ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

♪いろんな~くるまぁ~~??

2006-05-31 16:20:25 | 着物・古布

写真は縫い取りお召しの着物、解いたものです。
色違いで2枚・・ではなくて、実は大失敗!色落ちです。
左のグレーっぽい柄のものが元々のもの、右が洗ったら色でちゃったもの。
最初にちょっと迷ったんです。元の地の色は濃いし、柄の糸色は薄いし、
恐る恐る水につけたとたんに、ものすごいチョコレート色の水がでたので
「こりゃアカン」と、急いで水をかえてすぐに絞ったのですが、
伸子張りして乾いたら、みごとにぜーんぶ「チョコレート」になっちゃいました。
あーあと思ったのですが、こうして並べてみると、逆にギラギラしていたのが
落ち着いたかな・・と思うのです。テーブルライナーなど、
少し輝きがあるほうがいいものは、元のほうがいいですが、
これは着分ありますので、何かおおきいものに使う予定でした。
それならちょっと落ち着いた右のほうがいいかな・・・と、
自分の失敗をなんとかいいほうに??考えようとしているとんぼです。

さて、この柄は良く見る柄「御所車」、です。
で、本日そこからむりやひっぱって「この時代の乗り物」について・・。
ムリは何事によらず、よくありません。
さぁ乗り物・・と思ったら、「乗り物」というのがあまりないのです。
奈良平安というと、この「御所車」、「牛車(ぎっしゃ)」とも言いますが、
これに「輿(こし)」というのを加えて、この二つくらいしかありません。
輿は特に身分の高い天皇や皇后といった方々、またはそのお血筋専用・・。
牛車は木製の車輪ですし、実際には「ゆれ」がひどかったので
やんごとなき方々は、人の担ぐものを使ったわけでしょうね。

ところでなぜ「牛車」で、「馬車」ではなかったのでしょう。
当時はすでに馬はたくさん使われてはいましたが、ほとんどが一人で乗馬する形、
思うに京都の街中は、道はある程度整備されておりましたが、
西部劇のように、はいよーっと馬を飛ばしたり、カッカッと馬車を走らせたり・・
という状況ではなかったのではないかと、そんなふうに思うのですが・・。
それと、全てにおいてみやびな貴族たちにとっては、
パカパカと足の早い「馬車」は、むかなかったのではないかと思います。
牛くんのゆったりのんびりのリズムが、ちょうどあっていたのではないかと。
シンデレラの馬車がもし「牛車」だったら・・いつになったらお城に着くやら・・
王子様に会う前に魔法は解けてますねぇきっと・・。

さて、この御所車、ある種のバスと同じ乗り方をします。
つまり「後ろ乗り・前降り」です。「券」は取りませんけど!
乗るときは、車をお屋敷の中に引き入れ、乗車専用の出入り口につけます。
そこの妻戸をあけると、直接乗り込めるようになっていました。
降りるときは、牛をはずして「轅(ながえ)」という棒、
あの大八車やリヤカーの、前に伸びた2本の棒にあたるところです、
あれを台に乗せて固定し、更に降りるのに必要な台を置いてそこから降りました。
衣装が大仰でしたから、乗り降りもタイヘンだったでしょうね。
牛車には、模様を書き込んだり窓をつけたりと、いろいろな種類があり
身分や家柄で、使い分けられておりました。この牛車に誰のものかをしめすため
描かれた文様が、「家紋」の始まりと言われております。
美しい花の紋などの場合は、それをズラリと並べて描いたものもあってようです。
ちなみに「安倍清明」の紋は「五芒星」つまり「☆」、ズラリと並べて描いたら、
エレクトリカルパレードのフロートのよーだ・・ったかどうかはわかりませーん。

さて、これで終わっちゃうのもさびしいので、同じ乗り物でも現代のものを。
実は整理の途中で、こーんな古い本が出てきたのです。
昭和43年と44年。




とんぼは中学の頃から、こういう「車」が大好きでした。
当時は今のように「F1」なんて騒がれていませんでした。
レースクィーンも騒がれなかったし、テレビでレースの放映もナシ。
それなのになぜ好きだったのか、自分でもよくわからないのですが、
乗れもしないのに車がすき、というより「形」が好きだったのだと思います。
左の表紙の「ヒゲ紳士」はグラハム・ヒル、当時のトップ・レーサーで、
「チーム・ロータス」のリーダーでした。今は息子さんがレースをやってますね。
右の本はアルファ・ロメオです。

本の中には、当時のF1マシーンと、スポーツ・カーがてんこ盛り!
こちらは私が今でも写真でもあったら飾りたいとおもっているくらい好きな
「トヨタ2000GT」、今はもう作られていません。
世界で一番美しい車・・だと、今でも思っている私、ヘン!?
すぐ下の右側は、同じトヨタのちびスポーツカー「トヨタ・スポーツ800」、
通称「ヨタはち(8)」これはかわいかったです。



お次は、当時若い人に人気のあった「いすずベレット」
下の左はホンダの800.



