地色が真っかっかなのでとてもハデに見えますけれど、イマドキの振袖の柄と比べると「ジミ」ですよね。
明治の柄行は、全体にまだ「ジミ」が主流です。
これは若い娘さんのものでしょうから、少し華やかめに柄も大きく、ピンクなども入れています。
真紅と言うのは、これまたデジカメで出にくい色で、家の中で撮るとフラッシュたかなきゃ真っ暗け。
フラッシュたいたら、毒々しい赤になってしまう~~。
それで表に持ち出しました。ほぼ出ているかと思います。
当然のように「両褄柄」ですので、当時はこんなかなとやってみました。
調整したらなんだか薄っぺらな色になってますが…。
華やかだったでしょうね。下はどんな襲で、どんな帯を締めていたのでしょうか。
前柄部分。几帳、琴、花は牡丹でしょうか、そして珍しい「石榴」柄です。
ちょっと濃くしました。
ザクロ部分だけ、更にちょっと濃くしてアップ。
あんまりおいしそうじゃないけど…。
石榴、ザクロは世界中で、神話や伝説などにでてくる果実です。
ギリシャ神話では…冥界王ハーデスがペルセポーネに恋して略奪婚をしたとき、
探し当てた母親が娘を連れ帰ろうとします。そのとき「冥界の食べ物を食べていたらダメ」だったのに、
ペルセポーネはザクロを4粒食べてしまっていた…。
そこで一年のうち4ヶ月だけは冥界で暮らし、残り8ヶ月は地上で暮らすことになった。
いつも思うんですけどね、ギリシャ神話に出てくる神様って、ほんと人間臭いですね。
日本では地域によって忌み嫌われるものでもありますが、
ひとつの実のなかに、たくさんの種(あの赤い果肉が一個ずつ包んでいます)があるため、子宝の象徴ともいわれます。
「鬼子母神」が子供をとって喰うため、お釈迦様が「これを食べよ」と与えたのも「ザクロ」。
ザクロは人の肉の味…などという物騒な言い伝えも、ここからだと言われています。
実際には甘酸っぱくて、ちょっとクセはありますがジュースにもなってますね。
江戸時代の湯やで、湯船のほうに入るための入り口が低くなっていて、
みんな首をすくめ頭を下げて入りました。これを「石榴口」といいました。
なんで?昔「銅鏡」を磨くのに、ザクロの実からとった液(酢だそうです)を使ったところから、
ザクロは鏡を磨くのに使う、「鏡要る」から、入り口は「屈み入る」からです。しゃれですね。
ザクロとかアケビは、パカッとわれたところが絵になりますね。
昔作ったちりめん細工、何度かアップしておりますが部分アップでザクロ、
そのように見えますかねぇ。ザクロの種の部分は、フラワー素材の「実」です。
この着物は前部分の一部が、すでに解けていまして、中が見えました。
全体に薄く綿が入っています。右側のピンクの部分が「真綿」。
染真綿、だと思います。
真綿で着物を作るとき、つまり「紬」のことですが、通常は真綿を糸にしてから染めます。
染真綿を使うときは、まず真綿で染めてしまう。そこから糸をとるのですが、
全部均一に染まるのは難しいし、そこからまた糸を紡ぐと、細い太いで色合いが変わります。
それで織物を織ると、微妙に色がかわって面白いものが出来るとか。
実際みたことがありませんので分かりませんが、理屈は分かります。
この真綿は、おそらく糸を取るために染めたのではなく、裏が紅絹ですから、
紅絹に近い色に真綿を染めたのではないかなと思っているのですが…。
最初にこの真綿の端っこをチラッと見たときは、長年の湿気で綿が紅絹の色でそまっちゃったのかと
ドキッとしたのですが、全部ピンクでした。ははは。
子供、といいますか娘の着物には、親の思いがたくさん詰まっています。
これは婚礼衣装ではないかもしれませんが、年頃の娘さん、お嫁に行ったら子宝に恵まれて、
幸せになるように…という思いだったのでしょうね。
この着物は「日本にはこんな着物があったんだよ」と、とっておきます。
