
「授業研究の会 」公開研究集会に、昨年取り組んだ「頭はね跳び」の実践を紹介することになりました。そのための、資料を作りました。
1年間かけた頭跳ね跳びの取り組み
浜松市立光明小 六年生
6年生60人全員で、1年掛けて何かを作り上げる経験をさせたかった。基本の動きを一つ一つ身につけ、それを積み重ねないと完成しない、難しいものに取り組みたいと考えた。そのことで子どもたちは、考え続け、助け合い、学び合い、一つの文化を創っていくと考えた。戸田先生や中井先生の実践されたはね跳びにあこがれていた。そこで、挑戦することにした。
4月~5月
跳ね跳びの基本は、前転にあると考えた。まず、6本の指でマットをつかむ練習、そして腕で体を支えてこらえる練習に取り組んだ。また、跳ね跳びへの準備として、この体制のまま胸を作ってカメのように頭を立てて回転せずにこらえる練習を行った。
(このとき使った学習カード)
6月
前転の胸を作ってカメのように頭を立てて回転せずにこらえる姿勢から、足をゆっくり引きつけると重心が移動して、足を宙に浮かせ、そこからブリッジを作る練習に取り組んだ。
7月
宮坂先生、戸田先生にここまでの様子を見ていただいた。6本の指でマットをつかむことが、跳ね跳びを意識するとできなくなることを指摘され、もう一度つかむ段階に戻って学習した。
9月
運動会の全校表現に、6年生の跳ね跳びを入れた。それに向けて練習に取り組み、全校児童・保護者の見守る前で今まで学習の成果を披露した。
しかし、全員に課題が残った。跳ね跳びがどうしてもできず台上前転で終わった子どもは、「どうしても跳ね跳びをしたいと」いう課題であり、跳ね跳びができた子供は「最後に演技した子のようにもっと台の上で体を自在に操りたい」という課題だった。
12月
腕の突き放しの練習を行う。
《悪い例》
エビからブリッジを作るときに、できているように見えるが、よく見ると跳ねた瞬間はうでが曲がっている。着地してからうでを伸ばしてブリッジを作っている。
《良い例》
跳ねるタイミングが一つ遅くなる。跳ねた瞬間にうでの突き放しが始まる。このためには、体を卵形にするイメージを持たせる。跳ねる直前までこの卵形を維持する。跳ねる前に体が開かない。体全体で跳ねるために、力をためておく。これを台の上で行うと、跳び箱一段でもきれいに跳ね飛びに持って行くことができる。
1月
跳び箱の落差でただ落ちるのではなく、跳び箱の上で体をコントロールし、しっかり跳ねさせたかった。それには、重心の感覚を身につけることが大事だと考えた。
練習において、5つのステップを作り、徐々にステップアップをしていった。
①跳び箱の上で胸を作り足を引きつけていき、「く」の字の姿勢で静止したのち跳ねる。
②マットの上で胸を作り足を引きつけていき、「く」の字の姿勢で静止したのち跳ねる。
③跳び箱の上で胸を作り、「く」の字の姿勢で足を上下させたのち跳ねる。
④マットの上で胸を作り、「く」の字の姿勢で足を上下させたのち跳ねる。
⑤胸を作り、「く」の字の姿勢から三点倒立し、もう一度足を「く」の字に戻し跳ねる。
2月
再び宮坂先生に指導していただいた。踏切が「踏み切り板」に頼っていて、バンといううるさい音がすること。助走が長いことを指摘して直していただいた。
次の3点に注意すると、すぐに自分の力でのジャンプになると教えていただいた。
①ペンギンのように手の平を後ろに向けて軽やかにステップ。
②両手を上に上げる。
③ひざを曲げ、ひざの力で体を持ち上げる。
そして、踏み切り板をとって発表会に臨んだ。
3月
卒業式の別れの言葉で、彼らは
「そして 何より一年かけて育ててきた 頭跳ね飛び。」
「自分の体重を支える 腕がぶるぶる震えました。」
「こわいと思う自分の弱い心に 絶対に負けないと 思いました。」
「足の先まできれいに伸ばして描く放物線を夢見て、ていねいに丁寧にと、同じ動作を何十 回 何百回と積み重ねました。」
と、涙ながらに語り、卒業していった。
現在彼らは中学生になっている。時々小学校を訪ねてきては、
「あのときの跳ね跳びが忘れられない。」
「大変だったけど、あんなにみんなで一つのことを突き詰めて取り組んだことはなかった。」
「あの跳ね跳びがあるから、今、中学でも頑張れている。」
「先生たちみたいに、熱く取り組んでくれる先生にまた出会えたらいいな。」
などとこぼして帰って行く。1年かけて作り上げてきた、「跳ね跳び」という文化が、彼等、彼女らの心の支えになっているとしたら、嬉しい限りである。
陸上競技の100メートル走なら、速い遅いはあるが、すべての子どもが走ることができる。ボール運動であるサッカーにしても上手い下手はあるもののみんながボールを蹴ることができる。しかし、跳び箱運動は、跳べる子どもと跳べない子どもがはっきりと分かれてしまう。そのために教師の指導は相当な研究をしなくてはならない。子どもは、特にできない子どもは大きな屈辱感をいつも持つものである。
このような困難な授業を教師(子ども)は1年間もかけたところにすごさがある。おそらく普通の学校では考えられないことだろう。
6年生の実践は、報告にもあるように教師が頭はね跳びの技術を一つ一つ分析し、全員を何とかできるようにと実践を続けた。一方、子どもたちも何とかできないかと練習を積んだ。たいしたものである。そして、あの見事な演技になったのです。
子どもたちが「あのときの頭はね跳びが忘れられない。」「大変だったけど、あんなにみんなで一つのことを突き詰めて取り組んだことはなかった。」「あの頭はね跳びがあるから、今、中学でも頑張れている。」「先生たちみたいに、熱く取り組んでくれる先生にまた出会えたらいいな。」と言うのは、ほんとうに自然に出てくる言葉だと思う。私は、ここに教育のほんものの姿を見るような感じがしました。やってよかったね。