今日は高知で40度を越えました。暑い暑い夏です。
毎年今頃になると、戦争のさまざまな特集番組が放送されます。
今年見たもののひとつ「終わりなき被爆との闘い 被爆者と医師の68年」。
放射能とは恐ろしいものです。原爆が落とされたとき、至近距離にいた人は、即死、
そして少し離れていた人でも、直撃された人は数日中に高熱を発し、苦しみながら死んだそうです。
更にほんのわずかの加減で、その場で発病しなかった人も、数日後或いは数ヶ月後などに発症しました。
放射能はどうして人を死なせるのか…私には医学的な詳しいことはわかりません。
でも「染色体」に作用するということだけはわかります。
染色体は、よく「命の設計図」といわれます。
友人にダウン症の娘さんがいます。友人は「娘は○○番と○○番の染色体に異常があるの」と、
説明してくれました。どの染色体に異常があるかで、同じダウン症でも症状が違う…。
そして、ある番号の染色体が異常だと、たいへん短命だったりもするそうです。
まさしく「命の設計図」なのですね。
私は、以前「朽ちていった命」という本のご紹介をしました。
1999年、東海村の核燃料加工施設で起きた「臨界事故」の被害者の被爆してから亡くなるまでの記録です。
信じられないような初歩的な人災で、二人が被爆しました。
直後、倒れたそうですが、被爆三日目に受け入れた病院に転院したときは、
多少のむくみなどあっても意識もしっかりし、重症患者には見えなかったそうです。
人の体は全て細胞でできています。その中にある染色体によって、体は日々作り直されていきます。
皮膚はどんどん表面の細胞が「垢」となってぽろぽろとおちてゆき、下から新しい皮膚が生まれているわけです。
この「新旧交代」が、おこなわれなくなる…ということです。
東海村の被爆者は、結局83日目に亡くなりました。途中の様子は、本を読むのをやめたくなるほど、
悲惨です。医師の言葉があります。
「病気が起きて、状態が徐々に悪くなっていくのではない。被爆したほんのコンマ何秒の瞬間に、
全ての臓器が運命付けられる」
つまり「瞬時に設計図が壊され、細胞が再生できなくなる」ということです。
原爆のことは、私はもちろん知らない年代です。昭和30年ごろ、つまり被爆10年後あたりから、
被爆者の白血病の発症が突然増え始めたそうです。私は小学生のころ、何かのことで、
これを耳にしたのだと思いますが、長く「原爆症は白血病」と思い込んでいました。
その後、70年代でしたか「被爆者はガンが多い」といわれたと思います。
チェルノブイリの事故の時は、子供が甲状腺ガンになり、かわいらしい女の子も首に傷跡をもつ身になって…。
その後のわずかな知識で「放射能は染色体に異常を起こし、ガンになりやすい」と…。
そして今、被爆後68年も経って「被爆者にMDSが増えている」のだそうです。
MDSとは「骨髄異形成症候群」という病気だそうで、当然被爆していなくてもかかる病気ですが、
被爆者のその割合はとても高く、研究の結果「爆心地に近いところにいた人ほど、発症率が高い」と。
原爆直後、被爆者と関わった医師たちが「今の技術ではムリでも、将来なら」と、後世に託して、
被爆で亡くなった患者さんたちの病変部分などを、保存しておいてくれたのだそうです。
それを使ったその後の研究で、白血病でなくなった人たちの染色体は、等しく22番と9番が変異していることが
判明したのだそうです。そして今、MDSになった人の染色体は、半分ほどが変異しているそうです。
染色体というのは、多少の切断などでは、元に戻ろうとする力があるのだそうですが、
あまりにひどい状態だと、つまり「設計図として役に立たなくなる」と、アポトーシスが起こります。
アポトーシスは、例えば体の中でガン細胞ができるとそれが壊れる…つまり細胞の自殺です。
MDSの被爆者の染色体は、あちこちちぎれたものが、ナントカ元に戻ろうと、別のものと付いてしまったり、
消えてしまったり…それで、半分くらいが設計図の間違った染色体になってしまっている…
とまぁ、私程度では、こんな説明しかできませんが、そういうことらしいです。
怖いのは…それが68年後におきているということです。
医師は「壊されてもがんばって、正常に伝達してきたものが、小さな傷が今になって大きな傷になった」…
というような表現をしていました。
染色体というものは、本当にすごいものだと思います。そして、その大切な設計図を、
瞬時に書きかえてしまうのが、放射能というものです。更に「本当のこと、結論」は、まだ出ていないのです。
福島で汚染水が海に流れ出ているといいます。近隣はまだ汚染濃度が高くて住めません。
詳細はわからないけれど、放射能って68年経っても、最初の傷が治らないものなのです。
私は横浜ですが、あの福島の原発事故の直後、今となってはもう予測しかできないけれど、
このアタリにもかなりの放射能が流れてきただろうと思っています。
○○シーベルトと、数値に出して安全圏と言っていますが、ほんとにそうなのかどうか。
自然界にも存在するものではありますけれど、わずかの放射能でも、何十年も接触していたら、
何か起こるのではとしか思えません。