いつか誰かに託しましょう。
明治の柄行は、全体にまだ「ジミ」が主流です。
これは若い娘さんのものでしょうから、少し華やかめに柄も大きく、ピンクなども入れています。
真紅と言うのは、これまたデジカメで出にくい色で、家の中で撮るとフラッシュたかなきゃ真っ暗け。
フラッシュたいたら、毒々しい赤になってしまう~~。
それで表に持ち出しました。ほぼ出ているかと思います。
当然のように「両褄柄」ですので、当時はこんなかなとやってみました。
調整したらなんだか薄っぺらな色になってますが…。
華やかだったでしょうね。下はどんな襲で、どんな帯を締めていたのでしょうか。
前柄部分。几帳、琴、花は牡丹でしょうか、そして珍しい「石榴」柄です。
ちょっと濃くしました。
ザクロ部分だけ、更にちょっと濃くしてアップ。
あんまりおいしそうじゃないけど…。
石榴、ザクロは世界中で、神話や伝説などにでてくる果実です。
ギリシャ神話では…冥界王ハーデスがペルセポーネに恋して略奪婚をしたとき、
探し当てた母親が娘を連れ帰ろうとします。そのとき「冥界の食べ物を食べていたらダメ」だったのに、
ペルセポーネはザクロを4粒食べてしまっていた…。
そこで一年のうち4ヶ月だけは冥界で暮らし、残り8ヶ月は地上で暮らすことになった。
いつも思うんですけどね、ギリシャ神話に出てくる神様って、ほんと人間臭いですね。
日本では地域によって忌み嫌われるものでもありますが、
ひとつの実のなかに、たくさんの種(あの赤い果肉が一個ずつ包んでいます)があるため、子宝の象徴ともいわれます。
「鬼子母神」が子供をとって喰うため、お釈迦様が「これを食べよ」と与えたのも「ザクロ」。
ザクロは人の肉の味…などという物騒な言い伝えも、ここからだと言われています。
実際には甘酸っぱくて、ちょっとクセはありますがジュースにもなってますね。
江戸時代の湯やで、湯船のほうに入るための入り口が低くなっていて、
みんな首をすくめ頭を下げて入りました。これを「石榴口」といいました。
なんで?昔「銅鏡」を磨くのに、ザクロの実からとった液(酢だそうです)を使ったところから、
ザクロは鏡を磨くのに使う、「鏡要る」から、入り口は「屈み入る」からです。しゃれですね。
ザクロとかアケビは、パカッとわれたところが絵になりますね。
昔作ったちりめん細工、何度かアップしておりますが部分アップでザクロ、
そのように見えますかねぇ。ザクロの種の部分は、フラワー素材の「実」です。
この着物は前部分の一部が、すでに解けていまして、中が見えました。
全体に薄く綿が入っています。右側のピンクの部分が「真綿」。
染真綿、だと思います。
真綿で着物を作るとき、つまり「紬」のことですが、通常は真綿を糸にしてから染めます。
染真綿を使うときは、まず真綿で染めてしまう。そこから糸をとるのですが、
全部均一に染まるのは難しいし、そこからまた糸を紡ぐと、細い太いで色合いが変わります。
それで織物を織ると、微妙に色がかわって面白いものが出来るとか。
実際みたことがありませんので分かりませんが、理屈は分かります。
この真綿は、おそらく糸を取るために染めたのではなく、裏が紅絹ですから、
紅絹に近い色に真綿を染めたのではないかなと思っているのですが…。
最初にこの真綿の端っこをチラッと見たときは、長年の湿気で綿が紅絹の色でそまっちゃったのかと
ドキッとしたのですが、全部ピンクでした。ははは。
子供、といいますか娘の着物には、親の思いがたくさん詰まっています。
これは婚礼衣装ではないかもしれませんが、年頃の娘さん、お嫁に行ったら子宝に恵まれて、
幸せになるように…という思いだったのでしょうね。
この着物は「日本にはこんな着物があったんだよ」と、とっておきます。
いつか誰かに託しましょう。
どんな時に着る物だったのでしょう?
