写真は、久しぶりのお福ちゃん、衿元写真です。ピシリと半衿決まってますが…
実はプラの衿芯をそのまま半衿で包んでとめてあるわけで…ゴマカシててすみません。
今まで、まぁぁいろんなことを書いてきたつもりでしたが、
「衿芯」について書いたことがなかったような…。
つまりは「半衿つけ」ってコトにもなるんですが…今回はつけ方そのものは書きません。
私の「大手抜きつけ方」でよければ、こちらをご覧下さい。
まずは、昔ながらの「三河芯」を使うとき。
これは私昔やってたんですがねぇ…すっかり「プラ芯」になってしまったので…。
早い話が、長じゅばんの衿に、芯を縫いつけ、その上に半衿を縫い付ける…。
また直接半衿を縫いつけ(留めつける程度にザク縫い)、それを長じゅばんの衿に縫い付ける方法もあります。
私は芯をつけて、半衿つけて…とやっていた気がしますが…なんせ40年くらい前の話で…。
下手でしたねぇ。着物着ると、衿のへんなとこにシワがよったりして。
母もプラ芯が出てからは、もっぱらプラ芯でした。
今、呉服屋さんでじゅばんを縫ってもらっても「芯つけないでいい」とお願いしています。
確かに…とっってもきれいにつけて下さるのですが、私の首のラインと意見が合わない…。
で、半衿のつけ方は、それぞれのやり方…がおありと思います。
プロのつけ方はそりゃぁきれいですが、着るたびにあんなふうにはつけられません、ので私は「超手抜き」で。
そして、つけ終わったら「プラ衿芯」を入れます。
さてこの「プラ芯」ですが、今いろんなのが出ていますね。
左は最近の「衿にそってカーブしているもの」…一度使ってやめました。
私には合いません…。
私が使っているのは右側で、かなり古~~いものです。端っこになんか黒く付いているのは、
母と同じものを使っていたので、間違えないようにのしるしです。つまり嫁入り前のものってわけです。
夏物、と言うわけではなく昔はこんなのしかなかったと思うのですが、メッシュです。
見えないものとはいえ、かなり古くなってきましたので、今までに新しいのをいくつか買ったのですが、
なぜか使いにくいのです。トップ写真の「お福ちゃん」に使っているのがそれなのですが、
幅が広くてやたら硬くて、私が使うと学生服の詰衿みたいで…。
プラ芯は、かたすぎると入れやすいけど衿の張り具合がきついといいますか、なんか余裕がないし、
柔らかすぎると、入れるのに一苦労する上、なんか役に立たない…。
母とおそろいの古いのが、適度にハリがあって、でも柔らかく手使いやすい…結局古いものが捨てられない私です。
こういうものは「丸めて収納」がいいと、呉服屋さんのサイトなどにも書いてありますが、
先の部分まで丸まって、半衿の中を通すときに引っかかるといいますか、入れづらい原因のひとつになります。
もし、収納場所に余裕があるなら、左のように完全に丸めず、片方の先だけは伸ばしておくといいです。
べつにとめるのは洗濯ばさみでなくてもいいんですよーー。
もしくは、片方のさきだけ、例えば古いテレホンカードとか、厚手の紙のようなもの、
あれを芯の先の形に切って両面テープで貼り付けておくと、曲がりません。
写真を撮るのにはがしてしまったので、新しく「厚手の紙」をつけました。こんな感じ。
プラ芯は、じゅばんの衿の内側に入れるのが普通ですが、
衿芯の幅が狭いと、衿の山の部分がたるんだようになって、きれいにならないことがあります。
芯を入れた後ろ衿の部分、ちゃんと縫ってませんで、待ち針どめです。すみません。
衿幅より芯の方が細いと、段がついて矢印から手前がふにゃふにゃするわけです。
これは白のふくれ織ですが、普通の塩瀬白半衿ですと、中の衿芯が透けて見えたりします。
ココが見えるのは、真後ろの部分だけなんですが、ちょっと見下ろされる状況だと、ここにシワがよったり、
たるんだり、この「芯」の形が見えたり…そんなことがあります。
そこでちょっと一手間、芯を衿の折山にピッタリつけます。黄色の待ち針のラインが芯の幅。
赤い点で書いたラインを、表側から、針目が見えないようにごく細かく…
反対側(表側)は着物の衿が重なるので見えませんからザックザクでかまいません。
赤い点のように長く縫わなくても、背中心を真ん中に左右に、数針分でOKです。
要は衿芯が下に落ちなければいいのですから。
こうすると、衿芯が衿の折山に沿ってくれるので、真後ろがきれいに整います。
もちろん、最初の半衿のつけ方もコツがありますけどね。
衿元、衿まわりは、着物というデザインが単一のものにとっては、変化をつける数少ないポイントです。
着付け教室で教わる「基本」は、きちんとした印象の最初です。
色柄もですが、半衿を出す分量、衿の抜き方、合わせ目の角度、半衿を寝かす起こすの違い…
