弁護士辻孝司オフィシャルブログ

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台湾訪問記その13・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -台湾事情

2019-09-21 14:36:44 | 日記・エッセイ・コラム

視察報告は少し休憩して、台北旅行をする人にも役立つ情報を。

 

【フライト】 

今回は、チャイナエアライン(中華航空)で、関西国際空港から台湾桃園国際空港へのフライトでした。

関西国際空港では、メインの第1ターミナルからの出発になります。

4階の国際線出発フロアに着いて、チェックインカウンターはどこだろうかと探すと、一番端っこのHカウンター、歩いて端まで行かなければなりません。

その位置を見て、ふと思い出しました。

ANAで働いていた当時、私は、昔の羽田空港に勤務していました。

成田空港が出来て、国際線はすべて成田空港に移り、羽田は国内線用の空港になりました。

ところが、チャイナエア1社だけが羽田空港に残って、ホノルル行きの国際線を飛ばしていました。

中華人民共和国と日本が国交を樹立したため、日本政府が配慮して、チャイナエアだけは羽田に残して成田には乗り入れさせなかったのでした。

関空でも一番端に追いやられたチャイナエア、やはり、同じような配慮が働いているのかもしれません。

フライトは快適で、あっという間に台湾桃園国際空港についてしまいます。

 

【台湾桃園国際空港から台北市内へ】

MRT(地下鉄)に乗って、台北市内中心部に行くことが出来ます。

値段は150台湾ドルですので約530円くらいです。

到着ロビーを出た目の前に案内所があり、そこで、チャージできるICチケット(悠遊カード)を買いました。

普通のカードタイプもあるのですが、キャラクターものもあり、私はおもしろがって、下のようなトイストーリのキャラクターをかたどったチケットを買いました。

キーホルダーになっています。

ICチケットを購入するのに100台湾ドル(私が買ったのはキャラクターものだったので150台湾ドルくらいしました。)かかるのですが、台北市内でMRTの乗車に使うと、運賃が2割引きになるということなのですぐに元は取れてしまいます。

MRTは、特急と普通があり、特急料金はかかりません。どちらも15分間隔くらいで来るので待つこともほとんどありません。

特急だと40分、普通列車だと50分で、台北駅に着きます。

私は間違えて普通に乗ってしまったのですが、まあ、そんなに時間に違いはありませんでした。

ただ、特急は、進行方法に向かって座るシートなのですが、普通列車はベンチシートです。

ちょっと待っても特急に乗った方が快適です。

 

 

【台北市内 MRT】

台北市内は、MRTが網の目のように走っています。

次から次に列車が来て、ほとんど待たされることはありません。

あと何分何秒で来るという表示が出るので、イライラすることもありません。

清潔で、安全な地下鉄です。値段も安い。

路線ごとに色分けがされているので、どれに乗ればいいのかというのもすぐにわかります。

どこに行くにしても、一番わかりやすくて、便利で、安いです。

 

【台北市内 タクシー】

黄色くて行燈のついたタクシー、一目でタクシーだとわかります。

間違えて、白タクに捕まる心配などありません。

メーターもついています。

値段もお手頃です。チップも払っていません。

ホテルから故宮博物院まで、結構な距離をタクシーで行ったのですが、280台湾ドルくらいでしたので1000円ほどです。

タバコ臭くもなく、車はきれいです。

ただ、渋滞したりするので、MRTで行ける場所ならMRTの方が早いです。

 

【台北市内 路線バス】

たくさん走っています。

旅行者には乗車はなかなか厳しいのですが、googleマップで、検索すれば路線も時間も出てきます。

故宮博物院から帰ってくるときは、路線バスを乗り継いで帰ってきました。

運賃は、MRTと同じ悠遊カードで支払えるので心配ありません。

でも、やっぱり路線は複雑ですね。

 

【アイスモンスター】

あちこちマンゴーとかき氷だらけなのかと思っていたのですが、意外に見かけません。

ちゃんとターゲットを絞って行かないと、美味しいものは食べられないようです。

視察後、みんなでタクシーに乗って「アイスモンスター」という一番人気のかき氷屋さんに行きました。

とても大きいので、一人で食べるのはハードルが高そうでした。

ので、二人で一個頼んだのですが、それでも十分。

そういう人も多いようで、お店の人も嫌な顔はしません。

確かにおいしかった。氷の部分もマンゴーです。

 

マンゴーかき氷に喜ぶ人々の様子です。

 

