扉絵で見てもらったように、手前の道路が4号線。
そして奥の小学校が「矢巾町立徳丹小学校」です。
ちなみに、紫波方面に向かう方向だと、こんな感じに見えます。
徳丹城は平安時代、東北を抑える拠点の一つとして築かれた城塞兼官衙です。
広大な平地を選んで城壁を伴った官庁群を作った施設です。
↓この案内板をご覧ください。
非常に詳しく書かれてあります。
絵も、なんていうか、本当に上手…。
ですから、こういう平地が適しているんですね。
ちなみに現在整備中。
完成が楽しみです。
この辺は正門跡のようです。
では、徳丹城のことをもっとよく知るために資料館に入ってみましょう。
資料館のパンフです。
もう、徳丹城跡すぐ近くにあるんですな。超、便利です。
徳丹城についての解説と近くにある「えぞ森古墳群」の解説が載っています。
すぐ近くに建っている「曲がりや」の説明もあります。
古民家大好きなのであとで行ってみます。
他にもパンフあります。
超、研究されていますね。
ちなみに、近くに運河もあったらしいですよ。
展示品の写真はNGだったので撮れませんでしたが、展示品もマニアックですが、充実しています。
ブログには載っていませんが、いろいろ詳しい学芸員のおじさんがいたので(忙しそうにしていた)
色々聞いてい見るといいと思います。
忙しそうなわりにはものすごく詳しくいろいろ話していただけました。
例えば、「別将」という存在ですね。
「別将出土地」というのがあったので、「別将」ってなんですか?って質問したんです。
学芸員のおじさんによると「副将」の古い名称のことなんだそうです。
歴史上、この副将が出てくるのはまれなことのようで、副将についてわかる資料が出土したとのことらしいです。
スイマセン、あまりにマニアック過ぎて説明がなかなか頭に入りませんでした…。
(´・ω・`)
とりあえず、古民家を見に行きます。
「佐々木家」住宅だそうです。
約30年前の移築ですね。
今日は天気が良くて何より。
写真が映えますな~~(*´▽`*)
縁側。日向ぼっこしたい。
戸袋の細工。こういうところに目が行きます。
曲がりや部分には馬の模型が。
おもしろいですな。
当時の農具など多くの道具が所有されています。
こいつあ勉強になるぜ!!!!!
半分土間の囲炉裏もいい感じ。床がきれいに磨かれています。
非常に状態がいい…ッッ!!!
(*^▽^*)
常居。今でいうリビング。
庄屋の家でありながら、大きくもシンプルな作り。
奥の床の間など。
(外から撮った。)
中庭もいい感じ。手入れされて、池とかあったらもう最高でしょうな…。
(現在は残念ながら荒廃している…)
……徳丹城跡より、古民家の写真が多いじゃん!!!(*´Д`)
ちなみに、ここからは岩手医大や岩手山が見えます。
昔の人も岩手山(「岩鷲山(がんじゅさん)」)を見ていたでしょうね…。
これじゃいかんなあ…。というわけで、追加です。
徳丹城の周辺を歩いてみました。
徳丹小の北側には「北門跡」があります。
門の跡がコンクリートで復元されています。
石碑と、松が植えられています。
発掘の成果です。かなりガッツリこの辺は調べたようですね。
そして、東の方へ歩いていきます。
この辺は、本当に平野ですね。
小学校の東側です。
空き地になっていて、まるで遺跡を残しているかのようです。
こういう土の土手もかつての遺構なのかもしれませんね。
不思議な石碑を見つけました。
「剣舞」と書いてあるようです。
このへんで鬼剣舞の風習でもあったのでしょうか。
東側の空き地のはずれから、小学校方面を望みます。
ひときわ大きな木が見えます。
樹齢が高そうです。
ちなみに、小学校の校庭の南端が徳丹城の中心、「政庁跡」です。
こいつもしっかり調査されています。詳しいですな。
校庭の南側の空き地から政庁跡を眺めます。
柱跡のみが再現されています。
いつかこの空き地が整備され、政庁跡も復元されたりして…。
(そしたら国道4号はどうなるんでしょう??)
