つなハピ

愛知県一宮市のNPO団体つなハピは『つながり合ってハッピーになろう』を合言葉に親子・教師・市民で楽しく活動しています!

8月例会『平和のはなし』⑤

2018-08-27 12:01:38 | 日記
三つ目に、小学校の時の担任のはっとりみつる先生(みっちゃん先生)のことを話してくれました。
みっちゃん先生はシベリア抑留者でした。
楽しくて優しい、そして、どんな授業でも最後は戦争の話になる、そんな先生だったそうです。
子どもから「みっちゃん先生の授業は、全部歴史の授業になっちゃうね〜」と言われるくらい。

エイさんや横井さんの絵本を制作していくうちに、みっちゃん先生はどんな授業よりも大事な話をしてくれていたのだと思ったそうです。
詳しく覚えていないので、話をもう一度聞きたいと訪問したら、亡くなられていて、体験者の話を聞く機会というのは貴重だと強く思ったそうです。

“関心を持ってほしい”
“知ってほしい”
“今しか聞けない話がある”
“体験者の方の話を読んでほしい”

最後に亀山さんからの思いを話してくれて『平和のはなし』を締めてくれました。


ご自分で年表を作って、
「日本はこんなに戦争をしていたんですね」
…とパッと見せてくれました。


資料をわかりやすくまとめてくれました。
参考にしてください。




つなハピ会員が持ってきた絵本たち。
図書館の特設コーナーのようです。
絵本を子どもとじっくり読んでみる、そんな時間を持ってみるのもいいかもしれません。



後日、亀山さんからお話を聞きました。

「切り絵をしたことがなかったと話されていましたが、どうして切り絵で表現しようと思ったのですか?」

「パステル画をやってきたけれど、エイさんの話の挿絵はパステル画での表現ではないと感じたし、戦争のイメージは白黒でした。エイさんの話をシンプルに伝えてくれるのが切り絵ではないかと思いました」

やったことがない切り絵、まずは、図書館から切り絵作家の本を大量に借りてきて、研究したそうです。
最初のうちは、できた!と思って持ち上げたら、バラバラっと落ちてしまったり…。
苦労したとのこと。
絵本ができるまで、試行錯誤されたそうです。

「実際に横井さんの道具の写真や花器を見せてもらって、良かったです」とお伝えしたら、「初めて資料を見たときに、自分の中にパァっとすごいイメージで入ってきたから、その衝撃を皆さんにもお伝えしたくて」と返してくれました。

あの会の温かい雰囲気は亀山さんの人柄によるものだと、改めて実感しました。



子どもの頃に「命のことを考えること」は大事なんだと無意識のなかでも教えてもらい、学んだこと。
そして、エイさんと出会って、このような活動をされていること。

みっちゃん先生との交流がこの活動の原点だと話されている亀山さんに会って、大人が子どもたちに発信していくことが大事だと私は思いました。
そのためにも、“知る”ことを始めないと!ですね。

皆さんにとっても、この会が何かのきっかけになったらいいなと思います。

亀山さん、いい時間を作ってくださって、ありがとうございました!!

これで『平和のはなし』の報告は、おしまいです。
とてもいい会だったので、しっかりお伝えしたい!と長くなってしまいました。
読んでくださって、ありがとうございました!

8月例会『平和のはなし』④

2018-08-25 07:08:55 | 日記
エイさんのお話を絵本にしていくときに、横井庄一さんの出身地が愛知県(現・愛西市)で、帰国後は名古屋市中川区に住んでいたことを知って、ご家族で横井庄一記念館へ行かれたそうです。

そこで、一躍有名になった横井さんが帰国後にどんな風に暮らしていたのか、館長である妻の美保子さんから話を聞かれたそうです。

児童館で読み聞かせをしている亀山さん。
子どもたちに、横井さんの話をしたいと思って、資料を探すも…ほとんどなく。
あんなに有名になった人なのに…と逆に驚かれたそうです。
それなら、自分で作ろう!と思い立ち(そこが亀山さんですね!)、できたのが『よこいしょういちさん』の切り絵絵本です。

美保子さんから話を聞いて、1年半かけて制作されました。



ここで、絵本を拡大印刷して紙芝居にしたものを読んでくれました。



召集前に食べたいなり寿司が最後のおふくろの味になったこと
グァム島での過酷な生活
戦友の死
何ヶ月もかけてパゴ(ハイビスカス)の木の繊維から作った洋服
帰国したときの一言「恥ずかしながら生きながらえて帰ってまいりました」
帰国後の孤独感
美保子さんとの出会い
陶芸という生きがい

このつぎは
いくさなき世に 生まれきて
父母子らと ゆうげをかこまむ

…という横井さんの句で締められます。



横井さんのお墓の横には、グァム島で自分の生を支えてもらった小動物のお墓もあるそうです。

亀山さんの優しい語り口で、横井さんの年少期から晩年までの生涯が語られました。



読み終わったあとは、横井さんが作った洋服の写真を見せていただいきました。
ポケットやベルト、細部までこだわった仕上がりに、「お〜!」と感嘆の声が上がります。
召集前に洋品店で働いていらっしゃったとのことですが、それにしてもスゴイです。

実際の写真を見せてくれたことで、“生き抜いた”横井さんの生活をよりリアルに感じることができました。

自宅の一部を開放した横井庄一記念館では、機織り機、魚を捕るかご、ココナッツの実で作った椀などの道具が展示されています。
開館は毎週日曜日で10:00 〜16:30、入館料は無料です。

横井さん制作の花器(紙芝居の裏表紙)も持参してくださり、戦争の悲惨さはもちろん、そういう時代を生き抜いてきた横井さんの人柄を伝えたい!という亀山さんの気持ちが伝わってきました。



名古屋市の小・中学校に働きかけ、絵本を置いてもらえることになったそうですが、その数なんと800冊!!
全部、手作りです。驚きです。

たくさんの人に読んでもらいけれど、手作りでは限界があるので(800冊手作りした亀山さんの言葉、重みが違います!)、amazonで製本化できることを知り、販売することにしたそうです。
A4サイズ縦版・864円(税込)です。
ぜひ、手に取ってみてください。

広く色々な場所で読んでもらえるといいなと思います。

⑤へ続く!