【足つぼマッサージ】

台湾と言えば、足つぼマッサージです。

私も視察の合間を縫って、3回マッサージに通いました。

快適です。

値段は、日本の3分の2くらいのイメージです。

足つぼ30分とかなら1500円くらいですが、全身マッサージ60分とかすると、4000円~5000円くらいはします。

大衆店から高級店までいろいろな雰囲気の店に行ったのですが、3件のうち、一番よかったのはここです。

中の上くらいの高級さでしょうか。でも、値段はどこもそれほど変わりません。

皇家巴黎(ロイヤル・パリ)という店です。

 

 

 

 

 

 

 


台湾訪問記その12・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -台湾政治

2019-09-21 11:40:03 | 日記・エッセイ・コラム

死刑廃止連盟で死刑廃止に取り組む市民団体、裁判官、大臣、元死刑確定者から、充実したお話を伺った後は、

そもそも台湾とはどのような国なのか、どのような政治情勢なのかを知るため、

国立政治大学の林超琦副教授から、台湾政治のレクチャーを受けました。

 

 

会場は迪化街にあるカフェです。

迪化街は古い問屋街だそうですが、リノベーションされてカフェやレストラン、雑貨店などが立ち並んでいるおしゃれな場所です。

そして、カフェと言っても「台湾」、台湾茶のカフェです。

おしゃれなカフェで、台湾茶をいただきながらの優雅なレクチャーでした。

 

林副教授から、台湾政治の基本について教えていただきました。

(以下は、私が理解した内容ですので、歴史的事実として間違っているところがあるかもしれませんがご容赦ください。)

1945年、第二次世界大戦が終わります。

その当時、中国(大陸も台湾も)は、孫文が結党し、蒋介石が率いていた国民党による政府です。

1946年には憲法が作られ、1947年に総選挙が行われました。

しかし、中国では、国民党政府と共産党との内戦が続いています。

そのため、1948年4月、国民党政府は「動員戡乱時期臨時條款」を発動し、行政権に権力を集中させます。

憲法では議院内閣制であったにもかかわらず、蒋介石は自分に権力を集中させるために特別法で大統領制にしてしまったのです。

大統領の任期もないため、蒋介石は1975年に死ぬまで大統領であり続け、約40年にわたって国民党の一党独裁体制が続くことになりました。

(「動員戡乱時期臨時條款」というのは、自民党改憲草案の「緊急事態条項」と同じですね。これを使って、蒋介石は独裁者となり、一党独裁が続いたのです。緊急事態条項、怖すぎます。)

 

1949年、共産党に敗れた国民党政府は台湾に逃れ、台北に遷都し、政府を樹立します。

そして、台湾省には戒厳令が敷かれました。この戒厳令は1987年まで続きます。

国民党政府の立場としても、台湾島だけで一つの独立国と考えているわけではありません。

中国全土でひとつの国家であり、台湾は、中国の中の台湾省、首都台北のある省という位置づけです。

(「台湾省」と書かれた車のナンバーをよく見かけました。)

台湾省以外の中国領土は、中国共産党によって不法に占拠されているということですかね。

 

国民党政府には、国会に相当する国民大会という議会があります。

しかし、台湾省以外は、中華人民共和国の支配かにあるので、実際に選挙を実施することが出来ません。

そのため、1947年の総選挙で選ばれた議員の任期が延長され、終生議員をすることになりました。

そのため、車椅子に乗ったお年寄り議員が何人も国民大会に出席していたそうです。

選挙は、議員の死亡による欠員が生じた時にしか行われなかったみたいです。

また、国民党政府がくる以前から台湾に居住していた人が大勢いるのですが、選挙が実施されないため、国民大会に代表を送ることもできませんでした。

 

長らく一党独裁体制が続いていたのですが、

1979年 自由や人権を求めるデモが起こり、美麗島事件(高雄事件)が起こります。この事件をきっかけに、民主化を求める市民運動が高まっていきます。

1986年 国民党政府が来る以前からの台湾人が多くを占める民進党が組織されます。

1987年 蒋介石の息子である蒋経国大統領が政党結成を解禁し、民進党は正式に政治政党となり、これにより一党独裁体制が終焉を迎えます。そして戒厳令も解除されました。

