義兄 (姉の旦那さん)方の計らいで返済の目処が立ちました。
今でも「本当に感謝してる」と母。
(数年後ですが、その人が困った時、こちらが貸す事もあったようです)
改めて聞いてみました。
「そもそも何故そんなの(マルチ商法)にハマっていったの?」
母「釣り堀やってたでしょ。そこのお客さんが持ってきた洗剤を使ってみたのよ。それが良くってね、そしたら販売やってみない?って。そこから話しを聞きに行ってね。」
「一瞬、夢を見ちゃったのよ。(大成功するかもって)夢をね。そんなの見たばっかりにこうなっていったの。」
「最初は良かったんだけどね、うまく行かなくなると、どんどん悪くなってって....。沼に落ちてくようだった....。」
高利貸しの人は?
「元々同級生でね、最初は低利で貸してくれてたんだけど、途中から高い利息になってったの。
奥さんが病いで早くに亡くなってね。同級生も最期は孤独になって、あっけなく亡くなったって....」
日航機が墜落した年だったと思います。
田舎のひっそりした家で、姉家族5人と同居、銀行への返済も順調に始まり、その後もう1人赤ちゃん(姪のサヤ)が産まれ9人家族の賑やかな生活となっていきました。
母スエは近所の介護施設で働くようになり、父トシオもかわいい孫達と楽しく穏やかな日々を過ごすようになりました。
1年半後に、私が家を出るのですが、それ以降も姉家族は同居を続けてくれました。
姉に感謝です。
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テレビを観る父トシオ と ひ孫ユイト