この頃は、サニー、フェアレディ、スカイラインなど、
若者が「かっこいい」とあこがれる車がどんどん出てきた時代です。
この本が出る、ほんの10年くらい前は「マイ・カー」なんて言葉もなく、
車を持っているのは、お大尽さま・・という感じでした。
やがて、ファミリー・カーといいますか、家族で乗る車・・というのが、
だんだんひろまってきまして、あっというまに「いろんな車」になって
いまや車の大洪水・・・ですねぇ。
このころは、ちょっと見ただけで「○○のナニナニ」と、すぐ言えましたが、
いまや「どれ見ても同じに見える・・」
スーパーの駐車場で、ウチの車どれだっけ・・なんて。

人力、馬力に頼っていた人間が、道具として「自動車」を発明したのは、
画期的なことだと思いますが、いまや「排気ガス」「渋滞」など、
さまざまな問題を引き起こしています。
ひとつには「進むスピード」がはやすぎるんじゃないか・・と、
そんなふうにも思います。牛車でのんびりやっているころは、
それでやってみていいところ悪いところ、いろいろ結果がでて、
改良されて、不要なものはなくなっていって、いいものは残って・・。
それが、今は「今使っているもののどこがいいのか、わるいのか」、
それもよくわからないうちに、メーカーが勝手に「今度ここがよくなりました」と
新しいものを出してくる・・・。まだ壊れてもいないものが捨てられる。
もっとゆっくり、できないもんですかねぇ。
といいつつ、我が家には、パソコンが2台、ホコリかぶってます。はぁ~

昔の車の話題なんて・・と思っておそるおそる写真のせたんですが、
ファンがいることがわかりまして、ははは、ズにのって追加しちまいます。
「黄色のランボルギーニ」はたぶんカウンタックLP400
こちらは「ランボルギーニ・ミウラ」
下は「マツダのコスモスポーツ」




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16 コメント

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Unknown (とんぼ)
2006-06-01 21:31:30
こ・こんなにコメントが・・・、すみませーん。



Suzuka様

だいじょーぶ、指折数えてみると・・はずしてます・・ってなぜトシを知っている???ははは。



230様

お若いころは、飛ばしておられたんですねぇ。右の本には「ベレット1600」が載ってりました。私はメカについてはよくわかりませんで、ただもうくっついて助手席に乗ってただけなんですが、東名で220キロの速さ、乗りましたけどなんか「早いなー」というだけでしたねぇ。感覚がマヒしちゃうんでしょうか。

今はもう安全運転・・と言えるか??住宅地50キロで走ってるっつーに。

それにしても「液晶」、たいへんなお仕事なさっておられたのですね。当時の自動車王国のアメリカに認められたのですから、すごいですねぇ。



Fujipi様

いや、皆様思った以上に「クルマ」に反応してくださって、御所車、どっかとんじゃいました。そういえば「スーパーカー・ブーム」ありましたねぇ。「自動車ショー」ももう何十年もいってません。俳優さんでもそうですが、昔はカッコいいのがよくて、最近は「渋め」がお好み・・。なんていいながら、乗ってるのは「生活に便利なクルマ」、両側がスライドドアのがほしいとんぼです。



千兵衛様

サバンナとカペラ、どっちにするかって迷ったんですよ。いえ、どーせ私が運転するわけじゃないんで、私はどっちでもよかったんですが、CMはサバンナのほうが好きでした。それにしても、千様もけっこう怖い思いしてるんですね。私、自分が運転するようになって、はじめて車の怖さを知りました。いまのところ「ゴールド免許」ですが、今日から「駐車」も厳しくなりましたし、お仕事での駐車、大丈夫ですか?お互いルール守って乗りまっしょ。



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アンダーステアー (230)
2006-06-01 18:38:30
私はベレG一筋でしたが、一緒に一番走った友人はカペラ、サバンナ、そしてルーチェとロータリーばかりでした。

ロータリーのふけの良さは最高でしたが、一度回転が上がると下がらないのです。

これはダブルクラッチ(ヒールアンドトー)ができないことを意味します。

単に直線を走るの時は圧倒的に早かったですが、エンジン出力に対してサスペンションがマッチしておらず(凄いアンダーステアーでもあった)、ヒールアンドトーができないのでコーナリングスピードは私のベレGの方が遥かに速かったです。
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スムースな回転でしたね! (萬屋千兵衛)
2006-06-01 17:43:13
私は、約30年ほど前に、マツダサバンナのGSⅡとその後に発売されたGXに乗ってました。

アクセルペダルをトントンと踏み込むと、エンジンがヒュンヒュンと滑らかに高速回転して、レスポンスがとても感度良く、よどみない回転を体感してました。

ピストンエンジンにみられるような、重厚さは無い代わりに、軽い瞬発力というのでしょうか、抵抗の無い回転という感じです。



普通のエンジンは、シリンダーの中のピストンが上下運動するのを、ギアで無理矢理回転運動に変換してタイヤを駆動しますが、ロータリーエンジンは、ピストン自体が回転してますから、理論的にはロスがほとんど無い理想的なエンジンのはずですよね?