すぐそばが学校です。
校舎が見えますね。
ここから南に行くと、
4号の向こう側(資料館側)はこんな感じですね。
奥に志和三山が見えます。
で、南側構内の端には神社があります。
その名も「徳田神社」。
由来も社伝も不明の神社ですが、徳丹城に関連した神社であることは間違いないでしょう。
社殿も比較的新しく、境内の手入れも行き届いています。
しっかり管理されている証拠でしょう。
拝殿の横には石碑があります。
こういった石碑には珍しく「徳田」という字が見えます。
この神社の神を祀ったものでしょう。
徳田神社から小学校(徳丹城)の方面を眺めます。
ここには1千年前にどのような景色が広がっていたんでしょうね。
【撮影日:2021/8/19&9/10】
↓ ↓ ↓ 徳丹城跡の場所はコチラ! ↓ ↓ ↓
そして奥の小学校が「矢巾町立徳丹小学校」です。
ちなみに、紫波方面に向かう方向だと、こんな感じに見えます。
徳丹城は平安時代、東北を抑える拠点の一つとして築かれた城塞兼官衙です。
広大な平地を選んで城壁を伴った官庁群を作った施設です。
↓この案内板をご覧ください。
非常に詳しく書かれてあります。
絵も、なんていうか、本当に上手…。
ですから、こういう平地が適しているんですね。
ちなみに現在整備中。
完成が楽しみです。
この辺は正門跡のようです。
では、徳丹城のことをもっとよく知るために資料館に入ってみましょう。
資料館のパンフです。
もう、徳丹城跡すぐ近くにあるんですな。超、便利です。
徳丹城についての解説と近くにある「えぞ森古墳群」の解説が載っています。
すぐ近くに建っている「曲がりや」の説明もあります。
古民家大好きなのであとで行ってみます。
他にもパンフあります。
超、研究されていますね。
ちなみに、近くに運河もあったらしいですよ。
展示品の写真はNGだったので撮れませんでしたが、展示品もマニアックですが、充実しています。
ブログには載っていませんが、いろいろ詳しい学芸員のおじさんがいたので(忙しそうにしていた)
色々聞いてい見るといいと思います。
忙しそうなわりにはものすごく詳しくいろいろ話していただけました。
例えば、「別将」という存在ですね。
「別将出土地」というのがあったので、「別将」ってなんですか?って質問したんです。
学芸員のおじさんによると「副将」の古い名称のことなんだそうです。
歴史上、この副将が出てくるのはまれなことのようで、副将についてわかる資料が出土したとのことらしいです。
スイマセン、あまりにマニアック過ぎて説明がなかなか頭に入りませんでした…。
(´・ω・`)
とりあえず、古民家を見に行きます。
「佐々木家」住宅だそうです。
約30年前の移築ですね。
今日は天気が良くて何より。
写真が映えますな~~(*´▽`*)
縁側。日向ぼっこしたい。
戸袋の細工。こういうところに目が行きます。
曲がりや部分には馬の模型が。
おもしろいですな。
当時の農具など多くの道具が所有されています。
こいつあ勉強になるぜ!!!!!
半分土間の囲炉裏もいい感じ。床がきれいに磨かれています。
非常に状態がいい…ッッ!!!
(*^▽^*)
常居。今でいうリビング。
庄屋の家でありながら、大きくもシンプルな作り。
奥の床の間など。
(外から撮った。)
中庭もいい感じ。手入れされて、池とかあったらもう最高でしょうな…。
(現在は残念ながら荒廃している…)
……徳丹城跡より、古民家の写真が多いじゃん!!!(*´Д`)
ちなみに、ここからは岩手医大や岩手山が見えます。
昔の人も岩手山(「岩鷲山(がんじゅさん)」)を見ていたでしょうね…。
これじゃいかんなあ…。というわけで、追加です。
徳丹城の周辺を歩いてみました。
徳丹小の北側には「北門跡」があります。
門の跡がコンクリートで復元されています。
石碑と、松が植えられています。
発掘の成果です。かなりガッツリこの辺は調べたようですね。
そして、東の方へ歩いていきます。
この辺は、本当に平野ですね。
小学校の東側です。
空き地になっていて、まるで遺跡を残しているかのようです。
こういう土の土手もかつての遺構なのかもしれませんね。
不思議な石碑を見つけました。
「剣舞」と書いてあるようです。
このへんで鬼剣舞の風習でもあったのでしょうか。
東側の空き地のはずれから、小学校方面を望みます。
ひときわ大きな木が見えます。
樹齢が高そうです。
ちなみに、小学校の校庭の南端が徳丹城の中心、「政庁跡」です。
こいつもしっかり調査されています。詳しいですな。
校庭の南側の空き地から政庁跡を眺めます。
柱跡のみが再現されています。
いつかこの空き地が整備され、政庁跡も復元されたりして…。
(そしたら国道4号はどうなるんでしょう??)
すぐそばが学校です。
校舎が見えますね。
ここから南に行くと、
4号の向こう側(資料館側)はこんな感じですね。
奥に志和三山が見えます。
で、南側構内の端には神社があります。
その名も「徳田神社」。
由来も社伝も不明の神社ですが、徳丹城に関連した神社であることは間違いないでしょう。
社殿も比較的新しく、境内の手入れも行き届いています。
しっかり管理されている証拠でしょう。
拝殿の横には石碑があります。
こういった石碑には珍しく「徳田」という字が見えます。
この神社の神を祀ったものでしょう。
徳田神社から小学校(徳丹城)の方面を眺めます。
ここには1千年前にどのような景色が広がっていたんでしょうね。
【撮影日:2021/8/19&9/10】
↓ ↓ ↓ 徳丹城跡の場所はコチラ! ↓ ↓ ↓
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