1988年 蒋経国が死亡し、副大統領であった李登輝が大統領になります。ここに、蒋介石・蒋経国という親子による独裁が終わります。

李登輝はもともとの台湾人であり、大学の先生です。1977年に台北市長になり、また、国民党政府が台湾人の政治参加を叶えるために副大統領に任命されていました。

1990年 「動員戡乱時期臨時條款」の廃止を訴える大学生らによる「野百合学運」が起こります。学生運動ですね。

1991年 「動員戡乱時期臨時條款」が廃止されます。 

1992年 ここでようやく、国会の全面改選(総選挙)が行われます。

1996年 初の総統直接選挙が行われ、国民党の李登輝が初代総統になります。

2000年 二度目の総統選挙では、民進党の陳水扁が総統になり、初めて政権交代が実現します。

2008年 国民党の馬英九が総統になり、政権が国民党に戻ります。

2016年 民進党の蔡英文が総統になり、再び、民進党への政権交代が起こりました。

そして、現在に至っており、2020年1月には、次の総統選挙が行われます。

台湾が民主国家となったのは、日本だとほぼ平成に重なります。つい最近です!

 

こうした民主化の流れと、死刑の状況は無関係ではないようです。

台湾での死刑執行数は、

1989年 69名、1990年 78人 でした。

初の総統直接選挙が行われた1996年も22名、1997年は38名が執行されていました。

民進党への政権交代が実現した2000年には17名が執行されましたが、

2001年 10名、2002年 9名、2003年 7名、2004年 3名、2005年 3名と激減します。

そして、2006年から2008年までの4年間は、執行が全くありませんでした。

ところが、2008年に国民党に政権交代した後、2010年に4人が執行されました。

2011年から2015年は、毎年5,6名が執行されています。

再度民進党に政権交代した後は、2016年 1名、2017年 0名、2018年 1名という執行状況です。

一党独裁体制が終焉し、民主化が進む中で、死刑の執行は激減しています。

 2020年1月には、台湾総統選挙が行われます。

「死刑廃止」は争点にはならないようで、民進党・国民党のいずれが勝ったとしても、死刑廃止に向けての政府の大きな方向性は変わらないようです。

台湾総統選挙の一番の争点は「中華人民共和国との関係」です。

私の理解では、国民党は一つの中国、中華人民共和国ともうまく付き合っていこうというスタンス、民進党は台湾は台湾として独立した国家になろうというスタンスのようです。

 

林副教授が、興味深い、調査結果を教えてくれました。

台湾の人たちに、自分は台湾人と思うか、それとも中国人と思うかという意識調査です。

1992年の調査では、「台湾人でもあり、中国人でもあると思う」という回答が46.4%、「中国人であると思う」という回答が25.5%、「台湾人であると思う」という回答が17.6%でした。

ところが、

2019年の調査では、「台湾人であると思う」という回答が56.9%と多数を占め、「台湾人であり、中国人でもあると思う」という回答は36.5%、「中国人であると思う」という回答は3.6%しかありませんでした。

今の若い人は、台湾(中華民国)で生まれ、教育を受け、生活してきているので、次第に「台湾人」という意識を持つ人が増えているのだろうと思います。

また、中華人民共和国と中華民国がどのような関係であるべきかについては、

「現状を維持して将来に検討する」という人が30.6%、「永久に現状を維持する」という人が26.9%、「独立に向かうべき」という人が19.9%、「すぐに独立すべき」という人が5.8%ということがそうです。

「統一に向かうべき、すぐに統一すべき」という人は合わせても10.4%しかいません。

現状の体制での生活に特に不満がないことから、保守的な考えが多いということでしょうか。 

いずれにしても、台湾がこれからも平和であってほしいと思います。

 【カフェで記念撮影です。】

 

レクチャーの後は、林副教授にチョイスしてもらった、迪化街で有名な「稲舎」というレストランで懇親会をしました。

レストランに行くまでの街並みがレトロで雰囲気があり、おしゃれな雑貨屋さん、台湾の食材やお茶を取り扱うお店がいくつもあり、

ついつい引き止められ、遠くはない店なのですが、なかなかたどり着けません。

「稲舎」では、一番の名物だというアヒルです。

タロイモと混ぜてハンバーグのような感じ。

本来はお米屋さんだそうで、白ごはんが美味しいようです。(すみません、私はグルメでないので微妙な味の違いが判りません。)

結構なボリュームがあり、美味しくおなかいっぱいになりました。

「稲舎」HP

 

 

 

 

 