前回述べましたように、高速運転していてもアクセルペダルをちょっと踏み込むと、エンジンが躊躇無く連動して体が前に引っ張られる感じで一気に加速しました。ただし、ブレーキ系統に不安感がありまして、BMWやベンツのようなドッシリとした安定感が無かったので、高速でのブレーキングは、恐かった記憶があります。



一度、街中の大きな交差点で、普通の速度で直進からブレーキングして、そのまま右折しましたら、スリップしてしまい、交差点の中で180度回転してしまったので、すぐハンドルを逆に切ってドリフトする形でそのまま右折路へ抜けた事がありました。

見た目は格好良かったと思いますが、本人は冷や汗ものでした!(笑)
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うわ~ (Fujipi)
2006-06-01 10:03:27
 みなさま、かなりの車好きでいらしたのですね。助手席専門の私ですが、うれしくなってしまいます。



 私が子供の頃、「スーパーカー」ブームがありました。カウンタックも見に行きました~。



 箱根近辺によく車やバイクで行くので、「フェラーリ兄弟」(ご存知でしょうか?)とすれ違ったり、広くて空いている駐車場に留めておいた家の車(国産)が黒のディアブロ(ランボルギーニ)2台に両脇挟まれていたりした経験があります。



 マツダのロータリー、いいらしいですね。乗っている人が「どこまでも(エンジンの回転が)回るんだよ」と言っていました。
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フォードEED (230)
2006-06-01 08:56:19
AV機器メーカーから、ガラス会社に転職、そこで液晶の研究開発を担当しました。当時は今をときめくS社と一番を争っていた地位にありました。

私は自動車用液晶表示装置の開発の担当でしたが、運輸省相手では全く進みません。

そこでアメリカのSAE学会で発表し、そのあとBIG3の研究所周りをしました。(当時のBIG3は凄い力を持っていました)

フォードの研究所はEED(電気、電子の研究所)といいますが、そこでのプレゼンが効を奏し、トーラスやコンチネンタルのインパネに採用されました。

数年後ハワイのハーツ(フォード関連企業)でトーラスを借りたら、私たちが開発した液晶インパネが搭載されており、驚くと同時に大変感激しました。
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私のベレG (230)
2006-06-01 08:30:57
ベレGの珍しい写真を拝見しました。これはわずかに生産されたクーペモデルですね。リアの形とバックのランプ類が違います。インパネ類は同じです。飛行機の計器類を思わせるインパネと三本スポーク、木製のステアリングも人気でした。

フロントは同じデザインですが。(クーペモデルはベレGの本来のオーバルラインの良さがなくなったと評価されすぐ生産中止になったと記憶しています)



私のブログに学生時代のベレGの画像を載せましたので見てください。



さて、当時初心者マークが導入されました。マークをはった初心者に対して意地悪する車も結構ありました。

私は初心者ではなかったのですが、マークをはり、わざとゆっくり運転していると、幅寄せをしたり、車間をとらずにあおってくる車がありました。

待ってましたとばかり、突如変身、その車の前でドリフト走行とかして懲らしめるのが好きでした。若気の至りですが。
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ヒッ、 (Suzuka)
2006-06-01 06:45:37
就職して一年余り。

Fordに半導体を供給するビッグプロジェクトがすすんでいました。

直属上司をふくむ、机を並べた同じシマの住人数人があたっていました。

その壊れた部品が

社製品ではありませんでしたように・・・
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追加しました。 (とんぼ)
2006-06-01 00:58:03
百福様

結婚して数年たって「オートラマ」でフォード購入。でもコンピュータ部分が壊れて、危うく事故るところ。あのころはコンピュータ部品は、まだまだでしたね。
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Unknown (百福)
2006-06-01 00:13:50
うほ~子供の頃の憧ればかり。Zもロータリーも復活しましたね。マツダ・日産の再生は悲願でしたが、ゴーンさんはZの熱狂的ファンでしたからきっと復活してくれると信じてました。ロータリーの復活をエンジニアリング担当から聞いた時には涙し、こぶしを振り上げました。この時ばかりは、フォードに感謝しましたヨ。カウンタック、下敷きから筆箱から消しゴムまで黄色のカウンタックでした。皆様、どうも有難うございました~。



