ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

白喪服

2012-12-30 01:55:05 | 着物・古布

 

ちと遅れた話題、しかも年末に喪服の話題ですみません。

どこの局も大きなニュースとして取り上げましたから、ご覧になられたと思いますが、

勘三郎氏の告別式の日、夫人は、白喪服でした。

私は「家のしきたり」と聞きましたが、あちこちでいろんな憶測やらお話が…。

ミクシのニュースでは、

「27日、中村勘三郎さんの本葬が行われ、勘三郎さんの妻、好江さんの白い喪服がこの日、ひときわ目をひいた。

日露戦争以前、喪服は白が主流で、未亡人が着る場合は「再婚はしない」という証を示す意味があったという。

ただ、好江さんの場合は、勘三郎さんがプロポーズした際、好江さんの父、中村芝翫さん(昨年10月他界)から

「娘は何ものにも染まっていない白だから、あなたの好きな色に染めてください」と言われたそうで、

「それが今回の白い喪服になった理由ではないか」と語る関係者もいた。」

とありました。

ミクシの記事に対しての日記というのがたくさん出るのですが、やはりお若い方はご存じないことが多いんですね。

別に今の時代でも白喪服は珍しい風習ではなく、今は見られないので「画像的に珍しい」というだけです。

 

以前、なぜ絹の綿を真綿というか…というようなお話をしました。

元々「綿」は繭を広げて乾かして重ねたものしかなかったから、綿はイコール「絹」だったわけです。

戦国時代以降、木綿の急速な普及で「木綿」から採る綿が主流になってきたとき、

「木(植物)からとれるのに綿のようだ」ということで「木の綿」で木綿となりました。

やがてそれが主流になってきたら、数の多いほうが勝ち?ですから、綿といえば「木綿」、

だからそれと区別するため「もともとの真の綿」で、わざわざ「真綿」になったわけです。

 

同じように、喪服は昔は白でした。それが明治以降くらいから黒が始まり、いまや喪服は黒が当然。

だからわざわざ「白喪服」と書かねばならないわけです。

今「喪服」というと、まず洋服、つまりブラック・フォーマルを思い浮かべませんか?

昔は「着物」が「服」でした。着るもので、それしかなかったから。

それが洋装が入ってきて「西洋の服」で「洋服」になり、そうなると、わざわざ分けて着物は「和服」になりました。

でもほとんどの人が何かあれば着物、だった時代が長かったですから、

「喪服」は黒の着物を表し、「喪着物」「喪洋服」とはいわずにきました。

戦後になって、ブラックフォーマルがあっという間に席巻しました。

着物の「喪服」は「喪着物」と呼び名を変えられる前に、「着ることがなくなる」方が先になった感があります。

だから今「喪服」といってから「着物のほうね」なんて、付け加えたりしないと「えっ着物?」なんていわれたりする…。

文化って、こういうことで変化していくわけです。 

 

