ちなみにリアルガチな人口統計で言えば花巻市は4~5位といったところ。
→岩手県のHPより
さて、そんな花巻市のお城「花巻城」は市の中心部、イトーヨーカ堂のすぐ近くにあります。
↑ちょっと看板が年期入っていますね。
直しましょう、花巻市教育委員会さん!!(*´Д`)
まず、坂を上るわけですよ。
これ、百日紅(さるすべり)ですね。
この辺が正門だったらしいです。
「早坂御門」というらしいです。
で、ここから、本丸の方へ行ってみましょうか。
門に行きます。
いわゆる「虎口」ですな。
「鉄砲狭間」なども再現。
門を入ります。
「本丸跡」は広い!!
広大な空間です。
ちなみに、この北側の門跡は、
激戦の跡地。
また、この本丸の近くには武器庫もあった模様。
先ほどの激戦地からはまた、別の廓へとつながる。
堀もあります。
水が満々と称えられていて、今は立派な池です。
降りることもできます。
さて、ここから一気に南端に移動します。
花巻城の近くに市役所とかいろいろ集中しているのですが、その構内には民家もあります。
当然、道路も通っています。けっこう敷地は広いものです。
その南端には空き地というか、公園があります。
こんな感じですね。今現在、左上です。
こちら、民家もあります。
「史跡」には民家建てられないはずじゃあ…と思うのですが…どうなっているんだろう…?
今更ながら「花巻城」の説明です。
ここは昔、「稗貫氏」(ひえぬきし)が治めていた土地でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったために取り潰しになり南部領になりました。
なんてことが書かれてありますね。
この辺は重要な土地だったようです。
さて、今回の扉にも採用した、あの門。
コチラにあります。
「円城寺門」です。
当時の面影を残す唯一の門です。
いまはこちらの鳥谷崎神社の社務所の門になっています。
「花巻」の旧地名は「鳥谷崎」だったそうです。
鎧とかあるらしいですよ。見たいですなあ…。
境内にある神社、「早坂稲荷」。
先ほどの「早坂御門」の名もここから取っているのかもしれませんね。
さて、先ほどの公園の端に来ると高台になっていて花巻市街が見渡せます。
ここからクランクになっていて、坂を下りるわけです。
ここは花巻城の裏門の虎口になっているわけです。
説明の方の拡大です。
この説明にある「平野氏」は円城寺門のすぐ近くにあるお家です。
この図を見ると、当時の様子と現在との違いがよくわかりますね。
とても興味深いです。
坂を下りると、さっきの「鳥谷崎神社」の鳥居があります。
さっきの公園。このような高台になっていました。
往時は石垣があったかもしれません。
で、こっちにはもう一つ、お社があります。
大木が目を引きます。
何でしょうね…。たくさんの木が集まっているように見えます。
「千本カツラ」というそうです。
不思議な木ですね。
このお社自体は民家に隣接していて、民家の一部のようです。
石碑もあります。
「延寿寺観音堂」と言うそうです。
起源は不明…。こういうお寺や神社の起源が不明ってけっこう珍しいのですが…。
廃仏毀釈でいったん廃寺になったから起源が失われたのでしょうね。
かわいそうに。
ともあれ、花巻城の度はここまで。
小学校があったり、市役所があったり、民家が構内にあったり、にぎやかな城跡ですね。
(決して褒めているわけではない)
往時には川や堀に囲まれ、多くの桝形を配するなど、かなり防御力の高い城だったようです。
すごいですね!!!
【撮影日:2021/8/19】
↓ ↓ ↓ 花巻城の場所はコチラ ↓ ↓ ↓
→岩手県のHPより
さて、そんな花巻市のお城「花巻城」は市の中心部、イトーヨーカ堂のすぐ近くにあります。
↑ちょっと看板が年期入っていますね。
直しましょう、花巻市教育委員会さん!!(*´Д`)
まず、坂を上るわけですよ。
これ、百日紅(さるすべり)ですね。
この辺が正門だったらしいです。
「早坂御門」というらしいです。
で、ここから、本丸の方へ行ってみましょうか。
門に行きます。
いわゆる「虎口」ですな。
「鉄砲狭間」なども再現。
門を入ります。
「本丸跡」は広い!!
広大な空間です。
ちなみに、この北側の門跡は、
激戦の跡地。
また、この本丸の近くには武器庫もあった模様。
先ほどの激戦地からはまた、別の廓へとつながる。
堀もあります。
水が満々と称えられていて、今は立派な池です。
降りることもできます。
さて、ここから一気に南端に移動します。
花巻城の近くに市役所とかいろいろ集中しているのですが、その構内には民家もあります。
当然、道路も通っています。けっこう敷地は広いものです。
その南端には空き地というか、公園があります。
こんな感じですね。今現在、左上です。
こちら、民家もあります。
「史跡」には民家建てられないはずじゃあ…と思うのですが…どうなっているんだろう…?
今更ながら「花巻城」の説明です。
ここは昔、「稗貫氏」(ひえぬきし)が治めていた土地でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったために取り潰しになり南部領になりました。
なんてことが書かれてありますね。
この辺は重要な土地だったようです。
さて、今回の扉にも採用した、あの門。
コチラにあります。
「円城寺門」です。
当時の面影を残す唯一の門です。
いまはこちらの鳥谷崎神社の社務所の門になっています。
「花巻」の旧地名は「鳥谷崎」だったそうです。
鎧とかあるらしいですよ。見たいですなあ…。
境内にある神社、「早坂稲荷」。
先ほどの「早坂御門」の名もここから取っているのかもしれませんね。
さて、先ほどの公園の端に来ると高台になっていて花巻市街が見渡せます。
ここからクランクになっていて、坂を下りるわけです。
ここは花巻城の裏門の虎口になっているわけです。
説明の方の拡大です。
この説明にある「平野氏」は円城寺門のすぐ近くにあるお家です。
この図を見ると、当時の様子と現在との違いがよくわかりますね。
とても興味深いです。
坂を下りると、さっきの「鳥谷崎神社」の鳥居があります。
さっきの公園。このような高台になっていました。
往時は石垣があったかもしれません。
で、こっちにはもう一つ、お社があります。
大木が目を引きます。
何でしょうね…。たくさんの木が集まっているように見えます。
「千本カツラ」というそうです。
不思議な木ですね。
このお社自体は民家に隣接していて、民家の一部のようです。
石碑もあります。
「延寿寺観音堂」と言うそうです。
起源は不明…。こういうお寺や神社の起源が不明ってけっこう珍しいのですが…。
廃仏毀釈でいったん廃寺になったから起源が失われたのでしょうね。
かわいそうに。
ともあれ、花巻城の度はここまで。
小学校があったり、市役所があったり、民家が構内にあったり、にぎやかな城跡ですね。
(決して褒めているわけではない)
往時には川や堀に囲まれ、多くの桝形を配するなど、かなり防御力の高い城だったようです。
すごいですね!!!
【撮影日:2021/8/19】
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