今日はちょっと別話題です。写真は今を盛りの「ヒルザキツキミソウ」。
実家からきました。これから植えます。
さて、「技・家」どんな授業でしたか?
深夜、テレビの画面にいきなり「マツコ」さんがうつりました。よく出ていますね、最近。
で、番組はなんだったか、おぼえてなくてすみません。とにかく何かのテーマのリポートについて、
マツコさんと関ジャニのえーと村上さん?そのお二人で意見を言いあうわけですが…。
そのときのテーマが「学校の30年前と今」。
まあ卒業式に「仰げば尊し」を歌わない、とか、保健での「性教育」は、今は小学校からとか…。
そのあたりはもう、さもありなん…で、ため息ついた程度だったのですが…。
一番ショックだったのは中学で「家庭科は今は作るより買う」でした。
30年前、マツコさんは「フェルトでティッシュケースを作った」と言ってました。
30年前といえば私は30代半ばですが、すでに裁縫もその程度になっていたのですね。
私のころは中学1年で毛糸の靴下編んだし、2年でワンピース、3年でゆかたでした。
まぁだんだん簡単になっていったのかと思ったのですが、
なんと今は「作るより買う時代なので、消費者として暮らすための助けとなる知識」…。
で、教科書には見本のファッションとして写真がごっそり並んでいました。
パッとそこだけ見たら、通販カタログのページかと思ってしまう…。
いわく「お買い物に行くときの…、好きなグループのコンサートに行くときの…」
中学生らしいコーディネートですと。
これで授業をしても、たぶんご当人たちは「ダサイよねー」とか言いそうな感じ?
50代とおぼしき女性、肩書き忘れました、その方がその教科書の編集をしているとのことでしたが、
「作るより消費の時代だから」なんて授業ををヨシとしているのかと、ちょっとショックでした。
「今はお金を出して買う時代ですから」「服装のTPOというものの指導をして」…。
お金を出して買う?そのお金は誰が稼いでるの?親の金でオシャレ?10年早いです。
あの教科書に「着物」のことは書いてあるのでしょうか。トップページからでてしかるべきと思いますが。
せめて針もって、雑巾一枚縫うくらいの授業はしてほしいです。
ほかにも、ソフトボールの授業は、ケガがあってはならないので、バットもボールも「ソフト素材」。
ミズノの担当者が、当たっても痛くないようにこういうものを…と、実物をみせていましたが、
まるで幼児のおもちゃみたい。
ボールがとれないと危険だからと、外野守備は「ライト・センター・レフト」の3人ではなく、
「ライト・ライトセンター・レフトセンター・レフト」…ライトセンターってナニ。
これがちゃんと教科書に絵がかいてあって載ってるんですね。
あの小型座布団みたいなベースはつっかかって転ぶと危ないからと、
薄いウレタンの小風呂敷みたいなの、4ッつに畳んであって、使うときは広げる…4倍大きいし。
スライディングは禁止、投手は勢いの強いボールは危ないので、外側に腕を一周させる投球はナシ。
あのオリンピツクのときに、思わず見とれた上野選手のような「ビュツ」というのは、当然ありません。
ぼよんとしたボールを「はいよ」と投げて、ぶよんとしたバットで打つ…
実際の場面がでましたが、外野に4人もいりません、ボール飛びませんから。
何でこんなことになってるの?なんでそんなに危ない危ない、なの?
結局「何かあったら責任が…」という逃げか…と思ったら、
それだけ危険がどうのこうの言ってるのに、事故が多くて問題視されてる「柔道」は必須になりましたよね。
このコーナーの最初に出たのは「男女平等」の話でした。
出席簿が男女別に分かれていない…ま、そのへんはしかたないか…。
男性を呼ぶのに「○○君」ではなく「○○さん」…それのどこが男女平等なのかしらん?
どうも意味がよくわかりません。
社会に出たら、男は自分より先輩からはみんなに「クン」づけで呼ばれるのだよ。(あっちょっとキレてきた…)
女性社員を上司が「○○クン」と呼んだら「私は女です。さんづけで呼んでください」というのかね。
運動会では男女混合で徒競走…。
「平等」というのは、なんでも同じにすることではなく、互いに互いをきちんと認め合うことから始まると思います。
小学生くらいなら、体格も運動能力も、ごちゃ混ぜかもしれませんから、それもいいかもですが、
大人になれば、どうしたって平均の体格は男性が大きいし、スポーツの成績だって男性の方が上。
男女別の種目で、同じ金メダリストでも、男性の記録と女性の記録は並ばないでしょう。
それは男女の「差」ではなく「違い」というものからでる結果です。
その違いを認め合うことが、平等の出発点ではないのかと、思うのです。
クンだのさんだのと、そんなところに平等の意義があるのだと教えるのはおかしいと思いました。
今、本当にあの教科書で勉強しているのでしょうか。
もちろん、見たのはごく一部のページだけです。他にはちゃんと必要なことが書いてあるとは思いますが…。
マツコさん、最後にとうとう黙ってしまいました。そして一言「アタシにはもうカンケイないからいいわ」。
こうやって育てられた子供たちが、この国の未来を背負うと考えたらちょっと心配だけど
20年くらい先か…ま、私もいないかもだし…いーわ?!
