平倉山荘 -- BLOG --

 蔵王を歩く・滑る。日々を記す。空想上の山小屋~たいらぐらさんそう~

蔵王『馬の背』・『牛の背』

2012-07-25 | 山・やま・Mt.
山の一部をあらわす地名に「馬の背」というのがある。蔵王の熊野岳から南に延びる刈田岳までの稜線の一帯もそうだ。刈田岳の山頂に立ち熊野岳を眺めると、森林限界のこの尾根は、まさしく馬の背を想像させる。

毎朝、早朝4時に家を出る。郵便局の交差点を右折すると、蔵王の稜線が日の出間近の東の空に浮かび上がる。熊野岳から北に延びる地蔵岳と三宝荒神山の稜線である。山の地名に「牛の背」というものを聞いたことはない。このスカイラインを見ると、いつも牛の背を想像してしまう。『馬の背』に『牛の背』である。

蔵王には、『牛の背』もあるんだよなぁ。車中ひとり笑みをこぼし、蔵王の麓に生まれ育ってきたことを幸せに感じる一瞬である。
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大きな落し物

2012-07-16 | 山・やま・Mt.
蔵王連峰・中丸山コース約1650m付近の登山道上である。大きな落し物とは、熊の糞である。このコースは何回も歩いているが、熊の糞を見たのは今日が始めてである。しかもこの標高で。

この時期、熊は食べ物を求めて山麓に下っているものとばかり思い込んでいた。「こんな高いところに熊はいないだろう。」「標高を上げれば熊にあう心配はないだろう。」この時期は、そう思い込んで山を歩いていた。がしかし、そうではなかった。

熊の糞は、ほとんどが草の繊維であった。ツキノワグマは草食であるから当然である。山は、雪が消えたところから春が始まる。この時期、標高が高くこれまで残雪があったところほど、雪解け後の新芽や若葉など熊が食するのに適した地帯なのだろう。

下山後にパトロール隊長に伝えると、「この時期、熊っ子も食べるものがなくて大変だな。」との事。熊が畑を荒らすと言う話はそう頻繁ではないが、この時期、作物の収穫時期を迎える山麓に熊が下っているとばかり思っていた。いやいや、そうではなく標高の高いところを行動しているようだ。認識を新たにしなければ。

これで、また、山での心配事が一つ増えた。
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コクリコ坂から

2012-07-07 | くらし
ジブリ『コクリコ坂から』のアニメを説明するつもりではない。

映画好きの息子は、よく一人で劇場に行ったり、DVDを借りてきては家族を誘って観ている。そんな息子が、「コクリコ」だよ。「約1時間30分。ジブリアニメにしては短いよね。」「宮崎吾朗は、駿と違って光が指してくる方向まで忠実に再現してこだわるんだ。」そんなことを言いながら、「とーさんも見ないか?」と誘ってきた。。

家族でのDVD鑑賞に私が加わる事は珍しい。朝早い仕事の私にとって、夜のDVD鑑賞は寝不足になる。30分くらい付き合おうか。4人で『コクリコ坂から』を観はじめる。

おー、結構おもしろい。タラチュラカンの様子やメルと俊の心模様などなど・・・。

30分が過ぎ、時計が9時半を回った。床につかなければ。その時である。息子が「続きを観るなら、明日の返却を一日伸ばそうか?」と話しかけてきた。このアニメを劇場で観てきている息子は、このアニメの良さを知ってか、暗に最後まで観る事を勧めているようだ。一緒にDVDを観ていて、そんな事を言われたのは初めてでなないだろうか?ならば、このまま続きを観てみよう。

ううっー面白い。しかも泣ける。

メルと俊が兄妹??よくありがちなストーリーだなぁ。せつないなぁー。がしかし、話はハッピーエンドに。タラチュラカンの生徒達が徳丸社長を納得させるシーンも感動もの。というわけで、結局最後まで観てしまった。いいアニメだった。

「DVDを買おうかなぁ」と言う息子に、「いいアニメだったね。買いなよ、ブルーレイのやつ。いい物は手元に置いておいた方がいいよ。」とさくらんぼ販売で手にした大入り袋を息子に渡す。

確かにいい作品であった。それよりも、息子が私に最後まで観ることを勧めてくれたその気持ちの思い出に、この作品を手元に置いておきたいと思った。

そして、そのDVDが明日届く。
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人間国宝 村山明さんと言う人

2012-07-02 | くらし
またしてもNHKラジオ『明日への言葉』ネタ。

昨日と今日の明日への言葉は、木工芸家・村山明さんでした。

手仕事とか工芸と聞くと、反応してしまう私。鍛冶屋とか、木地屋とか塗り師とか。手仕事にはすこぶる興味があります。シンプルな道具が体の一部になるまで使い込む手仕事。あこがれます。

そこで、「やはりメモは紙に鉛筆書き。」とEvernoteから踵を返した。メモ書きを紙に鉛筆で、と言うのが私にとっての日常の手仕事。ああっ、なんと情けない手仕事感か。

塩野米松さんの「失われた手仕事の思想」を読んで手仕事に感化された数ヶ月前、メモ帳を買い鉛筆をカッターで削りメモ書きを始めたのだが、メモ帳1冊を使い切ったの最後に、その後Evernoteに転身。

が今朝のラジオを聞いて、また手仕事と言うか手書きに心舞い戻り、再び新しいメモ帳を購入。今回は、前回のものより一回り大きいもの。

このサイズにしたのは、『OutdoorMind』なる雑誌を立ち読みした際、大谷さんという探検家の記事に目が止まった。ニコンF3と新聞記者時代から愛用のメモ帳の記事。これに大きく影響されてのメモ帳サイズなのです。

またしばらく手仕事シンドロームに陥り、デジタルデバイスからアナログデバイスの時間が始まりました。

と言いながらも、こうやってキーボードをたたいてブログ書いている私ですが。
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