父が昨日届けてくれたもの。昔のものがいろいろ入っている箱をあけたら出てきた…と。
一瞬なんだかわかりませんでした。
これは…実は小学校の英語の授業で使った塗り絵です。
いまでこそ、小学生から英語を…なんていってますが、このときアタシはおんとし8歳くらい。
昭和30と何年かというころです。「三丁目の夕日」の時代ですね。
当時の子供は、今の子供たちより英語なんてものに全く縁がありませんでした。
なんたってまだテレビありませんでしたから。
「えーごでネコはキャットってゆうんだぜ」くらいで「すごーい」なんて時代です。
学校に上がるのに、字が読めなくたって問題ナシ。それを習いに学校へ行くんだから…で、
自分の名前がひらがなで書けたら「おぉえらいえらい」と言われたんですから。
ところがですねぇ、当時通っていた小学校のすぐ隣に、大きな米軍病院があったのです。広大な敷地でしたねぇ。
その前を毎日通っていたわけですが、ある日校長先生が教室にやってきて、
「お隣の病院に勤めておられる将校さんの奥さんが、明日から皆さんに英語を教えてくださいます」と言いました。
そんなわけで「小学生で英語」になったのです。
残念ながら、記憶力の悪い私は当時のことをはっきり覚えておりません。
うっすらとした記憶ですが、たぶん40代後半くらいかなという女性だったと思います。
お名前がミセス・パーマー、であったことと、背がとても高くてスタイルよかったこと、
とてもきれいな金髪であったことは覚えています。
年齢からいって、ある程度の階級の軍人さんのオクサマだったのでしょうね。
週に1度だったと思いますが、その時は先生手作りのフリップや絵のカード、そしてこの写真みたいな塗り絵など
全部持参でした。これ裏返してみると「地図」なんです。「SEA OF JAPAN」という字だけが見えます。
そうとう大きな軍用地図なのでしょうね。
もう一枚がこちら、下の方に問題が書かれています。要するに書かれている数だけその色を塗りなさい、ですね。
とりあえず間違えてませ…あれっグリーンじゃなくてライト・グリーン塗っとるやん。ツメが甘いのはこのころからか。
(紙がハンパな大きさで、スキャンしたら入りきりませんでした)
最初は「名詞」からで、絵札を見て「アップル」だの「ドッグ」だのと…
もちろん「アポゥゥ」「ダァァッグ」、と発音練習いたしました。
ところが、とても素晴しい企画ではあったのですが、突然ご主人の帰国が決まり、
やっと「はう・おーるど・あー・ゆー」「まい・ねーむ・いず・○○」程度までいったとこでお別れになってしまいました。
別れの日、先生はひとりひとりにヌガーをいくつか包んでリボンで結んだハンカチをくださいました。
私のは黄色に白で薄くツタや花が書いてあり、その中にボンネットをかぶった長いドレスの女性が二人いるというもの。
全体に飛んでいたのは薄紫のスミレ、これだけはほんとによく覚えています。
当時は子供のハンカチなんて、キャラクターものがあるわけじゃナシ、ただの白い木綿で、
隅っこに何年何組○○○○と、かいてあったりしたものです。私にとって初めて見る「大人のハンカチ」、
それも夢のような色合いで薄く透けていてしなやかで…宝物としてずいぶん長くとってありまして、
もう色あせていたと思いますが、嫁入りのドサクサで…あぁしっかりとっときゃよかった…。
細かい授業の記憶も、私の発音がなんとかなっていたのかも、なんにも覚えていないのですが、
ひとつだけ、なんでか理由は覚えていないのですが、その日は外にでることになって、
みんなでワーイワーイと、階段へ向かいました。
その時先生が、子供たちの手を引いてニコニコしながら、階段を急ぎ足で降り始め、
「ハーイミナサン…ハリィアップネ」と言いました。
もちろん、当時の私にはわかりません。そばに通訳代わりの英語ができる教師がいましたので、
私も階段をセカセカ降りながら「センセ、今パーマー先生はなんていったの?」と聞きましたら
「急ぎなさいとか、早くしましょとか、そういう意味だよ」と教えてくれました。
なーんだ…それならば、まいんちウチで言われてましたがな、かーちゃんに…「はよしぃな、もぅ」って。
後年、確か中学生のときだったか、例によってのんびりしていて「はよ、しぃ!なにしてんねん!」といわれたとき
「へぇへぇハリーアップでござんすね、いそぎゃいいんでしょーが」とかなんとか憎まれ口をきいたら、
「シャーラップ!」…シマッタ、かーちゃん、昔、進駐軍に勤めてたんだった…。
どうせなら、ぬり絵と一緒に、あの「シアワセの黄色いハンカチ」も出てきてくれればよかったんですが…。
あのとき、あのままずっと英語の授業が続いていたら、後年、私の学校での英語の苦労が少しは減ったんでしょうか。
いまだに英語は「ムズカシネ」…スピードラーニングでもやるか?
どれだけスペースがあるんだろうと感心
しながら拝見しています。
それにしてもスゴイ記憶力ですね。
英語に関しては本当に小さい頃に教えて
ほしかったと思います。
もう単語すら覚えていません。
(爆)ナイスツッコミ!
お母さまには、勝てませんね~(^^;)
私は何にも残ってないです。
さすがに卒業証書と通信簿は母親が保存してるようですが(死んだらお棺に入れて欲しいと言われてます)大学に入って実家を出たとき、就職して引っ越したとき、結婚したとき、家を建てたとき、その時々で写真も含め、あらゆる物を整理してしまいました。
とんぼ様はいろんなものを大切にしてらして、それがまた、思い出につながるのが。。。凄いです。
私も、早期英語教育が売りの幼稚園に入れられましたっけ(^^;)授業なんか何一つ覚えてませんが、スクールバスで一緒になる品川やわらちゃんが、いつも虐められてたのを覚えてます(--;)ドン臭かった。
虐めてたのは美人のあづまみどりちゃんだっ!
昔の素敵な思い出が
思い出の品とともに
蘇って、玉手箱みたいですね~♬
実家の二階の一部屋は完全に「納戸」になってます。
今のところに引っ越すときに、学校で書いた絵なんかは
かなり処分したんですけどねぇ。
持ち主の私が知らないものが、保管してあるようです。
英語は「会話」するための勉強をさせてもらいたかったですねぇ。
毎日その中で暮らしたら、なんとかなるものなのかと
思ってみたりしていますが、
学校で習った英語では、どうにも話せない…。外国の方がじょうずにニホンゴを話しているのを聞くと、
ほんとにすごいなぁと思います。
そうなんです。戦後すぐに鶴見の229部隊でガードウーマンをしていたそうです。
何かにつけ、太刀打ちできない母でしたわ。
私自身は、ずいぶん始末したつもりでしたが、母がみんな、箱に入れて保存…。
タイムカプセルのようですわ。
通信簿は当然ですが、小学校入学の時の書類が出てきたときには、もう唖然としました。
その娘ですから「断・捨・離」でくないのも無理ないわと…。
ほんとに玉手箱ですね。
見るとフラッシュ・バック…で、当時の景色とか、
その時の場所の空気といいますか、
そんなものまでふーっと思い出します。
私の場合は、プラス「化学」と「物理」も…。