豪雨後に始めた釣り堀経営。
やはり何年も持つ訳はなく、6〜7年ほどで閉店してしまいました。
私もよく手伝いをしてたので、お客が減るのも家にお金が無くなっていくのも強烈に感じていました。
借金もあったでしょう、父は親戚の土木会社へ働きに行き、母も様々な所で働きに出るようになりました。
この頃すでに姉・兄は家を出ており、父母は常にギスギスした雰囲気でした。
母は仕事で帰りが夜遅く、それにイライラした父が暴れ、家中の物が散乱している事が度々ありました。
悲しい顔をした母がそれを黙々と片付けているのです。
それを見るのがとても嫌で私自身も家に帰るが遅くなっていきました。
当時の私は父の事が大嫌いでした。
母を辛くさせるのも、煙草臭いのも、何もかも。
商売が順調だった華やか時代から打って変わり、暗い時代に落ちていきました。
お金が無いってすごく辛いんだ、という事を痛感した時代でした。
↓ 「浮き書」と言うらしいです。制作途中。
....
やはり何年も持つ訳はなく、6〜7年ほどで閉店してしまいました。
私もよく手伝いをしてたので、お客が減るのも家にお金が無くなっていくのも強烈に感じていました。
借金もあったでしょう、父は親戚の土木会社へ働きに行き、母も様々な所で働きに出るようになりました。
この頃すでに姉・兄は家を出ており、父母は常にギスギスした雰囲気でした。
母は仕事で帰りが夜遅く、それにイライラした父が暴れ、家中の物が散乱している事が度々ありました。
悲しい顔をした母がそれを黙々と片付けているのです。
それを見るのがとても嫌で私自身も家に帰るが遅くなっていきました。
当時の私は父の事が大嫌いでした。
母を辛くさせるのも、煙草臭いのも、何もかも。
商売が順調だった華やか時代から打って変わり、暗い時代に落ちていきました。
お金が無いってすごく辛いんだ、という事を痛感した時代でした。
↓ 「浮き書」と言うらしいです。制作途中。
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