去る2月2日(土)、なばなにて、多田治さんと井坂康志さんによる講演会を開催しました。
テーマは「ドラッカー×社会学ー知識が社会をつくる」
これまでのなばなのイベントとはずい分と違った感じのテーマですが、この会が実現するまでのいきさつはコチラをご覧ください☺
私自身は、今までほんの少しずつドラッカーの本に触れる程度でしたが、それでも、ドラッカーの伝えようとしたことが垣間見えてくると、これは社会に働きかけたいと思う人には誰にでも大切なお話ではないかと思うようになり、とても楽しみな気持ちで準備を進めました。
講師のお二人は東京から、そしてコーディネートしてくださった鬼塚さんご夫妻は長崎から前泊ということで、まずは前夜祭ですね^^
楽しい時間が始まったばかりですが、鬼塚さんはすでにツアーの終わりを想って寂しがっておられました。
私もです(笑)
※追記:鬼塚さんも、このときの様子をブログにアップされていました^^
※追記:井坂さんによるオリジナル楽曲「なばなのブルース」演奏。
こんな一幕もありましたこと、全国の井坂さんファンに自慢するために、アップしました(笑)
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さて、一夜明けて、当日朝のリハーサル。
じわじわと気持ちが高まります。
この頃、私は奥でお弁当の仕上げをしており、いつもとは違う音と気配に心をときめかせておりました。
不思議なご縁がここに収斂して、素敵な出来事が始まる予感。
そして、開始時刻の11時。
まずは、皆さんご一緒にランチタイムからスタートしました。
この日は、ちょうどお誕生日の方が参加されていて、井坂さんのギターでHappybirthday to You~♪を合唱したり、
簡単な自己紹介をしたりして、和気あいあいです。
鬼塚さんのお話のときには、なぜかサブローがこの位置に。
どういう意図なんでしょうか(笑)
場がすっかり和んだところで、講師の井坂さんによる基調講演が始まりました。
ドラッカーによるマネジメントとは、どのようなものか。
リラックスした空気の中、質問も交えながらお話が進みます。
続けて多田さんより、井坂さんの新刊についての解説。
『もし社会学者が井坂氏のドラッカー本を読んだら』
プリントされた資料も頂きましたが、これは、井坂さんのご著書を読むに当たって、本当に助けになってくれそうです。
そして、この新刊に込められたもう一つの流れが、どのようにLIVEに繋がるのかの種明かしがされた所で、伝説のアイソレーションズ・ライブへ!
本日のメインイベントです(^^♪
甘酸っぱいような、切ないような、もどかしかった頃を思い出すような楽曲の数々。
私にとっては少し前に、これまでの人生を振り返る機会を頂いたこともあり、「そんな時代」を思い出しておりました。
★この日のセットリストです。
「New Spring」
「自然ー生まれて初めて」
「夏ー私はひとり」
「安らぎのない街で」
「弓と弦と」
「まっしぐらに歌おう」(前半)
「まっしぐらに歌おう」(後半)
楽しい時間はあっという間。
こうして会の時間は終了となりましたが、まだまだ話し足りず、会場のあちらこちらで立ち話の輪が。
名残惜しいのですが、この後、講師のお二人と鬼塚さんご夫妻に私も便乗しての5名は、翌日のイベント会場である長崎へと向かうのでした。
まるで太陽を追いかけるように。
続く。
★この後の長崎での様子はコチラをご覧ください。
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さてここで、この日の参加者様よりお寄せ頂いた感想をご紹介したいと思います(ご本人様ご了承済み、順不同)。
★☆★【子どもの貧困対策 S様】★☆★
たるんだ頭に喝を入れるべく参加したところ、奥深い講演と弾けたライブショーで、期待以上に脳が活性化されました。
初めて顔合わせした人とも、一緒に美味しいお弁当を食べたらすぐに打ち解けられて、気分はもうクラスメイトです。次の機会に向けてドラッカー本を読むのが楽しみになりました。今も、いただいた配布物を線を引き引き読んでいます。
日佐美さん、ドラッカーとの出会いを有難うございました!
