ウォーキングと旅行でのひとり言

江戸東京たてもの園 見学 その4




案内図です。


次は、W8の「綱島家(農家)」です。





この園にある茅葺き屋根の民家の中では、最も古いものだそうです。

江戸時代中期ごろの建物。

多摩川をのぞむ段丘崖の上にあったとのこと。

この後に出てくる吉野家と比べると、軒がずいぶんと低い感じです。

土塀がまわった閉鎖的なつくりや、戸袋もなく板戸である構造、押し板という古い形式の棚などから古い時代の民家の性格をよく示しているらしいのです。


この後ろに、「八王子千人同心組頭の家」(案内図のW5)があります。








八王子千人同心は、江戸時代、八王子に配備された徳川家の家臣団です。

組頭の家は、そんなに広くありませんが、式台付きの玄関などが格式の高さを示しています。

武田家の滅亡後、家康の配下となり、八王子に配備されました。


次は、「奄美の高倉」(案内図のW3)です。





江戸時代末期ごろのものです。

穀類を保管するための倉になります。

これがあった奄美大島は、高温多雨であるため、湿気や鼠の害から穀物を守るために建物本体を地面から高く上げていました。

このような高床式は、八丈島にもみられるらしいです。


次は、「吉野家(農家)」(案内図のW4)です。





江戸時代後期に建てられた民家です。

この家は、江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家でした。

式台付きの玄関、付書院のある奥座敷に格式が見られるそうです。

玄関の屋根は、むくり破風に、鶴に雲の懸魚をもっていました。

建物の中では、昭和30年代の農家の生活の様子を再現していました。











ボランティアの人が、囲炉裏に火を起こして、その煙の効果で防虫対策を図っています。
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