![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/30/14cd69b970cfd5a1313a31cf4cb03bb8.jpg)
私も持っていますが、どれもみな「古着」でみつけたもの、申し訳ないほど格安でした。
トップ写真もそうです。このところ「再出」の写真が多くてすみません。過去にだしたものです。
これは染の紬、柄は「寺子屋昼休み風景?」
こんなです。
さて、私は紬の訪問着を礼装として着るか…ということについては、略礼装も含めて賛成しません。
先に結論を言ってしまいましたが、ご想像通り「紬は街着以上にはしないほうがいい」と思っているからです。
先日「訪問着」のお話しを致しました。
訪問着そのものは、本来色柄や紋のあるなしで、着用幅の広いものですが、
今はほとんど礼装用として「豪華なもの」をお求めになる方が多くなっています。
で、紬の訪問着ですが、確かにパーティーやお出かけなら…という線引きは私も容認できます。
実際持っている以上、そんなものはいらない…とは言いづらいです。えぇかげんですねぇ私も。
呉服屋さんの奥さんが「今は問屋さんが『最近は礼装としても着られるよ』なんてことを言う。
作る側、売る側がそういうことを容認する発言をしている。おかしい」というようなことを言ってました。
それとうまいことを言ってました。
紬の訪問着は「式」と名の付くものには着ない、つまり「結婚式」「入学式「卒業式」「授賞式」など。
着るならクラス会や、歌舞伎見物だよねぇと。
元々「紬は礼装には向かない」という理由は、その「出自」にあるわけです。
何度か書いておりますが、染の着物に使われるちりめんや綸子などは「生糸」で織られます。
「生糸」は、蚕からそのまま引いた、まっすぐで均一な糸を何本かずつ撚り合わせた糸。
「紬糸」は、蚕から糸を引かず「真綿」にしてから、紡ぎだした糸。
この「真綿にする」繭は、生糸を取るための繭として生産されたものの中で、
「検査で落とされたランク外の繭」というのが始まりなわけです。
元々は、養蚕農家が納品できないクズ繭を集め、自家用の野良着や着物を作っていたもの。
当然当時は無地とか、せいぜい縞、格子程度のものでした。
丈夫で暖かく、水を通るたびにしなやかになる…これに繭の買い付けなどにきていた人たちが眼をつけ、
「なかなかいいじゃないか、このシブさが受けるかも」と、町で売り始めたのがひろがったもの…。
もちろん、今の糸の質は、昔と比べてよくなっていると思いますが、
糸の生まれ…と言うところは今もかわりません。手でやっていたものが機械になったということはありますが…。
以前書いていますが、蚕から糸を引くことは「績む(うむ)」、真綿にして糸を引くことは「紡ぐ(つむぐ)」。
「つむぎ」と言うのは、この「紡ぐ」からきているといわれています。
木綿やウールは、元々が短繊維ですから、どうしても「紡がないと」糸になりませんが、
絹は、そのまま引っ張れば糸になる「長いもの」なわけです。
その繭を、わざわざ割って「短繊維」にしてから紡ぐわけです。
その理由が「くず繭」だから…。今は「規格外」と言う言い方です。
牛首紬で有名な「玉繭」も規格外とされます。
玉繭はいつの場合も、全体のだいたい2~3%の割合で、自然にできるもの。
中には二匹のお蚕さんが入っています。つまり「共同作業」してしまうわけですね。
普通に繰糸(そうし…繭から糸を引き出してとること)すると、
二本の糸がからまって引き出されますから、均一の太さになりません。
牛首紬は、この自然とからまった二本糸を繰糸して巻きとった「生糸」で作ります。
ですから厳密には「紬」ではないことになります。なんにでも例外はありますし、また生まれます。
「本場奄美大島の大島紬」は、糸の種類で言うなら紬ではありません。生糸で織っているからです。
元々は「紡ぎ糸」でしたが、大正くらいからといわれていますが、生糸を使うようになりました。
それでも「泥染め」とか「締め機」などの技術によって、あの色のあの織り方ができたわけです。
そうなると、あの独特の柄や色が珍重され、生糸で織っても元々「大島の原産である紬」として有名になったわけです。
ちなみに村山大島も生糸です。
その糸の「履歴」は、その出来上がるものの「価値」に違いをもたらします。
いい悪い、という価値ではなく、使い道、ということです。
絹に限らず、木綿だってウールだってその「質」については均一ではありません。
その質に合わせて、モノをつくるわけですね。
たとえば綿花の一つ一つの中にも、違いはあります。