台湾訪問記その11・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -死刑雪冤者

2019-09-20 18:42:22 | 日記・エッセイ・コラム

死刑廃止連盟での懇談会には、死刑判決が確定した後に冤罪であることが明らかとなり、再審で無罪となったお二人もお越しくださいました。

蘇建和さん(左)、徐自強さん(右)というお二人です。

お二人からは、台湾において死刑確定者がどのように処遇されているのかを教えていただきました。

 

 

蘇建和さんは、1991年、殺人事件で無実であるにもかかわらず死刑判決を受けました。

この死刑判決は1995年に確定します。

しかし、その後も一貫して無実を訴え、ようやく2000年に再審開始が認められ、2003年に無罪判決を受けました。

ところが、台湾高等法院はこの判決を覆して、2007年に再び死刑判決を下します。

それでもあきらめずに無実を訴え続け、ついに2012年に無罪判決が確定!

晴れて自由の身になった方です。

2014年には、アムネスティ日本に招かれ、日本にもお越しになっています。

その際には、袴田巌さん、袴田秀子さんにもお会いになったそうで、袴田さんがまだ無罪になっていないことが残念だとお話になっていました。

 

 蘇さんは、1995年に死刑判決が確定してからは台北拘置所に収容されていました。

この建物は日本統治時代のとても古い建物だったそうです。

死刑確定囚として過ごした17年のうちの前半は本を読むことしかできなかったが、後半になって、ラジオ・テレビが視聴できるようになったそうです。

本数の制限はありましたが、タバコを吸うことも認められていたそうです。

収容室は1.368坪の部屋に2,3人で一緒に暮らしていて運動もできないような状況で、しかもいつ執行されるかもわからないというストレスが強力だったということです。

驚くことに、収容中は、重さ二キログラムの足かせをずっとさせられていて、寝るときも、シャワーの時も外してもらえなかったということです。

鉄の足かせで冬は冷たくなってとてもつらかったそうです。

死刑廃止連盟の人たちが来て拘置所に抗議してくれたことで、ようやく足かせは外されたということです。

しかし、10年間も足かせをつけれらていたことで、外した時に体の重心がどこにあるのかわからなくてつらかったということでした。

再審無罪になって釈放された後も整骨院に通っていて、今も後遺症があるということです。

 

 

徐自強さんは、1995年に誘拐殺人事件で死刑判決を受け、この死刑判決が2000年に確定しました。

その後も、無罪を訴え続け、16年間を死刑囚として監獄ですごした後、2016年に再審で無罪となった方です。

2018年には、やはり、アムネスティ日本に招かれて来日し、狭山事件の集会にも参加されたということです。

徐さんによると、

自分が収容されていた1991年から2000年当時の処遇と今の処遇は変わっているが、

以前は、死刑確定囚は毎日2通の手紙を送ることができ、2日に1回は家族でも誰でも面会ができたということです。

拘置所から電話をかけることもできて、1週間に6回、1回6分間の通話が許されていたそうです。

本の差し入れも2冊までと決まっていたけれども、本が大好きだったので1回で300冊送ってくれといったら届いたこともあったということでした。

また、面会の時は、(アクリル板ではなく)珊だけの仕切りだったので、面会に来てくれた人の手を握ったりもできたそうです。

かつては死刑判決が確定すると3~10日くらいの間には死刑が執行される時代だったので、毎日面会をして、面会者と手を触れあうことも許されていたようです。

ただ、徐さんの死刑判決が確定したころには、すぐには執行されない時代になっていたので、初めのうちは特別な面会が認められていたけれども、一か月執行がなかった段階で、通常の収容者と同じ処遇に戻されたそうです。

 

 

いつ執行されるかわからない状態で、10数年も死刑確定囚として過ごすということはどれほどのストレスであったか、想像することもできません。

お二人の共犯者とされた人の中には、すでに死刑が執行されてしまった人もいるようです。

でも今は、お二人とも明るく当時のことをお話ししてくださいます。

釈放されてからは社会生活を送ることもできているようで、自作したお米を記念にいただきました。

ありがとうございます。

視察団みんなで、おにぎりを作っていただこうと楽しみにしています。  

上の写真は、徐さんの死刑囚として過ごした日々について記された「 1.368」という書籍です。

「1.368」というのは、死刑囚が収容されていた房の床面積のことです。

単位は「坪」です。

1坪あまりのところに、2,3人が収容されていたというのですから、とても過酷な収容状況です。

 