8月例会『平和のはなし』③

2018-08-22 08:33:20 | 日記
『いのちをひろって』ができるまでに起こった、ビックリした偶然をお話してくれました。


(『いのちをひろって』から)

偶然その①

浜松訪問1回目は、エイさんに話さずに家族で行った。
浜松城を見てまわって、すぐ横に学校があり、珍しいなぁと気に留めた。
その話をエイさんにしたら…
「その学校は私の母校です」
ビックリ!

偶然その②

浜松訪問2回目は、娘たちと行った。
今度はエイさんに詳しく聞いてから、訪問。
話に出てきたお寺を見たりして、よりエイさんの話を実感した。
その帰り道に、家の貼り紙が強い風ではためいているのについ目がいってしまった。その紙に書いてあった名前がエイさんの旧姓と同じだったので、気になって写真を撮った。
エイさんに写真を見せたら…
「なんで私の実家を知っているの!?」
ビックリ!

偶然その③

浜松では、27回の空襲があった。
エイさんが話してくれる空襲はいつだったのだろうかと資料で探して、条件が一致したのが6/18の浜松大空襲だった。
それをエイさんに報告しながら、ふとカレンダーをみると、その日が6/18!
一緒に手を合わせた。


エイさんのお話をちゃんとした形にしたいという亀山さんの行動力や思いが、こんな凄い偶然を引き寄せたんではないかな〜と思うくらいです。
温かいエピソードだらけです。

エイさんは昨年、亡くなられたのですが、こんな風に、エイさんのお話をし続けていきたいと話されていました。

④へ続く!

8月例会『平和のはなし』②

2018-08-21 00:05:14 | 日記
10:30から始まった『平和のはなし』


秋田エイさんとの出会い、横井庄一さんの絵本作り、今の活動の原点とも言える小学校時代の恩師のこと、その3つを今回お話してくれました。

亀山さんは、小さな頃からものを作ることが大好きだそうです。
前回、紹介したパステル画の絵本からも、もの作りへの愛情がとても伝わってきます。

歴史は苦手だったそうで、しかも、歴史の授業で明治時代以降は大抵早足で終わってしまうので(確かに…!)、あまり知らないまま…。そんな亀山さんを変えたのが、秋田エイさんとの出会いでした。

秋田エイさんは、ホームヘルパーのお仕事で初めての担当した方です。

ホームヘルパーのお仕事を辞めたあとも、エイさんへの訪問を続けて5年間、お話を聞いてきたそうです。
その情熱がスゴイ!

ピースあいちという団体が、戦争体験者から聞いた話を募集していると聞いて、今まで聞いてきた話のメモを原稿用紙にまとめてみたそうです。
ただ、このままだと誰も読んでくれない(家族も読んでくれない…)ので、挿絵をつけたらどうか…と考えて、この『いのちをひろって』ができたそうです。


ここで『いのちをひろって』を読んでくれました。

浜松に住んでいたエイさん、空襲がひどくなり、御前崎に避難していました。お米を取りに浜松へ行った日に、空襲にあってしまいました。

文中で…
〜「若い人だけでも逃げて、命をひろって(生きのびて)ください」〜

〜エイさんは広場で、聞こえた誰かの声のおかげで、命をひろったのでした。〜


(『いのちをひろって』から)

空襲の中、エイさんが命をひろった様子を、亀山さんの文章と挿絵で、映像を見ているかのように、丁寧に描かれています。

家もお気に入りの下駄も浜松の町も、全部焼けてしまったけれど…「命があるならそれで十分。」とお母さんに抱きしめられます。

〜おしゃべりが大好きな明るいエイさんが
、たったひとつだけ大きらいなものがあります。それは戦争です。「戦争だけは、絶対に、イヤ」これから先も、日本が二度と戦争をしない国であり続けることを、エイさんは強く願っています。〜
…という文章で締められています。


この『いのちをひろって』を完成させるために、浜松へ2回取材訪問したそうですが、凄い偶然が重なったそうです。

③へ続く!

8月例会『平和のはなし』①

2018-08-19 12:49:20 | 日記
昨日、8月例会『平和のはなし』があり、大人23名・小人9名の参加がありました!
来ていただいて、ありがとうございます!

例会が始まる前のスタッフ会議では、キャンプが中止になった経緯、9月〜10月の例会などについて、話をしました。

10:00に亀山さんがいらっしゃったところで、紹介があり、手作りの紙芝居台やパステル画の絵本を見せてもらいました。


「手作りなの〜?!」驚きの声があがります。立派です!


一冊、一冊、手作りの絵本です。

10:30から始まり、1時間半とは思えない濃い内容で、とってもいい例会でした!

少しずつ書いていきますね。
毎日更新できないと思いますが、気長にお待ちください…m(_ _;)m

つなハピ通信no.122