あのモコモコの綿、外側の繊維が長い部分を「リント」といい、そこを採って綿糸にします。
真ん中の種に近いところは繊維が短く糸にはなりません。
「リンター」と言いますが、これは不織布など、織らないものになります。
羽毛もそうですね、羽毛は「ダウン、スモールフェザー、フェザー」と、体のどの部分の羽かで、
呼び方も質も分かれます。羽毛の場合は羽の「軸」のないダウンが最高とされ、ふとんやジャケットの中身になります。
ダウンは、ぱっと開いた花火みたいな形、スモールは「羽」の形はしていますが、固い軸がありませんし、羽も柔らかです。
フェザーは軸もあるし、羽も固いです。
こんなふうに、様々なものがいろいろな状態によって分けられます。
そしてその使われる目的によって、これに使うにはこれは「1番」になる…。
つまり、羽毛布団を作るには「ダウン」が最高、ですが、「矢」に使う羽ならフェザーが最高…になりますね。
いつもおかしなたとえ話をする…と笑われそうですが、パスタをパキパキと細かく折ってしまったら、
パスタ料理には使えませんが、離乳食のパスタには使いやすいですね。
「それを一番生かす場所」がある…ということです。
紬は、手で糸を紡いだために、糸の太さが均一にはならず、太いところや細いところができ、
時にはダマになって「節」ができる…それが、織ったときに厚みや柄になって、独特の風合いを生むわけです。
これを野良着普段着にしていた…のが紬着物の履歴です。
でも、大島紬は生糸だよ…そうなるとまさしく「どっちやねん」ですね。
でも、元々は「紬」として生まれたものなのです。大島にしても、村山にしても、牛首にしても、
「紬」という名前をつけて世に知られているなら、それは「紬」であると思います。
同じ「先染め」の織りでも「お召し」は、それが縮緬の特徴である強撚糸という糸を使っているから「紬」ではないのです。
「やはり野に置けれんげそう」という言葉があります。
瓢水の句「手に取るな やはり野におけ れんげそう」からの引用ですが、
それぞれにふさわしい環境があり、そこにいることがそのものの価値を一番発揮する…ということですね。
私は「紬」は紬としての生まれを大切にする使い方をするのが、一番いいと思うのです。
元々「訪問着」というのは、先日書いたとおり「第一礼装と普段着の間を埋めるもの」です。
今のように着物のことがいろいろと曖昧模糊としている時代には、
素材も色柄も、着方さえも、様々なバリエーションを生み出していくことが、着物の行く道であるならば、
「絵羽付け」という柄で作られたと言っても、訪問着の中の、より普段着に近いところに位置づけることが、
「野に置く」ことに、かなうと思うのです。
つまりは「オシャレ着」「遊び着」の範疇ということです。
同年の集まるクラス会とか、パーティーとか、きばらなくていい席には重宝だと思います。
私がもうひとつ気になっているのは、今の時代「ハレ」と「ケ」の境目があいまいだということです。
時代の変化といってしまえばそれまでですが、かつて「一年中休みなく働くのが当たり前」であったころは、
例えば墓参りでさえイベントであり、お芝居見物、お花見などは、もう盆と正月いっしょくた…みたいな。
時代がかわっても、それでもまだ私が子供のころは「おめかししておでかけ」なんてことは年に数えるほどでしたし、
ビンボ所帯でもお正月はまず新しい下着を着て、安物でもきっちり晴れ着を着、
家族同士手をついて、「おめでとうございます」と挨拶をし、父は玄関先に国旗を飾りました。
ちなみに「めかす」は「粧す」とあてられます。
ハレとケというとわかりにくいですが、要するに「メリハリ」ということです。
いまや飛びっきりのおめかしといったら、結婚式か成人式くらいのもので、
例えば横浜のデパートにいっても、すごくオシャレなヒトと、ちょっとお化粧くらいはしてきました…みたいな感じと、
スーパーの帰りによりました、みたいな感じと…そりゃもうピンキリです。
要するに、デパートへ買い物程度は「とびきりおめかしして、一張羅を着ておでかけ」する行き先ではない…、
ひっくりかえしていうと、普段着がランクアップしてるってことです。
昔は、家で着るものなんて、ヒザにツギが当たっていたり、
セーターの袖が短くて、別の色の毛糸で編み足してあったり、しっかり普段着でした。
今は普段着でも、皆さんきれいなものをお召しです。
暮らしが豊かになったことで、昔の特別な日というのが「ちょっとした日」程度になっている気がします。
そういうメリハリがあいまいになってきたことで、紬の訪問着の居場所もできたのかなと…。