★☆★【市議会議員 Y様】★☆★
P・F・ドラッカーにまつわる不思議な縁で『穀菜食堂なばな』さんへ。
多田治氏✖️井坂康志氏 講演&トークセッションLIVE
ドラッカー✖️社会学 知識が社会をつくる!
若い頃、マネジメント=管理と誤解していたことがありました。
あらためて、ドラッカーの説くマネジメントとは、社会的画一化、個人の無化ではなく、自由にして機能する社会の形成に必要なもの。
個を埋没させるのではなく、個の長所を活かし、
個の判断力、組織的協働、機能に基づく市民性を導くもの。
コントロールするものではなく、主体性を重視するもの。
と再認識しました。
画一的に同じ方向に強制的に向かわせる全体主義は危険性を孕んでいます。
お互いがお互いの強みを理解し助け合う。
自分の強みを持ち寄って協働できる社会。
ただ一つの価値観を盲信して、異質なものを排除しない社会。
お互いがかけがえのない存在である。
私的な強みは公益となる。
マネジメントというと経済経営的なイメージがありますが、ドラッカーの提唱するマネジメントは個の成長が社会を成熟させるという概念を包容していると感じました。
★☆★【ヨガ講師 T様】★☆★
P・F・ドラッカーの勉強会が、雑穀食堂 なばな さんでありました。
井坂康志氏 ドラッカー学会理事
多田 治氏 一橋大学社会学教授
トーク&ライブ 形式で、質疑応答、自由な雰囲気でした。
ドラッカーのマネジメントは、それだけに限定されず多岐にわたっている。
📕📖
「経営者の条件」
「Drucker マネジメント思想の源流と展望」←井坂さんご本人も難しい、読むのに1週間かかる本も買いました。
ドラッカーは、ヨーロッパ時代、ユダヤ人でナチスの迫害にあって、危機体験と認識が深みを作っていった。
ドラッカーのマネジメントは、一本の大樹で表現されてて、知的エネルギーは、根っこで表現されていた。苦しみの中でさえ、ポジティブの種を丁寧に見ていく。
意外とそんな時に、私は今の自分にとって大切な、かけがえのないもの、そんなことの貯金ができていたんですね。
「人生を変えるドラッカー」とても読みやすい、この本を貸してもらって読みました。
ここに書かれていた、
何を世の中に差し出すのか?
人生は、成果をあげるものなのか?
真の潤いを増やすため。
心に響いた。
ドラッカーは、あらゆるものを“生きもの”としてみる。
相手の持つ最高のものを引き出す。手綱を握る。
乗馬に例えたお話は、ヨガのウパニシャット哲学と同じこと。
☆『できること』説明不要にできる。パワフルに働かせる。
★『弱み』果てしない暗闇の世界。そこは見ない。
ドラッカー本は、知ってることばかり。
すでに自分の中にあるものをどのように活かすか。意識化もされていない宝の山。鍵がないだけ🔑
全体主義、トップダウンではなく、個の成長が社会を成熟させる。お互いが、自分の強みを理解して助け合う。
自由に機能する社会。
あらゆるお仕事、手仕事には、不可欠な学を、私は、
🌲もしも ヨガ🧘♀️ 講師が、ドラッカーを読んだら???