「原発の本当の安全」というのは、放射能が漏れたときに、それを消し去るとか、無害なものに替えるとか、
そういう技術が生まれて、初めて言えることだと思うのです。
地震が来ても大丈夫、津波が来ても大丈夫、そんなことは真の保障にはなりません。
原爆で苦しむ人も、少なくなってきていますが、まだ「胎内被爆」した人たちも残っています。
記憶が薄れないうちに、実例があるうちにというのは、ご本人たちにとってはたいへん苦しいことと思いますが、
後世のために、発信してほしいですし、私たちは孫や曾孫の代に「いい地球」をわたせるように、
忘れてはならないのだと思っています。
私は、このブログ内では「戦争の責任」とか「特定の国の批判」というものをしたくありません。
ただひたすら「放射能」は、得体の知れない怖さを持つものだということを、人はしっかり自覚して
この先の付き合いを考えなければならない、と思っています。
着物のブログでこの記事を書かれたこと、勇気が必要だったと思います。敬意を表させてください。
着物の記事も楽しみにしています。
こちらこそ、コメントありがとうございます。
着物ブログではありますが、親からわずかでも戦争の話を聞いている年代として、
毎年今頃は何かしら書かせていただいています。
記事には書かなかったのですが、ご高齢で最後まで被爆体験を語り続けた方が、
「私の中に原爆がいる」といった言葉が、とても重かったです。
また、まだ60代でMDSを発症した方が「ついに来るべきものがきた」と…。
たとえ発症しなくても、死ぬまでずっとおびえ続ける人が現実にいるということが、
放射能の本当の怖さだと思います。
「また、自分たちと同じ思いをしなければならない人たちが出てしまったのか」と、つらい思いを繰り返したのではないでしょうか。
もちろん、原爆と原発事故は違います。
でも…
新聞に載っていたのです。避難区域の女子高生が「将来自分は子どもを産めるのか、考えてしまう」と。
妊婦さんや、乳幼児を抱えていた人も、これから何年も何十年も放射能に怯えて暮らすんですよね…
福島の人だけではない、関東やそれ以外の地域の人も。
政治家や電力会社のお偉いさんは想像力というものがないのか、それともわざと考えないようにしているのか…
今、この時だからこそ私たちは考えなくてはならないと思います。
広島がありそして福島。
日本人として発信しなければならないことがあるように感じています。
被爆国の国民として、原発事故を体験とした国民としてーー今、私たちはどういう立ち位置に立つべきか選択を迫らえているように思うのですが。。。
ご紹介されていた本は私も知っていたのですが、おっしゃるようにとても読み進めるには辛い本だよ。と言われて読まずにいたものです。一度、読んでみようと改めて思いました。
小さなことからまず一歩★
目の前にいる人達に、毎日、笑顔で★
この授かった命を大切な人達にの為に、大切に使い尽くしたいですよね。
ね、とんぼママ★
放射能で命の設計図が瞬時に壊されてしまうなんて
知識は持っていませんでした。
ただ、花粉や黄砂、光化学スモッグなどは比較的
黄色かったりかすんでいたりで分かりやすいですが、
放射能は目に見えないものだけに、知らない内に
身体に入っているかもしれないと思うと本当に恐ろしい
限りです。
原爆と原発は違いますが、「素材」はおんなじですもんね。
なんでも、材料としては原発の方が、
純粋にエネルギーをとりだすため、強いとか聞きました。
正確ではありませんが…。
わずかでも体に影響したらと思うと、まだ若い女性が、妊娠や出産を
キにするのは当然のことです。
しかも「○○だから大丈夫」という保障がまったくないのですから。
こんな残酷なことはありませんよ。
被爆者も、そのために結婚や就職まで、あきらめることばかりだったと、
なんでそんな不幸な目に…と思います。
なんでもいいから「はっきり」させてほしいものです。
福島の時は、いつまでたってもちっとも納得できる情報がでなくて、
ほんとに不安がつのりました。
被爆者の方たちは、きっと「なんでどうして」と、腹立たしい思いをしたことでしょう。
しかも、いまだに出てくる話は後手後手のハナシばかりで、先も見えません。
「できることは何か」と、そう思います。選挙もそのひとつですが、
投票率が低いのを見ると、ほんとにがっかりです。
本、読んでみてください。つらい本ですが、最後の「解剖」で、
人の強さというか、命への執念は、放射能にも負けてなかったと思いましたよ。
まぁわたしなど「ママ」というより「おっかさん・かぁちゃん」ですが、
佳様のお言葉、ほんとにそうだそうだと思います。
命は大切なものです。
やたら殺したり、自殺したりが多いですが、自分に対しても、
親に対しても、こんな無礼なことはありません。
人にできることには限りがあるけれど、精一杯生きること、生き切ることが、
大事だと思っています。なにしろ一回しか使えないんですから!
ほんとに目に見えないのは怖いですね。
原発事故のあと、ずいぶんたってから、
実は当日の風向きはこうで…と、福島からずいぶん離れたこちらの方にも、
飛んできたことを知らされました。
いっときは静岡のお茶がダメだといわれましたし…。
まったくテキの姿が見えないのは、ほんとに恐怖です。