この本もそうなのですが、台北についてから、あちこちの不動産の広告に「坪」という単位で面積のことが記載されているのを見かけて、不思議に思っていました。

「坪」というのは、日本では畳二畳の広さという意味で、およそ3.3平方メートルのことですね。

この単位は日本独自のものだと思っていたのですが、台湾でも、日本統治時代の名残で今でも「坪」が土地の広さを表す単位として一般的に用いられているようです。

台湾の「坪」の広さは、日本と同じ3.3平方メートルのようです。

今では、日本でも土地の広さは「坪」で表すことも多いですが、マンションなど建物の広さは「㎡」が一般的です。

しかし、台湾では、今も「坪」の方がポピュラーなようで、マンションの広告はすべて「坪」で表記されていました。

帰国後調べてみると、台湾では「台制」と言って日本統治時代の尺貫法をベースにした単位があるそうです。

現在では公式にはメートル法やグラムが単位になっているようですが、坪、尺、寸、升、合といった台制の単位が用いられることも多いようです。

 

 

 

 

 


台湾訪問記その10・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -羅乗成政務委員

2019-09-19 17:45:53 | 日記・エッセイ・コラム

死刑廃止連盟との懇談会には、行政院政務委員である羅乗成弁護士もお越しくださいました。

「行政院」というのは、日本の「内閣」に相当します。

そして、政務委員というのは、「無任所大臣」(特定の省庁のトップではなく、各省の大臣が所管しない事務を執り行う国務大臣のことです。)です。

要するに、「大臣」というとんでもない立場の人です。

羅大臣は、「大臣」でもありますが、もともと弁護士(今も弁護士)でもあり、えん罪問題や死刑問題に取り組んでこられた刑事弁護人です。

羅弁護士の弁護士としての姿勢は、法廷で高い品位を保ちつつも、弁護人として、被告人の権利を守るために、裁判所、検察官に毅然と立ち向かう方だという方だそうです。

そして、以前は、台湾イノセンスプロジェクトの理事長も務められていました。

ということで、今や「大臣」というVIPになられた羅弁護士が、私たち視察団が来るということでわざわざ時間を作って、話をしに来てくださったということです。

なんて気さくな大臣なんでしょう。

日本の国務大臣は、霞ケ関やってきた京都の死刑廃止派弁護士になど絶対に会ってはくれません。

 

【お顔は「大臣」っぽいです。】

 

羅大臣(弁護士)も、台湾における死刑廃止に向けての状況を話してくれました。

 

台湾でも、日本と同様に死刑廃止への道のりは長い、ステップバイステップで進めていくしかない。

現段階では、

① 法律上、死刑が適用される罪名を少なくしていく

② 死刑求刑を少なくする

③ 死刑の執行を少なくする

この3つが重要だということです。

①死刑適用罪名を減らすという点については、過去にはあった絶対的死刑(有罪になったら必ず死刑になる犯罪)はなくなった、人の生命を奪っていなくても死刑にできる犯罪については死刑を外していくべきであるとお話になっていました。

ただ、世論は死刑廃止への反対が多く、立法する立場にある国会議員(立法院委員)は選挙を気にして、「死刑廃止」と言うことが難しい。

飲酒運転の交通事故で悲惨な事件が起きた時には、飲酒運転致死の事件にも死刑を適用できるようにすべきだという世論が巻き起こった。

それで、飲酒運転致死に死刑を適用する法案を法務部(日本の法務省)が作ってきたが、行政院で審査して廃案にした。

②の死刑求刑を少なくするという点は、現実に少なくなってきている。

国連の自由権規約を国内法化したことや、2013年の最高裁判決で死刑適用の厳格な基準を定めたことが効果を上げてきている。

今では、人の生命とは関係のない覚せい剤事件では死刑は法律上は可能性があるが、実際に死刑判決が下されることはない。

③については、執行されるまで、すべての過程において適切な弁護がなされなければならない。

死刑が問題となる事件では、弁護士は必ず3人以上、その中にはベテラン弁護士、死刑廃止の理念のある弁護士がいなければならない。

最近は執行数は減少していて、2018年は1件だけだった。

執行しない年を積み重ねていけば、韓国のように事実上の廃止国になれる。

 

2015年に、台湾の原住民がカップルを殺害して、放火して死体を遺棄したという事件があった。

この事件では、3人の弁護士が、検察官に対して、被告人の生い立ち、成育環境、人権問題、すべてを調査して、死刑を求刑しないように検察官の説得を試みた。

その結果、検察官は死刑を求刑せず、無期刑を求刑した。

上訴されたが、心理鑑定、精神鑑定もして、無期求刑だったが、25年の有期刑になった。 

 

➀②③の3つの方向は、立法、司法(求刑、判決)、執行(行政)においてそれぞれ減少をしていくということ。

穏やかでゆっくりだが死刑を終局させる方向に持っていける!

