totoroの小道

「挑戦することで、きっといいことがある」  http://www.geocities.jp/totoroguide/ 

思ったことを 適当にメモしました

2008-07-09 05:39:20 | 国語

①松井さんは車を止めて、考え考え、まどの外を見ました。
② そこは、小さな団地の前の小さな野原でした。
③ 白いちょうが、二十も三十も、いえ、もっとたくさん飛んでいました。
④ クローバーが青々と広がり、わた毛と黄色の花の交ざったたんぽぽが、点々のもようになってさいています。⑤その上をおどるように飛んでいるちょうをぼんやりと見ているうち、松井さんには、こんな声が聞こえてきました。
⑥「よかったね。」
  「よかったよ。」
 「よかったね。」
  「よかったよ。」
⑦それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声でした。
⑧ 車の中には、まだかすかに、夏みかんのにおいが残っています。


今日は、白いぼうしの授業を途中から見させていただきました。大好きなお話です。

問題は『「よかったね。」「よかったよ。」はだれの言葉か?』でした。
黒板には①ちょう   
             ②男の子  
と書いてありました。

子どもたちに聞くと、一人以外は「ちょう」を選んだということでした。

私も「ちょう」だと思います。ただ、その確固たる証拠を知りたいと思いました。そこで、休み時間になるのを待って、一人一人に「どうしてちょうなの?」「証拠は?」と聞いて回ります。

けれども、みな口ごもったり、「ともかくそう思うの!」で逃げていってしまいます。私が、大きな声で、「ねえ、証拠を教えてよ。昨日からここのところを勉強しているんでしょ?」って言っても、近寄ってきて説明してくれません。それなら、もっと簡単なことを聞いてみようと「『よかったね。』『よかったよ。』という、とっても小さな声は本当に聞こえたの?」って聞いても、答えてくれません。人間関係が無いから仕方ないなあと残念に思います。

この子ども達は、「ちょう」が声の主だと、どこを根拠に考え、どう説明したか、もう少し早く来て聞いてみたかったなあと思います。仕方がないから、自分で考えてみます。


まず、『「よかったね。」「よかったよ。」はだれの言葉か?』の証拠はどこに入っているのかです。
⑤⑥⑦のどれかを調べれば良さそうです。とりあえず、⑤を考えてみます。

A その上をおどるように飛んでいるちょうをぼんやりと見ているうち、/B 松井さんには、/C こんな声が聞こえてきました。「、」で切り、そのどこに証拠がありそうか考えます。

BかCかで迷います。Aの「ぼんやりみているうち」も気になります。「うち」=「時間の経過」だからです。ここからは「どうして、すぐに聞こえなかったのか」という問題ができそうです。Bの「には」も気になります。「に」=動作の向けられる相手を表す。  だから、松井さんに動作が向けられているのです。「だれが松井さんにむけているか?」という問題と「どんな動作を松井さんに向けているか」という問題ができるからです。あれれ、おかしいなあ。そんなことはないなあ。松井さんだけにはと考えた方がいいですよね~。間違いでした。

でも、Cの「こんな声が聞こえてきました。」をあえて選んでみます。ここからできる問題は
「こんな声とはどんな声」
①「よかったね。」「よかったよ。」「よかったね。」「よかったよ。」
② シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声

「聞こえる」=(動ア下一)[文]ヤ下二 きこ・ゆ〔動詞「聞く」に自発の助動詞「ゆ」の付いた「聞かゆ」の転〕
①音や声が耳で感じられる。
②音・声が(自然に)耳に感じられる。
だから
「その声は、松井さんが注意する前から①あった ②なかった」(松井さんに向けられていたかどうか)

きましただから、「きこえてくる」の「くるの意味は次のどれか?」
[二](補動・カ変型)
(一)その動作をすませて戻る。「買って―」
(二)だんだんその状態になる。「わかって―」
(三)その動作・作用が続いて現在にまで及ぶことを表わす。


簡単なところからいくと、「くるの意味は次のどれか?」は、(二)だんだんその状態になる。
のだと分かります。それは、「見ているうち」の「うち」が内のことであり「ある限られた時間の範囲内にある意を表す。」 だからです。ぼんやり見ている時間(車を止めていられる時間ですから数分の時間の範囲)で、だんだんと聞こえるという状態になったのです。

ということは、「その声は、松井さんが注意する前から①あった ②なかった」という問題も解けます。その前からあった声が、聞こえる状態になったのです。ここで問題です。「聞こえる状況とは①声が大きくなった。②松井さんが集中して聞くようになった。」これは②ですよね。

「こんな声とはどんな声」は、こんな= 状態や程度がこのようであるさま。このような だから、②のシャボン玉のはじけるような、小さな小さな声の方が、状態のことを言っているなあと思います。

聞くの意味は、「音・声が(自然に)耳に感じられる。」だから、次に考える問題は、「声は、どっちから自然に聞こえてくるか?」です。これは、絵を描いてみれば分かります。たくさん群れ飛んでいるちょうちょの方からです。

このぐらい、分けて考えていくと、「ちょう」と説明できるようになるのかなあ??

 

さらに「それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声でした。」は、聞こえたのか、聞こえなかったのかも是非考えてみたい問題です。

だって、松井さんは車の中にいます。車のエンジンがかかっています。ちょうまでは、少なくとも10mぐらいは距離があります。たとえ窓が開いているとしても、そのような条件の下、「シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声」が聞こえるはずがないと思うのです。

では、なぜ聞こえてきたのか?

松井さんは、最初見ています。見ている「内」に、自然と声が届いてきたのです。ちょうが女の子に変身したのと同じように、ここはメルヘンの魔法の世界で、松井さんだけいつの間にか、ちょうの近くにいるのですね。心理的に??

ともかく、考えると後から後から、色々なことが分かってくる作品だから名作なのですね。

ごめんなさい。朝のわずか30~40分で考えたので、適当に書き殴っただけです。

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1 コメント

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とっても面白いね (Mrヒデ)
2008-07-09 14:37:35
 あまんきみこさんの「白いぼうし」のもう一つの作品を読んでいるようです。何だかあれもこれも、これもあれも、こちらもあちらも、あちらもこちらもどんどん問題ができてくる。その問題は授業として取り上げられるものもあるし、授業としてはふさわしくないものもある。
 斎藤喜博は、教材解釈には、一人の人間としての解釈もあるし、専門家としての教師としての解釈もある。まずは、一人の人間としての解釈が前提にあり、次に子どもの変革をするための教師としての解釈がある。・・・というようなことを述べています。
 酒井さんのようにまずは、一人の人間としての幅広い解釈をする中から、子どもの変革のための(授業として生かせる)問題を発見することが大切なように思います。とても勉強になりました。
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