宗教的なことも服装も、日本は1000年以上かけて積み上げてきたわけです。

江戸時代に入って世の中に落ち着きが出ると、だんだん「豊か」になるスピードも上がってきます。

江戸時代は約270年、ちなみに明治初年から今年でも、145年です。

江戸時代がどれだけ長い時代であったか、ですね。

だから江戸時代も初期と後期では、いろんなことが変わっているわけです。

「喪服」ということで考えるなら、以前「喪服」のお話をしたときに書きましたが、

とにかく、かつての日本は「ほとんどがビンボー」な人。

庶民の多くが当たり前に木綿着物を着るようになったのは、江戸も後期に入ってからです。

そんな中では、葬儀そのものも今よりずっと質素だったし、立派な葬儀を出したり、喪服を用意できるひとは

一部の階層に限られていたわけです。

それでも、今より仏教に帰依し、お寺さんとの仲がずっと深かった当時は、

とりあえず「喪主」だけは喪服、ということはがんばったわけです。

今のように、斎場も保冷室もない時代、とにかく早く葬儀をしなければ、季節によっては遺体がもちません。

だからさっさとやったわけですが、必要なのは、仏様に着せる「経帷子(きょうかたびら)」と、喪主の喪服。

今はお嫁入りのときなどに一式揃えたり、当日使用でも貸衣装もありますし、

洋服なら私のように前日になって「ぎょえ~っサイズがっ」なんてことになっても、すぐに買いにいけます。

でも昔はそうはいきません。だから急いでみんなで縫うわけです。

昔は和裁できて当たり前ですから困りません。

お尻に「止め玉」を作らないままの糸で、必ず数人で手分けして、急いで着物を縫いました。

ちなみに「帷子(かたびら)」というのは元々は「麻」のことです。

少し余裕がある家なら、親族がみな喪服を着られたかもしれませんが、喪主だけ、という場合も

珍しくはなかったと思います。今でも白喪服を使うところもありますが、帯ではなく荒縄で腰を縛るとか、

喪服は喪主だけとか、かつての名残が残っているところもあるといいます。

それから考えると、三親等までは喪服…というしきたりも、実は最近になってから一般的になったのですよね。

つまり、誰もが喪服というものを準備しておけるようになった時代から、ということです。

 

神式の葬儀は、最近ほとんどありませんが、基本的に「神式」では、人の死を「帰幽」といい、

魂が肉体を離れ、霊魂となって家の守りをする世界に入ること。そのための儀式です。

「仏教」での人の死は同じように魂が肉体を離れますが、その御霊を極楽浄土に送ること、つまり成仏させる儀式です。

つまりは、別に何を着ていたって、気持ちの問題なんですよね。

それでも「死」についての儀式は、故人にとっても遺族にとっても必要なけじめですから、

なにかといろいろ取り決めをするわけです。

 

白喪服は、その「とりきめ」の一つですが、一つには「親族が故人と同じ衣装をつけて、別れに臨む」、

このとき、必ず「前のあわせ」を逆にします。

これは「私たちは生きているから普段どおり、あなたはもうそちらの世界の人になったから衿あわせは反対。

もうこちらに戻ってはいけないよ」というけじめ。戻るということは、霊が迷うということですから。

また、裕福な階層、例えば武家の妻女などは「二夫にまみえず」という決心の表れ、などとも言われます。

嫁入りのときの白無垢も、相手の家に染まる、とか、死ぬまで嫁ぎ先に尽くす、とか、

そういう決心の表れといわれますが、白無垢で嫁に行ったのは武家くらいで、

後年裕福な家の娘がまねをしましたが、それ以外は江戸の商家などでも「普通の晴れ着」でした。

 

喪服について昔の貧しい人は…白木綿や生成りの麻が、一番てっとり早く用意できたわけです。

染めるということは、それなりにお金のかかることですし、今のように「備えておく」という余裕がないわけですから、

前もって作っておくなんて事はなかなか難しいことだったわけです。

後年、喪服が黒になったのは、きっかけとして明治天皇の崩御の際、外国の喪服に倣って「黒」を使った、

ということで広まりましたが、そのほかにも、裕福になってくると「備えて作っておく」ことができるようになる…、

ところが、白だといざ使うときに色が変わっていたり、着た時汚れやすい…今のような漂白剤もありませんから、

シミや汚れが目立つ…そんなことから「黒のほうが実用的」ということも、黒喪服の普及につながったわけです。

ちなみに「経帷子」は、今に至るも「白」ですが、絹物の白は長く置くと生成りの色に戻ってしまいます。

ただし、その場合は「早くからこういうものを用意していたとは、潔い人、堅実な人」ということで、

作り直しは致しません。

 

つまり、生活が豊かになってくると、さまざまなところで変化がでてくるわけです。

故人と同じ白を着る…ということも、今は故人に「一番好きだった着物や洋服を着せて納棺する」、

なんていうことも多くあります。着物の場合は、何を着せても前のあわせが逆になる…ということだけは変わりません。

私は洋服を着せた納棺を間近で見たことがないのですが、まさかスーツの打ち合わせを逆にしたものは

着せないでしょうし、逆だからと、ボタン留めずに重ねただけ…ということもないと思います。

 

