今年のお正月に、息子はいつもどおりお年玉をもらいましたが…、
さて何を買うかなぁ…とずっと考えておりました。
貯金もいいけど「これ買ったよ」と見せてあげられるほうがいいし…。
だいたい毎年、服とか靴とかになってしまうのですが、
今足りてるし~、おいとくと「あたしが使っちゃうし~」(これが一番アブナイ)
どうしようかと迷っている時に、これを見つけました。
毎年お雛様はヒカクテキまじめに出している私ですが、
息子の兜飾りはどうにも大きいやら、場所をとるやらで…。
初節句のとき、大きいと飾るのがタイヘンですから、
「鎧まで揃っていなくていいから、小さいの」と頼みました。
確かにね、兜飾りだけでシンプルで、兜そのものは小さいんですよ。
ところが「それに付随するもの」ってのがねぇ…。
太刀飾りだの、弓飾りだの、鯉幟飾りだの…結局箪笥の上全部使ってもギリギリ…。
結局、最近五月人形は「これ」…いくらなんでも「オソマツ」すぎやしませんかって。
そこで、このお人形を買ったというわけです。これなら、お雛様と同じ場所に飾れます。
あっ大きさは、真ん中の子の高さが16センチです。
「初陣大将」と名前がついてます。陶器ですのでキラキラしてます。
さてそれでは「端午の節句」のお話しを…。
これまた旧暦のお話しになりますが、5月は十二支を当てはめると「午」の月、
その月の最初の午の日、の意味。つまりむかーしは5日とは限らなかったわけです。
暦には五節句がありますが、それの三番目、です。
元々日本の風習は、ほとんどが中国の風習が元になっています。
なにせあちらは4000年の歴史ある国で、おまけに広いですからねぇ。
コトの始まりといっても、確実に「これだ」という説はなかなかねぇ…です。
いずれにしても、その風習が日本に伝わったとき、日本にそういうものがなければ、
新しいものとして受け入れられ、やがて日本の風習にあったように変わってきましたし、
元々似た風習や、共通の視点があれば融合し…と、残ってきたわけです。
日本では、5月に元々女性の精進潔斎を主とした行事があり、
それにかぶさって変遷し、最終的に「子供の健康を祈る行事」に変化してきました。
こういう行事は元を辿っていくと「厄災よけ」「魔よけ」「疫病よけ」がほとんどですね。
武士が台頭してきた鎌倉時代あたりから、節句に使われる「菖蒲」が「尚武」「勝負」と
同じ発音であるため、男の子の健康を祈り、立身出世を願う…
という行事に変わっていきました。
元々、昔は乳幼児の死亡率が高かったですから、
子供の健康と成長を祈るのは、特に「力」を入れる行事でした。
昔は病気は「疫病神」といわれるくらいで、邪気、魔、鬼などが原因であるとして、
それを祓うまじないや祈りが、たくさんあったわけです。
節分に、鰯の頭を角に飾ったりするのも、その臭いで、魔を近寄らせないとか、
ひいらぎのとげとげで、悪鬼を入れないとか、そういう意味ですね。
菖蒲も、その成長がお節句のころに著しいとか、その香りが邪気を祓うといわれ、
菖蒲を髪に挿したり、菖蒲をひたしたお酒を飲んだりして「魔を祓い」ました。
武士階級では、更に「武運・武芸」にも恵まれるようにと、親は祈ったわけで、
菖蒲はその葉が細く長くとがっているため「刀」と見立てられて飾られました。
鎧兜の飾りは、当然武家のしきたりですが、元々は武家が「飾るため」ではなく、
この「菖蒲」にちなんだ日に、家宝の刀や鎧兜を出して手入れをしたり、
虫干しをしたことが「飾る」ということになっていったといわれています。
太平の世の中になっても、いざというときに、すぐにピカピカの武具と馬具を出し、
りっぱな馬に乗ってはせ参じることができる…というのが武士のたしなみでした。
それを身に着けて一人前に、戦に出られるようなりっぱな武士に育つように、
ということと、病の邪気から子供を守るお守りとして飾られたのでしょうね。
また鯉幟は、中国の「登龍門」のいわれ、
黄河の竜門山というところに治水工事のために切り開かれた急流と滝があり、
