戦後70年という節目の年ということに加えて、平和と戦争、憲法について国民に広く知ってもらいたいという安倍総理の隠れた戦略が奏功して、
今年の八月六日はこれまで以上に注目を集め、特別な原爆の日になったように思います。
そんな原爆の日の式典での松井広島市長の平和宣言と安倍総理の挨拶は、プレゼン的にも極めて対照的でした。
昨日の広島市長の「広島平和宣言」は、「人類愛」と「寛容」を訴えた内容ももちろんすばらしいのですが、プレゼンとしてもすばらしい!
1 はじめに聞き手に広島の原風景をイメージさせるという舞台を設定します。
2 続いて、原爆投下による惨状という舞台を描写して設定するのですが、はじめの美しい原風景とのコントラストがあるために、その悲惨さが際立ちます。
3 リアルな舞台設定のあと「盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち」「幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性」「被爆がわかり離婚させられた女性」「当時16歳の女性」「当時12歳の男性」という人物を登場させ、「広島をまどうてくれ!」などと話をさせます。
舞台設定 → 人物が登場 → アクション! という、まるで映画を撮影しているような宣言の前半部分です。
前半部分の具体的な話によって、聞き手は、頭の中で映画を見せられ、宣言に引き込まれてしまいます。
その結果、後半の「共生社会」「人類愛」「寛容」による核兵器廃絶、「信頼」を基礎にした武力に依存しない幅広い安全保障 というメッセージが、すっと心の中に入ってきます。
松井市長が、被爆者に、市民に、政府に、世界に、心からメッセージを伝えたい!という気迫も伝わってきます。
具体的な話をすることは聞き手に具体的な映像をイメージさせるだけではありません。
具体的な話は、ちゃんと事実を見ている、勉強している、理解しているということを伝えてくれます。
逆に、抽象的な話は、よく勉強していない、何もわかっていない、けれども、適当にうまくごまかして話しているという印象を与えます。
安倍総理の挨拶にはまったく具体性がありません。
広島に一度も行ったことがなくても、被爆者と話をしたことがなくても、原爆について勉強したことがなくても語ることのできる内容でしかありません。
安倍総理でなければ語れない内容でもありません。
とりあえずやっつけで作ったような挨拶で、これでは人の心を動かせません。
以下に、広島市長の平和宣言を引用しておきます。
良い文章です。ぜひ、ご一読ください。
ついでに、安倍総理の挨拶もどうしても読んでみたいという人はこちらをどうぞ。
【広島平和宣言 2015】
私たちの故郷(ふるさと)には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。
1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。
きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。
幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。
辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪(ゆが)められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。
生きるために盗みと喧嘩(けんか)を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など――苦しみは続いたのです。
「広島をまどうてくれ!」。これは、故郷や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫びです。
広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛(か)みしめたいと思います。
しかし、世界には、いまだに1万5000発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。
また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。
核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。
ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。
世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。
当時16歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない」と訴えます。
当時12歳の男性は「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ」と強調します。
辛(つら)く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。
その心には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。
人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。
私たちは「共に生きる」ために、「非人道性の極み」「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。
そのための行動を始めるのは今です。
既に若い人々による署名や投稿、行進など様々な取り組みも始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。
被爆70年という節目の今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えました。
広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、次世代に伝えるための取り組みを強化するとともに、加盟都市が6700を超えた平和首長会議の会長として、2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。
今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。
為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。
そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。
その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。
来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。
オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。
核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。
また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
私たちは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。
そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。
平成27年(2015年)8月6日
広島市長 松井一実