最近の天気なんて、そろそろ8月だからとか、9月になったら、なんて
昔ながらの「予測」は全くアテになりません。まるで秋雨前線のような長雨予報。
しかも「大降り」、またあちこちで水害が起きています。
もう〇十年に一度…なんていう表現もインパクトなくなりましたね。
それでも暑さがちとおさまって、ほっとしながら時間を過ごしましたが、
気がかりが増えています。父の認知症です。始まっているのは確かです。
まだまだ部分的で、暮らしに困るようなことはないのですが、
物忘れはますますひどくなりましたし、判断力も低下。
この前はケータイ(ガラケー)の使い方がわからなくなりました。
ただ、それはずっと使わなかったため、です。
元々ケータイは、私との連絡のみで、誰にも番号も教えていないし登録もしていません。
それで、外出すると「今どこそこ、これから帰る」みたいなことを電話してきていました。
それがある日突然公衆電話からかかるようになり、最初は忘れたとか充電してなかったとか
あれこれ言っていたのですが、どうもおかしいので問いただしたところ
「あけても真っ黒になっていて何もでない」と。電源の入れ方を忘れていました。
最初に「なんかおかしくなった」と言ってくれればいいのに、結局面倒なのと、
使わなくてもなんとかなる…だったのか、放置してあったわけです。
半年たっていましたら、もう全然使えなくなっていました。
まずは電源の入れ方を教え、「らくらくホン」なので、
登録してある私の自宅電話とスマホの番号を確認させ、そこにかける練習…。
二つ折れをあけて、3を押して通話ボタンで私のスマホが鳴りますから、
スマホ片手に「はい、かけてみて」…。あとで履歴を見ましたら8回練習していました。
それでもパッパッとはいかず、えーとえーと…となかなかです。
なんとかかけられるようになったので、練習のため毎日かけておいでと言いました。
まだもたつきながらですが、やっとかけられるようになりました。
普通に使えていたのに、しばらく使わないだけでここまで使えなくなるのは、
ちょっと普通ではありません。いろんなことが似たような状況になっています。
まだ一人暮らしはできていますが、ボケてできなくなったことと、その反対にしっかり過ぎるほど
かたくなに変えようとしないことがあります。それは「私の言うことは聞かない」、です。
クーラーはいくら言ってもつけません。足元が益々怪しくなってきたのですが、
慣れた家の中だから、と補装具もつけません。でも見ていると、部屋から台所に移動するとか、
私の見送りに出てくるとか、そんなときにまず手が先に出て、掴まる場所を探す…。
確かに同じ場所に同じ家具や柱があるので、それを伝って歩けますが、それでは危険です。
なので、三点支点の杖を買い、家の中でも使うように言ったのですが、
いついっても壁にぶら下がったままです。使わなくちゃと言っても、その時は笑ってごまかす…。
リハビリの散歩も口では「やっている」といっても、ほとんどやっていません。
こんなふうに半年くらいの間に、いろいろ下降線をたどってしまったのは、確かにコロナの影響です。
ただ、自分の体と精神を少しでも劣化させないための努力は、あれこれできたはずです。
元々が、あれもいやこれもいや、と、好きなように暮らしてきましたから、
ただテレビを見て、ぼーっと過ごして、それではダメだと言っても聞きませんでした。
コロナのことがあったので私もすぐには動けず、近くのケアプラザの職員さんが、
全員接種を終わるのを待って、今、介護認定のやり直しを予約しています。
3年前に受けた介護認定の時は、認定されたのに「ヘルパーにはいらない、デイサービスは絶対行かない」と、
結局何もしないまま、有効が切れてしまいました。
今、自分の状態を自分でも「ちょっとボケたし、なんか足もなぁ」と、心配しているので、
「今度認定が終わったら、デイサービスには、絶対行ってもらう。ヒトと交わらなくちゃダメだから」と
言い渡していますが、なんとかそれをさけられないかと、あれこれ理由を探しています。
ヘルパーと言っても週に1回、1時間程度なのですが、それもいい顔をしません。
困るのは、正確に判断できなくなっているので「これは、いやでもやらないと」とか
「これはしんどいけど続けないと」とか、そういう気持ちより「いやだ、嫌いだ、やりたくない」が、
どうしても優先になってしまうこと。こうなると「しないとだめだよ」が効き目全くなし。
理屈じゃないんですよね。扱いにくくなりました。
たまに問題を起こしてくれるので、ヘルパーさんのいるときとか、息子の昼寝の間に
行ってはあれこれストップかけたり、後始末?したりしていますが、
自分が問題の元だと自覚していませんから、なぜ文句を言われるのかわからないのでしょう。
結局は、あとあと嫌味を言われたり、いじわる仕掛けてきたり…その辺はシッカリしとります、ははは。
思えば父が不自由な体になってから10年です。
父にとってどんな10年だったのか、。大きなペケのときに私は怒鳴りつけるわけではないけれど
子供に言い聞かせるように「~なのだから、これはダメだよ。しっかり考えようよ」などというのですが、
最終的に言うのは「俺は早く死にたい」「何でいつまでも生きなきゃならないんだ」…。
私の一番聞きたくない言葉です。
体は少々不自由でも、好きな時にでかけ、人と交わらず「これが一番好きな暮らし方だ」と
そういいきれているときはよかったのですが、体も精神までもが萎え始めて
それに自身が気が付いたとき、死にたいと思うことは残念です。
父の老い方、母の老い方をずっと見てきて、自分の老い方を考えます。
ボケたくはないけれど、こればっかりはわかりません。
ただ、大丈夫であるならば、人との関りはなくてはならないと思います。
元々人は一人では生きていけないもの、ですから。
父のこと、いまならまだ少しは間に合う要素もあるのでは…と思い、
再認定の期日の連絡を待っているところです。
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