もしドラやります^_^(笑)
○○さんが、「Tさんが読んで理解したことを話してよ」と言ってくれた。昨日は、彼女のお誕生日だったんですよ。サプライズのハッピーバースデー🎉♬🎸楽しかった^_^❤️
井坂さんは、東大大学院卒業の優秀な方で、かっこいい。
多田先生も、大学でゼミをされ、お話は聞きやすい話し方で、超難しいことを噛み砕いて、説明されるプロフェッサー👨🏫
息子も参加して、あの子の考えを知りました。
参加者の方で、仕事と子育ての選択に悩みを持つ方に、息子が子供時代のことを今の目線で話しました。
友人の◎ちゃんは、ご主人の◇さんのことをいつも考え、そして自分の足でもしっかりたっています。
ひさみさんは、賢さマックスで素敵なお着物姿👘もっと学びたいな。
やっぱり私のまま生きていこう!ドラッカー流の人生やったと思う。
★☆★【造園業 K様】★☆★
ドラッカーと街路樹。
今日、尼崎の穀菜食堂なばなさん主催の「P.F.ドラッカー」という本の著者の井坂康志さんと、お仲間で社会学者の多田治さんのお話会に参加してきました。
ドラッカーか〜難しそうかな〜と思いきや。
聞いていると、うなづきまくり。
ある場所の話し合いの中で出てくる、「侵略的外来種」というレッテルを貼られた、ある木についての付き合い方に全て当てはまった。
侵略的外来種と一括りにされた生き物は、排除した方がいいという扱いを受けやすくなる。
取り除く活動が「いい事」になってしまう。
一昔前にはなんか役に立つから、という理由で人が持ち込んだものを、時間が経ってみると、「侵略的」と悪者視され、取り除かなあかんものになる。
そこには、ドラッカーがいう、「相手を引き出す」とか、「不完全、あかん所を持っているから、創意工夫が生まれる」とか「現実にあるものを観察して、素材を最大限活用しつつ、ゆっくり改善し、創る」という視点は全くない。
つまり「生き物」としてみていない、優しくない物の見方になっている気がする。
侵略的外来種は、どこにあっても、排除すべきものなんか?
この場所なら、うまく他と調和が取れる、付き合い方があるんとちゃうのか、どうすればそれを引き出せるのか?
「やってみてダメなものはやらない、うまくいくことをもっとやる」というドラッカー的視点で方法を見つけ出し「街路樹」も「街の木々」も里山の木々とも付き合っていける、優しい社会になれたらいいな〜。
★☆★【看護師 T様】★☆★
予め申し上げます。
感想文になってないと思います(笑)。
人体を小宇宙ととらえる東洋医学の影響が大きいのですが、いきものの存在は、宇宙という目に見えない大きなカラダの細胞みたいなもの
だと思っています。
なので、それぞれ使命があり、逆らえない、抗えない流れがあり、それが自然法則なのかな?と感じています。
例えば、赤血球だったり、幹細胞だったりするというか。
余計分かりにくいかもしれませんが、自分の使命は決まってると思うのです。
その中で、貧血の赤血球になるかならないかは、運次第ではあるけれど、貧血の赤血球だからといって、酸素を運ぶのをサボることはないんですよね。
その使命を、命あるかぎり精一杯果たそうとするのが、いきものを構成する細胞です。
赤血球は、リンパ球になりたくてもなれない。
けれど、リンパ球にはできないミッションが赤血球にはあるのですよね。
それは、井坂先生のおっしゃるところの「強み」なのかな?と感じました。
自由意志という言葉がありますが、本当は自由にして良い、というより、使命を思い出す、強みに気づく過程のコトではないかと。
いろんな「常識」や他人の評価に縛られて、赤血球がリンパ球だと認識違いして苦しんでいるときに、「赤血球でいいんだよ」というのが、自由意志なのかな~?と思うのです。
でも、リンパ球の苦労や、リンパ球からみた赤血球のカッコ良さは、リンパ球で過ごさないとわからないわけで、リンパ球で過ごすのも悪くないんですよね。きっと。
そして、集団を考えたとき、それぞれの役割とバランスを考えないと、貧血になったり、白血病になったりするのと同じように、ちぐはぐになってしまいます。
なので、ミッションを果たすとか、目的を達成する上で、個の使命や特性を尊重すべきだし、統括側の都合で役割を変えてしまえば、いきものにおける「癌」になりかねないです。
逆に、自分の使命がわかれば、全体は健康で安定して過ごせるということになるのか…な?