と力強く話して下さいました。

 

羅弁護士は、現在は蔡英文内閣の一員である大臣であり、その発言には極めて重いものがあります。

それにもかかわらず、日本から来た弁護士たちに、これだけの思いを話して下さいました。

羅大臣には、本当に感動です。

そして、尊敬すべき刑事弁護人です。

 

世論に逆らえず、人権を守ることが難しいという環境は台湾も日本と変わりません.

しかし、羅弁護士ような死刑廃止の立場が明らかな人を特命大臣に任命し、国連の人権規約を国内で実現しようとする台湾政府の姿勢には、日本政府よりもずっと死刑廃止に近いものがあります。

 

 

 

 


台湾訪問記その9・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -錢建榮裁判官

2019-09-18 18:34:25 | 日記・エッセイ・コラム

死刑廃止連盟との懇談の席に、現役の高等裁判所裁判官である錢建榮裁判官も加わってくださいました。

現役裁判官が死刑廃止、つまり現行法について批判的な意見を述べることは日本では考え難いことです。

そういう日本の事情もよくご存じのようで、

「私の知る限り、日本よりも、台湾の裁判官の方が言論の自由が議論されていて、自由に発言することが出来ると思う。

日本では、SNSでいろいろ発信した裁判官が懲戒されたと聞いたが、台湾ではそういうことはない。

台湾は、裁判官も割と自由なのだと思います。」とお話になっていました。

もっとも、地裁の刑事部の裁判官だったときには、「死刑廃止」と言ってしまうと忌避されてしまうので、公開の場では言えなかったということです。

それは確かにそうですね。

 

錢裁判官が死刑は廃止と考える理由は、国家による殺人は許されないということのようです。

死刑は制度ではない、国による殺人である。

法律(刑法)では人を殺してはいけないと定められている、それにもかかわらず、国は殺していいというのはおかしい。

人にはそれぞれ価値がある。

これまで裁判官として30件以上の殺人事件を担当してきたが、殺さなければならないと思った被告人は1人もいない。

  

同僚裁判官とどうして死刑判決を下すべきか?と議論したら、「法律があるから下す」という答えが返ってきた。

裁判官であっても、人権、個人の尊厳、価値について考えることが少ない、もっと考えるべきだとお話になっていました。

日本の裁判官も多くは、この「同僚裁判官」と同じような感覚で死刑判決を下しているのだろうと思います。

 

台湾の最高裁や裁判所の死刑についての基本的な傾向についても教えていただきました。

台湾では2013年に死刑について最高裁判決が出た(尤弁護士の事件ですね。)。

それまでは「教育可能性がない」というあいまいな基準が死刑の理由になっていた。

ところが、2013年の最高裁判決で、死刑事件の口頭弁論が必要的となり、死刑の適用基準として10個の要素が示された。

それらの要素を検討して、どうしても死刑にしなければならないのかを考えなければならないとされた。

以前の更生可能性(教育可能性)という基準の時は、医師に依頼して鑑定して判断しており、本来、裁判官が判断すべき死刑の適否を医師に委ねてしまっていた。

そもそも更生可能性などということは、刑法の定める量刑要素の中にはなかった。

人間なら必ず更生可能性があるのであるから、更生可能性など判断基準にならない。

刑罰の目的は応報と一般予防と特別予防、更生可能性がないことを理由に死刑を適用することは刑罰の目的を否定してしまう。

 

錢裁判官は、台湾の裁判官の中でも特別な存在であり、貴重な存在なのだろうと思います。

冒頭に書いたように錢裁判官は、現役の裁判官です。

現役裁判官が、死刑廃止という法律の適否に関する自分の意見を公にして、なお高裁の裁判官を務めていられるという、台湾最高裁の許容性が素晴らしい。

日本の裁判官も、もっと政治的な意見、政策的提言をしてもいいし、

裁判官がどんなこと考えているのか、どんな人なのか、どんな生活をしているのかを発信してもいいのにと思います。

白ブリーフ裁判官も頑張って!