えます。
つまり、新しくてすぐに着られるものの方がお安いのです。
さて、こちらは私の「洋服の古着」、でてきたんですよ、今回の整理で・・。
ひざ下15センチくらいの長さのコートです。
実際にはもう少しシブい赤紫です。テカって明るく写っています。
材質は「綿の毛足長めのコール天」、柄のように見えるのは
さまざまなチロリアンテープやブレード、ハギレがいくつか・・。
背中をお見せします。
ねっテープでしょ。しかも・・なぜかこのテープやブレードは、
全てわざわざ「裏返し」に縫い付けてあります。何の意味があるんだ・・・
そしてこれは、全部テープなど縫い付けたあとで、
ざんぶりと「染色液」につけて染めてあります。
白っぽいテープはアクリルの糸で「染まりにくかった」わけで、
パッチの布などは、元が何色かわかりませんが、柄がわからないほど
染まっちまってます。これもまぁデザインちゅーことなのでしょうが・・。
なんか「ひとごと」のように言ってる・・はい、実は私のではありますが、
これは母が買ってきたもの、自分が着たかったけど、と。(当時母は50すぎ)
着たかったけど「ハデだから」ではありません、母が少し太りはじめていて、
前のボタンがきついから・・しょうがないからおまえにやる・・でした。
当時40キロそこそこの私にはたしかにボタンも止まりましたけどね、
好みってもんがあるわけですよ。しょうがないので、嫌いなオフタートルの
クリーム色ののセーターに、これと同じ系統の色のミニスカートだったかな、
そんなんで3回くらいは着ましたが、それっきりずっとしまわれてました。
それから20年くらい経って、ある日ポンと出したら、母いわく
「ヘンな色・・」あんたが買ったんだろーがぁ!!
というわけで、更にそれからしまわれ続けておりました。
着てみると、昔のデザインですから袖ぐりが少しきついです。
前は、今の私が母なみのぼでーで、ボタン「とまりません」。
でもなんか着てみようかなーという気になってます。
今度の冬まで、またしまっておくことにしました、ってだから
それをやるからモノが減らないんだってば・・・。
昨日のお仕事の図といい今日のシースルーの
襲といい本当に昔の生地、色、柄なかなか普段
目に出来ないものをとんぼ様のブログで見せて
いただけてとっても嬉しいです。
まだまだありますので、お楽しみに。
ウチで少ないのは女の子の着物、小さい子のですね。
ただ華やかなのは、けっこうあるんですが、
変わったのがなかなかないんですよ。
鋭意探索中です。
かさねの話でしたが、今日の茶会のご亭主、一年の間のほんの二週間ぐらいしか着られそうにもない、絽袷の着物でした。
表紺の中に、下の白を通してなんの花でしたか、花が、
普通の絽の着物からみると、深みがありました。
今を感じる贅沢でもあり、素敵な着物でした。
趣向は「夏越しのはらへの茶会」でした。茅野輪をくぐって、厄をはらってきました。
「水月」のお菓子もいただいてきました。
季節を感じさせる気持ちのいい茶会でした。
絽あわせ、紗あわせは、ほんとに一時期のもの、
贅沢な着物ですが、その美しさはまた格別ですね。
めったに見なくなりました。
厄払いもなさっていいものをみることができて、
おいしいものがいただけて・・いいお茶会でしたね。
百福様
私も最初「すずし」ではないかと思ったのですが、
それにしてはとても柔らか、もちろんそれなりの
ハリはあるんですけど、あのシャリ感といいますか
ハリ感といいますか、それが違う気がするのです。
なにしろ経糸がよっているところがあるんです。
袖の部分はきれいな縞模様になってますが、
紅絹の透けているほう、経糸があっちによったり
こっちによったり・・で、
使い込んだ薄さ・・が感じられるんです。
でも、それは使われての「より」で、
やっぱりすずしなのかもしれません。
はっきりしなくてすみません。
素敵な組み合わせにしばしうっとりしていました。どれだけ好きなきれでも、着たいなと思うのは少ないし、実際に二枚襲を着るのは「コロコロで暑がり」が災いして問題アリですが、想像の中で上着は媚茶色の縞お召しにして何度もはおってみました。
身近に礼装でない普段用の襲を持っている人を見たり聞いたりしたことがないので、こういう物は大正時代までのことだろうと私も思っていました。ところが昭和7年発行の和裁の本に「流行の二枚襲」として写真があり「平常用の普通襲物について」と仕立て方が載っていました。そんな流行ってあったかなあ、映画でもあまりみたことないし、とちょっと不思議な気がしました。
えーと、ちょっと違うかもしれないのですが、それほど昔ではなく、男の人は「着物下」と呼ばれるものをよく着ていました。関東モノのお召し(京モノよりワンランク下)などです。昔お父さんは家で丹前なんてのをきてましたね。その下に着るわけですが、つまり「防寒用重ね着」です。女性の場合は、つい昭和の中ごろまでは、留袖の比翼仕立ては「新モノ」で、それ以前はちゃんと白い下着(この場合はスリップなどの意味の下着ではなく「下に着る着物」の意味です)を着ていましたが、普段に・・って言うのは私もあまりきいたことがありません。まぁその種の本と言うのは「はやってないものをはやらせる」と言う目的で「流行の」というフレーズを使うこともありますから。襲は2枚の場合は「上着・下着」で3枚の場合は「上着・中着・下着」になります。昭和7年というと、まだまだ暖房器具などもかぎられていた時代です。正装でなくゴロゴロしないかさねの作り方、と言うのではないでしょうか。私もその本拝見したいです。
説明が下手ですみません。本にあるのは一番上の画像とまったく同じつくりの物です。昭和になってからの物でしたらまだまだ見聞きすることがあると思うのに、それがないので驚いて不思議に思ったのでした。ついでに昭和8年の「和服裁縫系統的精説」という裁縫科の教科書を見てみると「本裁女小袖重」というところに礼装以外のもがありました。とんぼさんがこの本を見られたらどれだけ解りやすく役に立つことをいろいろ書かれるだろうと思います。
こちらこそ、ちゃんとわからなくてすみません。古い本、しょっちゅうさがすのですが、洋裁系が多いんですよね。今回いい本屋さん見つけましたので、また古本、アップしますね。