そこを昇りきることができた鯉は「龍」になる、といわれた故事から、
立身出世、富や名声を祈る親心の表れですね。
じゃなんで武士ではない庶民も飾ったの?ですが、
江戸時代、富裕階級の人たちは、身分ではどうしても勝てませんから、
それならばと、子供のためにホンモノそっくりの鎧兜などを飾ったわけです。
それがだんだん一般化していったというわけですね。
子供の健康や成長を祈る気持ちは、身分なんか関係ありませんからね。
さて、そんなわけで、ちょっと早いけれど、五月人形を飾ることにしました。
と、その前に…お雛様を片付けんとあかんやん…。
はい、そーなんです。今年はお雛祭りのあと、天候が定まりませんで、
ちゃんと湿気の少ないお天気のいい日に…と思っているうちに、
母がコケたり、息子がカゼでダウンしたり…。
やっとナントカと思ったら、また天気が…。
えーいこうなったら、旧暦のおひなさんまで出しとくかぁ…とも思ったのですが…。
この子達が到着したので、選手交代。
いつもは、お雛様を片付けてから、しばらくはこの場所は「お休み」なのですが、
今年はこのまま、5月までひっぱりまっす!
ん~お飾りの「柏餅」がほしいなぁ…。
さて何を買うかなぁ…とずっと考えておりました。
貯金もいいけど「これ買ったよ」と見せてあげられるほうがいいし…。
だいたい毎年、服とか靴とかになってしまうのですが、
今足りてるし~、おいとくと「あたしが使っちゃうし~」(これが一番アブナイ)
どうしようかと迷っている時に、これを見つけました。
毎年お雛様はヒカクテキまじめに出している私ですが、
息子の兜飾りはどうにも大きいやら、場所をとるやらで…。
初節句のとき、大きいと飾るのがタイヘンですから、
「鎧まで揃っていなくていいから、小さいの」と頼みました。
確かにね、兜飾りだけでシンプルで、兜そのものは小さいんですよ。
ところが「それに付随するもの」ってのがねぇ…。
太刀飾りだの、弓飾りだの、鯉幟飾りだの…結局箪笥の上全部使ってもギリギリ…。
結局、最近五月人形は「これ」…いくらなんでも「オソマツ」すぎやしませんかって。
そこで、このお人形を買ったというわけです。これなら、お雛様と同じ場所に飾れます。
あっ大きさは、真ん中の子の高さが16センチです。
「初陣大将」と名前がついてます。陶器ですのでキラキラしてます。
さてそれでは「端午の節句」のお話しを…。
これまた旧暦のお話しになりますが、5月は十二支を当てはめると「午」の月、
その月の最初の午の日、の意味。つまりむかーしは5日とは限らなかったわけです。
暦には五節句がありますが、それの三番目、です。
元々日本の風習は、ほとんどが中国の風習が元になっています。
なにせあちらは4000年の歴史ある国で、おまけに広いですからねぇ。
コトの始まりといっても、確実に「これだ」という説はなかなかねぇ…です。
いずれにしても、その風習が日本に伝わったとき、日本にそういうものがなければ、
新しいものとして受け入れられ、やがて日本の風習にあったように変わってきましたし、
元々似た風習や、共通の視点があれば融合し…と、残ってきたわけです。
日本では、5月に元々女性の精進潔斎を主とした行事があり、
それにかぶさって変遷し、最終的に「子供の健康を祈る行事」に変化してきました。
こういう行事は元を辿っていくと「厄災よけ」「魔よけ」「疫病よけ」がほとんどですね。
武士が台頭してきた鎌倉時代あたりから、節句に使われる「菖蒲」が「尚武」「勝負」と
同じ発音であるため、男の子の健康を祈り、立身出世を願う…
という行事に変わっていきました。
元々、昔は乳幼児の死亡率が高かったですから、
子供の健康と成長を祈るのは、特に「力」を入れる行事でした。
昔は病気は「疫病神」といわれるくらいで、邪気、魔、鬼などが原因であるとして、
それを祓うまじないや祈りが、たくさんあったわけです。
節分に、鰯の頭を角に飾ったりするのも、その臭いで、魔を近寄らせないとか、
