8月2日に、授業研究の会の夏期研修に参加した。
ここ何回か少しマンネリを感じていた。
が、今回は、今までと違って、本当に力をつけるプログラムが用意されていて心から参加して良かったと思う。
その一つが、学年ごとに分かれて教材研究をする試みだった。
私は、3年グループに参加し、モチモチの木の解釈に入れてもらった。
ラッキーなことに、三重の中井さんと同じグループだった。
中井さんから、ものすごくたくさんのことを学んだ。
今の自分の実践の上っ滑りしていることを感じた。
また、浜松の会の内容も、もっと原点に返って、調べて、調べて、調べ通すものにしないと行けないと感じた。
ただの、実践発表だけでは、いつまでたっても、力はつかない。
中井さんみたいな教師になるにはどうしたらいいのか。
その中井さんの頭の中を、ちょっとだけ垣間見ることができた。
さて、そのモチモチの木の解釈について、忘れないうちに書き留めておこうと思う。
モチモチの木の教材研究
○ラベリングして読む
ラベリング=中心人物が ~ した話。
中心人物 =願いを持っている人 障害に出会うが、それを乗り越えて変化する
○さて中心人物はだれか?
・豆太 3人
・じいさま 3人
○半半に分かれたので、どちらが中心人物かラベリングして、その結果で考える。
○豆太のラベリング
一場面 豆太が夜中に一人でトイレに行けないぐらい、おくびょうは話。
二場面 豆太が、昼間は威張ってるのに、夜にはモチモチの木がこわくてション弁のでない話。
三場面 豆太が、モチモチの木に灯がともるのを見るのをあきらめた話。
四場面 豆太が、医者様を呼びに行き、モチモチの木に灯がともるのを見た話
五場面 豆太が、もとのおくびょうに戻った話
○じさまのラベリング
一場面 じさまが、おくびょうな豆太をかわいそうに思う気持ち。
二場面 じさまが、昼間威張っている豆太をしょんべんさせる話
三場面 じさまが、山の上の話をして勇気を出させようとしたが失敗した話
四場面 じさまが、うなった話。
五場面 じさまが、人間は優しさがあればいいと思った話。
○ラベリングの結果、障害に出会うが、それを乗り越えて変化するのは「じさま」だということになった。よって中心人物はじさまとすることにした。
○変だ、おかしいは何段落にあるか?
どの段落にも気になる箇所があったので、結局最初から分析をしていくことにした。
第一の場面 「おくびょう豆太」
まったくから始まる
まったく=そうとしか形容出来ないほど強く感じられることを表わす。
まったく~ない=否定の意味を強調する。
①段落は、豆太を否定する言葉がこれでもかと出てくる
豆太ほど おくびょうなやつ もう五つにもなったんだから せっちんぐらい
行けたっていい
ほど=「Aほど…はない」の形で》Aが最も…である意を表す。=豆太が最も臆病なやつだ。
やつ=人を軽蔑していう語。
もう=現在、その状態(時期)になっていることを示す。
にも=そのような状態であるのにもかかわらず
ぐらい=物事を示して、その程度が軽いことを表す。
たって=その事柄を例外としないことを表わす。
五才になったら、せっちんに一人で行くのは基準であって誰もができること。五才なら、夜中にトイレに一人で行けることは当然だと言っている。それさえもできない(最低条件をクリアできない)ぐらい、臆病だと言っている。
しかし、そうだろうか?トイレは、外にある。外と言っても峠の一軒家で周りに何もないから真っ暗だ。とても寂しい。五才なら、室内だって夜のトイレは一人で行かない子も多いだろう。
それなのに、この基準は厳しすぎる。
語り手はだれだろう?? じさまではないが、きわめてじさまに近い見方をしている。
身内のような目線で語っている。
②段落は、豆太のトイレに行けない理由が書かれている。
ところが=後件で述べた事実が前件で述べた局面からの予想に反するものであることを表わす。ところがの後に大事なことが書かれている。
普通の五才なら、トイレぐらい一人でいけるのに、豆太は一人ではできないことは、期待外れだという意味になる。
し=事実や条件を累加的に列挙することを表わす。
て=以下に述べる事柄を導き出す補足的な説明を提示し、あとの叙述に結びつける。 って=どんな原因・理由で、その動作・作用が行われたかを表わす。
理由1=せっちんは表にある=事実
理由2=表には大きなモチモチの木が立っている=事実
理由3=空いっぱいの髪の毛をバサバサとふるって両手を「わあっ」とあげる=空
想(豆太は、髪の毛をバサバサとふるって両手を「わあっ」を見たことがあるのだろうか?)
しょうべんも も=さえも
できないのだ のだ=強調なのか、説明なのか?
ここで問題なのは、トイレに行けない理由は、トイレが表にあるからなのか、モチモチの木なのか、それ以外なのか?
