
2年生は、今、帰りの会の時間。
職員室まで、スイミーのオペレッタの練習が聞こえてくる。帰りの歌の時間に、みんなでオペレッタを演じているのだ。
まず、1組を見に行った。すると、2組の先生が1組にいて、
「もっと息をすうといいよ。」
「指揮をみて!!」
などと、アドバイスをしていた。
ほどなく、2組の先生は2組に戻り、2組も帰りの会が始まった。1組同様、帰りの歌でのオペレッタの練習が始まった。
1組と2組は、同じ2年生だが少し雰囲気が違う。
1組はどちらかというと、自由な雰囲気で楽しそうに歌う。子どもらしい内面からはじけ出る純粋なパワーを感じる。
2組はこの写真のように、細かい部分にまでこだわって演技する。
一度そのこだわりに入り込むと、指先はどうだろう、視線はどうだろうとどんどん追求を始める。
そのこだわりに感心し、一人一人の写真を撮らせてもらいながら、視線の向きを観察した。
それぞれ、決めのポーズをすると、そのまま微動だにしない。
かなり、長いことこうして写真を撮って回るのだが、自分が一番美しいと思う姿でぴたりと体を止めている。
この、美しい姿勢のまま体を止めるのには、かなりの努力だ必要だと思う。同じ姿勢でいると、疲れるのだ。
それなのに、このままの姿勢をとり続けることができるのは、体が柔軟で余計な力が体に入っていないからだろう。
美しい姿は、体に無理のない姿勢とイコールなのかもしれない。
また、私がこんなに近くで写真を撮っているのである。
「カッシャ」っという、一眼レフの大きなシャッター音は、静寂の教室の響く。
それでも、彼等は動かない。
カメラ目線にもならない。
自分の、いや、クラスみんなの「スイミーの世界」に入り込んでいるのだろう。
それだけの集中した練習を、毎日行えるなんてすごいことだ。
そうこうしているうちに、今度は1組の先生が2組にやってくる。
そして、
「今、どんな場面だと思う。周りの景色をイメージしようね。」
「イメージした景色や様子を、体の動きや指先の形や、それを追う目線で形にするんだよ。」
「どうしたら、そういう感じになるかよく考えるんだよ!」
と話している。
先生がいなくて、帰りの会の続きは大丈夫なのかしら?
と思い、2組を後にして、1組へと戻る。
もちろん、子ども達だけで残りの帰りの会を進めている。
「今日、頑張ったことを発表してください。」
「はい、Aさんが表現の時、大きく息をすって歌いました。とてもいい声でびっくりしました。まねしようと思いました。」
「B君が、お掃除の時....。」
先生がいなくても、少しもいつもと変わらずに、事が進んでいく。
斎藤喜博の写真集でしか見たことの無かった素敵な子ども達が、事実として、今、目の前にいる。