日本はいろんな社会状況や、文化の流入によって、いろんなことを取り入れたりまねしたりで、

今は、冠婚葬祭では特にあいまいなのだということです。

私が聞いたのは白喪服は「中村屋のしきたり」ということで、先代の夫人もそうだったとか。

それの理由について、操立てであるのか(こんな言葉も若い方はわからないかな)、

単に「当主の妻は白喪服」というしきたりなのか、それはご当家の方たちが知っていればいいこと。

ミクシの日記で夫人の白無垢について「あれはただ目立ちたいだけ」だの「テレビ局のやらせ」だの

きちんとした喪服の知識もないままの意見も書いてあったりして、あらら…と思いました。

昔は喪服は白だった、ということを知らない人のほうが多いわけです。

細かい理由だの変遷の様子など知らなくてもいいですから、

せめて「昔のやり方にのっとってるんだって」程度は、知っていてもいいんじゃないかと…。

今のお通夜の真っ黒け集団とか、色喪服への偏見とか…。

きちんと知る…という「知識の伝達」が必要だなぁと、これはずっと思っていることです。

 

いつも言うことですが、着物についての変遷は、明治維新以後、まるで新幹線の出発の時のように、

始まったなぁと思ったら、加速する一方で、特に戦後はものすごいスピードであっという間にかわってしまいました。

着物の知識がちゃんと伝達されることが行なわれないまま、状況に応じて形の変化だけするものですから、

一つ一つの意味なんか、わからなくなっちゃいました。

文化が変わることは、着物に限らず当たり前のことですから、昔はこうだった、今はこうなった…はいいのです。

ただ、じっくり変わっていかないと、残すべきこともぽろぽろと落としたまま変わってしまい、

間違っていないのに「ヘン」なんていわれてしまったりするわけですね。

 

黒の紋付の息子さんたちや、黒の喪服のお嫁さんたち、黒の洋服の中では、

確かに「白喪服」はたいへん目立ちました。

見慣れていないから、ヘンだのなんだの言う人もいましたが、

それを言うなら「日本人なのに、なんでウェディングドレスなの?」と、なぜ文句が出ないのかと私は思います。 


コメント (22)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 実家よりのお持ち帰り…香水 | トップ | 大晦日になりました。 »
最新の画像もっと見る

22 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして! (チカチカ)
2012-12-30 12:30:42
いつも楽しく、そして、ふむふとお勉強させて頂いています。

白喪服、私も皆さんなんであんなにバカみたいな推測をなさるのかと不思議に思っていました。今でも帯周りのみ全部白の方や、帯締めのみ白の方とかもお見かけしたことが何度もあり、地元の風習と伺ってから葬式にはいろんな形があると知りました。

処で勘三郎さんは中村屋で、成田屋は団十郎さんのおうちのことです。芝翫さんのところは金光教なので、もしかしたらそちらが白喪服なのかもしれないですね。

これからも楽しみにしています。本当に着物は知れば知る程面白いです!
返信する
こちらこそ (とんぼ)
2012-12-30 14:04:28
チカチカ様

はじめまして、コメントありがとうございます。

まずは「えっ成田屋…」と。自分で書いてて気がつかないし。
ちょうどこの記事を書き始めたときに、團十郎さんが、肺炎の兆候で入院…と、
そんなニュースをやっていまして、そっちへ意識が流れてしまってました。
あわてて確認し、ただいま訂正させていただきました。
歌舞伎界の重鎮といわれる方が、病気でたおられられたりすると、
お願いだから長生きして、しっかり伝えてくださいまし、と思ってしまいます。
ご指摘ありがとうございました。

最近は喪主や親族でも喪服は洋装が多くて、なんだか寂しい気がしています
さらにはお通夜のお客が真っ赤な口紅…母の葬儀のとき、わぉぉぉと思ってみてました。
母は、白と黒、両方の丸ぐけの帯締めを持っていまして、関東はこっちだからと、
黒をしていました。
その土地のしきたりって、気持ちを揃える気がするのです。
衣装からその人の心を感じる、礼装はそういうものであることが
一番大事じゃないかと思いますねぇ。