ところがは、どれぐらい臆病なのかを説明されるために使われているので、臆病だから、ありもしない妄想をするのだと説明している。
しかし、そうだろうか?トイレは、外にある。外と言っても峠の一軒家で周りに何もないから真っ暗だ。とても寂しい。五才なら、室内だって夜のトイレは一人で行かない子も多いだろう。
③段落は、じさまがトイレについていく理由(その1)が述べられている。
この段落では、前の段落ではあんなに厳しい基準で豆太を見ているじさまなのに、とても優しく接していることがでてくる。これはとてもおかしなことだ。
じさまが「ぐっすり」ねむっている「真夜中」に
「どんなに、小さな声で言っても、すぐに」とある。
どんなに=どれほど=数量・程度などをはっきり限定出来ないことを表わす。
ても=(逆接)極端な例を挙げて、他はましてと同類の事柄を類推させる。
すぐ=時間を置かず次の事が行われることを表わす。
ということは、眠っていても常にじさまの意識に豆太がいるということになる。
その理由(から)は、たった一枚の布団をぬらされるよりはいい。
より=比較の基準を表す。
夜中に起きる方が、布団をぬらされるよりいい。
ぬらされると困る。
④段落は、じさまがトイレについていく理由(その2)が述べられている。
それに=追加の条件「そのうえ」
峠の猟師小屋って何?
一年中住んでいるのか、猟期のみか? 暮らしているのだから通年だろう。
周りに家はあるのか、一軒家なのか?
たった二人=両親はいないのか? 友だちはいないのか? 周りに人はいないのか?
くらす=寝たり起きたり 食事をしたり 仕事をしたり 遊んだり などして、一日(一日)を生きて行く。
ている=継続している。過去から現在まで続いている。おそらく未来も。
かわいそう=弱い立場や逆境に在る者に対して、出来るなら何とか救ってやりたいと思う様子。
で=原因・根拠を表す。
かわいい=自分より弱い立場にある者に対して保護の手を伸べ、望ましい状態に持って行ってやりたい感じだ。
から=原因・根拠を表す。
だろう=そうであることが十分に推量・想像出来ることを表わす。
夜中に起こす理由が2つ述べられている。どっちが大事なのだろう。
⑤段落は「けれど」から始まっている。
何に対しての「けれど」だろう?
「まったく、豆太ほど...やつはいない。」けれど.....
だって=例外無くそうであることを表わす。
お父は、熊と組み討ちする。
組み討ち=相手に組みついて争う(刺し殺す)こと。
鉄砲や、道具は使わないのだろうか? 他の猟師と協力してはいないのか?
無茶だ。相手は熊なのだ。
ほど=物事の度合い。程度。
きもすけ=胆力のある人。精神力の強い人。
じさまは、六十四才でありながら、肝を冷やす岩から岩へとびうつる。
青じし=カモシカの異名 (山岳地帯にすむウシ科のほにゅう類。)
きもをひやす=危ない目にあって,ひやりとする。
見事=すばらしいさま。りっぱなさま。また、手際などが、あざやかで巧みなさま。 のける=やりにくいことを平気で、またみごとにしてしまう意を表す。
スーパーマンだ。が、無茶だ。
切り立った岩から岩へ飛びついて、もし失敗したら死んでしまう。
※なぜ、六十四才になって、そんな危険なことを続けるのか。
布団が一枚しかないような貧しい暮らし。獲物が捕れなければ、豆太も餓死してしまう。他に稼ぎ手はいない。生きるために必死なのだ。
しかし、こんなことを続けていてはいずれ死ぬかもしれないし、あと何年こうした猟ができるかも分からない。一刻も早く、豆太に一人前になってもらわなくてはと焦る。
ところで、「だって=例外なくそう」と豆太と比較されているのは、お父とじさまである。この二人と比べて、臆病だと言っているのだが、そうだろうか?この二人が、常識では考えられないぐらいの、スーパーマンなのではないのか。
きっと、このスーパーマンの二人は、五つになったときには、一人で夜中のせっちんに行けたのだろう。それを豆太に求められても、豆太も困るだろうに?
では、語り手は誰だろう? きわめてじさまと、その一族に近い見方をしている。
⑥この段落では、もう一度最初にもどって、豆太の臆病さについて語っている。
それなのに=じさまも、お父もスーパーマンなのに
どうして=理由・原因について疑いを表す語。
だけ=範囲をそれと限定する。
こんなに=下の語の意を強める。
おくびょう=必要以上に用心深くなり、十分に事態に対処(大事が決行)出来ない様子。また、そのような性質。
か=疑問
お父とじさまは、極端に向こう見ずだが、豆太は反対に極端に用心深いのだ。
正反対だといっている。
この語り手はだれだろう?
45回 | 9月6日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
46回 | 10月18日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
ブログの「モチモチの木」の解釈を読んで、「調べて、調べ通す」ことの大切さを改めて感じました。
現場で勉強した酒井さんは、いっそうそんな思いになったでしょうね。
この「モチモチの木」の教材解釈の考えや方法を他の教材の解釈にもぜひ生かしていきたいと思います。浜松の会でまた教えてください。
今回もとても刺激を受けました。参加して良かったです。
教材解釈だけでなく、あの「やまなし」の学級の、5年生のとき、4年生のときの様子のビデオも見せていただきました。授業を通して、子どもを変え、学級を育てていくとはどういうことかのヒントを少しだけ頂きました。