と、自分の考えと、先生の話から考えてみました。
個の意志は尊重されるべきだし、個は自分の思う方に動くものだとは思うし、例え双子であってもAとBを同じではないけれど、グループとして安定化するためには一定のルールがいるのだろう、というのは、自然法則に従う私の感覚です。
でも逆に、病気や障害を理由に、自分を基準に他者を評価することも、自然法則に従ってはいないということになります。
長くなりましたが、言いたいことは、
1人でも多くの人が、この感覚を会得すれば、誤った柵から解放され、それぞれがそれぞれの使命を果たせるようになるでしょう。
そして、世の中はもっと良くなるはず、と井坂先生達のお話と、集まった皆さんの熱い思いを伺って確信しました。
★☆★【理学療法士 K様】★☆★
お日さまのような多田さんとお月さまのような井坂さんのお話を聞かせていただき、ドラッカーさんのお話だったのかもしれませんが、ドラッカーさんを知らなさすぎてるせいか、おふたりの人柄に触れているような時間でとてもここちよかったです。
わたしはアナログが好きです。不便だったり、面倒だったりすると、ちぇっ!って思うのですが、そこから得ることや気づくことにニンマリします。
12月末に、不本意な退職をしたのですが、今回のお話は、わたしが仕事の中で、お年寄りと少しずつ紡いでいった関係性。
生きものとしての(当たり前なのですが)、
つまり、人としての関係性を重視するケアをしてきたことに置き換えて考えることができました。
介護、福祉業界でも、人として、生きものと対話するように、
介護側の感度を磨き、丁寧に個々に合ったケアをしていく必要があります。こんな当たり前のことができていない業界ですが、おそらく、どこの世界でも同じことが起こっているのではないでしょうか。
モノゴトの真理、根源を知ろうとする。
その根底に流れているものを見つめ、そこに共感しながら、ゆっくり生きていきたいです。
この機会を与えてくださったみなさま、出逢ったみなさまに感謝しております。
ありがとうございました。
★☆★【造園業 M様】★☆★
拙い文章ですが感想を記します。
一見関連が無いと思えるドラッカーの思想と社会生態学が、実は同じ地平で繋がっている事に気付かせて頂きました。
だからこそ増して、教えには人間味が感じられました。自然農を営んでいた時、自然界の不確かさが、実は生物多様性を担保しているのだと感じていました。ドラッカーの目指す人間像、組織像とは、まさに万物の霊長たる人間では無く、自然界の一員(不完全さ、誤りやすさを前提)としての存在なのだろうと思えて、とても共感しました。
そう捉えるならば、現代の、自然とかけ離れた社会に於いてドラッカーの思想を拡く浸透させる事は容易くないと思いました。
どうすれば良いのか?
まず始めに出来る事、胸が弾む事は、ドラッカーの教えの中に見いだす事が出来ます。
井坂さんの著書P.Fドラッカーの6章にある時間論。不可逆な生きられた時間のなかでの知覚。これを基に、今企画を経て醸成される参加された皆さんの想いを2年目に入るみんなの畑の活動に注ぎたいです。
そこから何が観察されるのかを丁寧に共有していけたらと想像するだけで楽しくなります。
最後に、 自分の決定に責任を取る。と言う話が在りました。それには前提があると思います。
選択肢が多いのと2択とでは大きく違いますね。真に責任を取れる状況というのは、沢山の選択肢から熟考し決定する事で可能になると思います。経済優先、効率主義の社会では熟考は遅い。2択の方が早いし理にかなってるのではないでしょうか。大雑把な捉え方ですが、、、
組織やコミュニティが個人の選択肢を増やすように補い合う。好循環が生まれ成長していける。それこそがドラッカーの言ってる事だと思います。