塩名田宿は江戸板橋から数えて23番目の宿場。千曲川の東側に形成された小さな宿場。
岩村田宿から1里21町(約6.3km)、八幡宿まで27町(約3km)と近い距離にも関わらず、ここに宿場がつくられた経緯は、千曲川の氾濫により川が渡れない(川止め)の際に、旅人が宿泊するためと八幡宿に至る道は、強粘土質の地質のため、人馬とも通行に難儀をしたためのようである。
本陣問屋の丸山家に継承される「伝馬の定め書(家康家臣の伊奈備前守ら4名が本陣、丸山新左衛門に宛てた書)」、「駄賃の定め書(江戸役人、奈良屋市右衛門及び樽屋三四郎が本陣問屋、丸山新左衛門に宛てた書)」(家康家臣の伊奈備前守)によると、慶長7年(1602)に開設されている。本陣南北各1軒、脇本陣1軒、旅籠7軒が存在した。この時点では、戸数41・42軒程度とされている。
その後の約240年後の天保14年(1843)では、戸数116軒、総人口574人(男293、女281)となっている。宿場内の配置は、江戸に近い方が「下宿」、中央が「中宿」、千曲川側が「川原宿」とされている。
本陣内の様子。(普段はこの建屋の中は観られません。ご迷惑なので絶対に敷地内にも入らないでください!)
宿泊者の「歓迎看板」としての木札
樹齢400年とされる本陣の庭にある松
お滝通り。かつては花街であった場所。昭和の初期まで、多くの芸者がいたようである。その数は、50~100名と伝わる。
昔の旅人もこのような浅間山の煙を見ていたのであろうか。
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