これも手持ちの「紬の訪問着」、かつて料亭の女将さんのものだったそうです。
節のある紬らしい紬で、青系で遠い山森の風景が染められています。
地の薄い青は、空とも見えます。そこからのシャレで、背中に「雁」の縫い紋がひとつついています。
もちろん「花紋」と同じで、意味のある紋ではありませんから紋付としては使えません。
こういうシャレを楽しむのが「きどらなくていい紬の訪問着」ではないかなと、まぁ思ったりするわけです。
紬の訪問着という位置づけに、一番戸惑っているのは「紬自身」かもしれません。
変化によっていろいろ出てくること自体は、あの「留袖の帯締め」のように、
否定されずに、だんだんと受け入れられる…ということもたくさんあると思います。
「知って」「選ぶ」ことをきちんとしていくことが、私は「紬の訪問着」の立ち位置を、
きちんと決めてあげられることではないかと思っています。
最後に…先日あるブログで、紬の訪問着をお召しの写真がありました。
とてもステキでしたが、その方はその上に「羽織」をお召しでした。
「訪問着」という名前を持つものなら、羽織はNGです。
それは「訪問着でも紬だからいい」で、片付けられることではないと思うのです。
訪問着としてお召しなら、それがたとえ「れんげそう」の位置づけであったとしても、
訪問着として扱ってあげることが、理にかなうと思うのですが。
着物は伝承された「日本の民族衣装」です。最後まで守るべきラインは、ちゃんとあると思うのです。
あいまいにすることは、ラクにはなりますが、しまりがなくなることでもあるわけです。
以前、ファミレスで和服をお召しの
女性のグループのかたが、全員大島紬(風?)だったのを思い出しました。
そのお席がどんなドレスコードだったかは
知らないものの
「どこにでも、このしつらえでならOK」というのとは別なんですね。
勉強になりました。
着物の事も何も分からない若い時、伯母が大島を着てきた時「いいなぁ」と言ったら伯母が大島は100万出しても普段着と言った言葉が衝撃でした。それ以来私の頭の中には紬イコール普段着とインプットされたままです。
そんな訳で紬の訪問着を持っていたら、着て行く所に悩むと思います。
山森風景の紬、素敵。雁の紋の遊び心がたまりません。しばらく妄想を楽しみたいと思います。
紬の訪問着の上に羽織はNGというのは、羽織の使い方についても考えさせられまして、そのカジュアルさが感覚としてわかりました。
お召しが紬ではない、というのは、手で紡がれているのではなく機械で撚っているから、ということでしょうか。
黒地に同色の地味な柄です。
柄が気にいったので思わず買ってしまったのですが
さすがにそうそう着て行くところも無く
未だ手を通す事なく箪笥の肥やし
クラス会や歌舞伎見学
頂きました
紬の訪問着を着る場なら小紋や付け下げ小紋でいいよねと思ってきたのですが、着物になじみのない人が多いと、やわらかものがだんだん着にくくなってきまして、絣や縞ではない織の着物のほうがいいかと無地紬や御召の出番が増えました。
でも、この間ネットで見た紬の色留、どんな人がどういう場で着ることを想定しているのか、試作品としても不思議です。
紬の訪問着、振袖、今はイロイロな物が出てきていますね。
あまりになんでもアリになってしまって、本当にこれでいいのかと思いますね。
「式という名のつくところには着ていかない」というのはとても判りやすい基準だとかんしんしました。
そういう時代があったんでしょうね。
故半村良の銀座風俗小説でも、「新しいお洒落で、紬の訪問着が流行った」って読みましたし。(今はキャバクラでキャバ嬢はagehaですもんね^^;)
そうやって刷り込まれた「素人は手を出しちゃいけないもの」のイメージが強烈です。昔は素人玄人奥様お嬢さんの立場による装い方の違いがありましたから。。。その感覚も古いんでしょうけれど。
「式と名のつく場には着ていかない」にやっぱりそういうものよね、と納得です。
どんなに高価でも紬は普段着、と意識に刷り込まれているせいか、
紬の訪問着等は究極の道楽、というイメージです。
お持ちで、しかも活用している方は羨ましいですけどね。
肩や背中の開いた素敵なドレスでお食事や観劇をする外国と違って、普通の大人が気張ってオシャレをするシチュエーション、日本は残念ながら少ないですね。
着物は細かくてうるさいといいますが、
正式なパーティーなどでは、洋装のドレスコードだって細かいです。
しらないと恥をかく…といいますが、恥の文化」も廃れつつありますからねぇ。