ひいらぎのとげとげで、悪鬼を入れないとか、そういう意味ですね。
菖蒲も、その成長がお節句のころに著しいとか、その香りが邪気を祓うといわれ、
菖蒲を髪に挿したり、菖蒲をひたしたお酒を飲んだりして「魔を祓い」ました。
武士階級では、更に「武運・武芸」にも恵まれるようにと、親は祈ったわけで、
菖蒲はその葉が細く長くとがっているため「刀」と見立てられて飾られました。
鎧兜の飾りは、当然武家のしきたりですが、元々は武家が「飾るため」ではなく、
この「菖蒲」にちなんだ日に、家宝の刀や鎧兜を出して手入れをしたり、
虫干しをしたことが「飾る」ということになっていったといわれています。
太平の世の中になっても、いざというときに、すぐにピカピカの武具と馬具を出し、
りっぱな馬に乗ってはせ参じることができる…というのが武士のたしなみでした。
それを身に着けて一人前に、戦に出られるようなりっぱな武士に育つように、
ということと、病の邪気から子供を守るお守りとして飾られたのでしょうね。
また鯉幟は、中国の「登龍門」のいわれ、
黄河の竜門山というところに治水工事のために切り開かれた急流と滝があり、
そこを昇りきることができた鯉は「龍」になる、といわれた故事から、
立身出世、富や名声を祈る親心の表れですね。
じゃなんで武士ではない庶民も飾ったの?ですが、
江戸時代、富裕階級の人たちは、身分ではどうしても勝てませんから、
それならばと、子供のためにホンモノそっくりの鎧兜などを飾ったわけです。
それがだんだん一般化していったというわけですね。
子供の健康や成長を祈る気持ちは、身分なんか関係ありませんからね。
さて、そんなわけで、ちょっと早いけれど、五月人形を飾ることにしました。
と、その前に…お雛様を片付けんとあかんやん…。
はい、そーなんです。今年はお雛祭りのあと、天候が定まりませんで、
ちゃんと湿気の少ないお天気のいい日に…と思っているうちに、
母がコケたり、息子がカゼでダウンしたり…。
やっとナントカと思ったら、また天気が…。
えーいこうなったら、旧暦のおひなさんまで出しとくかぁ…とも思ったのですが…。
この子達が到着したので、選手交代。
いつもは、お雛様を片付けてから、しばらくはこの場所は「お休み」なのですが、
今年はこのまま、5月までひっぱりまっす!
ん~お飾りの「柏餅」がほしいなぁ…。
ほんとうは、木目込みとか土人形とか
そっちを探していたのですが、
この「カオ」が気に入っちゃって。
割らないように気をつけるものが、
また増えちゃいましたー。
旧暦まではさすがにながいですね。
私も今年はずいぶん長く飾っちゃいまして、
ほこりすごかったです。ははは。
子供が大きくなると飾らない…と言いますが、
私も一時期、気にしつつも出してませんでした。
50近くなってから、なんといいますか、
季節のしつらえみたいな部分で、
やっぱりいいよねぇと、また飾るようになりました。
いいもんですね。
私は外出しにくい分、ネットでがむしゃらに
さがしてるんです。
「和小物」で検索したり、「ガラス食器」とか
「漆」とか「和紙細工」とか…
思いついた言葉で検索しては、
いいところを「お気に入り」に入れてます。
「生活雑貨屋さん」が穴場です。
けっこうおもしろいものがありますよ。
うちはあいにく男の子がいないので、
五月人形もありません。
未だにお雛様飾ったままです。
旧暦までと思ったんですが、4月16日
までは長いような気がして・・・
3月いっぱいで片付けようかなとも思います。
こういう陶器製のお飾りいいですねぇ。
いましたら、お供を従えての<初陣大将>なのですね。
3月のお雛さま、5月人形と子ども達の成長を願って
飾り続けてきました。
二人とも40歳代になりましたが、毎年、リビングの
サイドボードの上に飾っては、思い出に浸ったり、
健康を願ったりしています。
とんぼさんはどこでいろいろ素敵なものを探されるのですか?
ちょっと知りたい気がします。