礼装では無い。。。のでしょうかね?
帯が思いっきり金糸銀糸の派手なやつだとまた雰囲気が変わって素敵でしょうね。
とっておきの着物だったんだろうな。。。
派手なようで、地味なようで不思議な着物
ですね。
随分前に、同じような着物を襲ねて着て
いたのを見た事があります。
襲も帯もどんなのだったのかと気になりま
すね。
ちりめん細工のザクロ、こういうのまで
作られていたんですね。スゴイ・・・
私が染めたい物の一つに両褄の振袖があります。
こんな振袖を着てみたいと言う殊勝なお嬢さんが現れないか待っているのですが。
とんぼさんの近頃発表の古物は皆宝物ですね。
アンテナの感度が優れているのでしょうか。
五泉の絹織物の方から聞いた話では生糸の価格は倍になったそうです。
売れる数が激減しているので価格の上昇が遅れているとか。
景気が上がれば一気に値上がりしそうで、日本産が増える可能性が出てきたのですが、元の品質になるまで三十年はかかるだろうと言っていました。
どちらにしても、良い話ではありません。
これは振袖ではありませんが五つ紋で、礼装用です。
色留袖ってとこですね。
今の人が、ブラックとカラーフォーマル、スーツ…と、
礼装でもいろいろ持つのと同じで、
洋装がなかった時代は、未婚でも振袖以外に
いろんな礼装の着物を持ったわけです。
但しお金持ちだけ…。
昔は袖の長さって、そんなに厳密には、
決まってなかったんです。
年齢やお好み、身長なんかでそれぞれ決めてました。
今でも本来は身長から割り出したりするんですけど
最近はほぼ49~50で統一ですね。
昔は若いと長い…で、留袖でも若奥さんなら
60センチとかあったりしました。
じゅばんあわせるのがたいへんですけど、
昔の人はみんな自分でちゃっちゃと直せましたからねぇ。
ほんとにふき綿モコモコです。
全体にもうす綿入ってて、ちょっとはおったら
すごく暖かかったです。
表地が薄いので、カバーしたんでしょうね。
これだとかなり重厚な丸帯くらいでないと、
合いませんね。
どんな帯締めてたんでしょうねぇ。
両褄は華やかですね。後ろはすっきりだし、
バランスいいですよね。
骨董として価値のあるものは何もないんですが、
珍しいものには目が行く…のです。
いいかげん養蚕業復活になりませんかね。
絹もあっち、染めも刺繍もあっち…で、
外国製の着物が出戻りみたいにはいってくる…。
どうにもおかしな話です。
染め真綿って聞いたことがあったような記憶があるんですけど、こういうものなんですねぇ。
たっぷりした「ふき」の着物なんて、花嫁衣裳の内掛け以外はすっかり廃れてしまったようですね。
尤も、畳の部屋が無い家で暮らしている人も結構いるんですから、仕方ないと言うか、当たり前というか、なんでしょうねぇ。
若い方が着るものはこのぐらい赤くないと、と思ってしまう私です。
最近の振袖は洋服感覚の色のものが多いようですがなんとなくいまひとつと思ってしまいます。
もう少し速く入手していたら、カンレキ写真、
これでいったのにーです。もう一回撮るかな?
私も染め綿を実際見たのは初めてです。
きれいなものです。これで糸をひいたら
ピンクの糸になるんですねぇ、やったろかしらん。
イマドキはこんな「ふき綿」振袖でもいれないですね。
今の住宅だと、まさしく「モップ」でしょうなぁ。
なんともいえない清純なお色気、といいますか
そういうものを感じます。
今の振袖、私も同感です。
ただごちゃごちゃと花が山盛り…みたいで、
華やかさの意味がちがっている気がします。
だから個性的って言う割には、あとで思い返しても
「なんかみんなおんなじなの着てたな」です。