それにしても、このブログ永いんですね。はじめのブログから楽しく読ませてもらっています。着物への想いに通じるものが多いのと 何より トンボさんの博識に脱帽デス!勉強になります。漢字がむづかしくて苦戦していますが 読んでいるとと言うか主に写真を見ていると時間を忘れてしまいます。
でも、こんな私でも、今の教育、子育て、良いとは思えず、本当に心配です。
このブログからも多くのことを学ばせていただいております。
どうか、ご無理なさらず、でも、絶対お続けくださいませ、お願いいたします。
襟付きブラウスとゆかたはした記憶が
あります。
それにしても、今の技術家庭科の時間て
そんなんですか。
あきれてしまいますね。
そんな事になっているのですか
とはいえ 赤ん坊の靴下は 母が編み
浴衣は学校側で時間が無いというので
和紙を切って糊で貼って終わりという授業でした
だから こんな私になったんだわ
なんて 人のせいにしたりして
子供が中学、高校で使った教科書は現在50代の私の時とはかなり違ってました。だけども、現代社会を生きる広い視点で構成されていて私は面白いと思いました。今手元にある高校の教科書は最初に祖父母の生きた時代の家族写真、次に父母の時代の家族写真、そして折り込み見開きで、新生児の等身大写真で始まります。テーマも、気づく、追及する、行動する、となっていて、1章は共に生きる、子育てや高齢者のことなど、2章に健康に生きるとして、衣食住について、3章に消費生活を見直す、として消費者の権利、クーリングオフ制度や誇大広告などから消費者を守る視点が強調されてます。教科書も出版社によってカラーがあるかとは思いますが、通販カタログのようなものではなかったと思います。中学では料理や裁縫の実技のほか、保育園で子供の世話をする課外授業などもありました。あと介護保険に関してや、申請の仕方なんかもテストに出てました。確かに昔より実技は減ってるかもしれませんが、授業時間数も昔と同じなのかはわかりません。ただ、親世代が針を持ったり、料理を作ったりができない人も多いですから(ビックリですが本当です)、両方教育が必要ってとこでしょうか?(笑)着物のことについてはあまり書かれてなかったかもしれませんが、学校行事のなかでは、着る機会は増えているような気がします。留学生を迎えて浴衣で七夕、とか。勝手にとんぼさんのブログにお邪魔して意見するようなことを書いてお気を悪くさせたら申し訳ありません。削除していただいてかまいません。もし手にとる機会がありましたら、家庭科の本や保健体育の本を読んでみて下さい。隔世の感はありますが結構面白いと思います。
いつだったか何気なく見た家庭科の本が思い出されました。ぷぷぷっと笑ってしまうコーディネートが確かに大きく載っていました。娘の机周りを捜索!して確認したかったのですが 見つけたのは『技術家庭・技術分野』教科書。
アラフィフ母の時代は男子のみの授業でした。開いてみるとアトムやお茶の水博士が案内する技術の世界。
親世代より情報・技術ともに多くなり授業時間内にどこまで吸収できるものやら 分厚い教科書です。
昨年度は男女ともエプロンに刺繍をしていました。エプロンは縫製済みなので驚きましたが。着用して調理実習も共同で作業です。
私は中学家庭科でブラウス・スカート・パジャマを作った記憶があります。そのころから着物にふれることは無かったと思います。
昔は浴衣や(母の手を借り) ワンピースを仕上げました。以来、洋服は手づくり。自己流です。
買う時代とはいえ誰かが作るんですよねえ。
まつ0さんじゃないけど「どうでもいいや。私居ないし」
が中心となって、十数年の運動を重ね、平成20年04月から新学習指導要領の中学校家庭科に和服の着装を学ぶことが明記されたそうです。
昨年平成24年度更に指導強化され、中学男女とも「ゆかたの着装」の授業が導入されているそうです。
和装教育国民推進会議
http://wasoukyouiku.jp/activity.html
各都道府県支部は、呉服屋さんだったり、着付け教室、和裁組合と様々ですが、みんな「着物文化が無くなることへの危機感」を切実に感じておられると思いました。
私の懇意の呉服屋さんの女将さんも、母校に指導に行かれているとのこと。
ほばーりんぐととさんのブログで学んだ人たちが、子に伝え、孫に伝えて拡がってくのも夢ではない!!
最近は「親」というものが、かわってきていますよね。
我が家のご近所にも、挨拶できない「オトナ」がおります。
いつの時代も、いろいろな人がいるのは当たり前なのですが、
最近はなんでも「勘定」で、私がそれをするのは損だとか得だとか。
そういう風潮もいやだ…と、ある施設の方が言ってました。
難しい時代ですねぇ。
こんなブログですが、お楽しみいただければ幸いです。
よろしくお願い致します。
モンスター・ペアレンツとか暴力教師とか。
なんかヘンな世の中ですね。
思いつくまま書き綴っておりますので、
時らはポカもありますが、長い目で見ていただけたら
嬉しいです。がんばりまっす。