それを自分流に楽しむ、というのが衿元のおしゃれ。
昔の着物の着方と言うのは、今では考えられないほどぐずぐずで、いっちゃなんですが「だらしなーい」印象です。
みんながグズグズやダラダラでしたら、それが当たり前ですが、今はそういう時代ではありません。
きちんとした印象の中で、自分流を探す…。
ごく狭い範囲なのに、印象としてはとてもダイジなところですから、楽しみつつしっかりと…。
いつものように、話が飛ぶのですが、NHKの番組に「タイム・スクープ・ハンター」というのがあります。
未来のジャーナリストが、さまざまな過去の時代に戻って、
歴史に名の残らない一般の人たちの体験をリポートするというもの。
子供ムキ…とも思える作りですが、時代による風俗などは、なかなかです。
まぁ、丸々昔のまんま…と言うわけではないでしょうが、時代考証がかなりちゃんとされていて、
江戸時代などは、いい加減な着方、結い損ないみたいな頭、ぬかるみの街路や粗末な家など、雰囲気はよく出ています。
また「ジャーナリスト役」の要 潤さん以外は、無名の劇団員さんみたいなひとたちなので、
妙にリアリティがあります。なかなかおもしろいですよ。
そういえば、昨夜の放送はなんと「屁負(へおい)比丘尼」でした。
タイトルみたとたんに、えっそんなのやるの?と、ビックリしました。以前「うわなり討ち」もやりましたしねぇ。
江戸時代には、おもしろい職業が(おもしろがっては失礼ですけれど)いろいろありますが、
身分とか男女差別とか、生活習慣などの違いから、こんな職業も成り立ったわけです。
ご覧になっていない方のために…「比丘尼」というのは「尼さん」のことですが、
「修行中」の人も含みます。別にお寺にいてお経を読まなくても、要するに「世俗を捨てたもの」の意味。
世俗を捨てたということは、人の心の見栄や欲、恥、そういったものから離れる…ということで、
屁負比丘尼は、裕福な女性のお供をして、たとえば茶席や稽古事の集まり、人の集まる行事などで、
その女性、奥方や娘の失敗を、みな一手に引き受ける、と言う役目。
放屁、げっぷ、何か壊す、落とすなどの粗相…そういったことが起きたときに「わたくしがやりました、平にご容赦を」と、
真っ先に宣言して負う役目。相手も知っていても「そうですか」とそ知らぬ顔をしてあげる…というもの。
嫁入り前の娘などは、屁ひとつで破談になったりして自殺するものもいたそうで…。
いや、今の時代でも、そりゃ恥ずかしいことですが…結婚しちゃったらねぇ…
いや、やっぱオットの前では「音あり」はしてないわ、ワタシ。
くさいお話しで終るのもなんですから…あっというまに咲いたムスカリです。
なにしろほったらかしなので、この冬きつかったのか、花もちいさいですけれど、
たくさん咲いてくれました。このベルの形が大好きです。
今使っているのは、左側のプラ芯です。
使い比べてないですが、右側の衿芯の方が
使いやすいですか。
宝づくし柄の半衿素敵ですね。
三河襟芯を使う方法は、やはり着付け教室で教わったんですが、あまりに面倒で止めてしまいました(ーー;)
「タイムハンター」籠かきの話や郵便初期の話が印象に残っています。先日のはお嬢さんの着物姿が可愛らしかった。色々な比丘尼がいるもんですね、びっくりしました!
それだけ使い方(教え方?)が多様化しているということなんでしょうね。
「タイム・スクープ・ハンター」はかなり高度な面白い内容なことがありますねぇ。
先日奈良時代の回を見ていたら、当時の人たちの話し言葉がちゃんと現代語ではなくて、ビックリしました。
左側のは、薄さとかはいいんですが、
首の短さですかねぇ、ちょっと前側が詰まる感じがするんです。
いろいろ使って見ないとわからないものですね。
白半衿を探したら…これしかナカッタ…まずいっ、塩瀬の探しておかなきゃ…。
薄さは気に入ったんですが、やはりカーブのせいか…。
「胸」も関係してきますよね。
なかなか難しいものです。
縫いつけ芯は、もうどうしてもでなければ、使いたくないですー。
比丘尼というのは、きちんと仏門に入った人以外では、
体を売るとか、怪しげな商売をする人もいたようです。
髪を下ろしたという姿(実際には有髪であったと思いますが)であることで、
いわば現実逃避といいますか、私はもう普通の女ではありません、と、
きまりをつける意味もあったかと思います。
女性が差別されていた時代ですからねぇ。
21種類…首の長さ及び太さ別…とかだったりして。
私も5~6本買いましたが、ドレもイマイチ。
この古いのがダメになったらどうしようかと思っています。
紙などで作る方法もありますが、やっぱり手軽が一番で…。
タイムスクープ…は、なかなかですね。言葉も習慣もちゃんと考えられています。