返信する
Unknown (古布遊び)
2012-12-30 20:55:07
白の喪服については一応の知識としては知っていましたが実際に身近に見たことはありませんでした。
ただご年配の知人の方がご主人の葬儀に白を着たとは聞いたことがありました。
今では私より年配の方でも一昔前は白を着たとご存じない方が多いように思います。
古い写真などを見ると結構残っているのですが。。。
どんどんとイロイロな事が変わっていきますね。

今年も本当にいろいろな事を教えていただいてありがとうございました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
良い年をお迎えください。

来年も楽しみにしていますよ~~~
返信する
Unknown ()
2012-12-30 22:33:31
多分 とんぼさんが 白喪服について書いてくれるだろうなぁ・・・と心待ちにしておりました

好江夫人が白喪服を着ていらしたのを見て 
密葬の時には黒喪服だったけれど 本葬の時は白喪服なんだ・・・
愛ちゃんは黒喪服という事は 奥様だけが白喪服という決まりなのか・・・
と 単純に思った私です。

白喪服を着ている方を目にしたのは 初めてでしたが
きっぱりと 清々しも 寂しさが伝わった気がします。
返信する
Unknown ()
2012-12-31 10:24:38
お久しぶりです。
今年の締めに、良いお話を書いてくださいました。
私も話に聞くことはあっても、目にしたのは初めてで、白喪服の潔さに「覚悟」のようなものを感じて、胸が熱くなりました。
故人と同じ衣装で別れに臨む・・・悲しくも鮮やかな別れ方だと思います。
白喪服の存在を知らない世代にとって、あの姿は「異常」なものと映ったのかもしれませんが、せめて「なぜなのか?」と疑問を持って調べてみるくらいの姿勢が欲しいところですね。
それにしても本当に、良い「締めの話」をいただきました。
新しい年も、また色々なお話を・・・楽しみにしております。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-12-31 11:42:45
古布遊び様

葬儀というものを家でしなくなりましたから、
益々おしきせだったり、いわれたとおりだったりで、
そうなんだぁで、すんでしまうのでしょうね。
歳がかわるとすぐ成人式ですが、
できるだけ「とんでもない」振袖がないことを
祈るばかりですー。

こちらこそ、いろいろありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
返信する
Unknown (陽花)
2012-12-31 11:43:36
お葬式というのを初めて見たのが10歳ごろで
おとなりのおばぁちゃんでした。
家族と身の濃い人は白装束に素足に藁草履
でした。私もお墓まで飾りを持って行列に加わる
様に言われて、何もかも初めてだったので
記憶力の弱い私でも覚えています。
そこそこの風習でされている事に偏見の目で
見られたり言われるのは気の毒な事です。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-12-31 11:44:05
惠様

あのミクシニュースの「日記」をみていて、
腹を立てたり、なんでこんなにわからなくなっているんだろと思ったり。
着物って、ほんとに忘れられているんだなぁと実感しました。
白の喪服、きっぱりしてましたねぇ。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-12-31 11:49:25
夢様

ありがとうございます。
あの白喪服を見たとき、周囲が黒であるだけ、
よけいに夫人の、凛とした思いようなものが伝わって、
よい夫婦であられたのだろうと、そんなことも思いました。
なんであれ、最近は「潔い」ということが、薄れています。
そんな中では、実にきっぱりとした別れの衣装であったと、
そんな風に思いました。

返信する
Unknown (とんぼ)
2012-12-31 11:51:58
陽花様

おぉ入れ違いました。あとになってすみません。
昔はお葬式も家出やりましたから、
自分の家のことでなくても、いろいろ経験できましたよね。
今は、斎場ですから、葬儀そのものもめったに目にしません。
「葬式は黒」という、それだけのイメージであれこれ言うのは、
ほんとに失礼だと思います。
返信する

コメントを投稿

着物・古布」カテゴリの最新記事