お召:とほほ、そんなにするのですか。でも、今でもこんな手のこんだものをつくっていること自体、驚くべきことですネ。

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おお、せれぶー (とんぼ)
2006-05-31 23:50:29
てっちゃん様

免許、昔は16で取れたのですよね。それに「軽4」ってのもありました。ついこの前、といってもだいぶなりますが、「普通」とれれば「原付」もモレなくついてきたのに・・。厳しくなりました。
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縫い取りお召しと車 (てっちゃん)
2006-05-31 23:41:24
トヨタの2000GTは以前、私の若かりし頃

乗った記憶が・・・

もう免許を取って42年にもなります

これまで何台乗ったことやら

16の頃からだし・・・その当時女性で車やバイクの運転をしていると皆んなが振りかえって見ていました、ほんと懐かしい思い出です

なお百福様、縫い取りお召しは今でも健在です

その最高峰の商品を12月27日付けのブログにアップしております、ちなみにこの商品の価格は松〇屋にて、400万弱とか

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ハシリやさんでしたね! (とんぼ)
2006-05-31 22:25:54
千兵衛様

ロータリーエンジンの、あの「ヒュルル~ン」という音、いやーきらいじゃなかったっすよぉ。私、助手席専門でしたが「カペラ」でした。「Z」もかっこよかったですね。私は今、ジサマにもらった「ノア」くんに乗ってます。もう乗用車は、乗れません。最初がビスタだったんですが、なんたってチビだもんで前が見えなくて・・。車のカタチをかっこいいのなんのといってたころは免許なくて、それでよかったと思います。持ってたら多分、ぼーそーしてます。40過ぎてからの教習所はツラかった・・・。
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懐かしい! (萬屋千兵衛)
2006-05-31 21:41:16
トヨタ2000GTといすゞ117クーペは、遠い記憶ですと同じイタリアのジウジアーロのデザインではなかったかと思いましたが、当時の日本人にはデザインできなかったのでしょうね!

もっとも、イタリア人のデザインの秀逸さというのは、今だに越えられないものがあるようで、ランボルギーニカウンタックなんかもそうですよね?



私は日本人の独自の秀逸な技術として、マツダのロータリーエンジンを駆ってました。

街中での信号待ちからのゼロ4加速競争では、日産フェアレディZと、よく競り合ってました。

東名で100㌔ほどで高速ツーリング中に、ちょっとアクセルを踏み込むと一気に170㌔位になってしまい、遠くの点の先行車が、すぐ間近に迫ってしまい恐いようでした。但し、燃費が悪いのと、そのエンジン性能についていけない車体のボディバランスが悪く、2台乗ったあと、諦めましたね。

それにしても、懐かしい話でした。

今は、中年おじさんがトヨタワンボックス車で安全走行です!
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Unknown (とんぼ)
2006-05-31 20:09:28
百福様

トヨタ2000GT、永遠に不滅です!

どこかに、どこかに!ポスターが

しまってあるはずなんです!

実物みてらっしゃるなんて、うらやましい!

ゴーカートのようなAT車も、渋滞のときはまいっか

になってきてしまっているんですが

ほんとーは、MT車礼賛の私です。



陽花 様

これ、小紋なんですよ。

御所車2台の柄が、手のひらくらいです。

合間に橋の架かった庭園柄はあるわ、

花いっぱいの山はあるわ、源氏車の流れはあるわ、

柄でびっしり・・。正直「うるさい着物」です。

やっぱり茶色になってよかった!?と思います。

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Unknown (陽花)
2006-05-31 19:52:57
とんぼ様



失敗は成功の元、縫い取りお召し

写真で見る限り私も右の方が落ち着いた

感じですきで~す。

これは訪問着なんでしょうか。

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Unknown (百福)
2006-05-31 18:22:26
クルマ・・・当然反応しますッ。



縫い取りお召、手がかかったものですねえ。

こういうのって、今はまだあるのでしょうか・・・。読み進むと、目が釘付け。あああああ

ト、トヨタ2000GTにホンダS800だ…!

世界にその名をとどろかせた、日本が誇る名車中の名車でございます。私の机の上に座っておりますよ。とんぼさんが2000GTを美しいと仰ってくださって、うれしいです(泣)。マニア垂涎でありまして、トヨタ本社で一度みたきりです。ホンダ800もそうで、何度かみたので買おうとしましたが、金かかるよ~と脅され、泣く泣くあきらめました。この頃の車ってのは、それぞれにとても個性がありました。今はどれみても同じ、売れ筋しか作らない。同感です(プンプン)。キモノも似たような状況なのかもですね。いいなあ、この本(ヨダレ)。拝見させていただいて有難うございました







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