10:30から始まった『平和のはなし』

秋田エイさんとの出会い、横井庄一さんの絵本作り、今の活動の原点とも言える小学校時代の恩師のこと、その3つを今回お話してくれました。
亀山さんは、小さな頃からものを作ることが大好きだそうです。
前回、紹介したパステル画の絵本からも、もの作りへの愛情がとても伝わってきます。
歴史は苦手だったそうで、しかも、歴史の授業で明治時代以降は大抵早足で終わってしまうので(確かに…!)、あまり知らないまま…。そんな亀山さんを変えたのが、秋田エイさんとの出会いでした。
秋田エイさんは、ホームヘルパーのお仕事で初めての担当した方です。
ホームヘルパーのお仕事を辞めたあとも、エイさんへの訪問を続けて5年間、お話を聞いてきたそうです。
その情熱がスゴイ!
ピースあいちという団体が、戦争体験者から聞いた話を募集していると聞いて、今まで聞いてきた話のメモを原稿用紙にまとめてみたそうです。
ただ、このままだと誰も読んでくれない(家族も読んでくれない…)ので、挿絵をつけたらどうか…と考えて、この『いのちをひろって』ができたそうです。
ここで『いのちをひろって』を読んでくれました。
浜松に住んでいたエイさん、空襲がひどくなり、御前崎に避難していました。お米を取りに浜松へ行った日に、空襲にあってしまいました。
文中で…
〜「若い人だけでも逃げて、命をひろって(生きのびて)ください」〜
〜エイさんは広場で、聞こえた誰かの声のおかげで、命をひろったのでした。〜

(『いのちをひろって』から)
空襲の中、エイさんが命をひろった様子を、亀山さんの文章と挿絵で、映像を見ているかのように、丁寧に描かれています。
家もお気に入りの下駄も浜松の町も、全部焼けてしまったけれど…「命があるならそれで十分。」とお母さんに抱きしめられます。
〜おしゃべりが大好きな明るいエイさんが
、たったひとつだけ大きらいなものがあります。それは戦争です。「戦争だけは、絶対に、イヤ」これから先も、日本が二度と戦争をしない国であり続けることを、エイさんは強く願っています。〜
…という文章で締められています。
この『いのちをひろって』を完成させるために、浜松へ2回取材訪問したそうですが、凄い偶然が重なったそうです。
③へ続く!

秋田エイさんとの出会い、横井庄一さんの絵本作り、今の活動の原点とも言える小学校時代の恩師のこと、その3つを今回お話してくれました。
亀山さんは、小さな頃からものを作ることが大好きだそうです。
前回、紹介したパステル画の絵本からも、もの作りへの愛情がとても伝わってきます。
歴史は苦手だったそうで、しかも、歴史の授業で明治時代以降は大抵早足で終わってしまうので(確かに…!)、あまり知らないまま…。そんな亀山さんを変えたのが、秋田エイさんとの出会いでした。
秋田エイさんは、ホームヘルパーのお仕事で初めての担当した方です。
ホームヘルパーのお仕事を辞めたあとも、エイさんへの訪問を続けて5年間、お話を聞いてきたそうです。
その情熱がスゴイ!
ピースあいちという団体が、戦争体験者から聞いた話を募集していると聞いて、今まで聞いてきた話のメモを原稿用紙にまとめてみたそうです。
ただ、このままだと誰も読んでくれない(家族も読んでくれない…)ので、挿絵をつけたらどうか…と考えて、この『いのちをひろって』ができたそうです。
ここで『いのちをひろって』を読んでくれました。
浜松に住んでいたエイさん、空襲がひどくなり、御前崎に避難していました。お米を取りに浜松へ行った日に、空襲にあってしまいました。
文中で…
〜「若い人だけでも逃げて、命をひろって(生きのびて)ください」〜
〜エイさんは広場で、聞こえた誰かの声のおかげで、命をひろったのでした。〜

(『いのちをひろって』から)
空襲の中、エイさんが命をひろった様子を、亀山さんの文章と挿絵で、映像を見ているかのように、丁寧に描かれています。
家もお気に入りの下駄も浜松の町も、全部焼けてしまったけれど…「命があるならそれで十分。」とお母さんに抱きしめられます。
〜おしゃべりが大好きな明るいエイさんが
、たったひとつだけ大きらいなものがあります。それは戦争です。「戦争だけは、絶対に、イヤ」これから先も、日本が二度と戦争をしない国であり続けることを、エイさんは強く願っています。〜
…という文章で締められています。
この『いのちをひろって』を完成させるために、浜松へ2回取材訪問したそうですが、凄い偶然が重なったそうです。
③へ続く!