
新採研修の係として、この1年4人の初任者の先生とともに研修をしてきた。
私はそのための加配ということで、授業もなく、分掌もなく、もちろん担任もなくただただ研修を繰り返す1年だった。
幸いにも、熱心な優秀な先生方に恵まれた。
おかげで、純粋に教材と向かい合い、ともに子どもや教材について語り合う日々だった。
ただし、私個人の研修ではないので、指定された内容はこなさなければならない。
本人の意向を尊重しなければならない。
所属校の研修の考え方や管理職の意向に沿って進めなければならない。
そうした制約はあった。
今週は、その4人の先生方が、全員最後の研究授業を行った。
校長先生や教頭先生、研修の先生などに、指導案を書いて授業を見ていただくのだ。
一年間の総仕上げの授業だ。
4月、それぞれ希望をもって教師となった彼ら。
初任研を行えば、きっといい授業ができるようになると期待してくれていた。
しかし、私の指導力不足で、なかなか彼らが満足する授業をさせてあげられなかった。
落ち込んでいたこともあったし、先輩の厳しい指摘に背中を丸めていたこともあった。
そのたびに、申し訳ないと私も胸がしまる思いだった。
だから、総仕上げのこの授業だけは、なんとしても手応えを感じさせてあげたかった。
初任者先生も、そうした意気込みで授業を計画していた。
下の写真は、K先生の授業前の教卓だ。
彼は、前日に実際に黒板を作り何度もリハーサルを行っていた。
指導案だけでなく、さらに細かい発問まで書き込んだノートを用意していた。
準備万端、授業をむかえた。
始業の挨拶がそろい、気持ちよく始まりまった。
本時の目当てを子どもたちはみなそらんじていた。
目当てを書き終わった子が、良い 顔・良い姿勢で教師を見つめていた。
いよいよ、待ちに待った課題を解決できる、そんな期待感を感じた。
その時点で、本時が成功すると確信した。
良い授業はその1時間だけで完成するものではない。
教師も子どもも、この授業のために積み上げ準備してきている。
その全てを総動員して本時の課題解決に取り組んでいくのだ。
子どもたちが活躍した授業だった。
いや、子どもたちが活躍したように見える授業だった。
それは、教師が子どもたちのつぶやきを上手に拾いながらつなぎ、流れを作っていたからだ。
子どもたちが思わずつぶやきたくなるような発問を準備していたからだ。
子どもたちが次にやることが分かり、作業が自動化されていた。
自動化することで、余計な指示がなくなる。
余計な指示がなるなると、空気がしっとりとする。
それはまた、教師が子どもたちを信頼している証拠でもあると思う。
途中で、指導案を追わずに、「いつまでも一緒にいたい。」というまとめへ向かって一気に授業が流れだした。
教材が教師の頭の中に入っていた。
どこがどう出てきても、それを生かせる準備ができていた。
授業は生き物だと思う。
案は案である。
時には案を離れ、子どもたちの思考の流れを大切にした学びをその場で構築することが大事だと思う。
教師は、授業で子どもを育てる。
一番長く子どもと接するのは授業。
全ての子どもをコントロールできる時間は授業。
日々の生活の中で育ってきた子どもたちは、それぞれの生活してきた範囲内の常識、知識しか持っていない。
それを組織し、本当の常識や正しい知識を身につけた賢い子どもに変容させることができるのは授業しかない。
スーホの白い馬を一人で読んだら、殆どの子どもは、感動も感情移入もない「あらすじを把握する程度」の読みしかできない。
授業だから、長い文の中から「歯を食いしばる」という言葉を切り取ることができる。
言葉に注目するから、
歯をくいしばるという言葉の意味、
歯を食いしばる状況になった過程、
歯を食いしばるほどの仲になったスーホと白馬の関係、
歯を食いしばるほど強いスーホの思いなど様々な発見をする。
そうした知識を得るために、30名が協力する。
仲間とともに、一つの言葉にも作者の思いが幾重にも込められていることも学んだ子どもたち。
文学作品を読む楽しさが、作者のそうしたお話に込めた思いを追求していくことだと理解していくだろう。
今、国語に求められる力は、今日のような授業で、作り上げていくものだと思う。
1年間、お疲れ様でした。すばらしい先生とともに研修でき幸せでした。
41回 | 2014年4月12日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
42回 | 2014年5月10日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
一番長く子どもと接するのは授業。
全ての子どもをコントロールできる時間は授業。
日々の生活の中で育ってきた子どもたちは、それぞれの生活してきた範囲内の常識、知識しか持っていない。
それを組織し、本当の常識や正しい知識を身につけた賢い子どもに変容させることができるのは授業しかない。」
まったく同感です。そのとおりです。このブログの子どもたちの姿、顔つきを見ても、授業でしか見られない美しい顔です。
酒井さんは、1年間初任者指導の教師として、ほんとうによい仕事をしたと思います。自分で学級を持って、授業をしたり、学級づくりをしたりはできませんでしたが、初任者とともに、教材の勉強がじっくりできたと思います。そのことで、教材の見方や解釈の力が一段と身についてきたように思います。もう、私などかないません。また、ブログの文章を読んでも教育の本当のことがとてもよくわかるようになってきました。私が言うのもなんですが、感心です。
初任者はよい指導員の先生に恵まれてよかったと思います。このまま現場の通俗的な仕事に流されないで、よい授業をつくっていってほしいです。酒井さん、1年間、本当に御苦労様でした。
何年かぶりのクラス担任、うまくできるのだろうかと不安です。
また、いろいろ偉そうに指導していたのに、できないこと知らないことばかりなのがバレてしまうので困ったものだと思っています。